私立第三新東京中学校

第百二十六話・エヴァの中に見たもの


「シンジ・・・・」

アスカが僕を心配そうな目で見つめる。僕はそんなアスカに気がつくと、よう
やく周りのことがだんだん見えてきて、自分がちょっと余計なことを言い過ぎ
てしまったことを知った。

「ア、アスカっ、とにかく、トウジに今みたいな事を話してみてよ。そうすれ
ば、きっとあの二人のことはうまく行くだろうし・・・・」

僕は何だか慌てていた。そして、そんな慌てている自分に気付いて、また自分
が嫌になった。
そう、僕は知らず知らずのうちにアスカから逃げていたのだ。
ここでアスカに全てをぶちまけて、アスカが以前僕に言ってくれたように、ア
スカの助けにすがればいいのに、僕は自分の中にアスカが入ってくるのを避け
ている。だから、ここで話を誤魔化すようにしたのだ。
それが意識的に行われたことなら、僕の卑怯さということでまだ納得が出来た。
しかし、僕のそれは無意識のうちに行われていた。そして、それは僕の心が壊
れてしまっているということを示していたのだった。僕はその事に気付くと、
自分がまた怖くなった。
どうして僕は普通じゃないんだろう?
何が僕を変えてしまったんだろう?
僕は以前から自分の殻に閉じこもるようなところがあったが、それでも今ほど
はすさんではいなかったような気がする。以前の僕は、その不幸せな環境から
自分を不幸にしていたのだったが、それに比べると今の僕は少なくともかなり
幸せな環境にいると言わざるをえないだろう。しかし、それでもなお、僕は幸
せにはなれなかった。以前の僕と今の僕との間に、どんな違いがあるのか?
僕はそのことを考えてみると、僕の人生を大きく狂わした事件、使徒の襲来と
エヴァが思い出された・・・・

使徒とエヴァがなければ、僕はここにこうしていることもなく、アスカや綾波
とも知り合うことなく人生を終えていたかもしれない。アスカと綾波は、今の
僕にとっては大きな位置を占める存在となっていた。
そしてトウジ。トウジもあの一件がなければ、大事な片足を失うこともなかっ
た。トウジは明るく振る舞って、僕の罪を認めようとはしないけれども、失っ
た足のところに手をやり、思い出して悲しみにふけることもあるだろう。僕は
それを思うと、自分の足を切りとってトウジにあげたいような思いさえする。
そんなことは不可能だから僕はしないが、もし僕の足を切りとってトウジの失
った足の代わりにすることが出来たならば、僕は喜んでそうするだろう。
そして、エヴァ。僕のせいで多くの人の血が流れ、数え切れない命が奪われた。
使徒を倒して人類の平和を守るためだと正当化することも出来ただろうが、そ
のせいで大切な人を失った人も多いだろうし、正しいことをしたからその罪が
帳消しにされるとは僕は思えなかった。僕の心は血の色に染まっており、それ
はどんな事をしても、拭い去られることはないのだった。
そして使徒。もうやってこなくなった今でも、その正体は不明だ。しかし、そ
れが多くの命を奪っていったとしても、僕がこの手で滅ぼしていったことに代
わりはない。何かを滅ぼし、消し去ること。それは例えどんな理由であろうと、
好意的に受け止められるべきではない。人は例えどんなに些細なことであろう
と、何かを作り、生み出すことこそを尊ぶべきであり、僕はそのことに何ら関
与してはいない。僕達男は全てを壊し、失わせる存在であり、女性は新しい生
命を生み出すことが出来る。だから、僕達男は絶対に女性にはかなわないし、
新しいものを作り出し、物事を変えていくのは全て女性である。
そして、渚カヲル。あれは何なんだろうか?僕には結局わからなかった。僕が
この手を鮮血に染めた時でも、僕は彼が理解出来なかった。彼は僕に何を求め
ていたのか、それがわかれば僕の心の穴も少しは塞がるのではないかと思った。
しかし、僕が自分ではっきりと自覚して人の命を奪うのははじめてのことだっ
た。今でもこの手にはっきりと感触が残っている。そして僕は、そのことから
一生逃れることは出来ないだろう。僕にはそのことがはっきりとわかっている
から、渚さんからこだわりを無くすことなど出来ない。そもそも、僕が彼女を
「渚さん」と呼んで、カヲル君ではないと思い込もうとしていることが、尋常
ではないのだ。僕はカヲル君を心の中に封印してしまったため、渚さんの呪縛
から逃れることは出来ない。しかし、僕が渚さんに何を求めているのか、それ
も全くわからない。僕が彼女に側にいて欲しいのか、それとも僕の目の届かな
いところに行って欲しいのか、それすらもわからなかった。そして、わからな
いということ自体が、僕を一層引き付け、捕らえて離さないのであった。

エヴァの中。
僕が今までに見た事のある全てのものが見え、そしてまた、今までに見た事の
無い物が見えた。それは僕の中を通りすぎていったが、僕にどんな影響を与え
ていったのかは定かではない。それがエヴァの意志なのか、それとも使徒の意
志なのか?僕に知るすべはなかったが、僕がエヴァの中で見たものは、僕の心
に大きな影響を与え、僕の心を壊した。僕の壊れた心はすぐに再構築されたか
に見えた。しかし、それは見せかけだけであった。僕の心に何かが埋め込まれ、
今までずっと眠り続けている。
僕は昔のままのはずだった。しかし、僕は変えられてしまった。エヴァを知り、
使徒を知ることによって、僕は昔の僕ではいられなくなった。僕は何も知らな
い中学生ではなく、何かを知ってしまった人間だった。しかし、それが何なの
かはわからない。僕はただ、何かを知っているということを感じているだけだ。
そして、それはいつの日か、僕の中で目覚めるのだろうか?誰も知り得ない何
かを知った人間として、僕は人と違った人間になってしまったのだろうか?
僕はそのことを考えると恐ろしい。僕は僕でいたい。だから,これ以上何も僕
の中に入れたくない。何かが僕の心を刺激し、眠っていた何かを目覚めさせる
ことになるかもしれないから。
それが何なのか、僕にはわからない。しかし、僕がそれを知った時は、僕はも
う、普通ではいられないだろうということを知っていた。僕は今の僕でありた
かったし、それが幸せだった。僕は・・・・

「シンジ、どうしたのよ、シンジ!?」
「あ・・・・アスカ・・・・」

僕はアスカに声を掛けられて、我に返った。僕は何やら考え込んでいたようだ。
考え込んでいるうちに、何だか何を考えていたのかわからなくなってしまった
が、あとにはただ、濃い疲労のあとが残されただけであった。

「大丈夫?なんだかおかしかったけど・・・・」
「な、何でもないよ。僕は大丈夫だから・・・・」
「そう?アンタって人を無性に心配させるようなところがあんのよねぇ・・・・」
「そ、そんなことないよ。」
「・・・・ま、いいわ。でも、アタシが鈴原に言うっていう話だけど、やっぱ
りシンジが言った方がいいと思うわ。アタシはどっちかって言うと鈴原には好
かれてないし、いい加減な嫌な女だって思われているだろうから・・・・」
「ア、アスカがそんな風に思われてるはずないよ!!」
「そうかもしれないけど、信用って言うのはなかなかつかないもんなのよ。そ
れに、アタシよりアンタの方がはるかに鈴原に信頼されてるでしょ?」
「・・・・そう言われれば、そうかもしれないけど・・・・」

僕が納得した態度を示すと、アスカは最後のまとめに入ってこう言ってきた。

「取り敢えず、アタシは鈴原の気持ちをヒカリに教えておくわ。だから、シン
ジは鈴原の考えを路線変更するように努力なさい。それでいいわね?」
「うん、わかった。」
「じゃあ、そろそろ授業が始まるから、教室に戻るわよ。」
「う、うん。」

こうして、僕とアスカは廊下での話を終えて、教室に戻った。僕はアスカと別
れて自分の席に着くと、一息ついた。それほど長時間話し込んでいた訳ではな
いが、やけに僕を疲れさせた数分間であった。

「碇君。」

綾波が僕に声を掛ける。

「何、綾波?」
「碇君・・・・大丈夫?」
「え!?大丈夫って何が?」
「碇君、疲れてる・・・・」

綾波は僕の顔を心配そうに覗き込んで、そう言った。確か昨日も綾波は僕にそ
んな事を言っていたので、僕はその心配を打ち消そうと明るく綾波に応えた。

「疲れてる!?そんな事は全然ないよ。僕はいたって元気だよ。」
「・・・・・一体あの人と何を話したの?」

綾波はそんな僕の言葉など気にも止めずに、一層深刻な顔をして、僕に尋ねて
きた。僕はそんな綾波を見ると、ちょっと押された感じになって、おとなしく
答えた。

「ト、トウジと洞木さんのことだよ。あの二人、なかなかうまく成就しないか
ら、僕とアスカでうまくやろうって言うことで・・・・」
「本当にそれだけ?それだけの話で、碇君はまるで別人のような顔に変わって
しまったの?」

僕は綾波の言葉を聞くと、衝撃を隠し切れずに綾波に尋ねた。

「ぼ、僕の顔が変わった!?ほ、ほんとなの、それ!?」
「ええ。碇君は変わったわ。別に外見がどうとか言うんじゃないんだけれど、
何かを知ってしまって、それで碇君が内部から変わらざるをえなくなったかの
ような・・・・」

僕はそれを聞くと、思い当たる節がない訳ではなかったが、綾波を心配をさせ
ないように嘘をついた。

「・・・そんなことないよ。きっと、綾波の気のせいだよ・・・・」
「・・・・・」
「僕は大丈夫だから。だから綾波も心配しないで。」
「・・・・うん・・・・」

綾波は心の中では僕を心配していたが、それ以上に僕の言葉を信じようとした
のか、複雑な声でそう答えた。
それまで、綾波の心と言動というのは、直結していたものであり、それらが相
反するようなことはなかった。しかし、綾波は人間らしく成長していくうちに、
心と言動が必ずしもつながらないという事態が訪れてきた。綾波はそのことに
まだ慣れていないのか、自分を責めてみたり、困惑したりした。僕はそんな綾
波が気になったのだが、思い、悩むということは、綾波にとってプラスになる
と考えていたので、今朝、綾波の誤解を解いてからは、もう綾波の心の中に必
要以上に干渉しないように決めた。僕が綾波の心に触れれば、綾波に影響を与
えない訳にはいかなかったし、僕は自分の考えに絶対的な自信を持てなかった
からだ。

綾波が僕との話を止めると、それを待っていたのか、ケンスケが後ろを向いて
僕に話し掛けてきた。

「シンジ。」
「何、ケンスケ?」
「悪いけど、さっきの話、聞かせてもらっちゃったよ。」
「・・・さっきの話って?」
「トウジといいんちょーのことさ。俺はシンジのプライベートに深入りするの
はまずいと思ってるけど、トウジのこととなると話は別だからな。」
「・・・うん。で?」
「及ばずながら、俺もそれに協力させてもらうよ。あの二人を見てると、何だ
かじれったくってね・・・・・」
「ありがとう、ケンスケ。」
「いや、シンジはシンジで手いっぱいみたいだから・・・・・まあ、トウジの
ことは俺も手伝うよ。シンジの力になれると思うから。」
「助かるよ。ありがとう。」
「じゃあ、そういう事だから。」
「うん。」

そして、ケンスケも前を向いた。
ケンスケも、明らかに僕を心配していた。綾波との会話を聞いたというせいも
あるのだろうが、僕が否定したにもかかわらず、綾波もケンスケもそれを素直
に受け入れないというのは、やはり僕の側にそう見せるような何かがあるのだ
ろうか?そして、僕は誰の目にも病んでいるとわかるほど疲れきってしまって
いるのであろうか?
僕はそれを否定したかったが、否定することは出来なかった。僕は本当に疲れ
ていたし、心の病を抱えていた。しかし、僕の手にはどうすることも出来なか
った。精神科へ行った方がいいのかもしれないと思いもしたが、心のどこかで
僕はそれが意味のない行為だということを悟っていた。それがどこから来るも
のなのかはわからないが、僕には確信めいたものがあった。まるで、僕の中の
方一人の僕が、僕に警告を発してくれているかのように。
しかし、それも僕に根拠のない確信を与えてはくれたけれど、その原因がどこ
にあるのかを教えてくれようとはしなかった。僕がいくら自問自答しても、答
えは返ってこなかった。
やはり、頭の中でひたすら考えているより、何か行動を起こした方がいいのか
もしれない。アスカの言葉じゃないが、物事を一人で解決出来なくても、誰か
と対話をすれば、答えが導き出されるかもしれない。僕はそう思うと、ある二
つの決意をした。一つは、以前にも決めていた、父さんとの対決。そして、も
う一つのものは、今まで避け続けてきた、渚さんとの対話であった・・・・


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