私立第三新東京中学校

第百四十一話・ひとつになって


「いったいなあ・・・・」

僕はほっぺたを手で押さえながら、ぶつぶつ文句を言う。そんな僕に対して、
アスカは轟然と言い放った。

「自業自得よ!!アンタが悪いんだから!!」
「・・・でも、ここまで思いっきり引っぱたかなくてもいいのに・・・・これ
じゃあきっと明日になっても腫れはひかないよ・・・・」
「アンタがアタシの温情を忘れて、アタシを馬鹿にしたからでしょ!?」
「アスカの温情?」
「そうよ。アタシはいつも、アンタのほっぺたの腫れが残らない程度に力を調
整してビンタしてたのよ。なのにアンタって奴は、アタシの事を暴力女みたい
に・・・・」
「そ、そこまで考えてくれてたなら、わざわざビンタする事ないのに・・・・」

僕はアスカに聞かされた予想外の事実にびっくりしながらも、それに納得出来
ずにいた。するとアスカは、そんな僕に向かって重ねて言った。

「アタシがアンタにビンタするのは、アンタのためにしてる事なの。アンタが
悪い事をしたら、はっきりとそれを理解させ、かつ、悪い事をしたら罰が返っ
てくると言う事を教え込むために・・・・」
「そんなこと、ビンタされなくってもわかってるよ・・・・」
「じゃあ、どうしてアンタはビンタされるような事ばっかりする訳!?」

アスカの理論は筋は通っているように聞こえるかもしれないが、それはアスカ
に都合のよいものでしかなかった。だから、僕はアスカの機嫌を更に損ねると
知りつつも、言わずにはいられなかった。まあ、アスカを恐れての、小さな抵
抗でしかなかったのだが。

「・・・・アスカと僕の価値観は違うんだよ。」
「当たり前の事言わないでよ。」
「じゃあ、アスカの価値観を、暴力で僕に押し付けるのはやめてくれない?僕
には僕の考えがあるんだから・・・・」
「あ、あ、あ・・・・・」

アスカは怒りのあまり、声も出ない有り様だ。僕はそれを見て、言い過ぎたか
と思ったが、もう手後れであった。今更後には退けなくなった僕は、アスカに
向かって言い続けた。

「僕とアスカの考えが食い違うたびに、アスカにビンタされてるんじゃ、僕の
身がもたないよ。」
「・・・・アンタは・・・アンタは、じゃあ、アタシの事、傷つけてもいいっ
て言う訳・・・・?」
「そんな事は言ってないよ。ただ、些細な事ですぐ僕に手を上げないで欲しい
だけさ。」

僕がそう言うと、アスカはうつむいてぷるぷる震えながら、喉から絞り出すよ
うな声を発した。

「・・・・アタシにとっては・・・・些細な事じゃないのよ・・・・」
「・・・・どういうことさ?」

僕は憮然としてアスカに聞き返す。するとアスカは、そのままの調子で僕に答
えた。

「・・・アンタにとっては些細な事かもしれないけど・・・・アタシにとって
は、アンタの言葉はどんな言葉であろうと、大事な言葉なの。アンタは冗談半
分で言ったとしても、アタシにはもう、冗談では受け止められないのよ・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・アンタは人を好きになった事が無いから・・・・ほんとの恋を知ら
ないから、そういう心ない事が軽々しく言えるのよ。アタシがどれだけ、アン
タに傷つけられてるかも知らずに・・・・」
「アスカ・・・・」

僕はもう、アスカに反論する気にはなれなかった。僕がアスカを苦しめ続けて
きたのは事実だし、僕がその事を忘れて、アスカの寛大な振る舞いにあぐらを
かいていたのも確かな事だ。僕は元気なアスカの姿に、いつも騙され続けてい
た。わかっているはずなのだ。アスカが誰よりも、傷つきやすい心を持ってい
ると言う事を・・・・
でも、アスカは我慢強かった。そして、苦しみを隠すのに慣れていた。僕は以
前、アスカにそういう生き方は辛いだけだと言った事があった。しかし、そう
簡単にこの長い年月を通して染み付いてきた性格を変える事など出来なかった
のだ。
僕はそれをわかってやるべきだった。でも、僕は現実問題としてそれが出来て
いなかった。僕はそんな自分に気付いて、改めて反省した。

「・・・・アタシはアンタにアタシの気持ちを受け止めてもらえるとうれしい
のと同じように、アンタとアタシの心が通じ合えていないと感じるのは苦しい
のよ。そう、今みたいに・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・アタシはレイのこと、嫌いじゃないわ。前はいけ好かない奴だと思
ってたけど、今は違う。アタシと同じ相手を好きになる事によって、不思議な
連帯感すら感じるの。だから、レイがもっと女の子らしくなるようにいろいろ
教えてあげようって言う気持ちがあるんだけど・・・・」
「・・・・・」
「だけど、間にシンジが入ると、どうしてもその関係を維持出来ないの。アタ
シはアンタとレイがキスするのを見て、平気でいられると思う?」
「・・・・・」
「ねえ、平気でいられると思う?」

アスカは黙っていた僕に対して、繰り返し尋ねた。そして僕は、隠れるような
小さな声でアスカに答えた。

「・・・・思わない。」
「そうなのよ。平気じゃないの。アタシは心の中で、シンジの心はアタシにあ
るって念じ続けてるんだけど、それが崩れるときがあるの。」
「・・・・・」
「・・・どういう時だかわかる?ねえ・・・・?」
「・・・・・わからない。」
「アンタがアタシの気持ちをわかってくれないときよ。そう、今みたいに・・・・」
「・・・・・」
「アンタがアタシの気持ちをわかってくれていれば、アタシもアンタを信じて、
レイを友達として、同じ恋する女の子として、見守っていられるの・・・・」
「・・・・・」
「だから・・・・」
「もういいよ、アスカ。」

僕は先を続けようとしたアスカを、言葉で遮った。

「アスカの気持ちはよくわかったし、僕が悪かったって言う事も十分理解出来
たよ。」
「でも・・・・」
「いいからもうこれ以上辛い言葉を出さないで。アスカだって、こんな事を言
うのは辛いんだろう?僕がアスカの気持ちを理解していれば、こんな言葉を口
に出さずに済んだのに・・・・」
「シンジ・・・・・」
「僕の謝罪、受けてくれる?」
「・・・・うん・・・・」

僕が真剣にそう言うと、アスカは小さな声と共に僕にうなずいた。すると、僕
はちょっと恥ずかしそうな、困ったような複雑な顔を見せると、アスカにこう
言った。

「アスカは僕の事、うそつきだと思ってるみたいだし、実際僕もその場しのぎ
の言葉を言い続けてきたような気がする。」
「・・・・・」
「だから、僕があんまり好きじゃない事をする事で、僕に対する罰を、そして
アスカが僕からしてもらう事で一番うれしい事をする事によって、アスカに対
するお詫びを、そして今ここでそれをする事によって、アスカに対する想いを、
それぞれあらわしたいと思う・・・・・」
「・・・・それって・・・・?」
「そう、それは、僕がアスカにキスをする、って言う事。それが僕の、アスカ
に対する謝罪のつもり。それじゃ駄目かな?」
「う、ううん。そんな事無い。でも・・・・」
「でも?」
「レイが・・・・見てるわよ。」
「だね。」
「いいの?」
「だから、謝罪なんだよ。それに、ごまかしじゃないって事もわかるだろ?」
「でも・・・・レイ、いい?」

アスカは綾波を傷つける事を恐れてか、綾波に許可を求めた。すると綾波は、
よくはわからないが、多分辛いんだろうと思われる表情をして、アスカにかす
かな声で答えた。

「・・・・いや・・・・・だけど、私、我慢する・・・・・・」
「・・・レイ、アンタ・・・・・」
「・・・・あなたが我慢していたって、わかったから。そして、私とあなたの
違いがそこにあるんだっていう事も、感じたから。だから、私は碇君に、あな
たと同じように愛されたいから、あなたと同じように、私も我慢する・・・・」
「・・・・・・」
「・・・辛いのはわかってる。でも、私は耐えなくちゃいけないの。だって、
碇君を手に入れるためだもの・・・・・」

僕は綾波がそう言うのを聞くと、何だかとても辛くなって、アスカに声をかけ
た。

「アスカ・・・・」

アスカはそれを聞いただけで、僕が何を言いたいのか諒解して、はっきりとこ
う答えた。

「駄目よ。」
「で、でも・・・・」
「アンタはとことん裏切り続けるつもり?アタシとレイの、両方を?」
「・・・・・」
「アンタはアタシにもうそうするって言った時点で、そうしたのと同じくらい
にレイを傷つけてんのよ。だから、アンタが今更レイを苦しめるのが恐くなっ
て逃げ出したとしても、レイは全く救われないわ。それに、今度はアタシを傷
つける事になる・・・・」
「・・・・・」
「アンタは逃げるって事が、どれだけいけない事だか、誰よりもわかってたは
ずじゃないの?なのに、どうして逃げようとし続けるの?」
「・・・・・」
「もう、逃げは許されないのよ。アンタが逃げれば、誰も幸せになれないのよ。
わかる?」
「・・・・わかる。」
「じゃあ、今ここで、アタシにキスしなさい。せっかくのレイの勇気と努力を
無駄にしないためにも・・・・」
「う、うん。わかった・・・・・」

僕はそう言うと、早速アスカにキスをしようと思って、アスカに唇を近づけた。
すると、アスカはそれを手でとめて、僕を拒むとこう言った。

「駄目よ、今のアンタの状態じゃ。まるでアタシに言われて、逃げないために
キスしようとしてるみたいじゃない。本来のキスの目的を忘れたの?」
「・・・・ご、ごめん。じゃあ、どうすればいい?」
「はじめの気持ちを思い出すの。目を閉じて、アタシの事でも思い浮かべてみ
なさいよ。」
「わ、わかった・・・・」

僕は情けなくそう答えると、アスカに言われた通りに目を閉じて、アスカの事
を頭の中で思い描いてみた。

・・・・僕の頭の中に住んでいるアスカは、いつも元気なアスカだ。
楽しそうに微笑み、悪戯な目で僕を見つめる。
でも、時々悲しい顔をする。
それは、僕がアスカを傷つけるから。
頭ではアスカを恋したいのに、心ではアスカを恋せない僕が、アスカを傷つけ
るから・・・・・
そして、綾波の存在もアスカを傷つける。
僕が綾波を思いやり、綾波の存在を感じて綾波に遠慮するとき、アスカはいつ
も傷ついている。
でも、アスカも僕と同じように、綾波の事を案じてくれる。
そんな優しいアスカの存在が僕はうれしかったけど、そこでもアスカは傷つい
ていた。

僕が動き、アスカが動く。
何かと何かが触れ合うたびに、アスカの心はきしんで音を立てた。
でも、その音は、アスカの耳にしか聞こえなかった。
だから、耳で聞こえない分は、心で感じてあげるしかなかった。
アスカの心が発する音を、僕の心が直接受け取って・・・・


僕はゆっくりと、目を開けた。
そして、アスカの蒼い瞳を覗き込みながら、静かに顔を近づけていった。
今度は、アスカは拒まなかった。
アスカは僕の視線を正面から受け止め、穏やかな表情で僕の瞳の奥を見つめた。
そして、二人の唇と唇が触れ合う。
その瞬間、二人とも目を閉じ、視覚を遮って心と心をつなげた。
こうしてこの時、僕とアスカ、二人はひとつになったのだった・・・・・


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