私立第三新東京中学校

第百二十一話・すれ違いそして重なりあう心


「あれ、加持さん!?」

アスカの髪の手入れを終えて、二人で綾波を手伝いに来た僕たちが目にしたも
のは、椅子に腰掛けている加持さんの姿だった。

「昨日はここに泊まっていったんですか!?」

僕は加持さんに尋ねる。昨日はみんな加持さんが帰るのを見届ける前に早々に
寝てしまったのだ。僕は加持さんが自分のうちに帰るものだとばかり思ってい
たので、びっくりしてしまったのだ。

「ああ。無理に自分の家に帰ることもなかったしな。」

加持さんはそのことについて、大して気にしていない様子で僕に返事をした。
しかし、僕はお客さんたる加持さんをリビングのソファーに寝かせておいたと
知って、平然とした態度ではいられなかった。

「言ってくだされば、布団を出しましたのに・・・・申し訳ありませんでした。」
「いや、俺はソファーで寝るのには慣れているから・・・」
「でも・・・・」

僕は納得した様子を見せなかったが、それを横で聞いていたアスカが僕に言っ
た。

「加持さんがいいって言ってるんだから、そんなに気にしなくていいのよ。気
にする方が、加持さんに悪いと思わない?」

アスカの言葉を聞くと、加持さんがそれに賛成して言った。

「アスカちゃんの言う通りだよ、シンジ君。本当に気にしてくれない方が、俺
としては助かるから・・・・」
「・・・わかりました。じゃあ、その代わりと言っては何ですけど、おいしい
朝食をごちそうしますね。」

僕はそう言うと、台所にいる綾波のことを思い出して、そっちに視線を向けた。
綾波の様子は、後ろ姿を見た限りにおいては、普段と全く変わりはなかった。
しかし、僕たちと別れた綾波の様子は、普通とはちょっと違っていたので、僕
は綾波の様子を見に行くことにした。

「・・・綾波・・・手伝おうか?」

僕は綾波の後ろから静かに声をかける。すると、綾波はゆっくりと振り向くと
僕に返事をした。

「ううん、碇君は座って待ってて。私一人で出来るから・・・」
「でも・・・・」
「お願い、私にやらせて・・・・」

綾波の目は、僕の心に訴えかけるものがあった。僕はなぜ綾波がそこまで一人
でやろうとするのか理解出来なかったが、ここのところはおとなしく引き下が
ることにした。

「わかったよ、綾波。じゃあ、僕はおとなしく待ってることにするから。」
「ありがとう、碇君・・・・」
「それより、大変だったら言うんだよ。すぐに手伝うから。」
「うん・・・・」

こうして、僕は綾波一人を残して、アスカと加持さんのところに戻った。する
と、早速アスカが僕に話し掛けてきた。

「・・・レイの様子、どう?」
「うん。やっぱりちょっと変だね。何が変なのかはよくわからないけど・・・・」
「やっぱりシンジが変な事言ったんじゃないの?自分自身では気付かないこと
でも、知らず知らずのうちに人を傷付けてることって、結構あるんだからね。」
「わかってるよ。でも、僕にはそんなこと思い浮かばないし・・・・」

僕がそう言うと、アスカは何かを思い出したような顔をして、急に僕に尋ねて
きた。

「そう言えば・・・・」
「なに?」
「シンジ、アンタアタシが部屋に入ってきた時、何やらレイの肩を叩いてたじ
ゃない。あれは何だったの?アタシにはおかしな事に映ったんだけど・・・」

僕はアスカのその言葉で、ようやくそのことを思い出して、返事をした。

「ああ、あれ?あれは・・・綾波が僕を疑ってくれたんで、それでうれしくな
ってつい肩を叩いちゃったんだよ。別に、アスカが変に勘ぐるようなことは、
何もしてないからね。」

僕としては、そういう方面でアスカが僕に聞いてきたのだとばかり思っていた
のだが、どうやらそれは僕の早とちりのようで、アスカは何か疑問に思ったの
か、僕にこう尋ねてきた。

「その、疑ったからうれしくなったって言うのは何なのよ?アタシには何のこ
とだかさっぱりわかんないんだけど・・・・」
「つまり、綾波はあのアスカの髪をやるとか言う話の時、僕がいい加減なこと
を言って話をごまかすと思ってたんだよ。で、実際はそんなことはなかったん
だけど、僕はとにかく綾波がそういう感情を持ってくれたって言うことがうれ
しくって・・・・」
「どうしてうれしいのよ?普通だったら、自分を疑われたと思って、怒ってし
かるべきなんじゃないの?」
「確かにそうかもしれないけど、綾波はどっちかって言うと、僕の言うことな
ら何でも信じて疑わないようなところがあったじゃない。だから、綾波がそう
いう信仰みたいなところがなくなったんだと思って、それでうれしくなっちゃ
ったんだよ。」

僕がアスカに向かってそう言うと、さっきから横で僕たちの話を黙って聞いて
いた加持さんが、僕に向かって言った。

「シンジ君の気持ちも分からなくはないが、ここはアスカちゃんが感じた事の
方が正しいんじゃないか?」
「・・・どういう事ですか?」
「つまり、レイ君はシンジ君を疑ってしまった自分を恥じているんだよ。シン
ジ君にとってはそんな事はどうでもいい事であって、日常茶飯事のことなのか
もしれないが、シンジ君を今まで信じて疑わなかったレイ君にとっては、それ
はどうしても許されざることなんだ。俺の言ってること、わかるかい?」
「・・・・なるほど。言われてみれば、そうですね。全然気がつきませんでし
た。」

僕がそう言うと、アスカは呆れたような口調で僕に言った。

「アンタってば、ほんっとに、どこか抜けてるのよね。変なところは妙に気が
回るくせに、普通なら気付くことが全然気がつかないこともあるんだから。」
「・・・・」

僕はアスカの言葉にちょっとむっとしたが、しかし、アスカの言っていること
は正しいことであったので、僕は何も反論出来ずに黙っていた。すると、アス
カも自分がちょっと言い過ぎたのに気付いたのか、僕にやさしい顔を見せてこ
う言ってきた。

「レイに言ってあげたら?もう気にしなくていいからって。」
「・・・・うん、そうする。」

僕は、小さな声でアスカにそう返事をすると、腰を上げて綾波のところに向か
った。

「・・・・綾波?」

僕はまた、綾波に声をかける。すると、綾波はさっきと同じ様な感じで振り向
くと、僕に言葉を返した。

「・・・何、碇君?」

僕は、加持さんに聞かされた言葉で、綾波がどうしてこういう表情をしている
のかが、ようやく理解出来た。そして、改めて綾波の気持ちを知ると、僕は自
分の無神経さが嫌になった。僕は綾波が苦しんでいる側で、自分勝手に喜んで
いたのだ。
僕はそう思うと、綾波を慰めるつもりだったのが、思わず謝ってしまった。

「・・・ごめん、綾波。僕、綾波の気持ちに全然気がつかなくって・・・・」

しかし、綾波はどうして僕が急に謝っているのかがわからなくて、不思議そう
に僕に尋ねた。

「・・・・どうして謝ったりするの?謝らなくちゃいけないのは、碇君でなく
私の方なのに・・・・・」
「僕は綾波が苦しんでるって気付かないで、一人で喜んでいたんだ。綾波がま
た、人間らしくなったんだって・・・・」

僕がそう言っても、綾波はまだよくわかっていないようで、首をかしげると、
僕にもう一度尋ねた。

「・・・・どういうこと?私が人間らしくなったって・・・・」

僕はわかっていない綾波に、やさしく教えてあげた。

「疑いの心っていうのも、人は持っているものなんだよ。何もかも、いいもの
ばかりを持ち合わせているのが人間って言う訳じゃないんだ。人は疑いもすれ
ば、憎しみもする。しかし、そういうのも持ち合わせてこそ、人間って言える
んだよ。」
「・・・・・」
「僕の見た限りにおいては、綾波にそういう部分はなかった。そう考えると、
綾波が自分が堕落したって思うのもおかしくはないけど、僕はそんな風には思
いたくないな。僕としては、むしろそれは綾波が人間により近づいたことだっ
て思いたいよ。」

綾波は、僕の言葉を聞いても黙っていた。僕の言っていることは、綾波には理
解出来たに違いない。しかし、綾波は何も言えなかった。

理性と感情が反発しているんだろうか?
客観的に見れば、僕の言っていることは正しいのかもしれないが、綾波の感情
からすると、その相手が何より僕だったということが許せないのだろう。
今となっては綾波にとって僕の存在というのは不可侵の存在であった。信じき
っていたはずの僕の父さんを切り捨てた今、僕の存在というのは綾波にとって
一筋の光明にも似たものだったのかもしれない。

そんな風に、僕は綾波の心の中の葛藤を考えると、やさしい言葉をかけずには
いられなかった。

「・・・・綾波の気持ちも分かるよ。だけど、そんなに自分を責めないで。僕
は自分で自分を責めている綾波なんて、見ているのは辛いから・・・・」
「・・・・碇君・・・・」
「綾波は何も悪くないよ。そもそも、いつもいい加減なことばかり言って、そ
の場しのぎをしてきた僕が悪いんだ。それじゃあいけないって気付きながらも、
僕は全てから逃げ続けてきたんだから・・・・」

僕がそう言うと、綾波は顔を上げて、僕の目を見つめて言った。

「・・・・碇君は悪くない。碇君は、私にやさしくしてくれたじゃない。今ま
で誰も、私に見向きもしてくれなかったのに・・・・」
「でも・・・・」
「碇君は私に真剣に接してくれた。私にはわかる。碇君が言うように、碇君は
いい加減な人じゃないって・・・・」
「綾波・・・・」
「碇君は悪くないから、そんな事は言わないで。私のせいで、また碇君の重荷
を増やしたくはないから。ただでさえ私は、碇君の重荷になっているって言う
のに・・・・」

綾波の言葉は、僕への思いやりに満ちていた。しかし、やはりどこか今までの
綾波と違うような気がした。そもそも、綾波は僕の重荷のことなんて気付いて
いたのだろうか?僕はその事に気がつくと、改めて綾波が成長していることを
感じた。ほんの短い間のことなのに、人との共同生活というのは、こんなにも
綾波を変えるものなのだろうか?
僕はそう思うと、綾波がここに来たことによって色々問題は生じたけれど、僕
についてはともかく、綾波にとっては100%プラスになっていると思った。

「・・・・わかったよ、綾波。僕も自分を責めない。だから綾波も、自分を責
めたりしないで。」

僕は綾波に向かってそう言う。すると、綾波は少しはにかみながら僕に返事を
した。

「・・・・うん。私も、もう自分を責めたりなんかしない。碇君を苦しめたく
はないから・・・・」

僕は綾波の言葉を確かめると、微笑みながらこう言った。

「・・・・手伝おうか、料理?」

すると、綾波は微笑みながらうなずいて答える。

「・・・うん。お願い、碇君!!」

そして、僕と綾波は一緒に朝食の準備をした。僕は心から、綾波が元気を取り
戻して、よかったと思った。
僕の心無い言葉から、綾波を傷つける結果になったけれど、この事によって、
一層綾波が人間らしさを身につけていったのではないだろうか?

いろいろすれ違いもあるけれど、心から話し合えば、きっと必ず分かり合える。
僕はそう思うと、何だか久しぶりに明るい気持ちにさせられた。僕はこの共同
生活に不安を持っていたけれど、案外うまく行くかもしれない。
僕と、アスカと、綾波とで・・・・・


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