私立第三新東京中学校
第百十話・三人の絆
帰り道、僕たちは渚さんも加えた大人数で、ぞろぞろと道に広がって歩く。最
近、トウジとケンスケは一緒に帰っていてもそれほど話をする事もなくなった。
別に僕と疎遠になったからとか、そういう事ではないのであるが、僕がいつも
アスカと綾波にくっつかれている手前、そのなかに入ってくる言う訳にも行か
ないのだろう。僕はそんな訳で、学校への行き帰りというのは、ちょっと寂し
く感じる時間であった。やっぱりいくら仲がよくても、話し相手には女の子よ
りも同性の男の子の方がいいのだ。僕はきれいな女の子に囲まれているという、
普通だったら羨望に値するシチュエーションのなかで、贅沢にももてあまして
いたのであった。
こうして、トウジとケンスケは僕たちよりも少し先で、何か笑いながら一緒に
話している。僕はそれを見ながら、アスカや洞木さんの言葉にあいまいに相づ
ちをしていた。僕は本当にちょっと疲れているのだろう。普段だったらそんな
事考えもしないのに・・・・
そんな時、ぼけぼけしていた僕に大きな声でアスカが声をかけて来た。
「こら、シンジ!!アタシの話をちゃんと聞いてるの!?」
「・・・・え!?」
「なによ、ぼけーっとしちゃって!!」
「ご、ごめん・・・・で、何の話だったの?」
「もういいわよ!!それよりも、これからはちゃんと聞いてなさいよ!!いい
わね!?」
「わ、わかってるって・・・・」
「怪しいわねえ・・・・大丈夫なんでしょうね、ほんとに?」
「大丈夫だよ。ちゃんと聞いてるから・・・・」
「そう?それならいいけど・・・・」
アスカがいい終わると、今度は綾波が僕に声をかけて来た。綾波はアスカと洞
木さんの会話には積極的に参加するそぶりをいつも見せないのであるが、僕に
はここのところよく話し掛けようとしていたのだ。
「碇君、本当に大丈夫?具合とか、悪いんじゃない?」
「そんな事ないよ。大丈夫だから、綾波は心配しないで・・・・」
「私には、碇君しかいないんだから、碇君が元気じゃないと、私も辛いの。」
「ご、ごめん、綾波。」
「だから碇君、元気だして。それでいつものように、私に微笑みかけて。」
僕は綾波に言葉を聞くと、綾波に向かって微笑んで見せたが、何だかそれはや
けにぎこちないもので、綾波の心配そうな表情を和らげる効果は全くなかった。
「碇君・・・・」
綾波は一層心配そうな目で僕を見つめる。するとアスカが綾波に向かって言っ
て来た。
「駄目よ、シンジは意図的にそういうのは出来ないんだから。」
「そうなの?」
「そうよ。アンタ、そんな事も知らなかったの?シンジは不器用な奴だから、
本当に心のこもった時にしか、そんな顔は見せられないの。だからシンジのそ
んな顔を見られるアンタは、それだけで幸せって言うものよ。」
「・・・・・」
「シンジは誰にでも、そんな微笑みを見せられる奴じゃないの。その事を絶対
に忘れるんじゃないわよ。」
「・・・うん・・・・・」
「シンジに本当に想われている、数少ない人間なんだから・・・・」
「・・・うん・・・・」
そしてアスカは、言いたい事を言い終わると、普通に戻って全く違う話を洞木
さんとはじめた。そしてアスカの意識が僕と綾波からそれると、綾波が僕に話
し掛けてくる。
「碇君・・・・」
「・・・・なに?」
「私、本当に碇君に想われていたんだ・・・・・」
「・・・そんな大層なものじゃないよ。ただ、僕は人付き合いがあんまり得意
じゃないから・・・・」
「でも、碇君はいつも私に微笑みかけてくれたわ。」
「うん・・・・」
「碇君が微笑みを見せる数少ない中の一人、それが私。なんだか今日は、いい
事を知ったみたい・・・・」
「・・・・・」
「・・・あんまり他の人には、微笑まないで。」
「そ、そんな事言われても・・・・」
「これ以上、ライバルを増やしたくないから・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
そして、自然と綾波との会話は終わった。綾波はその後もしばしば僕に視線を
向けて来たが、どちらも言葉を交わそうとはしなかった。
しばらくして、ぽつりぽつりとこの人数も減っていく。そして最後には僕とア
スカと綾波、そして渚さんが残された。渚さんは歩いている間中、一言も口を
利かなかったので、ほとんどその存在を気にする機会というのもなかった。し
かし、僕たち三人は同じところに帰るので、別れるのは渚さんだけである。そ
んな訳で、僕は渚さんに尋ねてみた。
「渚さん、家はどこなの?最後まで僕たちに付いて来たみたいだけど・・・・」
すると渚さんは、軽く笑いながら僕に言う。
「僕の家はこっちじゃないよ。」
「え!?じゃあ、どうして・・・・」
「言ったじゃないか。今日、シンジ君の家に行くって・・・・」
それを聞いたアスカは、渚さんに大きな声で詰め寄った。
「どういう訳よ、それ!?アタシは聞いてないわよ!!」
「シンジ君と二人の時に、約束したんだ。そうだろ、シンジ君?」
「ぼ、僕はよく覚えてないんだけど・・・・・」
「約束したじゃないか。君はそれを忘れたって言うのかい?」
「ご、ごめん・・・・」
「本当に、思い出しもしないのかい?」
「う、うん・・・・」
そして、僕が渚さんとの約束を思い出せないで沈んだ顔をしていると、アスカ
が話をずらして渚さんに尋ねた。
「で、アタシ達のうちに行くっていう約束をしたのはいいとして、何をしに来
るつもりだったのよ?」
「シンジ君と話をしに・・・・」
「ならうちにわざわざ来なくてもいいじゃないの。学校で話をすれば・・・・」
「シンジ君の住まいを、一度見ておきたいと思ったんだ。」
「アンタバカ!?そんなの見てもしょうがないじゃない!!」
「そんな事はないよ。その人の住んでいる家を見れば、その人の性格というも
のが分かるからね。」
「プライバシーの侵害よ、そんなの!!」
「いいじゃないか、僕たちはもう他人じゃないんだから・・・・」
「他人よ!!赤の他人じゃない!!」
「でも、僕たちには既に絆がある・・・・」
「ないわよ!!アンタとアタシが握手したからって、誤解しないでちょうだい!!
そんなの、大して特別なもんじゃないんだから!!」
「・・・・・寂しい事を言うね、君は・・・・・」
渚さんは急に悲しそうな顔をして、アスカにそう言う。アスカもそれにちょっ
と驚いたのか、それまでの猛々しい態度を一変させて、小さな声で渚さんに言
う。
「な、何なのよ、いきなり・・・?」
「そんなに人とのつながりを恐れて、君は寂しくないのかい?」
「さ、寂しくないわよ!!アタシにはシンジがいる・・・・」
「シンジ君がもしいなくなったら?」
「そんな事は絶対にないわ!!アタシはシンジと離れない!!たとえどんな事
があっても!!」
「これから先、どんな事があるかわからないよ。それでも君は、シンジ君の側
を一生離れないつもりかい?」
「そうよ!!悪い!?」
「悪くはないよ。それが君の選んだ道なんだから。ただ、僕はそれが君のため
になるとはとても思えない。」
「アンタには関係ないでしょ!!」
「・・・・そうかもしれないね・・・・・」
渚さんは最後には、それだけでとどめておいた。しかし、アスカには何だか耳
の痛い言葉だったのかもしれない。それを指し示すかのように、アスカはいつ
も以上に興奮していた。僕はそんなアスカを見ると、ちょっと心配になってア
スカに声をかけた。
「アスカ・・・・?」
「・・・・・」
「・・・・あんまり気にする事なんてないから。」
「・・・・どうしてよ?」
「ぼ、僕もまだ、あの家を出て行く予定なんてないし・・・・」
「そんな事分かってるわよ。そんなのがあったら、アタシは今ごろ正気じゃい
られないわ。」
「・・・・・」
「アタシはシンジなしじゃいられないってのは事実よ。」
「アスカ・・・・」
「それはレイもおんなじだと思うけどね。」
アスカがそう言うと、それまで黙っていた綾波が口を開く。
「そうよ。私も、碇君なしでは生きていられないわ。」
「・・・・これでシンジにどっちかを選べなんて、無理な話よね。シンジがそ
れを選んだ時点で、もう片方の人生が終わるんだから・・・・」
「・・・・・」
「はあ・・・・困った話よね。シンジ、ごめんね、こんなアタシ達で・・・・」
「・・・・アスカ・・・・別にいいんだよ。僕ももう、アスカや綾波のいない
生活なんて、考えられないんだから・・・・・」
「シンジもそうなの?」
「うん。離れ離れになったら、どうなるかわからない.」
「・・・・そうよね。アタシ達はもう、ただの同級生じゃないもんね・・・・」
「うん・・・・」
「どうなるんだろう、これから?」
「・・・・さあ・・・・・」
「私は、そんな事関係ないわ。私は碇君に、ついていくだけ。」
「アンタはいいわね、単純で・・・・アタシもそうだったら楽なんだけど・・・・」
「・・・・私には、碇君しかないもの。」
「アタシもそうだけど、アンタとはどこか違うのよね・・・・」
「あなたは私とは違うわ。碇君だけじゃないもの。」
「・・・・そう?」
「そうよ。私にはそう見えるわ。」
「・・・・でも、シンジがいないと駄目だって言うのは、同じよね・・・・」
「・・・そうね。」
「・・・・シンジ?」
「何、アスカ?」
「アタシを捨てないでね。」
「な、何を言い出すんだよ、急に!?」
「お願いだからうんって言って。」
「う、うん。」
「ありがと、シンジ。」
「碇君・・・・」
「なに、綾波?」
「私にも・・・・」
「わ、わかったよ。綾波も捨てたりなんかしないから。」
「・・・ありがとう、碇君・・・・・」
「・・・アタシ達三人は、離れ離れにはなれないのかもしれないわね。」
「・・・・そうだね・・・・」
「・・・そうね・・・・」
「・・・・・」
僕たち三人は、渚さんの存在を忘れて、話し合っていた。しかし、三人とも物
悲しさにあふれていた。一人では生きていけないという弱さ、それを痛感して
いたからなのかもしれない。確かに僕たちは、一人では完全ではなかった。一
人ぼっちでは、きっと生きてはゆけないであろう。それがわかっていたからこ
そ、一層悲しかった。僕はいつの日にか、一人でも生きてゆける日が来るので
あろうか?そしてそれが、大人になる、と言う事なのであろうか?そうだとし
たら、僕はいつまでも子どものままかもしれない。なぜなら、一人の辛さを、
嫌というほど知っていたから・・・・・
続きを読む
戻る