私立第三新東京中学校

第百七話・信じ抜いて


僕はケンスケの買ってきてくれたパンを、もぐもぐと食べる。今までずっと手
作り弁当だっただけに、それはやけに味気なく感じた。そもそも僕はご飯党な
ので、パンはあまり食べないのだ。
それもあって、僕はかなりつまらなそうにぱさぱさしたパンを咀嚼する。味も
よくわからない。なぜなら、綾波が気になって気になって仕方なかったからだ。
綾波はせっかく買ってきてくれたパンに手をつけようともせずに、渚さんのこ
とをじっと見ている。まさに凝視といった感じだ。みんなもその綾波の異様さ
に気がついていたのだが、声を掛けるのもしかねるといったような感じだ。そ
れほど、綾波には張り詰めた空気があったのだが、僕はそれほど綾波が気にす
るほどのことかと思っていた。
アスカも、パンを食べてはいるものの、綾波のことが結構気になるようで、時
々視線をやっては考え込むような顔をしていた。そして、綾波の凝視の対象で
ある渚さんはというと、綾波のそれには気付かないような顔をして、平然とパ
ンを口に運んでいる。その視線は伏せがちで、誰のことを見るという訳でもな
く、ただパンを食べるのに専念しているという感じであったが、まわりに意識
をめぐらせているのは間違いないであろう。
まあ、それでも僕は渚さんが黙って食事をしてくれていたので、結構ほっとし
ていた。また渚さんが僕に話しかけるとなると、綾波が何を言いだすか分から
ないからだ。しかし、綾波はどうしてあんなに渚さんに食って掛かったのだろ
う?もしかして、使徒だと判別したのか?僕はその事に思い至ると、気になっ
てしょうがなかった。僕は早くみんなが食べ終わるのを待って、すぐに綾波に
尋ねて見ようと思ったのだ。

「あ、綾波。」

みんながあらかた食べ終わったところで、僕は綾波に声を掛ける。綾波はそれ
までずっと、まばたきなどしないような感じで、渚さんを見続けていたのだ。
しかし、綾波は僕が声を掛けると、渚さんからようやく目を離して、僕の方を
向いて言った。

「なに、碇君?」

綾波はまだ落着いた様子を見せずに、機械的に僕に言った。僕はそれを知ると、
ちょっと気になったのだが、それを隠して穏やかに綾波に話し掛けた。

「ちょっと話があるんだ。廊下まで一緒に来てくれる?」

僕がそう言うと、綾波はちらりとまた渚さんの方に視線をやった後に、僕の方
を向いて答えた。

「わかったわ、碇君。」
「あ、ありがとう、綾波。」

僕はそう綾波に言うと、立ち上がった。綾波も僕に続いて立ち上がり、廊下に
向かう。僕と綾波が廊下に行こうとすると、アスカも静かに席を立ち、僕たち
の後に続いた。僕はアスカが来るのは当然と思っていたので、何も口を挟まな
かった。無論綾波も同じだ。しかし、アスカが立ち上がるのを見た時、一瞬渚
さんと視線が合ってしまった。渚さんの顔は穏やかであったが、その表情の中
からはどんな言葉も読み取る事は出来なかった。ただ、涼しげな目で、僕をじ
っと見ていたのだ。僕はその視線を受けると、なぜだかわからないがすっとそ
れを避けて、綾波の方に視線を戻した。僕が恐れるような、そんな視線ではな
かったのに、なぜ僕は避けたのか?僕にはわからなかった。ただ、そうしてし
まったのだった。

僕と綾波、そしてアスカの三人が廊下に揃う。僕は周りを見渡し、誰も付いて
来ていないのを確認すると、更に人気の無い隅っこの方に集まった。そして開
口一番、綾波に尋ねる。

「どうしたんだよ、綾波?渚さんが使徒だって分かったの?」

僕がそう言うと、綾波は静かに僕の問いかけに答える。

「わからないわ。でも、あの人は危険。私には分かる。」

綾波がそう言うと、それを聞いたアスカが言った。

「確かに変なところがあって、危険な奴だって感じるかもしれないけど、ただ
それだけなんじゃないの?使徒だっていう証拠はないんでしょ?」
「証拠はないわ。しかし、安全を第一に考えておいた方がいいでしょ?」

綾波の言葉を聞いた僕は、危険などないということを示すような感じで、和や
かに綾波に言う。

「綾波は心配し過ぎだよ。第一渚さんにそんな態度を取っていたら、変に思わ
れるよ。」
「碇君を守るためだもの、やむを得ないわ。」
「でも・・・・」

僕が困ったような顔をしていると、アスカが僕に賛同するかのように、綾波に
言う。

「シンジの言う通りよ。相手はただの女じゃないの。使徒みたいにおっきくな
いし、あんまり敵対視するよりも、しばらく様子を見る意味で普通に接した方
がいいんじゃないの?」

すると、綾波はアスカに冷たく言う。

「あなたは使徒のことを何も知らないわ。使徒を甘く見ない方がいいわよ。」
「じゃあ、アンタはわかってるって言うの!?」
「少なくとも、あなたよりはわかっているわ。」
「なら、その恐ろしさについて、言って見なさいよ!!」
「使徒に大きさは関係ないわ。ただ、その知能レベルにのみ、能力の違いが見
られるの。そして、使徒の最高傑作とも言えるのが、第十七使徒・渚カヲルよ。」
「何が凄いって言うのよ!?アタシにはわかんないわ!!」
「使徒と同じATフィールドを持ち、そして外見は私たちと同じなのよ。つま
り、不意に私たちを襲うことが可能な訳。わかる?」
「・・・・そういう事・・・・・」
「そう。だから私たちは、あれが使徒であろうとなかろうと、その可能性のあ
る限り、常に警戒していなければならないのよ。」
「・・・・・」

綾波の言葉に、アスカも納得した様子を見せていた。しかし、僕は綾波に反論
して見せた。

「でも、渚さんが使徒で、僕たちを襲うつもりがあったら、既にそうしていた
んじゃないの?でも、何にもしてこないところを見ると、そんなに危険視する
こともないんじゃない?」

僕がそう言うと、綾波はじっと僕のことを見つめて、ひとこと言った。

「どうしてそういうこと言うの、碇君・・・・?」
「え!?」
「あれを、かばっているの?」
「そ、そういう訳じゃないよ。」
「じゃあ、どうして?」
「・・・・ただ僕は・・・・・」
「・・・なに?」

綾波がそう言うと、僕はうつむいて自分の思っていることを二人に打ち明けた。

「僕は、そう人を疑って生きていきたくはないんだ。確かに渚さんは使徒の可
能性がある。でも、そうじゃなかったらどうする?きっと渚さんは傷つくよ。」
「シンジ・・・・」

アスカが僕の名前をつぶやく。しかし、僕は何も聞こえなかったかのように、
更に語り続けた。

「僕は渚さんを信じるよ。その僕の信頼がたとえ間違いであっても、そのため
に僕が死ぬような事があっても、僕はいっこうに構わない。むしろ僕は、僕の
疑いのために渚さんを傷つけることの方を恐れる。僕は人が傷つくよりも、自
分が傷ついた方がいいんだ。もう、人が僕のために傷つくのをみるのは嫌だか
ら・・・・」

僕は言い終わっても、まだ下を向いていた。そして、しばらくの沈黙の後、ア
スカがひとこと言う。

「・・・シンジらしいわね・・・・」

僕はアスカの声に、顔を上げた。すると、アスカは続けて言った。

「アタシはそんな風には考えられないけど、シンジがそう思うのなら、シンジ
の意見を尊重するわ。シンジについてのことなんだし、アタシ達が無理矢理強
制することもないんじゃない?」
「アスカ・・・・」
「レイは納得してないみたいだけど、アタシが何とかさせるわ。それがアタシ
の役目だもんね。」

アスカはそう言うと、綾波の方を向いて言った。

「で、アンタはどうなの?その顔からして、シンジの意見には不満そうだけど。」
「・・・・・」
「何とか言いなさいよ。アタシが聞いてるのよ!?」
「・・・・私も、碇君の意見に従うわ・・・・・」
「そう、見た目より頑固なアンタにしては、いい心がけね。ちなみに聞いてお
くけど、どうしてそうすることにしたの?」

アスカがそれほど関心があるという訳でもなく、なんとなくそう尋ねると、綾
波は神妙な顔をしてアスカに答えた。

「・・・碇君がそう思って私をみてくれたから、碇君があるがままの私を私と
して受け止めてくれたから、今の私があるの。碇君が他のみんなと同じように、
私を変なものを見るような目で見ていたら、今の私はなかった。だから、碇君
のそんな優しい気持ちを、私が邪魔することなんて出来ない・・・・」
「レイ、アンタ・・・・」
「私は碇君のおかげで、他のみんなと同じようになれたの。私の人としての人
生は、碇君から始まった。だから私にとって、碇君は特別な存在であり、かけ
がえの無い存在なの。碇君の生命が危険にさらされるなんて、私には耐えられ
ない。でも、碇君の命を守るために、碇君が碇君らしくなくなってしまうのは
嫌。碇君はずっと、私の好きな今の碇君であり続けて欲しいから・・・・」
「・・・・・」

アスカは、こんな綾波の言葉を初めて聞いたので、驚きのあまり何も口に出せ
ずにいた。そもそも、アスカはつい最近まで、綾波のことを変な奴だと思って
いたのだろう。それだけに、自分の取ってきた態度が何と恥ずべきものだった
かを悟り、反省しているようにも僕には見えた。
そして綾波は、先程の僕と同じように、じっと黙ってうつむいていた。まるで
今までに起こった全てのことを、思い返しているかのように・・・・
僕はそんな綾波の姿を見ると、思わずひとこと言う。

「ありがとう、綾波。」

僕の言葉を聞くと、綾波は驚いて顔を上げる。アスカも意外なことを言う僕に
視線を向けた。

「碇君・・・?」
「実は僕も、こう言いながらもちょっと心配だったんだ。やっぱり死ぬのは恐
いからね。でも、綾波の言葉で全く迷いがなくなったよ。僕は僕らしく、人を
信じ抜いて行こうと思う。それが僕の信条であり、支えなのだから・・・・」

僕はそう言い終えると、綾波に向かって微笑み、そしてアスカにも微笑みを向
けた。すると綾波はうれしそうに微笑み、アスカは大きく一つうなずいた。そ
れを見た僕は、三人とも分かり合えたことを感じた。そして、なんだかより近
づいたような気持ちがして、僕もうれしくなった。それはアスカも綾波も、同
じ思いだったようだ。こうして通じ合えたことにより、僕たちはお互いをかけ
がえの無い存在だと感じ、より太い絆を感じていったのであった・・・・


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