私立第三新東京中学校

第百三十四話・奪い合う手と手


「と、ところでアスカ、トウジと洞木さんの件はどうなったの?」

僕は話題を変えるため、アスカにこう尋ねた。まあ、先程はごたごたしていて
聞く暇がなかったのだが、もともと聞いておかねばならないことであったのだ。

「あ、ヒカリ達ね?」

アスカは明るくそう言うと、ちょっと後ろに首をひねった。アスカが見た方に
僕も視線を向けると、そこにはトウジと洞木さんの姿があった。
いつもだったら休み時間にもなれば僕たちの下に集まる二人であったが、今回
だけは二人で時を過ごしていたのだ。僕はそれを認めると、トウジと洞木さん
のことがうまく行ったことを改めて悟った。既にアスカが教室に戻ってきたと
きには、二人が並んで入ってきたところなどを見ても、そう感じさせるものは
あったのだが、今こうして二人が一緒にいるところを見せられると、はっきり
とそれが感じ取られた。

「・・・よかったな、ほんとに。」

いつのまにか、ケンスケが僕の真横に立っていて、しみじみとそうつぶやく。
先程はついトウジと争うことになってしまったケンスケだけれど、トウジと洞
木さんの間がうまく行くことを一番望んでいたのは、このケンスケだったのか
もしれない。アスカに言わせてみれば、自分が一番洞木さんを応援していたと
言い張るかもしれないが、アスカは最近自分のことにかまけていたので、僕に
言わせてみればケンスケにおよばないと言わざるをえないだろう。

「・・・そうだね。いろいろあったけど、何だかこうしてみると、二人の恋が
実ってうれしいよ。」

僕はケンスケの言葉に応えてそう言う。
少し離れたところにいるトウジと洞木さんは、特になにか会話をする訳でもな
く、ただ二人で一緒にいるだけだった。しかし、洞木さんは純粋にトウジと二
人でいることの喜びに瞳を輝かせながら、トウジの方に視線を向けている。そ
してトウジはというと、まだ照れくささがあるのか、洞木さんの視線に応えて
やることは出来ずに、あさっての方向に顔を向けている。それは普通の恋人同
士なら失礼なことかもしれなかったが、洞木さんはそんなトウジのことを良く
理解していたし、トウジの方も時々努力するかのように洞木さんの方に目を向
けてはまた引っ込めるといった動作をしていて、そこに洞木さんへの気持ちが
表れていたのだった。

「素敵ね、こういうのって・・・・」

アスカは二人の様子を見ながら、そうつぶやく。そして、少しずつではあるが、
アスカは僕の方に近付いてきて、いつのまにやらケンスケの反対側の僕の真横
に立っていた。僕はトウジと洞木さんに見入っていて、その事には全然気が付
かなかったのだが、アスカの手が、僕の手にそっと触れて、僕ははじめてアス
カが隣に立っている事に気が付いたのだった。
僕は一瞬アスカの手が僕の手に触れたのを知ってびっくりしたが、僕は何も言
わずに、僕とアスカ以外の周りの誰にも気付かれないように、そっとその手を
握った。アスカは僕がそうしたことに気付くと、そのままそっと僕の手を握り
かえしてきた。
以前だったら、僕はこんなことは出来なかったかもしれない。でも、僕はもう
はっきりとアスカのことが好きだと言ってしまったのだし、それくらいしても
別に構わないと思っていた。アスカもいつもより少し僕が積極的になった事に
喜びを感じているようで、僕はアスカに視線も向けていなかったし、言葉でも
表現されていなかったのだが、アスカの手のぬくもりと、かすかな震えからそ
れを感じたのだった。

しかし、そんなアスカと僕の触れ合いも長くは続かなかった。いきなりあまっ
た反対側の手の袖が誰かにくいくいと引っ張られたのであった。僕はそっとそ
ちらに視線を向けると、案の定、と言ったら変かもしれないが、そこにいたの
は綾波であった。綾波はケンスケの後ろ、つまり僕の斜め後ろに立って、僕の
シャツの袖を引っ張りながら、かわいく顔をしかめていた。
僕はそんな綾波の表情を理解して、やれやれといった顔をして見せると、ひと
ことこう言った。

「・・・・わかったよ、綾波・・・・」

そして、握っていたアスカの手を離そうとした。アスカは僕の言葉とそれに続
くこの仕打ちにびっくりして、僕の手をしっかと握り締めてこう言う。

「どうしたのよ、シンジ?」
「い、いや、綾波がね・・・・」

するとアスカはむっとした顔をして僕にこう言った。

「そんなの関係ないじゃない。レイが干渉するようなことじゃないでしょ?」
「そ、それはそうかもしれないけど・・・・」

僕が困ったようにそう言うと、アスカは綾波の方に視線を向けてこう言った。

「顔なんかしかめちゃって。いい?はじめはシンジから手を握ってきたのよ。
アタシが無理矢理した訳じゃないんだから。そこのところを理解しなさいよ。」

それを聞いた綾波は、けなげにもアスカに睨み返してから、また僕の服の袖を
くいくい引っ張って、こう言ってきた。

「碇君、私も・・・・」
「自分から求めるんじゃないわよ!!反則よ!!」
「でも・・・・碇君・・・・」
「駄目だったら!!後になさい、後に。」
「でも、後もまたあなたなんでしょう?なら、後にしても同じ事じゃない・・・・」
「そ、それはそうかもしれないけど・・・・・」
「だから・・・・ね、碇君。お願い。」

僕はどうしたらいいのか、困ってしまってアスカに視線を向ける。するとアス
カは僕の方をキッと睨み付けて、答えを返した。僕はそのアスカの反応を見て、
しぶしぶ綾波には泣いてもらうことにした。ここは情に流されたら、以前と変
わらなくなってしまうからだ。まあ、情に流されるということ自体、綾波のこ
とを想っていると言うことなのであるから、別に構わないような気もするので
あるが、やはりここはアスカの言う通りにしておこうと思う。

「ご、ごめん、綾波。やっぱり・・・ね?」
「・・・・この人はよくて、私は駄目なの?」
「い、いや、その・・・・わかったよ。アスカともしないから。ね、アスカ、
いいでしょ?」

僕がアスカに了解を求めようとすると、その返事はこうだった。

「駄目よ。駄目。アタシは手を離さないわ。」
「アスカ・・・・僕を助けると思って・・・・ね?」
「そうねえ・・・・やっぱり駄目。」

アスカはまるで困っている僕をからかうかのようにそう言う。しかし、僕もア
スカに頼む以外にはないので、懇願し続けた。

「た、頼むよ・・・・お願いだからさあ・・・・アスカがここで退いてくれな
いと、収まりが付かないんだよ。」
「そう・・・じゃあ、アタシがそうしてあげる代わりに、シンジはアタシに何
をしてくれる?」

アスカは弱り果てている僕をよそに、澄ました顔をして僕にそう尋ねる。

「な、何をって・・・・何かしないとまずいの?」
「当たり前でしょ?ギブアンドテイク、これが世の中の常識よ。」
「そ、そうは思わないけど・・・・」
「とにかく!!アタシはそう思うの!!だから、シンジもそれに従いなさい!!
いいわね!!」
「わ、わかったよ・・・・」
「素直でよろしい。」
「で、僕は何をすればいいの?」
「そうねえ・・・・後で、アタシの好きなことをなんでも聞くとか?」
「何でも!?だ、駄目だよ。」
「どうして?」
「不公平すぎるよ。それに、アスカが何をするかわからない・・・・」
「そんなことないわよ。アタシはこう見えてもやさしいんだから!!」
「べ、別の意味でやさしいんだろ?僕とっては逆効果だ。」
「そう?まあ、そうかもしれないわね・・・・」
「と、とにかく、何でもなんて絶対に認められないからね。そんなことを求め
るんだったら、綾波と手をつないでやるんだから!!」

僕はアスカに対抗する意味でそう言ったのだが、それを耳に入れた綾波は、ま
たしてもいつものごとくそれを自分の都合のいい方に解釈して、うれしそうに
僕に言った。

「うれしい!!碇君!!」

そして綾波は素早く僕の手をつかむと、しっかりと自分の手の中に握り締めて
離さなかった。僕はびっくりして綾波に言う。

「ちょ、ちょっと、綾波!!」
「レイ!!卑怯よ!!シンジはそういうつもりで言った訳じゃないんだから!!」
「碇君は私と手をつなぐって言ったもの。私はこの耳でしっかりと聞いたわ。」

困ったことではあるのだが、僕は綾波の手を引き剥がせるほど、綾波のことを
どうでもいいと思っている訳ではないのだ。そんな訳で、僕は綾波に対して強
く出ることは出来なかったのだが、やっぱりアスカは違った。まるで今まで我
慢していた鬱憤を晴らすかのように、とことん綾波を邪魔しに入る。

「ほら、離しなさいってば!!」

アスカは僕の手を持ったまま反対の手で綾波の腕をつかむ。しかし、綾波も負
けてはおらずに、自分の腕をつかんだアスカの腕を、もう片方の手でつかんだ。
何だか三人の腕がこんがらがってしまって、何がなんだかわからない。僕もも
ういい加減にうんざりしてしまって、二人に向かって大声を上げた。

「もういい加減にしてよ!!二人とも喧嘩するなら僕の手を離して!!」

すると、一瞬二人の動きが止まり、僕の方に視線を走らせる。そして、二人の
顔にほぼ同時に反省の色が表れた。僕はそれを見て、自分の言い方の強さをち
ょっと後悔したが、今更もう後には退けずに勢いに任せて言った。

「僕が二人の喧嘩する原因になるなら、僕はもうどっちとも手なんかつないだ
りしないからね!!」
「・・・・・」
「・・・・・」

僕の言葉を聞いて、二人とも何も言えなくなってしまった。そして、少しの沈
黙の後、まず先に綾波が僕に言った。

「・・・・そんなの・・・嫌・・・・」

すると、アスカもそれに続いて小さな声で言う。

「アタシも・・・・ごめんなさい、シンジ。」
「ごめんなさい、碇君。だからもう、そんな事言わないで。」
「アタシはもう、シンジしかいないんだから・・・・」
「私も・・・・」

こうしてあっという間に二人ともなんだか泣きそうな顔をし始めてしまったの
で、僕はびっくりしたが、それを隠して厳格に二人に言った。

「じゃあ、取り敢えず僕の手を離して。」

こんな状態になっても、二人とも僕の手をしっかりと握って離さなかったのだ。
それは二人の想いの強さを表すものであったが、今のところはそんなことより
もゼロに戻すことの方が重要であった。
アスカも綾波も、すぐさま僕の言葉を受け入れて、僕の手を離した。

「で、二人ともお互いに謝る。いいね?」
「うん・・・」
「うん。」

そして、アスカと綾波はお互いに向き合って、こう言った。

「わ、悪かったわね、レイ。アタシがシンジを一人占めしようとしちゃって・・・・」
「私もごめんなさい。碇君の気持ちも考えずにわがまま言って・・・・」

二人が謝罪し合ったのを見た僕は、二人に向かってこう言った。

「喧嘩するなんて、よくないことだよ。二人とも同じ屋根の下に暮らしている
んだから、もっと仲良くしなくちゃ。」
「そうね・・・・シンジの言う通りよね。アタシもちょっと調子に乗りすぎて
たわ・・・・」
「ごめんなさい、碇君・・・・私、これから気をつけるから・・・・」
「うんうん。みんな仲良くしてるのが、一番だからね。」

僕がそう言うと、隣にいたケンスケが、僕に向かってぽつりとつぶやいた。

「・・・苦労するよな、シンジも・・・・・」

僕は言葉に出しては何も言わなかったが、心の中では、実にもっともだとつく
づくそう思ったのであった・・・・・


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