私立第三新東京中学校

第百三十三話・ちょっとした優位


「シンジ。」

ケンスケが後ろの席の僕に呼びかける。

「何、ケンスケ?」
「トウジ達、遅いな・・・・」
「そうだね。もうすぐ授業が始まるって言うのに・・・・」

もう、5時間目の開始のチャイムは鳴っていた。しかし、それなのに、教室を
飛び出して行った洞木さんと、それを追いかけて行ったアスカとトウジは、な
かなか帰っては来なかった。
そもそも、洞木さんが出て行った時刻と言うのがお昼休みももう終わりという
頃だったので、実際にはまだ出て行ってからさほど時間は経過していない。し
かし、洞木さんは生真面目なところがあるし、トウジもああいう決意を固めた
のであるから、どちらにしろ三人ともすぐに帰ってくると思っていた。そう思
って僕もわざわざ追いかけて行こうとは思わなかったし、ケンスケもきっとそ
うだろう。だが、現実とはそう甘いものでなく、予想通りには行かないのであ
った。

「碇君、次の時間は英語よ・・・」
「あ、ああ。わかってるよ。」

僕は綾波に指摘されて、次の授業の準備をした。そして、気を紛らわすために、
教科書に目を通し始めた。

すると、がらりと音を立てて教室のドアが開いた。
僕はみんなが帰ってきたのかと思ってすぐさま視線をそっちに向けたが、残念
ながらトウジ達ではなく、英語担当の伊吹マヤ先生であった。僕は一応ネルフ
時代からの知り合いなので、先生達のことをさん付けで呼んでいたのだが、僕
が一度伊吹さんと言ったのをクラスの男子に聞きとがめられて、訂正させられ
た記憶がある。伊吹先生はネルフ上がりの先生達の中では、一番の人気を誇っ
ており、僕がミサトさんやリツコさんのことをそういう風に呼んでも誰も何も
言わないのに、こと伊吹先生についてだけは、許されなかったのだ。

「あら、洞木さんはどうしたの?お休み?」

伊吹先生は教室に入ってくるなり、洞木さんがいないことにすぐ気が付いた。
洞木さんの真面目で頑張り屋のところが、伊吹先生の波長と合うらしく、僕が
端から見ても、洞木さんは伊吹先生のお気に入りだとわかった。だからアスカ
やトウジよりもまず最初に洞木さんの不在に気付いたのであったが、伊吹先生
がそう言うことによって、ある程度事情の知っているものは沈黙を、全くその
事に気付いていなかったものはやや驚きの声をあげた。しかし、それでは伊吹
先生も洞木さんのいない理由が分からないので、いつも洞木さんと一緒にいる
僕、と言うより僕を中心とした辺りにそれとなく視線を向けた。
すると、僕が仕方なく答えようとする前に、ケンスケがすぐさま伊吹先生に答
えた。

「委員長達はちょっと野暮用でいません。きっとそのうち戻ってくると思いま
すので・・・」
「野暮用?」
「ええ。まあ、いろいろあるんですよ・・・・」

ケンスケはやけに思わせぶりだ。伊吹先生はミサトさんとは違って、ゴシップ
好きではないはずのだが、つい興味を持ってしまって、ケンスケに尋ねた。

「どういうこと、相田君?」
「男と女の愛憎劇。まあ、よくある話ですよ。」
「洞木さんが?」

伊吹先生は洞木さんとトウジのことを知らないので、真面目一本槍の洞木さん
のイメージしか持ち合わせておらず、ちょっと驚きの声をあげた。すると、ケ
ンスケは訳知り顔で伊吹先生に言って聞かせた。

「そういう事です。ですから、戻りが遅くなっても、あまり責めないでやって
ください。」
「・・・・わかったけど・・・・このクラスって、いろいろあるのね。碇君達
の三角関係だけでも有名すぎるのに・・・・」
「せ、先生!!」

僕はびっくりして声をあげる。さっきのは撤回だ。ゴシップの類もよく知って
いるではないか・・・・僕がそう思っていると、ケンスケがその言葉を否定し
た。

「違いますよ、先生。三角関係じゃありません。」

僕は一瞬、ケンスケナイス!!と思った。しかし、ケンスケは僕をかばってや
るほどお人好しではなかったのだ。

「シンジはこの前まで惣流・綾波との三角関係でしたが、今では転入生の渚も
加えての、四角関係にまで発展しているんです。」
「本当!?」
「ええ。確かな情報です。このクラスでこの事を知らない奴は、もぐりですね。」
「渚さんが色々あるとは先輩から聞いてたけど・・・・そうだったの・・・・」

結構伊吹先生も興味津々だ。まいったな、完全にケンスケに乗せられてしまっ
ていて、英語の授業のことをすっかりと忘れてしまっている。こういうところ
がやはりリツコさんとは違って、若いと言わざるをえないのだろうか?まあ、
そこが人気のあるところだといえば、僕も何も言えないのだが・・・・

「ケンスケ、いい加減にしろよ。」

僕はケンスケの肩に手をやってそう言った。ケンスケは僕の方を振り向いたの
だが、なぜか急にびっくりして、こう言った。

「わ、わかったよ、シンジ。」

僕はケンスケが急に引き下がった理由が気になって、ケンスケの視線の先の方
に目を向けると、そこにはじろっとケンスケをにらみつける綾波の姿があった。

「碇君をいじめる者は、私が許さない。」
「あ、綾波・・・・」
「碇君、安心して。碇君は私が守るから。」

綾波はいつもの通りに言ったのだが、クラスのみんなはともかく、初めて生で
見せられた伊吹先生はびっくりしてしまった。

「レ、レイ、あなた・・・・」

しかし、綾波は伊吹先生の言葉など耳にも入っておらず、アスカがいない今が
チャンスとばかりに、積極的に自分を僕にアピールした。

「碇君のためだったら、何でも出来るから・・・・」

綾波はそう言うと、僕の腕をいきなりとって、僕に身を寄せてきた。僕はみん
なの視線が集中していることもあって、恥ずかしくて困ったのだが、綾波を引
き剥がす訳にも行かず、複雑な顔をしてただされるがままにしていた。

すると、そんな時、ちょうどよくアスカが戻ってきた。アスカが先頭となり、
後ろにトウジと洞木さんが並んで入ってきたのだが、アスカはすぐさま僕の置
かれている状況を悟ると、つかつかと大股でこっちにやってきて、僕の出来な
かった綾波を引き剥がす作業を代わりにやってくれた。そして、アスカは腰に
手を当てると、綾波に向かって言う。

「アンタバカ!?授業中にそんな事したら、シンジが迷惑するだけじゃないの
よ!!もう少し場所柄をわきまえなさいよね!!」
「・・・・だって、碇君と二人きりになれるときって、そんなに多くないんだ
もの・・・・」
「そりゃ、そうかもしれないけど!!とにかくシンジを困らせるのはやめなさ
い!!アンタの本意でもないでしょ!?」
「うん・・・・ごめんなさい、碇君。」

綾波は取り敢えずアスカの言葉に納得して、しおらしく僕に謝った。

「べ、別にいいんだよ、綾波・・・・」

僕はそう綾波に言葉を返すと、アスカが僕に対して注意した。

「アンタのそれも悪いのよ、シンジ!!駄目なものは駄目!!ってはっきりと
言ってあげなくっちゃ!!わかってんの!?」
「ご、ごめん、アスカ。つい・・・・」
「まあ、シンジがそういう性格だって言うのはわかってるけど、これから気を
つけなさいよね!!ったく、いくら言っても全然駄目なんだから、この二人は・・・」

アスカはそう言うと、さっさと自分の席に戻ってしまった。伊吹先生もなんだ
かアスカの勢いに飲まれてしまっていたのか、しばらく沈黙していたが、一応
事態が沈静化すると、ようやく授業があるのを思い出して、授業を開始したの
だった・・・・

「碇君・・・」

授業中だが、綾波がかなり小さな声で僕に呼びかける。

「何、綾波・・・・?」

僕も小さな言葉で返事をする。すると綾波は、もう少し話がしやすいように、
僕にぐっと近寄ると、再び謝ってきた。

「・・・さっきはごめんなさい。私、碇君に迷惑掛けちゃって・・・・」
「・・・いいんだよ、別に。大した事じゃないから・・・・」
「でも・・・あの人は、ああ言ってたし・・・・」
「うん。アスカの言うことも一理あるね。だから今度からは気をつけてね。」
「・・・・ごめんなさい。」
「もう謝らなくてもいいってば。それよりもちゃんと授業を聞こうよ。」
「うん・・・・」

そして、僕と綾波のひそやかな会話は終わった。
しかし、授業が終わると・・・・・

「くうぉら、バカシンジ!!」

アスカが血相を変えて僕のところにやってくる。

「ア、アスカ・・・・」

僕はちょっと逃げ腰になってアスカを待ち受けた。するとアスカは僕に顔を思
いっきり近づけて、大きな声で叫んだ。

「授業中にまでレイとこそこそしゃべってんじゃないわよ!!」
「そ、そんな・・・・大した事じゃないよ・・・・・」
「大した事じゃなくても、授業中に話をするなんてもっての外よ!!」

すると、ぼくはちょっと開き直ってアスカに言った。

「ど、どうしてさ・・・・別にちょっとくらいいいじゃないか・・・・」
「駄目ったら駄目!!絶対に駄目!!」
「・・・どうしてそういう事言うの?」

アスカに剣幕に、綾波が疑問をぶつけた。するとアスカは、平然とした顔をし
て綾波に答える。

「アタシの監視下にないからよ。アンタもシンジも、放っておくと何をしでか
すかわからないから・・・・」
「・・・・・」

僕は唖然としてしまった。しかし、綾波はと言うと、何か思い付いたのか、急
にうれしそうな顔をしてアスカに言った。

「・・・・私はこの点では、あなたに勝ってるわね。授業中はずっと、碇君と
二人きりでいられるもの・・・・」
「あ!!」

アスカは綾波の言葉で、その事実に気がついて、声をあげた。そして、綾波に
向かって言う。

「ず、ずるいわよ。そんなの反則じゃない。授業中はそういうのは無しよ。っ
て、アンタわかってるんでしょうね!?」
「・・・・駄目。これは私だけの特権だから・・・・」

綾波は何だか珍しく意地の悪い顔をして、アスカにそう言った。すると、アス
カは綾波に対して頭ごなしに怒鳴るのではなく、説得に入った。

「シ、シンジが迷惑するでしょ?だから、授業中は無し。わかったわね?」
「わかったわ・・・・」

綾波がそう言うと、アスカは安堵の表情を見せる。しかし、綾波はそのまま続
けてこう言った。

「でも、碇君の邪魔はしないけど、時々キスとかはする・・・・」
「ちょ、ちょっと、アンタ授業中よ!?」

綾波の大胆な発言に、アスカもびっくりする。しかし、綾波は平然としてアス
カにこう言った。

「私には関係ないわ。あなたの邪魔が入らないだけ、好都合だもの。」
「シンジ、アンタも何とか言いなさいよ。まったく調子に乗っちゃって!!」

自分の手で綾波を変えるのは無理と見たアスカは、矛先を僕の方に向けた。僕
はアスカの言葉にしたがって、綾波に言う。

「う、うん。綾波、授業中にキスは勘弁してくれないかな・・・?」
「うん。じゃあ、手をつなぐだけにする。」
「手をつないだらって・・・・それじゃキス以上に授業に差し支えるじゃない!!」
「じゃあ・・・・碇君、何ならいいの?」
「全部駄目!!そういうのは家に帰ってからにしなさい!!」
「でも、家だとあなたが邪魔するでしょ?」
「当然よ!!」
「じゃあ、学校でしか出来ないじゃない・・・・」
「学校でも駄目!!アタシはもう、とことん邪魔するわよ!!アンタのために
はその方がいいってわかったんだから!!」
「そんなことないのに・・・・・」

アスカも僕と同じで、自分の気持ちをごまかすのはやめにしたようだ。綾波は
そんなアスカの言葉を聞くと、しゅんとなってしまった。
まあしかし、綾波はいくらアスカに禁じられたとしても、今までの経験上、そ
れに大人しく従うことはないだろう。綾波が授業中での自分の優位に気付いて
しまった以上、僕はこれからずっと、授業中は綾波に悩まされることになるか
もしれない。まあ、そんな綾波の気持ちも分からないではないので、アスカほ
どに叱りつけたりはしないと思うが、時々たしなめた方が綾波のためにも、僕
のためにもいいことだろう。しかし、僕も授業を邪魔されるとなると、これか
ら家でもちゃんと勉強しないと駄目かもしれないな。そして、綾波もそうだし、
それを気にして授業どころではないアスカも、勉強が必要だろう。
何だか情けない話だが、僕が自分から率先して勉強をすることにしよう。そう
すれば、アスカも綾波も一緒になってやるだろうし・・・・
僕はそう思うと、ちょっと呆れてしまった。学校でも家でも安らぐ暇のない波
乱に満ちた自分の生活に・・・・・


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