私立第三新東京中学校

第百二十七話・二人の友情


「シンジ、アタシのお弁当は!?」

午前中の授業はあっという間に終わり、早くもお昼休みになった。
昨日は弁当を作る時間がなくて、パンで済ませてしまったこともあってか、ア
スカは急いで僕のところにやってきた。

「ちゃんとあるよ。ほら・・・」

僕はそう言って鞄の中からアスカ愛用の真っ赤な弁当箱を差し出す。すると、
アスカはそれを受け取ると、嬉々としてこう言った。

「やっぱりお昼はお弁当じゃなくちゃね。たまにはパンもいいって思ったけど、
一日食べないでいるとなんだか無性に欲しくなっちゃって・・・」

僕はそんなアスカの様子を微笑みながら眺めていた。僕の陰気な心も、アスカ
の純粋な元気さの前では太刀打ちすることが出来ないようで、僕もつられて元
気になったのだ。
そして、僕がいつになくやわらいだ顔を見せていると、横にいた綾波が僕に声
を掛けてきた。

「碇君、そろそろ食べる準備をしましょ。」
「あ、う、うん。わかったよ、綾波。」

僕は慌てて綾波の言う通り、机を移動し始めた。アスカも弁当箱を手に持った
まま自分の席に戻って、椅子を運んでくる。そして、アスカがここに椅子を持
ってくる頃には、ようやくいつものメンバーが揃ってきたのだった。

「渚さん、一緒にパンを買いに行く?」

ケンスケが立ったまま渚さんにそう尋ねる。ケンスケは渚さんは自分に興味な
ど持っていないとわかってはいても、今までずっと一人でパンを食べ続けてき
ていたので、パン食仲間が増えるのがうれしいのか、やけにうれしそうな顔を
していた。

「そうだね。じゃあ、一緒に行こうか、相田君。」

渚さんはそんなケンスケに向かって静かに答える。しかし、そんな時洞木さん
が急に渚さんにこう言ってきた。

「あ、待って、渚さん!!」

洞木さんの声に渚さんはゆっくりと振り向く。すると洞木さんはなにやら自分
の鞄をごそごそやりながら、話してきた。

「ちょっと待ってね・・・・はい、これ!!」

洞木さんが取り出したものは、一つの弁当箱だった。

「これは・・・・?」

渚さんは訳がわからないと言った感じで、ちょっと眉をひそめると、洞木さん
に尋ねた。

「お弁当よ。渚さんもお弁当がないと、かわいそうでしょ?それに、あたしの
でなんだけど、料理の参考にもなるかと思って・・・・」
「あ、ありがとう・・・・」

渚さんはちょっと珍しいことに、驚きの色を隠し切れずに洞木さんの手からそ
の弁当箱を受け取った。しかし、哀れなのはケンスケで、またもや一人でパン
を買ってくることになってしまったのだ。

「ううう・・・何で俺ばっかり・・・・」

ケンスケは落ち込んでそうつぶやく。するとそれを耳に入れた洞木さんは、ケ
ンスケの事に気がついて、済まなく思ったのか、ケンスケに向かって弁解をし
た。

「ご、ごめんなさい、相田君。別に相田君一人をのけ者にしようと思ったんじ
ゃないのよ。」
「・・・・・」
「ほ、ほら、渚さんは料理なんてしたことないなんて言ってるから、ちょっと
あたしの作ったお弁当を食べてもらって、料理に目を向けてもらいたかったの
よ。」
「・・・・・」

洞木さんが熱意を込めてケンスケに向かって説明しているにもかかわらず、ケ
ンスケは黙ったまま暗い顔をしていた。そんなケンスケの様子に焦った洞木さ
んは、まくし立てるようにこう言った。

「そ、それに渚さんは相田君と違って女の子じゃない!!だから、料理も覚え
た方がいいだろうし、あたしがお弁当を作ってあげても問題はないから・・・」

洞木さんの言葉はまだ途中だったのだが、それまでずっと沈黙を守ってきたケ
ンスケが、今までの鬱憤を晴らすかのように洞木さんに突っ込みを入れた。

「トウジに誤解されるからかい、委員長?」

それはケンスケらしからぬ言葉だった。ケンスケは今までずっと僕達に思いや
りをもって接していてくれたし、誰よりも人の気持ちのわかった男だと思って
いた。しかし、今のケンスケの言葉は辛辣であり、僕達は改めてケンスケも苦
しんでいたんだと悟った。僕達はいつも楽しく振る舞っているケンスケに甘え、
ケンスケがそういう人間だと思ってしまっていた。しかし、ケンスケも僕達と
同じ、年頃の男の子なのだ。僕もケンスケも女の子から手作り弁当をもらえる
というのに、自分は一人寂しく冷たいパンをかじっている。ケンスケとしてみ
れば、かなり辛かったに違いない。しかし、ケンスケはそれを嘆いてみたこと
はしょっちゅうだったけれど、いつも冗談めかしていて、自分の本心を隠して
いた。きっとそれはケンスケにとって、僕が人に嫌われないように愛想よく振
る舞ってき続けていたのに通じるものがあるのかもしれない。そして、アスカ
が強がって自分の弱さを隠してきたことにも・・・・

所詮、僕たちとケンスケは一緒だったのだ。だから、僕にはケンスケの気持ち
がよく分かったし、僕達もケンスケに甘え続けてきていたという引け目から、
敢えて反論してみようとはしなかった。ケンスケも、自分の言ってしまったこ
とに気が付き、顔に後悔の色をにじませた。
しかし、僕達とは違い、ケンスケへの同情だけでは事態をうやむやには出来な
い人間が一人いた。それはトウジだった。トウジは、自分に想いを寄せ、自分
もそれに応えなければならないと思っている洞木さんへの想いというだけでは
なく、か弱く繊細な心を持つ女性を傷付けた人間をそのままにしておけるほど、
男らしくない人間ではなかった。
トウジは怒りの表情をひらめかせると、大声でケンスケに怒鳴りつけた。

「貴様、なんちゅうこと言っとるんじゃ!?いいんちょーに向かって謝れ!!」

その時既にケンスケは反省していたのだが、トウジの言葉はケンスケにとって
は逆効果だった。そのままにしておけば、ケンスケは自分から洞木さんに謝っ
たであろうに。しかし、だからと言ってトウジを責めることも出来なかった。
トウジが言ったことは当然のことであったし、理にかなっていた。ケンスケに
もそのことがわかっていたからこそ、一層素直になれなかったのかもしれない。
ケンスケはトウジに向かって、皮肉たっぷりにこう言った。

「トウジはいいよな。委員長に毎日二つの弁当を作ってもらって。だから俺に
向かってそんな事が言えるんだよ。所詮俺のき・・・・」

ケンスケは最後までいい終えることが出来なかった。トウジの拳は、ものすご
い速さでケンスケの顔をとらえていた。ケンスケはそのまま後ろに吹っ飛ぶと、
床に身体を沈めた。そしてトウジはそんなケンスケを見下ろすと、大きな声で
こう言った。

「貴様に何がわかる!?いいんちょーの何がわかる!?これ以上そないなこと
言うたら、そんくらいじゃすまさへんぞ!!」

トウジは激昂していた。そして、感情のほとばしるままに、言葉をまくし立て
ていた。僕達は唖然としてしまっていたが、問題の渦中にあった洞木さんは、
僕達と同じようにただ黙って見ているという訳にはいかなかった。

「鈴原、もうそのくらいにして・・・・」

いつもだったら大きな声でトウジをたしなめる洞木さんだったが、今日は小さ
な声でそう言うと、トウジの手に自分の手を当てた。しかし、僕たちはいつも
とは違った洞木さんの様子に気がついていたが、その時のトウジは興奮してし
まっていて、洞木さんの変化に気付いていられる余裕はなかった。

「せやけどいいんちょー、こいつの言ったことは・・・・」

トウジは押しとどめようとする洞木さんに納得出来ずに、そう言ったのだが、
洞木さんがトウジの言葉を途中で遮った。

「お願いだから、あたしはもういいから・・・・」

そう言う洞木さんの声は、熱を帯びていた。そして、それでようやくトウジは
洞木さんの様子に気がつくと、冷静さを取り戻し始めて言葉を返した。

「いいんちょー・・・・」
「・・・相田君の言ったことは正しかったし、悪いのはあたしの方なの。」

洞木さんはトウジに向かって、反省の色を見せながら小さな声でそう言う。そ
れを聞いたトウジは、大きな声で慌ててそれを否定した。

「そ、そないなことないで!!いいんちょーは何も悪くあらへん!!悪いのは
みんなケンスケの奴なんや!!」

トウジはまた興奮した様子を見せた。すると洞木さんはそんなトウジを抑える
ように、こう言った。

「鈴原、お願いだから黙ってあたしの話を聞いて。あたしには言わなくちゃい
けない事があるんだから・・・・」
「・・・・・わかった、いいんちょー。」

トウジは洞木さんの言葉を受け入れ、おとなしく話を聞く事にした。そして洞
木さんは、静かに話し始めた。

「あたしは相田君の気持ちを知ってたのに、いつも明るく振る舞ってる相田君
を見て、相田君は大丈夫だと思ってたの。相田君は辛いことも苦しいこともな
いと思って・・・・」
「・・・・・」
「でも、相田君だってあたし達と同じなのよ。相田君はずっと我慢してきたん
だと思う。なのに、あたしは相田君のそんな気持ちにも気付かずに、渚さんに
だけお弁当を作ってあげて、結果として相田君を一人仲間外れにしてしまった
んだから・・・・」
「・・・・・」
「だから、相田君を責めないで。そして、相田君の気持ちも分かってあげて。
お願いよ、鈴原・・・・・」

そう言いながら、洞木さんは泣きそうな顔になっていた。そして、それをみた
トウジは、ただ一言つぶやいた。

「いいんちょー・・・・・」

そして、トウジは洞木さんの肩にやさしく手を掛けると、小さな声でこう言っ
た。

「すまんかった、いいんちょー。わいのせいで、いいんちょーを悲しませてし
もうて・・・・」
「・・・・鈴原のせいじゃない。鈴原はあたしをかばって言ってくれたんじゃ
ない。」
「せやけど・・・・」
「・・・相田君と仲直りして。鈴原と相田君は親友でしょ?」

洞木さんの言葉に、トウジは少し微妙な顔をしたが、すぐに洞木さんに答えた。

「・・・・わかった、いいんちょー。」

そして、トウジは振り向いて身を屈めると、ケンスケの手を差し伸べながらこ
う言った。

「・・・・済まんかったな、思いっきり殴ってしもて・・・・・」

すると、ケンスケはトウジの手を借りて身を起こしながらこう言葉を返した。

「やっぱりトウジのパンチは効いたよ。さすがだな。」

そして、二人とも立ち上がると、制服についたほこりを軽く払ってから、顔を
見合わせると言葉を交わした。

「済まなかったな、トウジ。ついあんな事を口にしちゃって・・・・」
「いや、わいもケンスケの気持ち、わかってやれんで済まんかった。」

そして、トウジはそう言った後、ケンスケに手を差し出して言う。

「仲直りの握手や。これでお互いすっぱり今のことは忘れようや。」

するとケンスケは差し出されたトウジの手を取って応えた。

「これで仲直りだ。」

二人は固い握手をした。それで二人とも気持ちがほぐれたのか、笑みをこぼし
た。そして、トウジはケンスケに向かって軽い調子で言う。

「せやけど、またいいんちょーを傷つけるようなことを言ったら、わいは容赦
せえへんで。」
「わかってるって。もう二度とあんなことは言わないよ。でも、やっぱりトウ
ジは委員長のことが好きなんだな。」
「ア、アホ!!何言っとるんや!!ええかげんにせい!!」

トウジはケンスケのからかいに顔を赤くして答える。しかし、はっきりと否定
しなかったことが、トウジの気持ちを表していた。一体僕以外の誰がその事に
気付いたのかはわからなかったが、みんなは既にトウジの気持ちは今の一件で
分かっていた。
洞木さんはうれしそうな顔をしていた。果たしてそれが、トウジとケンスケが
仲直りしたからなのか、それともトウジが自分をかばってくれたことを知った
からなのか、誰も知るすべはなかった。
しかし、僕は喧嘩をしてもまたすぐに仲直り出来る、この二人の関係について
うらやましく思っていた。僕も三バカトリオとして、この二人とは一緒にされ
ているのだが、僕よりはこの二人の付き合いというものは長く、そして深いも
のであった。僕はそんなトウジとケンスケを微笑ましく見つめながら、自分も
こういう友達関係を築きたいと思っていた。
僕には友達というとこの二人と洞木さんくらいしかおらず、それ以外のクラス
メイトとはほとんど付き合いもなかった。僕はそれでも別に構わないと思って
いたが、もしかしたらそうでもないのかもしれない。まあ、新しい友達を築く
というのも難しいかもしれないが、友達を敢えて限定する必要もないと思う。
しかし、今のところはここにいるみんなと友情を育もう。僕はそう思うと、ま
た少し、心が軽くなった気がしたのだった・・・・・


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