私立第三新東京中学校

第百六話・予感


「まったくもう・・・何なのよ、この娘は・・・・」

僕が何とかなだめたアスカであったが、椅子に座っても、まだぶつくさ言って
いた。しかし、僕はこんな雰囲気が好きだったので、笑みを漏らしながらアス
カに声を掛ける。

「まあまあ・・・いいじゃないか、アスカ。そんなに怒らないでさあ。」
「よくないわよ!!全くアタシがちょっと大目に見てやれば、つけあがる一方
で・・・・」
「まあ、綾波がちょっとやりすぎたのは事実だけど、アスカも散々だったじゃ
ないか。」
「何が散々なのよ!?」
「いや、その・・・・キスとか。」

僕はアスカの問いに、かなり照れながら小さい声で答えた。しかし、僕の他の
人間には聞かれないようにという配慮も、アスカには全く届かず、大きな声で
僕に向かって言った。

「アタシはいいの!!シンジにキスしても!!」
「ちょ、ちょっと、アスカ。声が大きいよ・・・・」

するとアスカはそれが気に食わなかったのか、一層大きな声で僕に向かって怒
鳴った。

「アタシの声が大きいのはもとからよ!!悪い!?」
「わ、悪くないけどさあ・・・・」

僕が困った顔をしてアスカに言うと、横で綾波がぼそっとつぶやく。

「碇君は、こういうの嫌いなのよね・・・・・」

アスカはその綾波の一言を耳に入れると、綾波に向かって大声で言った。

「うるさいわね!!アタシは特別なのよ!!それに、シンジもアタシがこうい
う女だって知ってて、付き合ってくれてるんだし、アンタとは違うのよ!!」
「付き合ってる?ただ一緒に住んでるだけの間違いじゃないの?」

綾波がアスカの言葉に眉をひそめてこう言う。するとアスカはにやりと笑って
綾波に言った。

「・・・・間違いじゃないのよね、これが。」
「どういうこと?」

綾波はそのアスカの意味ありげな言葉に、ちょっと真剣そうな表情になって尋
ねた。するとアスカは自慢げな顔をして綾波に答える。

「アタシとシンジは特別な関係なのよ。そう、男と女のね・・・・」

それまで、まあ黙って聞いていた僕は、かなり仰天して大声でアスカに言った。

「ちょ、ちょっと待ってよ!!その誤解を招く言い方は止めてよ!!」
「ま、確かに最後までは至らなかったけどね・・・・・」
「さ、最後までって、あれはアスカが無理矢理・・・・」

そんな時、僕たちの会話を聞いていた洞木さんは一言つぶやく。

「アスカと碇君って、そういう関係だったんだ・・・・凄い・・・・・」

それを耳に入れた僕は、慌てて洞木さんに向き直って訂正した。

「ち、違うんだよ、洞木さん!!ほんと、何もしてないんだって!!お願いだ
からわかってよ。」

するとアスカが横から口を出してくる。

「熱い口付けは何度も交わしたけどね。」
「ちょっとアスカ!!」
「なによ!?シンジだって嫌がってなかったじゃないの!!」
「そ、それは・・・・」
「ほら見なさい!!ネタは上がってんのよ!!」
「なに刑事ドラマみたいな事言ってんだよ!!」
「と・に・か・く!!アタシとシンジはそういう関係なのよ、いいわね!!」

アスカは最後に締めるように大きな声でそう言った。僕はそこであきらめに入
ろうと思ったのだが、全く諦めずに、アスカのそれを認めようとはしない人間
が一人いた。綾波だ。
綾波はそれほど大きな声ではないものの、みんなにはっきりとわかるようなし
っかりした口調でこう言った。

「私の今のキスも、碇君は嫌がらなかったわ・・・・」
「あ、綾波?」
「ていう事は、私もこの人と同じくらい碇君に想われているって思ってもいい
のね?」

綾波のそれを聞いたアスカは、顔を真っ赤にした。そこでアスカが綾波に食っ
て掛かるのかと僕は思っていたのだが、アスカはいきなり僕に向き直ると、大
きな声で怒った。

「どうして嫌がらなかったのよ、バカシンジ!!」
「そ、そんな事言われても・・・・」
「アタシ以外の女にキスされたら、露骨に嫌な顔をなさい、いいわね!!」
「む、無茶な事言うなよ・・・・」

僕は何といったらいいのか、とにかくアスカに向かってぼやくと、綾波が僕に
同調するかのように、アスカに言った。

「そうよ、碇君の気持ちを無理矢理変えることなんて出来ないわ。」
「アンタは黙ってて!!」

アスカは綾波が口を挟んできたのを止めようとしたのだが、綾波はそんなもの
はお構いなしに、アスカにつけつけと言う。

「碇君がかわいそうじゃない。やっぱりあなたも、碇君の気持ちなんて分かっ
てないのよ。」
「うるさいわよ!!アンタがそもそもうちに引っ越してこなければ、全てはう
まく行っていたのに!!」
「私は碇君を守るために来たのよ。あの人からだけでなく、あなたの毒牙から
も守ってあげるために・・・・」
「な、な、何ですって!?」
「碇君を襲わせたりしないわ。これからは私がずっと側についているんだから。」
「アンタこそ、アタシの見てないところで、シンジを襲うつもりなんじゃない
の!?」
「私はそんな事はしないわ。ただ、二人の合意のもとに、それを行うだけ・・・」

綾波はまるで夢見るように、そうつぶやく。するとアスカは僕の方を向いて、
大声で注意した。

「シンジ、絶対に合意なんてするんじゃないわよ!!したらただじゃ置かない
から!!」
「し、しないって。」
「よろしい。ま、シンジのことくらい、アタシにはわかってるんだけどね。」

アスカは僕が素直に同意したのを聞いて、かなり安心したような口調でこう言
った。一方、綾波はというと、露骨に残念そうな表情をして、僕に言った。

「・・・碇君はまだ私とひとつにはなってくれないのね。でも、私はいつかそ
の日が来ることを信じて、碇君を待っているから。」
「いつまで待ったって来ないわよ。」
「待ってるから・・・・」

アスカは綾波に対して冷たく言ったのだが、綾波はそれが耳に入っていないか
のように無視して、またひとこと言ったのだった。
その渦中の僕はほとんど呆れたような顔をして、二人のやりあいを聞いていた。
僕が何を言っても、二人のもめごとの対象になると思われたし、こういうのも
いい加減うんざりし始めていたのだ。そしてそんな時、ちょうど僕たちのため
にパンを買いに行ってくれていた渚さんとケンスケが戻ってきた。

「おかえり、ケンスケ、渚さん。ありがとうね。」

僕が二人に対して礼を述べると、ケンスケが僕に尋ねてきた。

「勝手にこっちで選んじゃったけど、構わなかったよな?」
「そんな、当然だよ。僕たちは残ったのでいいから。」
「そうか?じゃあ、シンジ達の分はこれだから・・・・」

そう言って、ケンスケは僕にパンの入った袋を渡した。僕はもう一度ケンスケ
にお礼を言うと、それを持って行ってアスカと綾波のところに広げた。

「どれでも好きなのを選んで。」

僕がそう言うと、アスカは我こそはと、すばやく意中のものをゲットする。

「アタシこれ!!あと、これも!!」

アスカがそう言って自分のパンを選んでいく中、綾波は一向にパンを取ろうと
はしなかった。それを見た僕はちょっと気になって綾波に尋ねる。

「綾波はパンを取らないの?それとも好きなのがなかった?」
「ううん、そうじゃないの。いいから碇君が先に選んで。」

綾波が狙うとすれば、僕と同じ物というのが相場なのだが、ケンスケが買って
きてくれたものはどれもバラバラで、そういう可能性はゼロであった。また、
それだけではなく、綾波はなんだか心ここにあらずといった感じであった。僕
はその綾波のさっきまでとはちょっと違った様子に戸惑いながらも、綾波に言
われたように、適当にパンを選んで手に取った。
そんな時、いきなり僕の横から声がかかる。

「シンジ君、一緒にパンを食べよう。ここに座ってもいいかい?」

僕は少し驚いて声のした方を向くと、僕の顔のすぐ側に微笑みを浮かべた渚さ
んの顔があった。僕はそう言ってきた渚さんに答える。

「うん。別に僕は構わないけど・・・・」
「そうかい?ありがとう、シンジ君。じゃあ、お言葉に甘えて・・・・」

渚さんはそう言いながら、椅子を僕の側に引き寄せてきて座ろうとした。
しかし、その時大きな声がそれを止めた。

「碇君に近づかないで!!」

綾波であった。綾波は冗談などではなく、至って真剣な表情である。僕はその
顔を見ると、綾波が真剣なのに気付いた。それは、綾波が使徒との戦いの時に
だけ見せる、厳しい表情であったからだ。
僕は綾波に声を掛けようとしたが、その前に渚さんが綾波の方を向いて言った。
その表情は穏やかなものであったが、いつもの微笑みを浮かべている時とは違
って、何か強い意志のようなものが感じ取られた。

「これはまた僕も嫌われたものだね。僕が碇君を取るから?」
「ごまかさないで!!」
「でも、君の頭の中には、シンジ君のことしかないようだよ。」
「そうよ。私は碇君を守る。そのために私はここに存在しているの。」
「それだけかい?」
「・・・・・」
「君にはシンジ君を守るだけでは十分ではないはずだよ。シンジ君の心が欲し
いはずだ。違うかい?」
「・・・・あなたには関係のないことよ。」

綾波がそう言うと、渚さんはひとまず話題を変えて、綾波にこう尋ねた。

「どうして僕をシンジ君から引き離そうとするんだい?」
「あなたは危険な存在だからよ。」
「君は・・・・君はそうじゃないって言うのかい?」
「私はあなたとは違うわ。」
「どこが違うって言うんだい?僕と君とは同じ人間、それも同じ女同士じゃな
いか。それとも君は・・・もしかして人間じゃないとでも言うの・・・?」

渚さんのその言葉に、綾波の顔が一瞬引きつった。しかし、綾波は何とかこら
えて渚さんに言い返した。

「私は人間よ。碇君たちと同じ・・・・」
「そう・・・・じゃあ、僕たちは同じだね。だったら僕の気持ちも分かるだろ
う、綾波レイ君?」
「・・・・・」
「君がシンジ君を取られることを心配するのはよく分かる。しかし、それは僕
を阻止するのではなくて、君がシンジ君を我が物にするよう努力すればいいこ
となんじゃないのかい?」
「・・・・」
「だから、今のところは見逃してくれないか?僕も、君たちと同じように、シ
ンジ君の側にいたいんだよ・・・・・」

渚さんはそう言い終えると、綾波から視線をそらし、椅子に腰を下ろした。綾
波はその様子を凝視していたが、何も言わなかった。僕はそんな綾波の様子を
見て、大いに感じるところがあったが、今のところはみんながいるので何も言
わずにいた。そして、黙ってパンを手に取ると、それを口に運び始めたのであ
った・・・・・


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