私立第三新東京中学校

第百二十八話・表と裏


「ごめん、委員長。心無いこと言っちゃって・・・・」
「ううん、あたしも悪かったから・・・・・」

トウジとケンスケが和解をした後、ケンスケは洞木さんに謝った。洞木さんは
元々自分が悪かったと思っていたし、ケンスケの気持ちに気付いてやれなかっ
た自分を恥じていたので、すぐに関係は改善された。
ケンスケと洞木さんのやり取りを脇で見ていたトウジは、自分達のせいで台無
しになってしまった明るい雰囲気を取り戻そうと、大きな声でみんなに呼びか
けた。

「ほな、万事解決っちゅうところでメシやメシ!!はよせんと休み時間が無駄
になってしまうで!!」

すると、結構雰囲気を大事にするアスカが、トウジのそれに乗った。

「鈴原の言う通りね。早くお昼にしましょ!!」
「う、うん。」

僕もそれに賛同し、こうして何事もなかったかのように元どおり弁当を食べる
こととなった。
しかし・・・・

「ケンスケ、わいのを半分食えや。」

トウジがそう言うと、洞木さんお手製の今日二つ目の弁当を、ケンスケに差し
出した。しかし、ケンスケは自分のせいでもめごとを引き起こしてしまったこ
とに強い後悔の念を抱いていたので、トウジの好意にほいほい乗ることはなく、
遠慮がちにこう言った。

「でも、せっかく委員長がトウジのために作ってくれたんだから・・・・」

すると、トウジは半ば強引にケンスケに押し付けると、大きな声で言った。

「ええから食えって!!わいはもう一つ食ったし、久しぶりにパンも食って見
たくなったんや!!」

そして、ケンスケの買ったパンを適当に一つひったくると、手早く袋を開けて
有無を言わせずいきなりかぶりついた。ケンスケはただひたすら呆然としてい
たが、そんなケンスケに、トウジは口をもぐもぐさせながら言う。

「これでおあいこやろ。わいのことはええから、さっさと食え。ええな。」
「トウジ・・・・ありがとう。ありがたく半分ごちそうになるよ・・・・」

ケンスケは小さな声でそう言うと、トウジに渡された弁当箱を開け、箸を取っ
た。トウジは自分のしたことに照れでもあるのか、ケンスケと反対の方をむい
て、ひたすらパンをぱくついていた。そして、洞木さんはそんなトウジのこと
を、まさしく恋する乙女といった感じで見つめていたが、口には何も出さなか
った。
しかしそんな時、トウジが慌ててパンを口に詰め込んだせいか、いきなり喉を
詰まらせた。

「ぐ・・・・」

トウジはろくに言葉も発せずに、先程ケンスケを殴ったのと同じ拳で、自分の
胸をどすどす叩いた。すると、一番早くそれに対応したのは洞木さんで、素早
く自分の目の前にあった水筒から冷たい麦茶を注ぐと、トウジに向かって差し
出した。トウジは慌ててそれを受け取ると、口の中に流し込み、なんとか喉の
詰まりを解消した。

「・・・す、すまんな、いいんちょー・・・・」

トウジはまだ苦しそうにそうお礼を述べると、洞木さんに向かって空になった
水筒の蓋を返した。洞木さんはそれを受け取りながらトウジに心配そうな声を
投げかけた。

「・・・鈴原、大丈夫・・・?」
「・・・なんとかな。これもいいんちょーのおかげや。ありがとな。」

トウジはようやく平静を取り戻して、洞木さんにそう言った。すると、洞木さ
んはうれしさと恥ずかしさが半分半分の顔をして、トウジに応えた。

「ううん、大した事じゃないから・・・・」

そして、洞木さんは自分の気持ちを隠すかのように、腰を下ろしてトウジに背
を向けると、トウジから受け取った水筒の蓋に冷たい麦茶を満たした。トウジ
はそんな洞木さんの姿を見下ろしていたが、自分も腰を下ろして再びパンを口
に運んだ。

取り敢えずひと段落ついたのをみて、僕も自分の弁当箱の蓋を取った。今日の
弁当は、僕と綾波との合作だ。綾波は、今朝は自分で朝食から弁当作りまで、
全て自分一人でするつもりだったのだが、僕が無理矢理に手伝ったのだ。アス
カは僕がこうした原因をよく知っていたので、割り込んで邪魔しようとはしな
かったが、綾波はそこのところの事情を良く把握していなかったので、僕が手
伝うのを受け入れると、あとはただひたすらに僕と二人きりで料理が出来るこ
とに喜びを感じていたようだ。
そしてそんな事を思いながらふと綾波の方に視線を向けてみると、ちょうど綾
波も僕と同じ事を考えていたのか、僕の方を見ていた。
そして、僕と綾波は視線が合った。

「碇君・・・・」

綾波はいつもの調子で僕の名前を呼んだが、僕の口からは何も出てこなかった。
すると綾波は、自分の弁当箱から箸で卵焼きを一つ摘み上げて見せると、僕に
こう言ってきた。

「これ、碇君が作ってくれた卵焼き・・・・」

そして、そう言いながら綾波はその卵焼きを小さな口に運ぶと、すこしもぐも
ぐさせて、飲み込んでから再び僕に向かってゆっくり言った。

「・・・おいしい・・・・・」

僕はそんな綾波に向かって、何を言って良いのかわからず、少し顔を赤らめた
まま呆然としていたが、なんとかお礼の言葉を口からひねり出した。

「・・・あ、ありがとう、綾波・・・・・」

すると綾波は、僕の言葉を聞くとうれしそうな顔をしたが、そのまま続けてこ
う言った。

「・・・碇君の方は、私が作った卵焼きだから・・・・」
「そ、そうだったんだ。」
「うん。だから、私のも食べてみて。」
「う、うん。わかった。」

僕はそう綾波に応えると、箸を取り直して自分の弁当箱に視線を戻した。
しかしその時、いきなり横から真っ赤な箸が伸びてきて、僕の卵焼きをさらっ
ていった。

「もーらい!!ぼさっとしてるアンタが悪いのよ!!」

僕の卵焼きを取って行ったのは、やっぱりアスカだった。

「ア、アスカ!!」

僕はびっくりしてアスカに叫ぶ。しかし、当のアスカは呑気なもので、躊躇す
ることもなくその卵焼きを口の中に放り込むと、少しもぐもぐさせてから飲み
込んだ。そして、食べ終えた感想を綾波に言う。

「ふーん、なかなかおいしいんじゃないの?良く出来てるわよ。」

しかし、アスカに誉められた方の綾波はと言うと、二人の間を邪魔されたとで
も思っているのか、かなり険悪な顔をしている。一方、アスカはそんな綾波の
反応を予期していたのか、平然とした顔でそんな綾波に言った。

「そんな顔しないのっ!!まだシンジのお弁当箱には、もう一つ卵焼きが残っ
てるんだから!!」

アスカはそう言うと、油断しきっていた僕の弁当箱に素早く箸を伸ばして、も
う一つの卵焼きを取った。そして、すぐさまぼーっとしている僕の口にそれを
ねじ込んだ。

「・・・むぐっ・・・・」

僕はいきなりのことにかなり狼狽の色を見せたが、何とかその卵焼きを飲み込
むことが出来た。そんな僕の様子をしっかり観察していたアスカは、僕に向か
って尋ねる。

「で、どう?レイ特製の卵焼きの味は・・・・?」

僕は何とか一息つけると、アスカに向かって答えた。

「・・・そんなのわかんないよ。無理矢理口に押し込まれたんだから・・・」

不満たらたらに僕が言うのを聞いた綾波は、一層怖い顔をしてアスカをにらん
だ。一方アスカは、綾波ににらまれるのは慣れっこになってしまったのか、大
して心を動かした様子も見せずに、綾波に尋ねた。

「じゃあ、アタシのお弁当のはどうなの?シンジが作った奴?それとも、アン
タが作った奴?」

すると、綾波は不機嫌そうな顔をしながらも、静かにアスカに答えた。

「・・・私と碇君の、一つずつ・・・・」

それを聞いたアスカは、元気に綾波にこう言うと、自分の弁当箱を差し出した。

「じゃあ、アタシの卵焼きをアンタにくれてやるわ。シンジの口にねじ込むな
り、自分の口にほうり込むなり、好きになさいよ。」

綾波は、アスカの意外な言葉にしばし言葉を返せなかった。綾波にとって、ア
スカはいつも自分の邪魔をする奴だという認識があったので、こう素直に権利
を差し出されると、違和感を感じたのかもしれない。しかし、そうは言っても
やはり自分の作った卵焼きが返ってくることはうれしいはずであったので、恐
る恐る手を差し伸べると、アスカの弁当箱から箸で卵焼きを一つ摘み上げた。
それを見たアスカは、綾波に向かってなぜかやさしく尋ねる。

「ひとつでいいの?ふたつ取ってもいいのよ。」

しかし、綾波は欲を出さずにアスカに小さな声で答えた。

「・・・ひとつでいい。」
「そ、じゃあ、これはもう引っ込めてもいいわね。」

アスカは元気よくそう言うと、弁当箱を自分の手元に戻した。
一方、綾波はアスカの弁当箱から卵焼きを取ったのはいいが、そのままの体勢
でいた。そして、しばしの逡巡のあと、恥ずかしそうに僕の方に卵焼きを差し
出すとこう言った。

「・・・・碇君、あーんして・・・・・」

僕はびっくりした。こういうことは、学校ですることではないだろう。僕はそ
う思うと、アスカがいつものように邪魔しに来るのを期待して、視線を走らせ
た。

「・・・・・」

しかし、アスカは僕の視線に気付いていながらも、何も行動を起こすそぶりは
見せなかった。それを見た僕は、諦めると綾波に向かって口を開いた。

綾波の箸がゆっくりと近づき、僕の口の中に卵焼きを差し入れた。綾波は僕の
口にきちんとはいったことを確認すると、そっと箸を引き抜き、僕の反応を待
ち構えた。

「・・・・・どう・・・・?」
「・・・おいしいよ、綾波。」
「・・・・うれしい。碇君のためを想って作ったの。私の愛が碇君に伝わるよ
うにって・・・・・」
「そ、そう・・・・」

綾波の過剰さには、いつもながら呆れる節があった。別に綾波手作りの卵焼き
を食べるのははじめてではないし、そんなに急に変わるものでもないし、僕は
綾波の卵焼きがおいしいのはちゃんと知ってるというのに・・・・
だが、これは男の冷めた感情なのかもしれない。女性の情熱を冷ややかな目つ
きで見つめるような・・・・特に僕の場合、自分でも人より特に冷めた人間だ
と自覚しているため、このように感じてしまうのだろう。やっぱり僕は、つま
らぬ人間だな・・・・

しかし、アスカはどういうつもりなんだろう?いつもだったら、こういうとこ
ろを見たらすぐさま阻止しに入るというのに・・・・
僕はアスカが何を考えてこういう方向にもって行ったのかが理解出来なかった。
そこで、僕は再びアスカの方に視線を向けてみる。するとアスカは、綾波のこ
とをじっと見ていた。アスカはすぐに僕の視線には気付いたのだが、僕に返し
た視線は、僕に何も教えてはくれなかった。
きっとアスカはなにか思うところがあってこんなことをしたんだろう。僕はこ
このところのアスカの言葉から、そういう結論を出した。そして、後でアスカ
に聞いてみなければならないと思うに至った。

こうして、僕がまた綾波の方に視線を戻そうとしたその時、ある視線に気が付
いた。
綾波と同じ、真紅の瞳。
そう、それは渚さんの視線だった。僕は、渚さんが僕を見つめていたのに気付
いたのだが、その一瞬、渚さんが僕を見る目つきが気になった。僕の気のせい
かもしれないが、全く感情のこもらない、まるで実験動物か何かを観察するか
のような冷たい視線だった。それはすぐさまいつもの暖かみを帯びた不思議な
微笑に戻ったのだが、僕はその一瞬のことを気にせずにはいられなかった。
渚さんの見せる笑顔が、人を全て魅了するようなものなだけに、僕はその対比
に恐怖した。そして、渚さんは僕の様子の変化に気付いているはずなのに、態
度を変えなかった。ただ、微笑みを浮かべながら僕を見つめていたのだ。

僕はその微笑みに耐えられなくなって、渚さんから視線をそらした。
結局僕は渚さんから逃げたことになったのだが、この時だけは、僕は逃げても
恥ずかしくないと思った。そして僕は、改めて渚さんの存在について考えなけ
ればならなくなったのだった・・・・


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