私立第三新東京中学校

第百二十二話・戦慄


「結局アンタは自分のうちに帰らずに、ここに泊まっていった訳ね?」

ミサトさんが食後のお茶をすすりながら、加持さんに向かって言う。
今朝はちょっぴりごたごたしていたものの、起きるのが比較的早かったという
こともあって、僕たちは食後のお茶を楽しむ時間的余裕すらあった。

「・・・そういう事になるな。」

加持さんは熱い緑茶の入った湯のみを手にして、湯気であごを湿らせながら、
気持ちのこもらぬ声でミサトさんに答えた。ミサトさんは、そんな加持さんの
様子を見ると、ちょっと腹を立てたのか、加持さんに向かって非難の声を浴び
せる。

「じゃあ、どうしてアタシを起こしてくれなかったのよ!?アタシだけのけ者
にして・・・・」

すると、加持さんは大人の貫禄を見せて、ミサトさんの怒りを受け流した。

「いや、葛城が気持ちよさそうに眠ってたから・・・・」
「・・・・・」
「だから、起こすのも何だか気が引けてさ。悪かったよ、起こさないで。」

ミサトさんは、加持さんの言葉を聞くと、ちょっと顔を赤らめた。そして、そ
んな自分の気持ちをごまかすかのように、加持さんに向かって大き目の声で言
った。

「も、もういいわよ、そんなこと!!それよりアンタ、これからどうすんのよ?
アタシもシンジ君達も学校に行っちゃうけど・・・・」

すると、加持さんはちょっと冗談めかした顔をして、ミサトさんに答えた。

「いや、俺も今日から第三新東京中学の教師だから・・・・」
「え!?何ですって!?」

ミサトさんは大きな声を出して驚いた。もちろん僕もアスカも驚いたが、ミサ
トさんの驚きにはかなわなかった。しかし、そんなミサトさんの驚きをよそに、
加持さんは平然とした顔をしてミサトさんに繰り返した。

「だから、俺も今日から第三新東京中学の教師になるんだよ。理事長にずっと
頼んでたんだが、ようやく許可が下りたって訳さ。ま、これから同僚としてよ
ろしくな、葛城。」
「ど、どうしてそんな大事なことを今まで黙ってたのよ!?」
「いや、昨日の夜に言おうとしたんだが、葛城がビールを飲みまくるもんだか
ら、つい機会を逸してしまって・・・・・済まなかった。」

ミサトさんは、加持さんが今までそのことを言わなかったのが、自分のお酒の
せいだと知ると、何も言い返せなくなってしまった。
そこで僕は、ミサトさんが黙っている間に、疑問に思ったことを尋ねてみた。

「ところで加持さんは、何の科目を教えるんですか?」
「体育だよ。俺は頭を使うより、身体を動かしている方が好きだから。」
「そうですか・・・・」

僕が取り敢えず納得して言葉を収めると、今度はアスカが加持さんに身を乗り
出して尋ねた。

「ねえねえ、加持さん!!加持さんが教えるのは男子、それとも女子!?」
「残念ながら男子だよ。冬月校長が俺の女好きを知ってて、邪魔でもしたのか
な?」

加持さんは冗談めかしてアスカに答えた。そして、女好きという言葉にピクッ
と来たミサトさんに向かって、すぐさま対応した。

「冗談だって、葛城。俺が好きなのは、大人の女だけだよ。そう、葛城みたい
な・・・・」

すると、ミサトさんはまた顔を少し赤くして、大きな声で加持さんに言った。

「あ、朝っぱらから馬鹿なこと言ってんじゃないわよ!!アンタって男は・・・・」

ミサトさんは口ではこう言っていたが、加持さんのことが好きなんだというこ
とは、僕やアスカなどには見え見えだった。こういう口を利きながらも、お互
いの想いを感じあっている姿というのは、まるで僕とアスカの関係を見ている
ようで、何だか微笑ましかった。
僕がそう思ってアスカの方に視線を向けると、アスカもまさに僕と同じ事を思
っていたようで、僕の方を見ていた。それで僕とアスカはちょっとした微笑み
を交わすと、お互いの気持ちが通じ合っているのを感じて、ちょっぴりうれし
くなった。


ピンポーン!!

それからしばらくして、玄関のチャイムが鳴った。
きっとトウジ達が迎えに来たのだろう。僕とアスカ、そして綾波は、三人揃っ
て鞄を手にすると、ミサトさんと加持さんを置いて玄関に向かった。

「おはようさん、シンジ!!」
「おはよう、トウジ。今日も元気だね。」
「あったりまえやないか。わいは毎日元気やで!!」

トウジは毎朝元気だ。いつも迎えに来る時は一番先に顔を見せるし、僕が挨拶
をする相手も、トウジが一番最初だ。
そこのところはいつもと変わらなかったのだが、一つだけ違う事があった。

「・・・おはよう、シンジ君。今日もいい天気だね。朝から君の顔が見れてう
れしいよ。」

渚さんだ。どうやら僕たちと一緒に登校しようとでも思ったのか、トウジ達と
一緒に僕たちのマンションの玄関先に顔を覗かせた。
そして僕がちょっと疑問に思ったのが顔に出たのか、洞木さんが僕に向かって
すぐさま説明してくれた。

「渚さんが昨日、あたし達と一緒に学校に行きたいって電話をかけてきたのよ。
そういう訳で、今日渚さんがこうしているんだけど・・・・
「別に構わないだろ、シンジ君?」

洞木さんの言葉を継いで、渚さんが僕に向かって尋ねた。

「う、うん。僕は別に構わないけど・・・・」

僕がそう言うと、後ろのアスカと綾波に目をやった。
アスカははっきり言って不満そうな顔をその表情に隠し切れずにいたのだが、
それでも渚さんを拒絶する訳にも行かないと見て、しぶしぶ了承した。

「・・・アタシだって、シンジがいいなら別に構わないわよ。」

アスカは渚さんの方を見ずにそう言ったのだが、アスカの言葉を聞いた渚さん
は、喜んだ様子を見せてアスカに言葉を返した。

「ありがとう、アスカさん。僕は君が僕を受け入れてくれてうれしいよ。」

そして、渚さんはアスカの手を取って握り締めてたりする。それに気付いたア
スカは、その手を振り払おうとしながら渚さんに言った。

「ちょっと、離しなさいよ!!気色悪い・・・・」
「どうしてだい?別に手を握ったって構わないじゃないか。」

渚さんが自分が悪いことをしたという自覚を全く見せることなくそう言ったの
で、アスカは大きな声を出して渚さんに言った。

「よくないわよ!!手を握ったって構わないっていうのはアンタの個人的な見
解であって、アタシは女と手を握り合うような趣味は持ち合わせていないのよ!!」
「じゃあ、シンジ君とならいいのかい?」
「そうよ!!悪い!?」

アスカは、自分と僕が手を握り合っても構わないという意味で、渚さんの言葉
を捉えていたのだが、実は渚さんはそういう意味で言ったのではないらしく、
いきなり僕の手を取って握り締めた。

「ちょ、ちょっと、渚さん!!」

僕はびっくりして渚さんに言う。アスカも渚さんの行動を見て、大きな声をあ
げた。

「ちょっとアンタ何やってんのよ!!アタシは代わりにシンジの手を握れとは
言ってないわよ!!」

アスカは渚さんにそう言ったが、それとほとんど同じに、横からするりと手が
伸びて、いきなり渚さんの手首をつかみあげた。僕がその手の出てきた方向を
目でたどると、そこには厳しい表情をした綾波の姿があった。

「碇君から手を離して!!」

綾波の行動は直接的だった。綾波と渚さんを除いた周りの僕達は、そんな綾波
の様子に驚いていて、声も出せなかった。
そして、渚さんの手首をつかんだ綾波の手は、その込めた力の強さがはっきり
と分かるほど、小刻みに震えていた。渚さんは、そんな綾波に対して抵抗する
でもなく、言葉を返すでもなく、ただじっと穏やかな表情で綾波を見つめてい
た。そして綾波も、そんな渚さんの不思議な凝視に対して、一歩も退かずにそ
の真紅の瞳で力強い視線を返していた。

辺りはまるで凍り付いたかのように、緊張が走った。全てが硬直してしまい、
身動き一つ出来なかった。時は止まったかに見えたが、それもほんの数瞬の間
のことで、渚さんは目を伏せると、僕の手を離して綾波に言った。

「・・・・わかったよ。シンジ君の手は離すから、君も勘弁してくれないかい・・・?」

渚さんが矛を収めると、綾波は黙って渚さんの手首を放した。綾波がつかんで
いた渚さんの手首は、真っ赤になってしまっていた。渚さんはその手首を反対
の手でさすりながら、再び綾波の方に視線を向けた。
綾波は渚さんが引き下がっても、全く気を許した様子を見せていなかった。そ
して、また渚さんと目が合うと、まるで敵意をぶつけるような眼差しで、渚さ
んの紅い瞳を見つめた。しかし、渚さんの方はそんな綾波に対して穏やかに微
笑みながら、こう声をかけた。

「済まなかったよ。つい、君の気持ちも考えないでシンジ君の手を握ってしま
って・・・・」

すると、綾波も堅く閉じていた口を開いた。

「・・・・私の気持ちなんて関係ないわ。あなたが碇君に触れること事態、許
されざることなの。碇君たちが認めているから、あなたがここにいることだけ
は認めてあげるけど、あなたがそれ以上のことをしようとした場合は、私は遠
慮なくあなたを阻止するわよ。」

綾波の言葉は、完全に敵に対するもののそれだった。
僕はそれに気付くと戦慄を覚えたが、それを打ち消すかのように渚さんが綾波
に言った。

「・・・厳しいんだね。わかったよ。もう、君の気持ちを逆なでするようなこ
とは、しないようにするよ・・・・」

そう言う渚さんの様子は、何だか悲しげで、僕はちょっとかわいそうだと思っ
た。しかし、綾波が渚さんに敵意を抱くのは、もう僕にも止められない様子で、
綾波の渚さんに対する姿勢はかたくななものであった。
アスカだって、渚さんを完全に受け入れたとは言い難いが、それでも何とか敵
意を見せることはないし、僕だって、渚さんがそんなに悪い人ではないと思っ
ている。
だから、僕は綾波と渚さんに仲良くして欲しかった。渚さんがすることも、別
に悪気があってしていることでもなさそうだし、僕は迷惑に思うことがあって
も、それほど目くじらたてるほどのことではないと思っている。
きっと、綾波には綾波の考えというものがあるのだろうが、それが僕にはっき
りと理解出来ない以上、綾波の態度を受け入れる訳にも行かなかった。しかし、
今の綾波には、僕のとりなしすらも受け入れそうな気配は感じさせなかった。
だから、僕は何も言えずにいた。
そして、長い沈黙が辺りを駆け巡ったのであった・・・・


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