私立第三新東京中学校

第百十八話・疑い


・・・・・・ギィ・・・・

ドアがゆっくりと開かれる。そして・・・・

「レイ!!アンタ、どうしてここにいるのよ!?」

僕は、大きな叫び声で目を覚ました。すると、僕の目の前には横を向いた綾波
の顔が・・・・

「あ、綾波!?」

僕はびっくりして声をあげた。すると、綾波は僕が目を覚ましてしまった事に
気付き、ひとこと言う。

「あなたのせいで、碇君が起きちゃったじゃない・・・・・」

そして、僕が綾波の視線の先に目を向けると、そこにはドアのところに立って
いるアスカの姿があった。

「ア、アスカも!?どうして僕の部屋にいるの・・・・?」

僕は起き抜けで、まだ事情が把握出来ていない。アスカは僕の問いかけに対す
る答えよりも先に、綾波に向かって責めの言葉を発した。

「そんな事は関係ないでしょ!!それより、アタシはどうしてアンタがここに
いるかを聞いてんのよ!!」

綾波は、朝早くからのアスカの大声にも全く動じた様子を見せずに、淡々とし
た口調でアスカに答えた。

「私、碇君を起こしてあげようと思って・・・・」

綾波の答えは、僕にはそれほどおかしなものでなく、正当性を十分に持ったも
のに感じられたが、アスカは納得せずに叫んだ。

「シンジを起こすって、今何時だと思ってんのよ!?まだ朝の5時よ、5時!!」

僕は、アスカの言葉を聞くと、びっくりして部屋に時計に目を走らせる。確か
にアスカの言う通り、時計の針は5時を少しまわったところ辺りを指していた。
一方、アスカに時間について言われた綾波は、やはりうろたえることなくアス
カに言葉を返す。

「・・・わかってるわ、そのくらい。」

綾波の返事を聞くやいなや、アスカは自分の推測を口に出した。

「アンタ、もしかしてアタシに見つからないようにシンジを起こそうとしたん
でしょ!?しかも、昨日みたいにキスで!!」
「・・・・・」
「・・・図星のようね。全く油断も隙もないわ。」

綾波がアスカの指摘に口を閉ざしてしまうと、アスカは自分の推測が正しかっ
た事を悟ったかのように、綾波に言った。すると綾波は、そんなアスカに向か
ってひとこと尋ねる。

「・・・・じゃあ、あなたはどうして私と同じ時間にここに来たの?」

アスカは綾波のその突っ込みに対して、うろたえた様子を隠し切れずに、綾波
に言った。

「そ、そんな事アンタには関係ないでしょ!!」
「・・・私は駄目で、あなたはいいって言うの?」
「そ、そうよ。」
「・・・・あなたも碇君を起こしに来たのね?」
「わ、悪い?アタシにとっては、日常生活の一部なのよ。」

アスカはそう言った。しかし、僕はそれが嘘である事を知っていた。アスカが
僕を起こすのではなく、僕の方がアスカを起こしているのだ。しかし、僕はこ
こでアスカに対して突っ込みをいれるのはまずいと思ったので、おとなしく口
を閉ざしていた。
そして綾波は、更にアスカに対して質問を続ける。

「・・・・こんな朝早くに?」

さっきアスカが綾波に言ったのと似たような内容だったが、綾波の場合、何だ
か尋問しているように感じるのは気のせいだろうか。アスカも綾波の言葉に圧
迫感を感じているようで、強がっていた態度も少し崩れ始めた。

「そ、そうよ。アタシには、やらなくちゃいけない事があるから・・・・」
「キス?」
「ち、違うわよっ!!アタシをアンタと一緒にしないでくれる!?」
「じゃあ、何?」
「そ、それは・・・・」

アスカも綾波の容赦無い問い詰めにたじたじだ。僕はアスカもこれで終わりか
と思ったが、何かを思い付いたのか、急に勢いを取り戻して、元気に綾波に答
えた。

「そ、そう!!髪よ、髪!!」
「髪?」
「そう。アタシは毎朝シンジに髪の手入れをしてもらってるのよ。昨日は寝坊
しちゃってやってもらう暇が無かったけど、毎朝欠かさずしてもらってるんだ
から。」

アスカの言葉を聞くと、綾波は僕に尋ねてきた。

「・・・本当の事なの、碇君?」

一瞬、僕はどうしたら良いものかと考えてしまった。アスカの髪を毎朝やると
いう事を約束したのは事実だ。でも、それを実行したのはおとといの一度きり
で、僕も忘れてしまっていたし、アスカも忘れていた事だろう。現にアスカも
今こうしてやっと思い出したみたいだし。
毎朝欠かさずというのを通すには、ちょっと無理があると思うのだが、アスカ
の言っている事はおおむね正しいと思われるし、アスカを思うと僕は否定など
出来なかった。

「・・・本当だよ、綾波。」

僕の答えを聞いた綾波は、一瞬その顔を強ばらせた。一方アスカはというと、
自慢げな態度をあらわして綾波に言う。

「そういう事なのよ!!わかった!?だから、アタシにはここに来る正当な理
由があるの。アンタとは違うのよ、レイ。」
「・・・・・」

綾波は、アスカの言葉に何も言い返せず、黙ってしまった。僕はそんな綾波を
見て、ちょっとかわいそうに思った。アスカも、昨日の夜僕に言ったのを忘れ
てしまっているかのように、ちょっと綾波にきつく当たりすぎていると感じた
ので、僕は綾波に心配そうな視線を投げかけた。
すると、それに気付いた綾波は、僕の方を向くと、じっと見つめてこう言って
きた。

「・・・・碇君・・・・私も、あの人と同じように・・・・」
「あ、綾波?」
「碇君・・・・」

僕はその綾波の訴えかける姿に、ちょっとたじたじになってしまった。そして、
そんな僕と綾波の様子を見たアスカは、綾波に向かって言った。

「ちょっと!!アンタとアタシの髪は違うでしょ!?アタシの髪は長いけど、
アンタの髪は短いから、簡単にさっと出来るじゃない!!」

アスカの言葉を聞いた綾波は、アスカに向かって言う。

「・・・・簡単にでもいいの。碇君が私の髪に触れてくれれば・・・・」

アスカは墓穴を掘った。これで、綾波も僕に髪をやってもらわなければならな
くなったのだ。

「く・・・・仕方ないわ。いいわよ。時間はたっぷりあるんだし、アンタもシ
ンジにやってもらえば!?」

すると、綾波はぱっと顔を輝かせて、元気に僕に尋ねてきた。

「碇君、私にもしてくれる?」
「う、うん。別に僕はいいけど・・・・・」
「・・・ありがとう、碇君。私、うれしい・・・・」

綾波は感激している。僕はそんな綾波を見やりながら、アスカの方に視線を向
ける。すると、さっきとは裏腹に、アスカはそれほど悔しそうな表情は見せて
いなかった。僕は疑問に思っていたが、アスカは僕の視線に気付くと、僕の目
を見て一度微笑んでから、綾波に向かって言った。

「じゃあ、道具を取ってくるからちょっと待ってなさいよ!!」

アスカはそう言って、僕の部屋を出ていった。僕は、アスカのさっきの態度を
見て、僕が感じたほどアスカは綾波にむげにきつく当たっていたのではない事
を悟った。それは、アスカなりの心遣いであったのだ。まあ、アスカもはじめ
からそのつもりではなかったとは思うが、それでもとても僕には真似の出来な
い芸当だった。そして、僕はそんなアスカを心強く思っていた。

ほんの少しの間だけ、綾波と僕は二人きりになった。僕はアスカの事を考えて
いたので、その事に気付いたのは綾波が先だった。

「碇君・・・?」

綾波は小さな声で僕に声を掛ける。僕はそれが耳に入ると、アスカの事から頭
を現実に戻して、綾波の方に顔を向けた。

「何、綾波?」
「・・・・あの人の言ってた事・・・・ほんと?」
「え・・・?」
「・・・碇君が、毎朝あの人の髪を手入れしていたって・・・・」

綾波は、僕がアスカの事を気にして本当の事を言えなかったと思っているのだ
ろうか?そういう事は、綾波にははじめての事のようにも思えた。僕はそんな
綾波に対して何と答えようかと思ったが、嘘をつくのが下手で、しかもそうい
うのが嫌いな僕は、本当の事を綾波に話す事にした。

「うん。でも、始めたのがおとといの事だから、結局一度しか実行してないん
だけど・・・・」

綾波は僕の答えを聞くと、晴れ晴れとした顔をさせて僕にひとこと言った。

「よかった。」

そして、僕はそんな綾波に向かって、思わず聞き返さずにはいられなかった。

「どうして?」

すると、綾波はうれしそうな顔をしながら僕に答えた。

「だって、それなら私もあの人とそれほど変わらないから。それに・・・・」
「それに?」
「それに、碇君が本当の事を言ってくれてたんだってわかったから・・・・」
「・・・・綾波は・・・僕の事を疑ってたの?」

僕は、自分の予測のようなものがはっきりとしたという驚きと、それによる一
抹の寂しさを感じながら、そっと綾波に尋ねた。すると綾波は、僕の言葉には
っとする。そして、誰に言うでもなく、声を発した。

「・・・・疑う・・・・私が?」
「う、うん。違う?」
「・・・・これが・・・・疑うっていう事なの?私は碇君の事を・・・絶対に
信じているはずの碇君を、疑っていたというの?」
「・・・そうだと思うよ。」
「ごめんなさい・・・・私・・・・・」

綾波は自分を責めていた。知らず知らずの内に、絶対の存在であった僕の事を
疑っていたのだから。それは綾波にとっては許されない事であった。僕にはそ
のことがわかっていただけに、綾波が苦悩しているということを知り得た。し
かし、それでも僕にはその大きさというものはとても把握出来るものではなか
った。少なくとも僕は、人を疑うという事を知っているのだから。
でも、その意味では綾波は清らかだった。純粋無垢の天使のような美しさがあ
った。しかし、それは今、世俗の垢にまみれつつあった。綾波はそんな事を考
えた事はなかっただろうが、それは今の世の中に見られるものではなく、それ
だけに貴重であった。
だが、僕はそれを敢えて知りながらも、そんな綾波をうれしく思っていた。綾
波はまだ気付いていなかったが、それは人間らしくあるためには欠かせぬもの
であったからだ。僕は沈み込んでいる綾波に向かって、手を差し伸べると、微
笑みを浮かべながらやさしくその肩をたたいてやった。

「・・・碇君・・?」

綾波は驚いて声をあげる。しかし、僕は黙ったまま、綾波の肩に手を乗せて微
笑み続けていた。そんな僕の姿を見た綾波は、不思議そうな顔をして、僕の事
を見つめ続けていたのであった・・・・


続きを読む

戻る