私立第三新東京中学校

第百三十六話・夢を見るとき


学校の廊下を、とぼとぼと歩く。
いくら決意に満ちていたとは言え、父さんに会うことは、僕にとっては大変苦
しいことであった。次第に歩みは遅くなる。しかし、それが止まることはなか
った。歩みを止めて、そして引き返したりはしないと言うことが、今の僕に出
来る精いっぱいの頑張りだった。

廊下はこれから下校する生徒達で賑わっていた。きっとアスカ達も今ごろ校門
を出ただろうか?そして、楽しい話を咲かせているに違いない。僕はそう思う
と、また足取りが重くなった・・・・


「さ、帰りましょ!!」

アスカがみんなに言う。ほとんどはそれに反対の色を示さなかったが、一人だ
け、綾波はそれに反対した。

「私、碇君を待ってる・・・・」

すると、アスカが綾波をたしなめるように言った。

「駄目よ、よしなさい。」
「どうして?どうして碇君を待ってちゃいけないの?」
「シンジにだって、一人になりたいときがあるの。きっとお父さんとの話がう
まく行っても行かなくても、うるさいアタシ達がいない方がいいに決まってる
わ。」
「私、大人しくしてる。碇君の邪魔なんかしない。だから・・・・」
「だから、シンジを待ってるって言う訳?駄目よ。どうせアンタのことだから、
黙ってシンジを見ていることなんて出来ないはずよ。」
「私、出来る。だから、碇君を待っていたいの。」

頑なな綾波の言葉にアスカは半分呆れた顔をして、強く綾波に言った。

「とにかく駄目なものは駄目なの!!アタシ達はただでさえシンジに迷惑をか
けてるのよ!!こう言う大事なときにこそ、シンジをそっとしておいてあげな
くっちゃ!!じっと耐えるのも、愛の形なのよ!!」

アスカはそう言うと、綾波の返事も待たずに有無を言わさず綾波の手を取ると、
半ば強引に綾波を引きずっていった。そして、そんな二人の様子を見ながら、
トウジ達もアスカの後について行ったのだった・・・・


そしてまもなく、以前訪れた校長室の前までたどり着いた。しかし、僕はここ
に着くと、何故か却って落着いた。校長室の前というのは、あまり人気の無い
ところだし、何と言ってもこのドアをくぐっても、中にいるのは冬月校長であ
って、いきなり父さんがいると言う訳ではなかったからだ。
それに、冬月校長は以前はネルフの副司令だったが、副司令という存在よりも、
学校の校長先生という存在である方がしっくり来るような、物腰、風貌、共に
穏やかな人で、僕は結構好きだった。何やら話によると、冬月校長は以前大学
で教授か助教授をしていたそうで、その事実を考えてみると、なるほどと納得
させられる面もあった。
その、いかにもいい人を地で行くような人が、なぜ父さんのようなひどい男に
くっついているのか、それは僕にとって疑問だった。僕は一瞬、父さんに会う
前に、冬月校長にその事を聞いてみようかとも思ったが、すぐにその考えを捨
てた。
僕も、どうして自分が父さんにこだわりを捨てることが出来ずにいるのか、血
の絆とかそういうものでなく、論理的に説明しろと言われても、はっきり言っ
て困ってしまうだろう。きっと冬月校長もそれと同じで、なぜか父さんに付き
従っているのに違いない。まあ、何か父さんの計画があって、それにからんで
いるというのもあるだろうが、それだけだというのでもないだろう。つまり、
父さんには何か人を引き付けるようなカリスマがあるというのは事実だろうと
思う。それが負から来るものなのか、正のものから来るものなのか、僕には個
人的なしがらみがありすぎるので、正確な判断は下せないのだが、どう見ても
父さんはいい人には見えないだろう。だから、父さんのものは負のカリスマと
言えるのだろうが、それにしても、人は完全に負の存在でいられるのだろうか?
それは、僕にとっては重要な問題であった。なぜなら、父さんが少しでも良心
を持ち合わせていないと、僕の努力も苦しみも無意味なものに終わるだろうし、
僕もそのせいでずっと癒されないままかもしれないからだ。
しかし、僕には父さんの良心を推し量るすべなど無い。ただ、率直に自分の意
見を言い、要求を打ち出し、答えを求めるだけだ。前回、父さんと話をしたと
きには、自分自身、興奮してしまっていたのが自覚出来たし、自分が何をした
いのかを、はっきりと訴えてはいなかった。それが、僕の敗因、と言ったらお
かしいかもしれないが、うまく行かなかった原因であろう。そして、それがわ
かった以上、今度はうまく行くはず。感情的にならなければ、何らかの成果を
得ることが出来るだろう。

僕はそう自分の中で結論づけると、中に入る決心を固めた。そして、軽く校長
室の重々しいドアをノックした。

コンコン。

「・・・・入り給え。」

冬月校長の声だ。僕はその声を聞いて、少々ほっとした。冬月校長がもしいな
かったとしたら、僕はどうすればいいかわからなかったからだ。しかし、とに
かく第一関門は突破だ。僕は口調をかたくして、中の冬月校長に挨拶をすると
ドアを開けて中に入った。

「失礼します・・・・」

僕が入った校長室は、なぜか照明もついていないのに、廊下よりも明るかった。
冬月校長は校長専用の椅子に腰掛けており、中に入った僕をみるとこう言って
きた。

「シンジ君か・・・・何か用かね?」
「あの・・・・父さんに・・・・」
「碇か・・・一応この奥の理事長室にいることはいるが・・・・」
「どうかしたんですか?」
「いや、どうもしないが、またうまく行かないのではないかと私も心配になっ
てね・・・・私としては、親子の中が改善されて、うまく行くことを望んでい
るのだが・・・・」
「冬月先生は、父さんに何か言ってみたんですか?」
「言ってみたとも。それも何度も。しかし、碇は私の言うことを素直に聞くよ
うな奴ではない。頑固というの少々違う気もするが・・・とにかく、自分の気
持ちを人に見せるような男ではないな。」
「そう・・・かもしれませんね・・・・」
「ああ。だからシンジ君も誤解しないで欲しい。あいつは別に君をいじめよう
とか、そういうつもりは全くないんだ。きっと、君のこともかわいいと思って
るに違いないよ。」

僕はそんな冬月校長の言葉を聞くと、何だか自分が騙されているような気分に
なってきて、冷たくこう言った。

「でも、その確たる証拠はないんですよね。ただ、冬月先生がそう思うだけで・・・」
「・・・確かにそうだ。君も碇に似て、容赦のないところがあるな。」

冬月校長はそう言うと、少し苦笑した。それをみた僕は、何だか自分がとても
失礼な事を言ってしまったように感じて、すぐに謝った。

「ご、ごめんなさい。なんだか生意気なことを言っちゃったみたいで・・・・」
「いや、構わんよ。シンジ君の言ったことは事実なんだから。だが、年寄りの
戯言と思って聞いて欲しい。人を信じることは、自分をも信じることだ。それ
を忘れないで欲しい。」
「人を信じることは・・・・自分をも信じること・・・・・」
「そうだ。人を信じることが出来れば、きっと自分をも信じることが出来るは
ずだ。反対に、人を信じることが出来なければ、自分をも信じることは出来な
い。つまり、信じる、ということは、大事なことだと言うことだ。わかったか
ね・・・?」
「・・・・わかりました。」
「では、行くといい。シンジ君も、碇を信じてやってくれ・・・・」

僕は冬月校長の言葉がよく理解出来なかったが、最後のこれを聞いて、やっと
何が言いたかったのか理解出来た。つまり、僕が父さんを信じることによって、
父さんだけではなく、僕も救われると言うことだ。僕はそう考えると、あの父
さんも冬月校長に思われているんだなあと思った。冬月校長が心配しているの
は、まあ、いくらか僕のこともあるだろうが、やはり父さんのことだろう。そ
う思うと、父さんも満更ひどい人間ではないような気がした。なぜなら、人に
真剣に心配されるような人間が、100%人の心を理解出来ない人間であるは
ずがないからだ。
僕はそう結論づけると、少し心が軽くなって、冬月校長に言われたように、理
事長室のドアをノックした。

コンコン。

ためらいがちのノック。でも、中にいる人間にはしっかりと聞こえたようだ。

「・・・入れ・・・・」

僕は久し振りのその声を聞くと、なぜか急に血がたぎったが、何とか自分を押
さえつけるよう努力し、黙ってドアを開け、中に入った。

「シンジか・・・・何の用だ?」

父さんは僕の姿を見るなり、そう尋ねてきた。しかし、これは父さんに会うと
きはいつもこんな感じなので、僕は興奮しない様にする。興奮してしまっては、
前回と何ら変わりはないからだ。そして、僕は内心の動揺を隠すかのように、
自分の思っていた事を父さんにぶつけた。

「と、父さん、僕、父さんと一緒に住みたいんだ!!」

唐突だったかもしれない。父さんは落ち着き払った態度を見せているが、実際
はどうなんだろう?気になるところだが、それよりも、父さんの返事の方が、
今の僕にとっては重要だった。

「何故だ?」

父さんは僕に簡潔に聞き返してきた。そして、僕も少し声を冷静にして、父さ
んに答えた。

「とにかく、父さんと一緒に暮らしたいんだよ。それじゃ駄目かい?」

すると、父さんは少し黙って見せた後、いつもの重々しい口調で再び尋ねてき
た。

「・・・・葛城君のところに、何か不満でもあるのか?」

僕はその問いに対して、かなり普通の口調で答えることが出来た。

「不満なんて何もないよ。ミサトさんにも、よくしてもらってる。」
「そうか・・・・」
「僕が父さんと一緒に暮らしたいって思ったのは、今の状態に不満があるとか、
そういう事じゃないんだ。ただ、僕と父さんは親子同士なんだし、今までいろ
いろわだかまりはあったかもしれないけど、生活を共にすることによって、そ
れを無くして行きたいんだよ。」

僕としては、前回とは打って変わって、満点の発言が出来たと思った。自分の
気持ちを過不足無く表現出来たと思うし、あとは父さんの返事次第だった。

「・・・・好きにしろ。」

父さんの返事はこれだけだった。僕は一瞬何なのか理解出来ずに、声を上げて
しまった。

「え!?どういう事!?」

すると、父さんは僕に向かってこう言った。

「・・・お前の好きにしろと言うことだ。私はどちらでも構わん。」
「そ、それってもしかして・・・・」
「・・・・・」

父さんはそれ以上は言わなかった。しかし、僕と一緒に暮らすと言うことを拒
みはしなかったのだ。つまり、僕を受け入れてくれると言うことであって、僕
にはそれだけで十分に思えた。僕は嬉しさがこみ上げてきた。そして、こんな
に喜びを感じている自分が理解出来なかった。
それは、もしかしたらアスカが立ち直ってくれたときのことより、大きな喜び
だったかもしれない。僕はそのくらい、父さんを待ち望んでいたのだった。
そして、僕は思わず内心の喜びを隠し切れずに大きな声で父さんにこう言った。

「じゃ、じゃあ僕、すぐに父さんのところに引っ越してくるから!!」

僕はそう言い終えると、きびすを返して理事長室を後にした。
僕がどうしてそうしたのかわからない。でも、もしかしたら、このままこうし
てここにとどまっていたら、また父さんに拒絶されるかもしれないと思う。
そういう気持ちがあって、僕は逃げるように理事長室を飛び出したのだろう。
でも、それは逃げではないような気がした。まあ、厳密に言えば逃げかもしれ
ないが、僕が問題に正面から立ち向かって、それを乗り越えたことに対して与
えられた正当な褒美を守るためのものであった。だから、僕は自分が恥ずかし
くはなかった。むしろ、今の自分が誇らしく、胸を張って自慢出来るような気
がした。
今の僕は、本当に輝いていたのだ。今までずっと父さんから逃げ続けていたの
が、逃げずに立ち向かうことが出来た。まだ、父さんと和解出来たというとこ
ろまでにはいかないが、それでも大きな前進だろう。そして、これから父さん
と一緒に暮らすことによって、もっと父さんと分かり合えずはずだ。更に僕も
今まで持てなかった全てのものを持てるだろう。これは楽観的すぎる考えかも
しれないが、僕は今はそれでもいいと思った。そう、人はたまには夢を見るこ
とも必要なのだから・・・・・


続きを読む

戻る