私立第三新東京中学校

第百二十三話・嫉妬と決断


険悪な状況の中、僕たちは学校へ向かい始めた。
綾波と渚さんの間をおさめてくれたのは、やはり委員長たる洞木さんであった
が、渚さんはともかく、綾波にはまだわだかまりが残っていた。そして綾波は
僕の右隣を占めて歩く渚さんに、反対側から厳しい視線を向け続けている。

「ほんまに綾波はシンジのとこに越して来たんやなあ。」

最近はケンスケと二人で話していることの多かったトウジが、今日は珍しく綾
波の左に立って、感慨深げに話し掛けてきた。

「そう言ったじゃないか。信じてなかったの?」

僕は軽く微笑みながらトウジに向かって言う。するとトウジは僕にこう答える。

「そないなこと、簡単に信じられるかいな?」
「そうかなぁ?」
「当たり前や。シンジとミサトさんが一緒に住んどるって聞いた時でさえあな
いに問題に思ったっちゅうのに、更に惣流の奴を加えて、もうこれで打ち止め
かと思っとったで、全く。」
「そうかなぁ・・・?」

僕はさっきからそればっかりだ。それに気付いたケンスケが、僕に向かって言
う。

「シンジ、さっきからそればっかりだな。ちょっと美女に囲まれて、感覚が麻
痺してるんじゃないのか?」
「そんなことない・・・・と思うけど・・・・・」
「モテモテの奴はうらやましいよ・・・・俺なんかさぁ・・・・」

ケンスケは自嘲気味にそう言う。すると、そんな事は関係ないとばかりに、ト
ウジが話題を変えて綾波に尋ねた。

「ところで綾波?」
「・・・・なに?」

綾波は今まで僕たちの会話が綾波に関係する話だったのに、それを聞いてはお
らず、ずっと渚さんを凝視していたのだ。だが、トウジに声を掛けられたこと
によって、注意をようやくこちらに向けた。

「シンジのところに来て、どうや?やっぱりええもんか?」

トウジは興味深げに尋ねる。すると、綾波はトウジが自分に質問していること
に気付いて、少しその質問の内容を頭にめぐらせたような顔をしてから、小さ
な声で答えた。

「・・・うん。」
「ひとりより、ええか?」
「うん。碇君が一緒だから・・・・」
「やっぱりシンジか。せやろな・・・・・」
「・・・・」

綾波は、トウジが何を言いたいのかわからずに、少し怪訝そうな顔をしていた。
僕にもトウジが何を言いたかったのかよくわからなかったが、取りたてて尋ね
ようという気も起こらなかった。
一方、渚さんはというと、さっきから一言も口を利いていなかったが、顔はこ
ちらに向けられており、僕たちの会話に意識を傾けていた。

「でも、綾波が来てくれて助かるよ。家事とかを手伝ってくれるし・・・」

僕は話を進めようと思って、トウジにこう言った。するとトウジは僕に応じて
こう言う。

「せやな。シンジはずっと一人で家事をこなして来たからな・・・・・」
「うん。最近ではアスカも手伝ってくれるんだけどね・・・・」

僕の言葉を聞いたトウジは、ちょっと意外そうな顔をして僕に言った。

「惣流も手伝うんか!?それはえらいことやな・・・・・」

アスカがいろいろやってくれるというのは僕には普通だったけれど、トウジ達
はあまりそういう面を見て来ていなかったので、意外に感じるのかもしれない。
僕はトウジの様子でそう思い至ると、アスカのために弁護した。

「アスカだってちゃんとやってくれるよ。僕も色々手助けしてもらってるんだ。」
「さよか・・・ええなあ、シンジにはそういう相手がいて・・・・」

すると、それを聞きとがめたケンスケが、トウジに向かって言った。

「・・・トウジには委員長がいるじゃないか・・・・・」
「ア、アホ!!なにゆうとんのや、ケンスケ!!」
「弁当作ってもらってるじゃないか・・・・俺にはそんな事してくれる女の子
はいないのに・・・・」
「お、お前もいいんちょーに頼んでみい。作ってくれるはずや、いいんちょー
はやさしいから!!」

ケンスケの言葉に顔を赤くしてうろたえるトウジをよそに、淡々とケンスケは
答える。

「委員長はやさしいよな、うん。だけど俺は、虚しいことはしない主義なんだ。」
「な、何が虚しいっちゅうんや!?」
「もし委員長が俺に弁当を作ってくれたとしても、それはトウジが頼んだから
だろ?」
「そ、それは・・・・」
「委員長がやさしいのは知ってるけど、やさしいだけでトウジに弁当を作って
る訳じゃない。トウジは特別なんだよ・・・・」
「・・・・・」

トウジはケンスケの言葉に、何も言い返せなくなってしまった。それは、トウ
ジが洞木さんの気持ちに気付いているということを示していた。トウジと洞木
さんは、例のキスからもそれほどの進展を見せてはいなかったが、トウジの意
識という面では、あの出来事は大きかったと言える。
トウジは硬派を気取っていたし、女などと付き合っていられるかという気持ち
があったというのは事実なのだが、一方ではとても人にやさしい面を持ってい
たので、洞木さんの想いに対しては心憎からず思っているのだろう。
僕もトウジのことはよく知っていたので、自分のことはさておき、この二人に
はうまく行って欲しかった。今は日常生活に支障を来たしていないとは言え、
トウジのかけがえのない片足を失わせてしまったという事実は、僕の心に未だ
に消えずに残っていたので、トウジには幸せになってもらいたかったのだ。

一方、僕達の前方を談笑しながら歩いているアスカと洞木さんも、実は僕たち
の会話に耳を傾けていた。

「鈴原の奴、未だに素直になれないようね。」

アスカが洞木さんに向かって小さな声でささやく。すると、洞木さんは自分の
内心の動揺を誤魔化すかのようにアスカに突っ込む。

「アスカはどうなのよ?碇君を放っておいていいの?綾波さんと渚さんが両脇
をしっかりと固めているみたいだけど・・・」

洞木さんの言葉を聞くと、アスカは平然とした口調で答えた。

「平気よ。アタシはシンジを信じてるから・・・・」

すると、洞木さんはしんみりとした感じを表情と声の両方に浮かべて、アスカ
に言った。

「・・・・変わったわね、アスカも・・・・」
「アタシは何も変わらないわ。ヒカリにそう見えるのは、きっとシンジが変わ
ったせいよ。」
「碇君が?」
「そう、シンジは変わったわ。今までアタシを拒み続けていたけど、ようやく
アタシのことを受け入れてくれたから・・・・」

洞木さんはそれを聞くと、びっくりしてアスカに尋ねた。

「受け入れたって、それはほんとなの!?」
「まあ・・・ね。シンジは、自分がはじめて人を好きになる相手はアスカだっ
て言ってくれたし・・・・」
「・・・・だから、信じられるのね・・・・?」
「うん・・・・」
「あたしもそんな言葉、掛けられてみたいなあ・・・・」
「鈴原なら大丈夫よ。あいつはああ見えて、結構やさしいとこあるから・・・」
「うん・・・・あたしだって知ってる。鈴原がそういう男の子だって・・・・」
「そうね。ヒカリは鈴原の優しいところが好きだったんだっけね。」
「うん・・・・でも・・・・・」

洞木さんは、急に言葉を詰まらせて、心配そうな表情を浮かべた。

「どうしたのよ?何かあるの?」

アスカも洞木さんの様子の変化に気付いて、心配そうな表情になる。

「・・・・鈴原、何だかちょっと変なの。」
「変って?アタシの目から見れば、ヒカリと鈴原の間はより近くなった様に見
えるんだけど・・・・」
「うん。それはあたしも感じる。鈴原はやさしいし・・・・」
「じゃあ、何なのよ?」
「・・・・・」
「アタシにも言えないの?」
「・・・ううん、違うの。あたしの思い過ごしかもしれないし・・・・」
「言ってみなさいよ。相談に乗ってあげるから。」

アスカがそう言うと、洞木さんは重い口を開いた。

「・・・・鈴原、もしかしたら綾波さんのことが好きなんじゃないかって思っ
て・・・・」
「まさか!?そんなことは有り得ないわよ。」
「でも・・・・」
「なにか思い当たることでもあるの?」
「うん・・・・」
「何?」
「最近の鈴原、あたしよりも綾波さんによく話し掛けてる気がするの。」

洞木さんが深刻な表情で言った言葉を、アスカは笑い飛ばした。

「そんなのヒカリの思い過ごしよ!!あいつは照れ屋だから、ヒカリに話し掛
けにくいって言うだけじゃないの!?」
「・・・・そうかなぁ・・・?」
「そうよ!!そうに決まってるわ!!」
「でも、あたしから見ても、綾波さんって近頃かわいくなって来たし・・・」
「レイが!?まあ、確かに以前よりはマシになって来たけど、あいつはシンジ
だけしか見てないじゃない!!」

アスカがそう言うと、洞木さんは真剣になってアスカに言った。

「人を好きになるって、そんな事は関係ないと思うの。」

アスカはその洞木さんの眼差しに少々たじろいで、おずおずと言葉を返した。

「た、確かにそうかもしれないけど・・・・」
「でしょ?綾波さんはかわいいもの・・・・あんなに人のことを真剣に好きに
なれるって、凄いと思わない?」
「あいつのは常軌を逸してるって言うのよ。シンジも少し閉口して来てるみた
いだし・・・・」
「でも・・・・」
「何よ?」
「鈴原、あのあたしたちが一緒に買い物に行った時、綾波さんに真っ白いジャ
ージをプレゼントしてあげたみたいだし・・・」
「そのこと!?鈴原だけじゃなく、相田の奴もレイにあげてたわよ。」
「うん。でも・・・・」
「ヒカリにはエプロンをくれたじゃない。気にすることないわよ。きっと鈴原
がレイのことをかわいそうだと思って、プレゼントしてやったのよ。」
「でも・・・・・」

アスカがこれほど言っても、洞木さんはなかなか安心した様子を見せなかった。
そんな洞木さんの様子を見たアスカは、ついと近寄ってこう言った。

「・・・・ヒカリ、もしかして嫉妬してるんじゃないの?」
「嫉妬?」
「そうよ。アタシが以前、シンジに近づく女全てが気に食わなかったように、
鈴原が近寄る女全てに、もしかしたら鈴原はこの女のことが好きなんじゃない
かって、思い込んじゃってるのよ。」
「・・・・・」
「だから、ヒカリの気持ちも分からないでもないけど、ほんと、思い過ごしよ。」
「・・・・・」
「そんなに気になるんだったら、鈴原に聞いてみたら?レイのことが好きなの
かって?」

アスカがそう提案すると、洞木さんはちょっと恥ずかしげな顔をして、アスカ
に答えた。

「そ、そんなこと・・・・出来る訳ないじゃない。」
「じゃあ、いっそのこと、告白してみたら?あの時だって、ほっぺたにキスを
しただけで、結局好きだとはひとことも言ってないんでしょう?」
「う、うん・・・・」
「告白して、男を縛るのよ。シンジはなかなか屈しなかったけど、鈴原ならヒ
カリに対して満更でもないようだから、きっと受け入れてくれるわ。そうして
しっかりと結論を出してしまえば、公然と難詰も出来るじゃないの。」
「それはそうかもしれなけど・・・・・」
「あいつの告白なんて、いくら待ったって無駄よ。全く最近の男と来たら、受
け身ばっかりでだらしがないんだから・・・」

アスカは自分の経験からか、熱を込めてそう言った。洞木さんはアスカから提
案されたことをじっくり考えているようだったが、しばらくして、結論が出た
のかアスカに向かって言った。

「わかったわ。あたし、鈴原に告白してみる。」



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