私立第三新東京中学校
第百三十九話・憧れから恋へ
「ま、まあ、取り敢えず、あの馬鹿女をシメるのは後にしておいて・・・・」
少し綾波の様子に気まずさを覚えたアスカは、空元気を出して場を仕切ろうと
した。
「し、シメるって・・・・」
僕は何気なく言ったアスカの言葉の過激さに言葉を詰まらせた。しかし、アス
カはと言うと、さも当然の事のように大きな声で言った。
「当たり前じゃない!!悪い事をした人間には、罰を与えなくっちゃ!!」
「な、なんだかアスカ、そればっかりだね・・・・」
僕はアスカの様子に半ば呆れてそう言う。そんな僕の言葉を聞いたアスカは、
少しむっとした顔をして、僕に言った。
「うるさいわね!!アタシは元々そういう考えの持ち主なのよ!!」
と、アスカは僕に言ってから、そのまま続けてこう言った。
「それよりシンジ、あんな女のことより、問題はアタシの事よ。引っ越し、一
体どうしてくれる訳?」
「そ、そうだねえ・・・・」
アスカはそんな情けない声をあげる僕に対して、眉をひそめながらこう言った。
「アンタ・・・もうちょっとしっかりしなさいよね。これはアンタにも関係の
ある事なんだから・・・・」
「ご、ごめん・・・・でも、僕、どうすればいい?」
「アンタねぇ、自分で考えなさいよ。何でも人に頼らないで・・・・」
「や、やっぱりもう一度、父さんに会って話した方がいいかな?」
「当たり前よ。」
「で、でも・・・・」
煮え切らない僕を見たアスカは、少しいらいらしながら僕に根気よく言って聞
かせた。
「アンタはそのお父さんとこれから一緒に生活しようって言うんでしょ?それ
を怖がってどうすんのよ?」
「で、でも、そんなわがまま言ったら、父さんがこの話はなかった事に、なん
て言うかもしれないし・・・・」
「ア、アンタもしかして、そういう風に思ったからアタシのことを話してくれ
なかった訳!?」
アスカは僕の言葉に怒りをあらわにする。そんなアスカの変化を見た僕は、慌
てて否定して見せた。
「ち、違うよ!!それはほんとに忘れてただけだってば!!」
「・・・どうだか?」
アスカはそう言ってじろりと僕の事を見る。これを見る限り、アスカは激怒こ
そしてはいないが、かなり気分を害しているのは読み取れた。アスカの思って
いる事は誤解なのだが、今のこういう状況では、なかなかその誤解をとく事も
出来かねるだろう。アスカも僕の事を完全に疑っているとは言えないと思うが、
半ば僕の言葉にすねているのに違いない。僕はそう思うと、アスカをなだめに
入ろうとしたのだが、その前にそれまでずっと口を閉ざしていた綾波が、アス
カに向かって言った。
「・・・・碇君を信じてあげて。碇君は人に嘘をつくような人じゃないわ。」
それを聞いたアスカは、綾波に向かって教え諭すようにこう言った。
「レイ・・・・アンタ、シンジはそれだから恐いのよ。」
「・・・・どういう事?」
「いつも嘘をつくような奴だったら、用心も出来るけど、めったに嘘をつかな
いような人間に対しては、この人は嘘をつかないって思ってるから、騙されち
ゃう訳。わかる?」
「・・・・・碇君は私を騙したりはしないわ。」
「アンタねえ・・・シンジだって人間なのよ。あんまりきれいな事じゃないけ
ど、嘘もつけば人も騙すわ。」
「・・・・・」
「アンタのそれは、はっきり言って信仰よ。そういうのは、却って信仰された
人を苦しめるものなの。その信仰に応えなくちゃいけないって・・・・」
「・・・信仰・・・・?」
「そうよ。だからシンジは、アンタの前ではいい奴でいるでしょ?でも、それ
もシンジなのは間違いないけど、シンジの一部分でしかないのよ。だから、ア
ンタはシンジの全部を見てない訳。わかる?」
アスカがそう言うと、綾波は少し考えるような仕種を見せて、そして静かにア
スカに尋ねた。
「・・・・じゃあ・・・・あなたは碇君の全てを見ているの?私の知らない碇
君を・・・・」
「まあ・・・アタシも全部のシンジを見てる訳じゃないわね。シンジは結構内
にこもって何でも自分で物事を片付けようとするところがあるし、アタシもシ
ンジのことが好きだっていうことで、シンジに中立の立場で見られていないか
ら・・・・でも、少なくともアンタよりは多くのシンジを見てると思うわね。
絶対に。」
「そう・・・・私の知らない碇君って、どんな碇君なの・・・・?」
綾波はかなり興味をそそられたのか、少し身を乗り出してアスカに尋ねた。す
るとアスカは少し意地悪そうな笑みを見せて、綾波にこう言った。
「教えてあげてもいいけど・・・・・やっぱり駄目ね。」
「どうして?お願い、私、碇君の全てを知りたいの。」
まるで懇願するかのような綾波に対して、アスカは呆れたような顔をして言っ
た。
「アンタ・・・・当のシンジを目の前にして、よくもまあ恥ずかしげもなくそ
ういう事が言えるわね。」
「私が碇君を好きな事は、恥ずかしい事じゃないもの。」
綾波は真剣な目をしてアスカに応える。しかし、アスカもそんな綾波にもいい
加減慣れてきたのか、さほど動揺する事もなく軽く受け流して見せた。
「アンタは恥ずかしくもないかもしれないけど、アタシもシンジも恥ずかしい
のよ。」
「・・・・碇君・・・が?」
「そうよ。そんなこと、その当人の前で言う事じゃないでしょ?」
「・・・・そういうものなの?」
「そういうものなのよ!!」
「・・・・わかった。今度から気を付ける・・・・」
「全く・・・・アンタには一から教育が必要ね・・・・」
アスカは完全に呆れてそう一人つぶやいた。しかし、綾波はそんなアスカの気
持ちなど察することなく、もう一度アスカに尋ねた。
「・・・それで、私の知らない碇君・・・・教えてくれるの?」
「ア、アンタバカ!?だから、シンジの前で言う事じゃないって言ったばっか
りじゃない!!」
アスカはとうとう大きな声を出して、綾波に言った。しかし、アスカの言った
事は、僕にはおかしいと感じるところがあった。アスカが僕の目の前で言うな
と言ったのは、その事に対してではないような感じがしたのだが・・・・まあ、
そうだったにしても、アスカの言っている事は正しいように思われたので、僕
は細かい事に口を出すのを控える事にした。
「でも・・・・」
「でももへったくれもない!!それに、アタシは元からアンタに言うつもりは
なかったわよ!!」
「・・・どうして?」
「アタシが言ったら、面白くもなんともないじゃない!!そういうのは、自分
で見つけ出すものなのよ。アンタのしようとした事はアタシの努力を盗んで手
抜きをしようとする事なわけ。わかる?」
「・・・・わかる。」
「じゃあ、自分で何とかなさい。いつもと違った風に、シンジに接するの。信
仰じゃなくってね。」
「・・・・うん。」
「よろしい。」
アスカは胸を張って偉そうに言って、最後を締めた。僕はそんなアスカを見て、
やっぱり僕じゃ綾波にいろいろ教えてやる事は出来ないんだな、とつくづく思
った。アスカが信仰うんぬんと言った事は、まさに的確な指摘であって、綾波
に僕が何を言ったとしても、それを論理的に考える事は出来ないらしい。その
代わり、アスカが言うと、それは適切な助言として綾波に届く。その事に関し
ては、僕に非があるとは思えなかったが、アスカの存在がよりありがたく見え
たのは確かだった。
僕がそんな風に思っていると、半ば忘れられた存在だった僕にアスカがいきな
り声をかけてきた。
「シンジ!!」
「は、はいっ!!」
僕はびっくりして大きな声で返事を返す。我ながら間抜けに感じたが、アスカ
はそれについては何も言わずに、重々しく僕にこう言った。
「レイに話をしてたせいで、アンタの事はうやむやになっちゃったけど、結局
のところ、アンタはどうすんのよ?」
「あ、ああ・・・・」
「ちゃんとアンタの口から言ってくれるんでしょうね?アスカと一緒じゃなく
ちゃ嫌!!って・・・・」
アスカの言葉は何だか飛躍しているようにも感じたが、アスカの機嫌を損ねた
くもなかったので、その事には触れずにアスカにこう答えた。
「い、言うよ言うよ。でも・・・・」
「でも・・・って、まだなんかある訳?」
「いや、僕だけでなく、アスカからも頼むべきなんじゃないかな?それはアス
カの希望なんだし・・・・」
僕はひとりで父さんにそんなお願いをしに行くのが嫌でそう言ったのだが、ア
スカが僕と一緒に引っ越ししたいというのが、まるで僕の意向であるかのごと
きアスカのさっきの言葉を、さりげなく否定する形となった。アスカはすぐに
その事に気付いたのか、露骨に感情をあらわしたのだが、さすがに無理な発言
だったと感じていたのか、口にはそれを出さなかった。そして、その代わりに
口では僕の提案への答えを発した。
「・・・・わかったわよ。アタシも行けばいいんでしょ?」
「あ、ありがとう・・・やっぱり僕一人じゃ心細くって・・・・」
「全く情けないわねえ・・・・まあ、いいわ。さ、行くわよ。」
「行くわよって・・・これから!?」
僕はアスカの言葉にびっくりして、声をあげたのだが、アスカは僕の驚きを更
に大きな声で否定した。
「あったり前じゃない!!アンタはすぐにも引っ越して行きたいんでしょ!?
ならアタシも同じことよ。わかるでしょ?」
「う、うん・・・・・」
「だから、これからすぐにアンタのお父さんに会いに行くの。善は急げ、って
ね!!」
アスカは意気込んでそう言った。そして、僕のように忘れることなく、傍らの
綾波にも声をかけた。
「レイ、アンタも来るんでしょ?」
「ア、アスカ、綾波は・・・・」
「同じ様な事を何度も言わせないでよね!!レイだって、アンタのお父さんと
過去に何があろうと、それを乗り越えてアンタについて行こうって言うんだか
ら、今から逃げてちゃ駄目なのよ!!わかるでしょ!?」
アスカの言葉はまたもや正しかった。こだわりすぎてるのは僕の方なのかもし
れない。僕はそう思って反省した。すると、綾波が静かに、しかし力強い口調
で、僕に言った。
「・・・私の事、心配してくれてありがとう、碇君。でも、この人の言う通り
よ。碇君と一緒に住むからには、司令から逃げていては駄目だもの。だから、
私も一緒に行って、碇君と一緒に行きたいって事、お願いしてみる。」
この綾波の言葉を聞いて、アスカが僕に言った。
「シンジ、アンタ今の言葉聞いた!?レイだって立派なもんよ。それに比べて
アンタはひとりでうじうじして・・・・もっとしっかりしなさいよね!!」
「ご、ごめん・・・・・」
「謝るんなら、まず行動よ!!ほら、さっさと行くわよ!!」
アスカはそう言うと、僕の手を引っつかんで靴を履き始めた。そして、僕と綾
波に向かって言う。
「ほら、アンタ達もさっさと靴を履いて!!早くしないと日が暮れるわよ!!」
僕と綾波は、アスカに急かされて靴を履いた。アスカはまだ、僕の手を握って
いたが、僕はその事について黙っていた。もしかしたら、アスカは気付いてい
ての事なのかもしれないし、それとも無意識の事なのかもしれない。でも、そ
んな事はどっちでもいい事だった。それよりも僕はアスカのこの行動力がうら
やましかった。そして、僕にはない強さも。
アスカは以前、僕の事を強いって言ってくれたけど、僕にはアスカが強く、そ
してまぶしく映った。もしかしたら、お互いの良さと言うものが、よく見える
だけなのかもしれない。今の僕には憧れじみたものだけだけれど、この憧れが、
いつのまにか恋に変わる日が来るのだろうか?
人は皆、自分には無いものを求める。
アスカも、僕の中に自分に無いものを見て、僕を求めているのかもしれない。
そして、僕もアスカの中に自分に無いものを見ている。
だから、僕もいつか、アスカを求めるようになるのだろうか?
僕を求める、アスカのように・・・・・
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