私立第三新東京中学校

第百十三話・アスカの微笑み


首を傾けて、部屋に中に掛けてある時計を見てみた。夕方の六時を少しまわっ
たところだ。結構眠っていたんだな。僕はそう思うと、再び上半身を起こした。
そして大きなあくびを一つすると、ドアの方に視線を向けた。すると、ちょう
どその時、アスカが元気よくドアを開けて部屋の中に入ってきた。

「おまたせー、シンジ!!アタシ特製のおじやを持ってきたわよ!!」

アスカがそう言うと、アスカの後ろにいた綾波が、アスカに向かって言った。

「ほとんど私が作ったのよ。碇君に誤解を与えるような言い方はやめて。」
「アタシだって手伝ったじゃない。だから、アタシ特製なのよ。」
「味付けは、全部私がしたのよ。」
「そうかもしれないかもしれないけど、アタシはニラを刻んだり、卵をといた
り、愛情を込めたんだから。」
「・・・・・・」

アスカがそう言うと、綾波はアスカの事をじっと見つめた。するとアスカはち
ょっとうろたえて綾波に言う。

「な、何なのよ、その目は?」
「・・・・何でもないわ。冷めないうちに、碇君に食べさせてあげましょ。」
「・・・そ、そうね。」

アスカはそう言うと、小さい土鍋を載せたお盆を持ったまま、僕の方に真っ直
ぐ進んできた。そして、それを床の上に置いて土鍋の蓋を開ける。すると、湯
気と共にいい匂いが広がっていった。アスカはそれを感じると満足そうな顔を
して僕に言った。

「どう、いい匂いでしょ?早く食べてみたいと思わない?」
「うん、ほんとにいい匂いだね。おいしそうだよ。」
「でしょ。」
「うん。」
「・・・でも、まだ駄目。」
「え?」
「シンジ、横になって。食べるのは、それから。」
「ど、どういう事?」
「アタシがシンジに食べさせてあげるんだから。シンジは疲れてるんだから、
それくらいの事はしてやらなくっちゃね。」

アスカは何だか楽しそうにそう言う。しかし、僕はアスカがそういう気持ちで
言っているのではないのが分かっていたので、僕は駄目だと半ばわかっていな
がらも、アスカに断った。

「い、いいよ、別に。僕はそんなんじゃないから・・・・」

するとアスカは大きな声で僕に向かって言った。

「遠慮なんかしないでよ。アタシは好きでやってるんだから。」
「・・・・・」
「ほら、いいから横になって。このアタシが口に運んで食べさせてやるなんて、
アンタ以外には有り得ない、凄い事なんだから。」
「・・・・・」

僕はおとなしく黙ってアスカの言うままにベッドに横になった。すると、アス
カはそのまま僕の真横に来て、正座を崩したような格好で座る。そして、スプ
ーンで熱々のおじやをすくうと、自分の口の前まで持ってきて、ふーふー吹い
た。こうして少し冷ました後に、そのスプーンを僕の口元の方に持って行きな
がら、僕に向かって甘ったるい声で言った。

「ちょっと熱いかもしれないけど、あーんして。」
「・・・あーん。」
「はい・・・・」

アスカは僕の開いた口の中に、スプーンを差し入れる。アスカがふーふー冷ま
してくれたおかげで、おじやは適度な熱さになっていて、食べ易かった。僕は
黙ってもぐもぐやると、ごくんと飲み込む。僕が飲み込んだのを真剣な眼差し
で見つめていたアスカは、すぐさま僕に向かって尋ねてきた。

「・・・どう?おいしい?熱すぎなかった?」

すると、僕はそんなアスカに向かって微笑みながら答えた。

「おいしかったよ、アスカ。それに、アスカが口で吹いて冷ましてくれたおか
げで、ちょうどいい熱さだったし・・・・」
「そう・・・よかった。シンジがそう言ってくれて。」
「お世辞なんかじゃないよ。ほんとにおいしかったよ。」

僕がアスカに向かってそう言うと、アスカのすぐ側にいた綾波が、うれしそう
に僕に向かって言った。

「本当、碇君!?それ、私が味付けしたの!!」
「ア、アンタは黙ってなさいよ。今はアタシの番でしょ!?アンタはアンタの
時に言えばいいじゃない。わざわざアタシの時に言わなくてもいいじゃないの!!」
「でも、碇君がおいしいって・・・・」
「だから、自分の番まで待ちなさい!!今はアタシがシンジに食べさせてあげ
てるんだから。」
「でも・・・・・」

綾波が残念そうな顔をしていると、それまできつく綾波をたしなめていたアス
カが、急にやさしい顔を見せて綾波に言った。

「・・・・アンタの気持ちはよく分かるけど、これは二人で決めた約束じゃな
い。違う?」
「・・・・違わない。」
「なら、ちょっとの間我慢しなくちゃ。約束を守るっていうのは大事な事だし、
シンジもそういうところはかなり真面目に考えてるわよ。ね、シンジ?」

アスカに急に振られた僕はちょっとびっくりしたが、アスカの言った事はちゃ
んと聞いていたし、それはもっともな事であったので、僕は綾波に言った。

「アスカの言う通りだよ、綾波。僕たちは社会の一員なんだ。だから、その中
で生きていくには、それなりのルールを守らなければならない。ルールにもい
ろいろあると思うけど、約束って言うのはその中でも特に気をつけて守らなけ
ればならないルールだと思うな。」

僕の言葉を聞いた綾波は、しょんぼりして僕に謝った。

「・・・ごめんなさい、碇君。私・・・・」
「謝るなら、アスカに対してだよ。綾波はアスカとの約束を破ったんだ。僕に
謝るより、アスカに謝らなくちゃ駄目だよ。」

僕がそう言うと、綾波はアスカに向かって頭を下げて謝る。

「・・・・ごめんなさい・・・私、約束を破って・・・・・」

アスカは、そんなしおれたきったような綾波を見ると、何だか却って自分が申
し訳なく感じているような、そんな顔をして綾波に言った。

「い、いいのよ、別に。そんな大した事じゃないんだから・・・・」
「ごめんなさい・・・・」
「・・・・もう・・・はい、これ。」

アスカは困ってしまって、綾波に自分の持っていたスプーンを差し出した。

「そんな顔されてちゃなんだかやりにくいじゃない。もうアンタの番にしてい
いわよ。これで少しは元気な顔になってもらわなくっちゃ。わかった?」
「・・・・ありがとう。」
「ったく、泣きそうじゃないの。早くシンジに食べさせて交代よ、いいわね?」
「・・・うん・・・・・」

こうして、アスカは綾波に自分のいた場所を譲った。綾波は早速アスカから受
け取ったスプーンを持って、おじやをひとすくいした。そして、アスカの真似
をして、自分の口元にスプーンを持ってくると、ふーふー吹く。もう時間が経
ちはじめていたので、僕の目にはあまり熱いようには感じなかったが、綾波は
僕が熱くないようにと熱心にそれを吹いていた。綾波はしばらくしていたそれ
を終えると、ゆっくりと僕の口元に差し出して言う。

「・・・碇君・・・・あーんして・・・・」
「・・・・・・」

僕は黙って綾波に向かって口を開く。それを見た綾波は、更にゆっくりと慎重
な面持ちで、僕の口の中にスプーンを入れた。本音を言えば、綾波のものは冷
めすぎてしまって、アスカの時ほどおいしいとは感じなかったのだが、それで
も僕には綾波の気持ちが十分に伝わったし、まだ元気を取り戻していない綾波
のために、とっておきの笑顔で感想を述べた。

「とってもおいしかったよ、綾波。なんだか綾波の気持ちが、伝わったような
気がしたよ。」
「・・・・碇君・・・・・」
「もう一口、もらえるかな?」
「・・・うん。じゃあ・・・・」

綾波はやっと元気を取り戻してきたような感じで、僕を待たせてはなるまいと、
いそいそとスプーンでもう一口おじやを取った。そして、今度は口で吹くのも
もどかしいと言ったような感じで、スプーンに載ったおじやにちょっと口をつ
けると、熱さを確認して僕の口元に持って行った。

「碇君、はい・・・・」

綾波は別に他意は無いようで、何も気付いてはいないようだが、僕はちょっと
気になってしまった。しかし、ここで僕が躊躇する訳にも行かなかったので、
黙って口を開いた。
今度のおじやは、先程のものよりはずっとあったかくておいしかった。それが
僕の表情に出たのか、綾波は軽く微笑みながら僕に一言聞いた。

「・・・もう一口・・・食べる?」
「うん・・・」

僕がそう言った時、何だか横で見ていたアスカの顔には元気が無かった。アス
カは自分の欲求を我慢して、綾波のために思っていてくれていたのだ。僕はそ
んなアスカがかわいそうでもあり、そしてまた綺麗にも見えた。綾波が次の一
口をすくう間、僕はアスカに向かって複雑な表情をして見せた。済まないとい
った感情や、アスカを思いやる感情。そんないろいろな感情が交じり合わさっ
たものがそれには含まれていた。そして、アスカはそんな僕の視線に気付くと、
やさしく微笑みを返してくれた。しかし、そのアスカの微笑みは、いつものア
スカの元気な微笑みでなく、しっとりとしていて、しみいるような微笑みだっ
た。僕はそんなアスカの微笑みを見て、一層辛く感じた。
僕はアスカに無理をさせているのかもしれない。そう思うと、視線をアスカか
ら綾波に戻した。綾波は幸せ一杯といったような感じで、先程までの元気の無
さといったものは、一切感じさせない。僕はその事に気付くと、更に辛い気持
ちにさせられたのであった・・・・


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