私立第三新東京中学校

第百三十五話・逃げないこと


そして、次の六時間目の授業もすぐに終了し、下校時間となった。
さっきの休み時間は、トウジと洞木さんはこっちに来ないで、二人きりでいた
のだが、今度は僕達と一緒に帰る事もあって、いつものように僕たちのもとに
集合した。

「よかったわね、ヒカリ。おめでとう。」

アスカが洞木さんにそう声をかける。すると洞木さんは恥ずかしそうに頬を赤
く染めながらも、もうそれを否定してごまかすような真似はしなかった。

「・・・うん。それもこれも、アスカ達のおかげよ。」

そして、一方では、トウジがケンスケにからかわれていた。

「トウジ、とうとうやったな。」
「ア、アホ!!何もやっとらんわ!!」
「でも、委員長に好きだって言ったんだろう?」
「そ、そないなこと、お前に言うことやないわ!!」
「そんなに照れるなよ、トウジ。後でこっそり詳しい話を聞かせろよな。」
「だ、誰が照れとるっちゅうんや!!」
「トウジが、だよ。顔、赤いぞ。」
「こ、これはなあ、ちょっと風邪気味なんや!!」
「じゃあ、委員長に看病してもらうんだな。いいよなぁー、トウジは・・・」
「こ、この・・・・」

トウジはケンスケにからかわれて、我慢の限界が近付いてきたのか、ぷるぷる
来ている。まあ、僕にはどちらの気持ちもよくわかるので、ここは僕が二人の
仲介役を買って出た。

「まあまあ・・・・トウジもそんなに拳を握り締めないで・・・・ケンスケも
ちょっと言い過ぎだぞ。」

と、そんな時、アスカが僕達を呼んだ。

「シンジ、帰るわよ!!」
「あ、ちょっと待って!!」

そんな訳で、僕がトウジとケンスケの間を取りまとめる機会は逸したが、こう
いう事は割と頻繁に行われていたので、わざわざ僕が間に立たなくとも、もう
喧嘩になるようなことはなかった。

そして、全員が取り敢えず一ヶ所に集まる。アスカはもうみんなで帰るつもり
でいたのだが、実のところ、僕は今日はみんなと一緒に帰るつもりはなかった。
今日はこれから、父さんと話をするつもりだったのだ。そして、もう逃げない
ことを決めた今、いくら嫌なことであれ、それを延期する訳にはいかなかった
のだ。

「アスカ・・・・」

僕は小さな声でアスカに声をかける。すると、アスカは僕の方にすぐさま振り
向いて、言葉を返した。

「なによ、シンジ?」
「その・・・・今日はちょっと・・・・」
「ちょっとじゃわからないわよ。もっと具体的に言いなさいよね。」

アスカはちょっとはっきりしない僕の態度に、わずかに眉をひそめてそう言っ
た。

「その・・・悪いんだけど、今日はみんなで先に帰ってて。」
「どうしてよ?何か用事でもあるの?」
「う、うん・・・・」
「なによ?」
「その・・・ほら、アスカには前に言ったよね、父さんと話をしなくちゃいけ
ないって。」
「そうね・・・・って、まさかお父さんに話をしに行くの?」
「う、うん・・・やっぱり父さんとの事はちゃんとけりをつけて置かないとま
ずいと思って・・・・」

僕がそう言うと、意外なことにアスカは僕を止めた。

「や、止めときなさいよ。どうせ無駄に決まってるわよ。」
「ど、どうしてそんな事言うんだよ?」
「だ、だって・・・・」
「だって?」
「だって、シンジがお父さんと仲直りしたら、一緒に住むことになるかもしれ
ないんでしょ?そうしたら、うちから引っ越して行っちゃうんだし・・・・」
「・・・・・そうだね。」
「そ、そんなのアタシはイヤよ。ね、お願い!!仲直りしても、引っ越すなん
てやめて!!」

アスカは周囲の目も気にせずに僕にそう懇願した。僕にはアスカの気持ちもよ
くわかったのだが、それでもそれを受け入れることは出来なかった。僕にとっ
て、父さんと一緒に暮らすと言うことは、それほどまでに重大な何かを秘めて
いたのだ。

「ごめん・・・・」
「そんな・・・・じゃ、じゃあ、もしそうなったら、アタシも一緒に引っ越し
てもいい?どうせミサトと一緒に暮らすって言うのも大した事じゃないんだし、
ミサトも加持さんと二人の時間を持ちたいでしょ!?」

アスカがそう言うと、それまで黙って話を聞いていた綾波が、アスカの話に乗
って言った。

「私も・・・・碇君と一緒に引っ越したい・・・・」

二人ともこういうので、僕は困ってしまったのだが、これはかなり先走った考
えであったので、僕はなんとか二人を制止しようと試みた。

「と、とにかく・・・・まだ決まってもいない話だから、ね?それに、そんな
こと、僕の一存では決められないことだよ・・・・」
「じゃあ、もしそういう事になったら、アタシも一緒に引っ越してきていいか
どうか、聞いておいてくれる?って、聞いておいてくれるだけじゃ駄目ね。か
なり強くお願いしてもらわなくっちゃ。」
「・・・私も・・・・」

手のつけようがない。僕は仕方なく受け入れようとしたのだが・・・・ひとつ
のことを思い出して、綾波に尋ねた。

「そ、そう言えば綾波・・・・」
「なに、碇君?」
「と、父さんのこと・・・・嫌ってるんじゃなかったの?」
「・・・・嫌いよ。でも、碇君と一緒に暮らせるんだったら、私は我慢する。」
「そ、そう・・・・わかった。」

僕が少々綾波の意志の強さに尻込みながらもそう応えると、アスカが僕にこう
言ってきた。

「アタシはレイとは違って、我慢なんてする必要はないわよ。私かシンジのお
父さんって、怖そうな人だけど、何たってアタシの義理のお父さんになる人だ
もんね。今のうちに仲良くしておかなくっちゃ!!」

僕はアスカの言葉をすぐには理解出来ずに、アスカに聞き返した。

「ぎ、義理のお父さん?そ、それってどういう事?」
「嫌ねぇ・・・・アタシとシンジが、そのうち結婚するって言うことでしょ!?
そんなことアタシに言われなくてもすぐに気付いてよね!!」
「け、結婚!?」
「そうよ、結婚。シンジ、昨日言ってくれたじゃない。」

アスカの言葉で、僕は昨日の晩、そのような会話になったことを思い出した。
そして、僕はびっくりしてしまったのだが、それ以上に周りに与えた影響とい
うのは大きなものがあった。

「け、結婚やて!?」
「碇君、アスカを好きなのは、綾波さんよりちょっとだけって言ったんじゃな
かったの!?」
「シ、シンジぃ・・・・俺達に隠れてそこまで進んでいたとは・・・・」
「碇君・・・・嘘でしょ・・・?嘘だって言って。」

波乱は起こった。しかし、アスカはと言うと素知らぬ顔でみんなにこう言った。

「アタシとシンジは結婚するのよ。アタシはしっかりこの耳でシンジの口から
発した言葉を聞いたんだから。」
「ア、アスカ・・・・」
「なによ、あれは口からの出任せだったって言う訳!?」
「そ、そうじゃないけど・・・・」

僕がそう言うと、周りのみんなは、僕が本当にアスカにプロポーズでもしたの
だと完全に思い込んでしまった。

「やっぱりそうか!!惣流と結婚するんやな、シンジ!!」
「アスカ、おめでとう・・・・」
「はぁ・・・・やっぱりそんなことなのか・・・・」
「そんな・・・・碇君が、碇君が・・・・」

それを聞くと、僕は困ってしまって、みんなに哀願した。

「お、お願いだから僕の話を聞いてよ。そんな大袈裟なことじゃないんだって
ば。」

すると、アスカが澄ました顔でこう言った。

「そうなのよ。二人だけのことなのに、アタシがつい口を滑らせちゃって・・・・
シンジはアタシと違って恥ずかしがり屋の秘密主義だから・・・・」
「ア、アスカぁ!!」
「まあ、ほんの口約束だけで、文書にはまだなの。今のうちに婚姻届を書いて
おかなくっちゃ・・・・」
「お、お願いだから勘弁してよ、アスカ。頼むからさぁ・・・・」
「駄目よ。それに、全部真実だもの。」
「し、真実な訳ないだろ?あ、あの時はつまり・・・・」
「つまり、何?」
「つ、つまり・・・その・・・・」

僕はつい言い訳に走ろうとしたのだが、よく考えてみると、また僕は逃げに入
ろうとしている事に気が付いた。そして、僕はそれではいけないと思い、自分
の言った言葉に責任を持ち、また、現在の心境を嘘偽りなく話すことにした。

「・・・僕がアスカに対して結婚について話したことは事実だよ。」

僕は顔を引き締めると、みんなにそう言いはなった。そして、その衝撃がその
ままで終わらないうちに、僕は言葉を続けた。

「でも、僕がそう思ったからって、僕がアスカにまだ恋をしていないって言う
事実は変わらないんだ。だから、僕は恋もしていない相手と結婚するなんてい
うことは出来ない。つまり、僕の結婚相手として今一番近くにいるのがアスカ
だって言うだけで・・・・」

僕はそう言いながら、自分の言葉がやっぱり言い訳にしかすぎないと言うこと
を感じて、自分が嫌になった。僕の言葉はほとんど真実に近いものであったが、
それはアスカと綾波、双方を傷つけるものでしかなかったのだ。そして、僕は
自分の今のあり方について、再び疑問を持ち始めた。真実の刃で人を傷付け続
けるのがいいのか、嘘で塗り固めることによって人を甘い夢で包む方がいいの
か・・・・
しかし、そう思ったのは一瞬のことにしか過ぎなかった。やはり真実しかない
のだ。嘘はいつか破綻し、より大きな打撃を与えるに違いない。そう思うと、
僕は改めて真実の道に生きようと決意した。
だから、僕は陳腐な言い訳だと気付きつつも、みんなに話し続けた。

「僕には結婚なんてまだ考えるのも早すぎるんだよ。自分の気持ちが完全に決
まっている訳じゃないのに・・・・だから、みんなもその事は気にしないで。
僕がアスカに軽率に言ったのは悪かったけど、僕はまだ、そんな気分じゃない
から。」

僕がそう言うと、真っ先に綾波がこう言った。

「よかった、碇君がそう言ってくれて・・・・・」

しかし、一方のアスカはと言うと、複雑な顔をしてつぶやいた。

「・・・まあ・・・こういう事はわかってたことなんだけどね・・・・アタシ
も馬鹿ね。そうだったら、ここでこんな風にシンジをいじめない方がよかった
のに・・・・」
「アスカ・・・・」

僕は心配そうにアスカに声をかける。するとアスカは大きな声でそれを遮った。

「わかってるわよ!!悪いのは全部アタシ!!アタシがシンジのちょっとした
言葉を勝手に自分の希望にあわせて脚色したんだから!!」
「で、でも・・・ごめん・・・・」
「謝らないでったら!!それより、さっさとお父さんのところに行ってきたら!?」
「う、うん・・・・」

僕はアスカに言われるがままに、ここを立ち去ろうとしてアスカに背を向けた。
すると、僕の背後から声がかかった。

「でも、一緒に引っ越し出来るように頼むのは忘れないでよ!!結婚うんぬん
はともかく、それがアタシの希望なんだからね!!」

そう言ったアスカの声は、なんだかついさっきのものより明るくなった気がし
た。アスカがかなり傷ついたかのように僕は感じたが、それほどではなかった
のか・・・
僕はそう思うと、そのまま振り向かずに拳を上に上げて合図をして見せた。
すると、アスカがそんな僕の背中めがけてこう言った。

「がんばんなさいよ!!アタシはアンタのこと、応援してるからね!!」

・・・・うれしかった。アスカは僕のことをわかってくれていたのだろうか?
そう思う事は、僕の思い上がりかもしれないが、僕はそう思いたかった。アス
カが僕についていてくれるということを・・・・・


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