私立第三新東京中学校

第百十四話・ひとつの選択


「ただいまー!!」

ミサトさんの声だ。今日のミサトさんの帰りはなかなか早かったようだ。僕た
ちは、僕が二人の交互に食べさせられていて、それがそろそろなくなるかとい
う頃だった。

「おかえりなさーい!!」

僕はミサトさんに聞こえるように大きめの声でそう言う。すると、ミサトさん
は僕が出迎えに行くよりも早く、僕の部屋に入ってきた。そして、この光景を
見て一言尋ねてきた。

「どうしたの、シンちゃん?風邪?」
「違いますよ。僕は何でもないんです。」

僕がミサトさんに答えると、アスカがミサトさんにこう言った。

「シンジはちょっとお疲れのようだから、アタシとレイが手ずからシンジに食
べさせてあげてたのよ。わかるでしょ?」

ミサトさんはアスカの言葉を聞くと、僕たち三人をじろりと見まわしてから、
自分の意見を述べた。

「へぇ・・・・アスカはともかく、レイがねえ・・・・・」
「・・・・碇君が・・・・好きだから・・・・」
「あらま、ぬけぬけと言うわね。シンちゃんもモテモテでいいわねえ。」

ミサトさんはからかうような目で僕にそう言う。すると僕は困った顔をして、
ミサトさんにこう言った。

「やめてくださいよ、ミサトさん。これでも結構苦労してるんですから。」

僕がそう言うと、ミサトさんの後ろの方から声がした。

「それは贅沢な悩みだな、シンジ君。」

それは加持さんだった。加持さんはミサトさんの後ろからこっちに顔を出して
見せた。

「加持さん!!」
「お邪魔させてもらうよ、シンジ君。」

加持さんが僕にそう言う。すると、ミサトさんは僕に向かって事情を説明した。

「今日、珍しく加持を捕まえたもんだから、無理矢理うちに連れてきたのよ。
全く最近は付き合いが悪くて・・・・・」

ミサトさんはぶつくさこぼしていたが、やっぱり加持さんが来るとうれしいよ
うだ。心なしかミサトさんの顔も生き生きとして見える。僕はそれを見て思わ
ず顔をほころばせると、それを見た加持さんが僕に向かって言う。

「結構元気そうじゃないか、シンジ君。なら、今日は俺のためにその腕を振る
ってもらえるのかな?」
「あ、もちろんですよ。僕は元々何でもなかったんですから。」

僕がそう言うと、それを聞いたアスカがすぐさま僕に言った。

「駄目よ、シンジは疲れてるんだから。アタシとレイが代わりに作るから、シ
ンジはゆっくりしてて。」
「でも・・・・」
「いいから!!レイ、行くわよ!!」

アスカはそう言うと、僕たちを残して部屋を出ていった。綾波も、ほとんど空
になった土鍋の載ったお盆を手に持って、アスカに続いて部屋を後にした。二
人が出て行くと、ミサトさんが僕と加持さんに向かって言う。

「じゃあ、アタシも着替えてくるとしますか。シンちゃん、こいつの相手、よ
ろしくね。」
「おいおい、こいつって言い方はないだろ、葛城。」
「こいつよ!!こ・い・つ!!」
「参ったな・・・・シンジ君、大きくなったら、女は選んだ方がいいぞ。でな
いとこういう目にあう・・・・」
「アンタが付き合い悪いからいけないんでしょ!!もう少しアタシに時間を割
いてくれたっていいじゃないの・・・・」
「わかったわかった。だからこうして今日、ここに来てるんだろ・・・・」
「わかればいいのよ、わかれば。じゃあ、おとなしく待ってなさいよ!!」

ミサトさんは大きな声でそう言うと、ようやく加持さんを解放して、僕の部屋
を出ていった。すると加持さんはほっとした顔をして、僕に向かって言った。

「わかるだろ、俺の気持ち?」
「わかりますよ。でも、ミサトさんの事、好きなんでしょう?」
「ああ。俺にはあいつしかいないからな。なんだかんだいっても、俺のために
泣いてくれる奴は、あいつしかいないんだし・・・・・」
「・・・・・」
「・・・シンジ君は大変だな。」

僕が黙って加持さんの話を聞いていたら、加持さんは真面目な顔をして僕に言
ってきた。僕はそれを聞くと、取り敢えず加持さんに聞き返してみた。

「どうしてですか?」
「俺には葛城一人だ。でも、シンジ君には二人いる。」
「ええ・・・・」
「だから、シンジ君は疲れているように見えるのかな?」
「・・・・そうかもしれません。」
「そうか・・・・」
「僕、そんなに疲れて見えますか?」
「まあな。少なくとも中学生の顔じゃないな。」
「・・・・」
「しかし、それは男の顔だ。君も子どもから、大人になりかけているんだよ。
様々な責任を持つ様になって・・・・・」
「責任・・・ですか?」
「そうさ。シンジ君、君はあの二人に対して責任を感じていないかい?」
「・・・・感じています。」
「それが、大人の辛さって奴さ。でも、君にはまだちょっと早すぎるんだろう。
だから、それが負担にしか感じなくなっている。」
「そんな事ないですよ。」
「本当かい?」
「本当・・・・だと思います。」
「なら、君は無理をしすぎているんだな。もう少し楽に考えてみた方がいいん
じゃないのかい?」
「・・・・そうでしょうか・・・・・?」
「アスカちゃんもレイ君も、シンジ君が100%支えてやる事なんてないんだ
よ。ただ、困った時だけ手を差し伸べてやればいいだけさ・・・・」
「・・・・だから、ミサトさんともそれほど会ってあげていないんですか?」

僕がそう言うと、加持さんはちょっと表情を和らげて苦笑すると、僕に向かっ
て答えた。

「ははは・・・それはちょっと違うな。ただ俺は自分の時間も欲しいだけさ。
シンジ君のように生真面目じゃないからな。」
「・・・・僕、そんなに生真面目ですか?」
「俺に言わせればね。まあ、それはそれでいいことだと思うよ。俺に真似をし
ろっていわれても、無理な話だがね。」
「・・・・・」
「だから、シンジ君も自分を変える必要はないよ。ただ、無理をするのはよく
ないな。まあ、こういう環境では、逃げ場もないだろうがね。」
「・・・・加持さんのおっしゃる通りです。別に二人と一緒にいるのが嫌な訳
じゃないんですが、なんだかこう・・・・」
「息が詰まる。違うかい?」
「そうかもしれません。きっとそうなんでしょう。」
「しかし、俺に言わせてみれば、随分と贅沢な環境じゃないか。二人ともかわ
いいし、シンジ君の事が本当に好きなんだろ?」
「はい。でも・・・・・」
「二人のうち、どちらかを選ぶ訳にも行かないし、両手に花という訳にも行か
ない。難しいところだな。」
「・・・・・」

僕は加持さんの言葉に、だまってただ沈んだ顔を見せるのみであった。すると、
加持さんは僕がそれだけではないという事を表情から感じ取ったのか、真剣な
面持ちで僕に尋ねた。

「・・・・何が辛いんだい?俺でよかったら、相談に乗るけど・・・・」
「・・・・・それが、わからないんです。わかれば何とかなるんですが・・・」
「・・・・そうか・・・・それは重症だな。原因がわからないなら、この俺も
助言すら出来ない。」
「・・・すいません・・・・」
「なに、シンジ君が謝る事なんてないさ。でも、冗談じゃなく、どうするか?
俺は半分、シンジ君の相談に乗ろうと思って、ここに来たんだがな・・・・」
「そうだったんですか?」
「ああ。いろいろ話には聞いていたからね。かなりあの二人に振り回されてい
るようじゃないか。」
「はい・・・・」
「女嫌いとか、そういう事はないだろうね?」
「・・・・嫌いじゃないと思います。でも、それほどは・・・・」
「淡白か、シンジ君は。それは随分と中学生ばなれしてるな。俺が中学生の頃
は、それこそ女のことしか考えていなかったが・・・・」
「・・・・・」
「まあ、あの二人もまだ若いからな。シンジ君がそうだと知ってても、我慢出
来ないんだろう。」
「・・・・・」

僕が加持さんの言葉に何も答えずにずっと黙っていると、加持さんは心配にな
ったのか僕に尋ねてきた。

「どうした、シンジ君?」
「・・・あ、ごめんなさい。何でもないんです。ちょっと考え込んじゃって・・・」
「・・・・何を考えていたんだい?」
「・・・・僕は・・・・恐いのかもしれません。」
「・・・何が?」
「人と深く付き合うのがです。」
「・・・・」
「僕は一人でいるのは嫌だったけど、人に自分の心の中を見られるのも、恐れ
ているような気がします。」
「ほう・・・・」
「だから、人と必要以上に付き合うのを避けているような気がして・・・・」
「・・・・」
「・・・・・この前、アスカに求められたんです。」
「身体のつながりをかい?」
「・・・はい。でも、僕は拒絶してしまいました。どうしても出来なかったん
です。そりゃあ綾波の事とかもありました。でも、それよりもずっと、恐いと
いうのがあったんです。」
「でも、キスとかはしてるんだろ?」
「はい。でも、それもほんとは嫌なんです。」
「そうか・・・・」
「僕はみんなで仲良く暮らして行ければいいんです。一緒にご飯を食べて、楽
しく話をして、そして困った時には助け合えるような・・・・そんな関係でい
たいんです。僕はそれ以上は何も望みません。それ以上は・・・僕にとっては
重荷以外の何物でもないんです。」
「・・・・つまり・・・家族の関係という奴だな。」
「そうです。」
「シンジ君は、お父さんとはうまく行かなかったからな・・・・」
「・・・・・」
「関係を改善しようとは思わないのかい?」
「思いました。でも、あの人には通じなかったんです。だから、僕はもう諦め
ました。」
「それでここに家族を求めた訳か・・・・・」
「・・・・はい・・・・・」
「しかし、それは一種の逃げだな。」
「・・・・わかってます。僕にもそのくらいは・・・・」
「彼女たちは、君とは血のつながりがないんだ。それを埋めるには、何が必要
だかわかるかい?」
「いえ・・・・」
「君には嫌な話かもしれないが、血のつながりを越えるには、身体のつながり
しかないんだ。だから、アスカちゃんもレイ君も、いろいろと君と身体のつな
がりを持ちたがる。」
「・・・・・」
「でも、君はそれを避けている。つまり、君は家族を求めながらも、一方で彼
女たちを家族として、完全には受け入れていないんだ。わかるかい、俺のこの
言葉が・・・・?」
「・・・はい・・・・・」
「なら、これからどうするかは、君が選ぶんだ。しかし、君がお父さんを選ぶ
のだったら、ここからは出ていった方がいい。今すぐ結論を出せとは言わない
が、俺はそう思う。そして、君がお父さんを完全に捨てるのだとしたら・・・・」
「・・・・・」
「彼女たちの求めに応じてやるんだな。まだ早いとか、そういうのは関係ない。
むしろ、なるべく早い方がいいと思う。そうすれば君も、完全に吹っ切れるだ
ろうから・・・・」
「・・・・・」
「これが俺の君に対する助言だ。却って辛かったかもしれないが、俺自身には
真実に一番近い方法だと感じる。それを受け入れるかどうかは君次第だ。しか
し、これだけは覚えて欲しい。いつまでも逃げ続けていては、何の解決にもな
らないし、君の苦しみは一向に消え去らないという事を・・・・」
「・・・・・」
「じゃあ、俺は二人の様子を見に、台所に行ってくるよ。腹も減ったしな。そ
れに、今の君には独りで考える時間が必要だろう。ゆっくりと考えるといい。
みんな、君の事を待っていてくれるだろうから・・・・・」

加持さんはそう言うと、そのまま僕の部屋を後にした。こうして、僕は一人に
なった。加持さんがいなくなると、急に部屋が広く感じた。僕はベッドに腰を
下ろしたまま、今加持さんに言われた事をよく考えてみた。加持さんの言って
いる事は、正しいように思う。僕はアスカと綾波を、受け入れていないのだろ
う。そして、まだ父さんに未練を残している・・・・
また、父さんと話をしなければならない。しかし、僕は恐い。父さんが完全に
僕を捨てたという事を知るのが・・・・
僕は父さんの言葉を予期していた。どこかで父さんの事を信じていながらも、
やはり、それが現実になりそうだとはとても思えなかった。

僕はどうしたらいいのだろう?
すぐに結論が出るものではなかった。僕は心のどこかで、この事をずっと思い
悩んでいたのだろう。だから、人には僕が疲れていると感じられるのだろう。
僕は疲れている。みんなの言う通りだ。僕には難しすぎる問題。逃げてしまい
たくなるような問題。しかし、これを人に任せる訳にはいかない。自分で考え、
自分で決断を下す。加持さんはゆっくり考えていいと言ってくれた。
僕は考えよう。
そして、後悔の無いようにしよう。

僕はそう思い切ると、何だか心が軽くなった。そして、それと同時にいい匂い
が僕の鼻に届いた。アスカと綾波が料理をしているのだろう。僕はさっき食べ
たばかりなのに、またお腹がすいてきた。少しだけ、僕に生きる余裕が出てき
たのかもしれなかった・・・・・


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