私立第三新東京中学校

第百九話・仲間と不安


そして放課後。
今日の授業も終わって、後はただ家に帰るだけだ。今日の夕食のおかずについ
ては、昨日のごちそうの残りもあるし、使わなかった材料なども結構あったよ
うな覚えがあったので、買い物の必要もないと思っていた。つまり、今日はこ
のまままっすぐ家に帰ってもいいのだ。ついこの間までは、トウジやケンスケ
とゲームセンターに行くことも多かったのだが、アスカが退院してからという
ものは、ほとんど一緒に帰っているので、最近ではそんな事もなくなっていた。
しかし、かといって僕がゲームセンターに行きたいのかというと、そういう訳
でもなく、なんだか今日は家でゆっくりしたいと感じていた。まあ、アスカと
綾波がいる限り、ぼんやりとさせてももらえないだろうが・・・・

僕はちょっと疲れているのかもしれない。昨日、どれくらいワインを飲んだの
かはよく覚えていないが、さほど飲んでいなかったにしてもベッドで安眠とい
う訳でもなかったので、とにかくまともな休みは取れていないのだろう。今日
は早く家に帰って、夕食の支度をはじめなければならない時間になるまで、少
し昼寝でもしたいと思っていた。
そんな訳で、なんとなく憂うつな気分に浸りながら、鞄の中に教科書を詰め込
んでいく。そして一つ大きくため息を付いた。

「ふう・・・・・」

すると、隣の席で僕と同じように鞄に教科書を仕舞っていた綾波が、僕に心配
そうに尋ねる。

「どうしたの、碇君?具合でも悪いの?」

僕は綾波にそう尋ねられると、綾波の方を向いて情けない表情をして答える。

「・・・いや、そういう訳じゃないんだ。昨日ちょっと騒ぎすぎたせいか、何
だか疲れを感じてね・・・・」
「そう・・・・なら、寄り道しないで早く帰りましょ。家でゆっくりするとい
いわ。」

何だか綾波の声はやけに落着いていた。僕が家に帰っても、ずっと一緒にいら
れるからなのだろうか?それとも、まだ渚さんの事を危険視していて、家の方
が安全だと思っているからなのだろうか?まあ、どっちにしろ今の僕には、余
計に騒ぎ立てないでくれる事が一番よかった。僕はそう思うと、ちょっと明る
い表情を作って、綾波に言った。

「そうだね・・・・綾波の言う通り、今日は真っ直ぐ帰る事にするよ。」
「それがいいわ。」

僕と綾波がこんな会話をしていると、帰り支度を済ませたアスカが、すばやく
僕のところにやって来て、元気よく言った。

「シンジ、帰ろ!!」
「アスカ・・・うん。じゃあ、帰ろうか?」

アスカは何だか元気のない僕の返事を聞くと、怪訝そうな顔をして僕に尋ねて
きた。

「どうしたのよ?元気ないじゃない。」
「うん・・・・ちょっと疲れてね・・・・」
「何じじ臭い事言ってんのよ。アンタはまだ中学生でしょ?もうちょっと元気
よくしなくっちゃ。」
「わかってるんだけどね・・・・・」

僕はアスカに元気にはっぱをかけられても、疲れた返事しか出来なかった。そ
して、そんな僕をかばうかのように、綾波がアスカに言う。

「碇君は疲れてるのよ。昨日は私の歓迎会でなれないお酒を飲んでしまったか
ら。」

するとアスカは綾波に対して反論する。

「アタシも飲んだけど、何ともないわよ。アンタだってそうでしょ?」
「私も平気だけど、碇君は特別繊細なのよ。私たちとは違うんだから。」
「アンタはシンジを特別視しすぎるのよ。シンジだってアタシ達とおんなじな
んだからね。」
「私達と碇君とは違うわ。私達は女だけど、碇君は男・・・・」

綾波がまだ言い終わらないうちに、アスカは大きな声で綾波に言った。

「アタシはそういう事を言いたかったんじゃないの!!お酒に対する、年齢み
たいな事を言いたかったの!!」
「そう・・・・」
「そうよ。ま、そんな事はいいから、早く帰りましょ。シンジも元気ない事だ
し・・・・」
「そうね。それがいいわ。」

そしてアスカは、まだ自分の席にいる洞木さんに向かって、大きな声で呼びか
ける。

「ヒカリ、帰るわよ!!早くして!!」
「今行くから、ちょっと待ってて、アスカ!!」

向こうにいる洞木さんは、まだ何やらごそごそやっている。それを見た限りで
は、洞木さんはまだこっちに来そうもなかった。しかし、アスカの声は関係な
いかもしれないが、トウジが僕たちのところにきた。そして、僕にひとこと声
をかける。

「おう、シンジ。やっと帰れるなあ。」
「そうだね。もっとも、僕はお昼からだから、さほど長くは感じなかったけど
ね・・・・」
「せやったな。ところでシンジ、綾波がシンジ達の家に住むっちゅうことにな
ったんは、ほんまのことなんか?」
「本当だよ、トウジ。」
「ほな、引っ越し祝いをせなあかんな。」
「いいって、トウジ。もう、歓迎会はしちゃったんだから・・・・」
「あほ!!シンジが引っ越したんやないやろ。引っ越したんは綾波やないか。」
「そりゃあ、そうだけど・・・・じゃあ、綾波に聞いてみてよ。」
「よっしゃあ。おい、綾波?」

トウジが綾波に呼びかけると、綾波はぶっきらぼうにトウジに言った。

「何?」
「綾波の引っ越し祝い、なんか欲しいもん、あるか?」
「・・・別にないわ。」
「さ、さよか?しかしなあ・・・・」
「あなたには、この前服を買ってもらったし、これ以上何かもらうのは悪いわ。」
「それもそうやな。」
「私は碇君と同じところで生活出来るだけでいいの。あとは何にもいらないわ。」
「・・・・・綾波の言う通りやろな。それが一番ええんやろ。」
「そうよ。」

綾波はトウジに対して何の関心も抱いていないようだが、僕にはトウジが何く
れと綾波に対して気をつかっていてくれているのが、はっきりと分かった。ト
ウジは元々やさしいところがあったし、僕と一緒にいる事が多いだけに、綾波
とも接する機会が多くて、綾波の事も他の人たちよりはよく分かっているから、
それだけに綾波にやさしくしてあげているのだろう。そんなトウジの思いやり
は、綾波には届いてはいないようであったが、僕はそんなトウジを見ているの
がうれしかった。
僕がそんな風に感じながらトウジの事を見ていると、それまで全くの沈黙を守
ってきたケンスケが、トウジに向かって言った。

「綾波はシンジと一緒にいる事が一番みたいだからな。ま、仕方ないよ、トウ
ジ。どうせまたごちそうにでもありつけると思ってたんだろ?」
「アホぬかせ!!わいはそんなにいやしい男やないで!!」
「本当か?まあ、トウジはいいんちょーの作る弁当を毎日食ってるからな。そ
んな事も言えるんだろうよ。」

ケンスケがそう言うと、トウジは真っ赤な顔をして、ケンスケに怒鳴った。

「ア、アホ!!そ、そんなの関係ないやないか!!」
「そうか?でも、いいんちょーの弁当はうまいんだろ?」
「当たり前や。いいんちょーの料理の腕は、天下一品やからな。」
「はいはい、おっしゃる通りで。」
「なんやその言い方は!?」
「どうせ俺には関係ない事だからな。寂しくひとりでパンをかじっているよ。」

ケンスケは諦めきったような感じでトウジに言った。するとトウジは、ケンス
ケに向かって言う。

「渚なんてのはどや?ああいう訳分からんのは、ケンスケ好みやないのか?」
「冗談はよしてくれよ。彼女はシンジが好きだってはっきり言ってるじゃない
か。今更俺の出る幕じゃないだろ?」
「しかし、シンジに弁当作ってくれる奴は、もう既に綾波と惣流がおるし、頼
めば弁当くらい作ってくれるんじゃないのか?」
「・・・・何だかそれって哀れだよ。そんな事を頼むくらいだったら、俺はシ
ンジに頼むよ。」

ケンスケはそう言うと、僕に向かって言った。

「シンジ、俺にもうまい弁当を・・・・」

ケンスケが冗談でそう言いかけた時、いつのまにか渚さんが近くにいて、こう
言ってきた。

「シンジ君がお弁当を作ってくれるとすれば、それは僕にだよ。君じゃない、
相田君。」
「な、渚さん!?」
「僕は料理が苦手なんだ。だからシンジ君に、僕のお弁当を作って欲しい・・・・」

渚さんがぬけぬけとそう言うと、ケンスケの代わりにアスカが渚さんに言った。

「どうしてシンジがアンタなんかのためにお弁当を作るって言うのよ!?シン
ジはそんなに暇じゃないんだからね!!」
「シンジ君が忙しいのは分かっているよ。だからこそ、僕にだけ作って欲しい。」
「アンタバカ!?このアタシでさえシンジのために料理を始めたのよ!!いき
なりしゃしゃり出て来て、料理が苦手だからお弁当を作って欲しいなんて、そ
んな話が通用すると思うの!?」

アスカは大きな声で渚さんにそう言った。すると渚さんは珍しくちょっと悲し
げな顔をして、アスカに言った。

「・・・・それもそうだね。君の言う通りだよ。僕が間違っていたのかもしれ
ない・・・・」
「・・・・・」

アスカはしかし、そんな渚さんの様子にはいささかも感じたところもなく、た
だ黙って冷たい目で見つめていた。確かに渚さんの言い草にはちょっと自分勝
手すぎるところがあったが、彼女は転校して来たばっかりなんだし、少しばか
り気に食わない点があったとしても、あんまり冷たくあしらうのもどうかと思
われた。そんな訳で、僕がちょっとやさしい言葉をかけてやった。

「・・・・渚さんが料理が苦手だって言うなら、僕が教えてあげようか?」
「ほんとかい、シンジ君!?」
「ちょっとシンジ!!何言ってんのよ!!」
「でも・・・・」

アスカは僕がそう言ったのを聞くと、顔を真っ赤にして怒ったのだが、僕はそ
のくらいの優しさを見せても、別に構わないはずだと思っていたので、アスカ
にすんなり従う様子は見せなかった。そして渚さんはというと、喜びにあふれ
た表情で僕の手を両手で握り締めながら、興奮気味に言った。

「シンジ君、僕はうれしいよ。君がそう言ってくれて・・・・・」
「な、渚さん・・・・」

僕はいきなり手をつかまれたので、びっくりして声をあげる。しかし、渚さん
はその手を離す様子を見せない。すると、それまで黙っていた綾波が、いきな
り渚さんの手首をつかんで言った。

「碇君から手を離して。」

アスカは綾波のそれに驚いたのだが、アスかとしてもその意見は賛成だったら
しく、綾波に同調して言った。

「そうよ!!シンジから手を離しなさいよ!!アンタがむやみに触っていいも
んじゃないんだからね!!」
「・・・・・」

すると渚さんは、黙って僕の手を放した。そして、アスカと綾波に向かって言
う。

「・・・・済まない。つい興奮してしまったようだ。僕らしくもない・・・・」

僕は渚さんの顔を見ながらも、渚さんにつかまれたその手を、もう片方の手で
さすっていた。別に痛かった訳でもないのに、その手をかばうようにさすって
いたのだ。綾波はそんな僕にいち早く気が付いて、自分の手を差し出すと、そ
っと僕のその手を握り締めた。それは余りにも自然な動作だったため、握られ
た当人の僕以外は、その事に誰も気が付かなかった。僕は綾波に手を握られて、
どうしようと思ったが、なぜか綾波に手を握られると、落ち着くような感じが
したので、黙ってそのままにしておいた。

一方アスカは、予想外に渚さんがおとなしく引き下がったのを見て、ちょっと
躊躇していた。すると渚さんが、アスカに向かって言う。

「君がシンジ君の事を考えて僕を敵対視するのは分かる。でも、僕は君やレイ
君とは争いたくないんだ。だから僕も、君たちの仲間に入れてくれないかい?」
「・・・・でも・・・・・・」

渚さんはアスカに素直にそう言ったのであるが、アスカは困ったような表情を
していた。アスカだって別に意地悪な女の子じゃない。だからこんな風に言わ
れてしまうと、心の中に葛藤を引き起こすのは当然の結果であった。
しかし、アスカがそんな顔をしていると、アスカの後ろから声がかかった。

「仲間に入れてあげましょうよ、アスカ。」

アスカが振り向くと、そこには洞木さんが立っていた。

「ヒカリ・・・・」
「アスカの気持ちも分かるけど、渚さんだってあたし達と友達になりたいのよ。
一緒に話をしたり、お弁当を食べたりする友達が欲しいのよ。分かるでしょ?」
「それは分かるけど・・・・」
「だったら仲良くしなくっちゃ。それに、碇君だってそう簡単に渚さんにほい
ほい鞍替えしたりするような男の子じゃないでしょ?」
「・・・・・うん・・・・・」
「碇君だったら心配いらないわよ。それにアスカは魅力あるもの。ほっといた
って、みんなアスカにひかれるわよ。」
「・・・そんな事はないと思うけど、アタシはシンジを信じる・・・・」
「なら、いいわね?ほら、握手して。」

洞木さんはそう言うと、アスカの手を取って、渚さんの方にやった。渚さんは
それを見ると、アスカの方に片手を差し出す。そしてアスカは、迷うように手
を動かし、最終的には渚さんと握手をした。渚さんはアスカと握手すると、そ
のまま洞木さんに言う。

「洞木さん、ありがとう。全ては君のおかげだ。感謝するよ。」
「そんな、感謝するほどのことじゃないわ。気にしないで。」

そして、二人の握手も終わり、渚さんは僕たちに受け入れられる事になった。
しかし、みんなが一応は賛成しても、綾波だけは渚さんに温かい目を向ける事
はなかった。綾波は口では何も言わなかったが、その目は明らかに渚さんに敵
意を見せていた。そして、綾波はそんな目を渚さんに向けながら、握っていた
僕の手を、更にぎゅっと握り締めた。僕を渚さんに渡さぬよう、しっかりと握
っているのだろうか?僕にはわからなかった。しかし、そんな綾波の手から、
はっきりと伝わるものがあった。それは、綾波の、渚さんに向けた意志の固ま
りだった。それは強く、大きいものであった。僕はそれを感じると、不安を覚
えて軽く身を震わせた。僕の不安が現実とならなければいい、僕はそう願いつ
つ未来に思いを馳せるのであった・・・・・


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