私立第三新東京中学校

第百二話・馬鹿という言葉


「とばすわよ!!」

ミサトさんの声が車の中に響く。
ミサトさんはこれでも元気をつけているつもりなのだろうが、心なしか二日酔
いの頭痛にひびくのか、いつもとはちょっと違う。しかし、今の僕にとって、
そんな掛け声うんぬんはもはや問題ではなかった。何しろあのミサトさんがと
ばすというのだ。僕は助手席でシートベルトをしっかりとすると、ミサトさん
の激走の心構えを固めた。
一方、後部座席に陣取るアスカは、シャワーを浴びてだいぶ二日酔いがすっき
りとしたのか、頭が痛いとか、そういうような感じはもうほとんど見られなか
ったが、ミサトさんの昨日の運転にかなり参ったのか、しっかりとドアの手す
りを握り締めて、これから襲ってくるであろう衝撃に備えていた。
アスカとは正反対に、綾波の方はというと、昨日ミサトさんの車に一緒に乗っ
て、その運転を体験しているはずなのに、平然とした顔をして、座席に腰を掛
けていた。

「シンジ君、後ろなんか向いてて舌を噛んでも知らないわよ!!」

ミサトさんは、後部座席を振り返って見ている僕に対してそう言うと、車を発
進させた。僕はちょっと驚くと、ミサトさんの忠告通りにおとなしく前を向い
て、自分の身の安全だけを考えるようにした。

「きゃあぁぁっ!!」
「んっ・・・・」

アスカは発進早々、もう大きな声をあげてしまっている。綾波も平然とした顔
こそしていたが、思わず声を漏らしてしまっていた。しかし、僕も人の事など
構っている余裕など無い。ただひたすらに、学校に到着するのを待ち望んでい
たのだった。

ミサトさんが車をとばしたこともあって、あっという間に僕たちは学校に着い
た。

「ふぅ・・・・」

アスカは、やはりミサトさんの運転した車に乗るのは苦手なのか、外の空気を
吸って、リフレッシュしようとしている。僕はそんなアスカにちょっと声を掛
けてみた。

「アスカ、大丈夫・・・?」
「ん?まあ、ね。そんな長い時間じゃなかったし、取り敢えずは平気よ。」
「そう?ならいいんだけど・・・・」
「心配してくれてありがと。ほんと、アタシは大丈夫だから。」
「でも、昨日の時はかなり辛そうだったし・・・・」
「大丈夫だって。駄目ならちゃんと言うわよ。」
「うん・・・・」

僕はアスカの言葉を聞いても、まだ完全には安心しきれていなかったが、取り
敢えず今のところは言葉を収める事にした。
僕とアスカが話をしていると、後ろから綾波が声を掛けてきた。

「碇君。」

僕は振り返って綾波の方を見る。

「なに、綾波?」
「急がないと、お昼休みになるわ。だから早く行きましょ。」
「あ、そうだったね。ごめん、綾波。なんだかのんびりしていたみたいで。」

僕はそう綾波に謝ると、綾波はあまりいい顔をしてはいなかったのだが、口で
は僕にこう答えた。

「ううん、碇君は悪くないから。それより、碇君に起こされるまで寝ていた私
が悪いの。私が早く起きていれば、碇君も遅刻しなくて済んだのに・・・・」
「綾波のせいじゃないよ。」
「でも・・・・」
「気にしないで。それより早く行こう。お昼休みに着くんじゃちょっとかっこ
悪いからね。」

そんな訳で、僕たち三人はミサトさんと別れて、教室へ向かった。
僕は、あまり遅刻とかそういうのには縁が無いだけに、こういう形で教室に入
っていくのはかなり気まずい。僕はそれが顔にまで出てしまっていたのか、廊
下を歩いている途中、アスカが僕に話し掛けてきた。

「なに不景気な顔してんのよ、シンジ?」
「え?僕、そんな顔してた?」
「してたわよ。まるで屠殺場に引きずられていく羊のような・・・・」

なんだかアスカは凄い表現を使っている。僕はおかしくなって思わず笑いそう
になってしまったが、何とかこらえてアスカに返事をした。

「僕、あんまり遅刻とかした事ないから、なんだかみんなが揃っている教室に
入っていくのに抵抗があるんだよ。」
「でも、仕方ないじゃない。入っていかない訳には行かないでしょ?」
「それくらい僕にも分かってるよ。分かってるから、あんまりいい顔も出来な
いんじゃないか・・・・」
「・・・それもそうね。ま、アタシから言える事は、気にするなっていう事く
らいね。」
「・・・うん。ありがとう、アスカ。気にしないように努力するよ。」

僕がアスカにそう答えると、アスカは苦笑して言った。

「努力するっていう事は気にするっていう事じゃない。バカね・・・・」
「う・・・・」

確かにアスカの指摘は正しかったので、僕は何も言えなくなってしまった。す
ると、横で黙って聞いていた綾波が、僕の弁護に走った。

「碇君は馬鹿じゃないわ。碇君に失礼な事言わないで。」

アスカは、二人の会話に水を差されたのにむっとしたのか、綾波にちょっとき
つく言った。

「シンジはバカよ。それも大バカじゃない。アンタ、そんな事も気がつかない
の!?」
「ア、アスカ!?」

僕はアスカがまさか、僕をここまでおとしめるとは思わなかったので、ちょっ
とびっくりして声をあげた。一方、綾波はというと、アスカの言葉がかなり気
に食わなかったのか、冷たい声でアスカに言う。

「・・・あなたは本当にそう思ってるの?」
「当たり前でしょ!?シンジはバカ。決まってんじゃない。」
「・・・じゃあ、どうしていつも碇君の側にいるの?碇君が嫌いなら、私に任
せてくれてもいいのに・・・・」

綾波は真剣な眼差しでアスカにそう言う。そして、言い終わった後にちらりと
僕の方に視線をやった。僕は急に綾波と目が合ったので、どきっとしたが、次
のアスカの言葉にすぐに注意が行った。

「アタシがシンジを嫌いな訳ないじゃない。だからアンタもバカなのよ。」
「・・・どうして?」
「シンジもバカ、アンタもバカ、そしてアタシもバカ。ついでに言うと、あの
カヲルって言う女もバカの一人ね。」
「ア、アスカ・・・?」

僕はアスカの言いたい事がよく分かっていなかったので、尋ねるような声でア
スカの名前を呼んだ。アスカはそれに気付いたのかどうか、いや、きっと気付
いていたとしても、全く気にした様子を見せずに、淡々とした口調で僕たちに
言った。

「アタシがこんなに好きで好きでたまらないのに、全然うれしそうにしてくれ
ないシンジはバカ。そして、想いに応えてくれないのに、それでもシンジにず
っと想いを寄せ続けるアタシ達もバカ。ほんと、みんなバカよね・・・・」
「・・・・・」
「でも、どうしようもないのよね。好きになっちゃったんだから・・・・」

アスカはまるで自分に話しかけるように、最後にそうつぶやいた。
まさしくアスカの言う通りだ。僕は本当に馬鹿だ。アスカや綾波にこんなに想
われているのに、何にも感じるところがないんだから。そして、そんな僕にあ
きれて、僕から離れてしまってもいいのに、ずっと僕の側にいてくれる。僕は
うれしかったのだが、なんだかものすごく自責の念に駆られた。そして、思わ
ず二人に対してひとこと言う。

「・・・ごめん、アスカ、綾波・・・・僕が馬鹿で・・・・」

すると、アスカよりも先に、綾波が僕に言った。

「碇君は悪くない。碇君は、こんな私にやさしくしてくれた、ただ一人の人じ
ゃない。だから・・・だから碇君は悪くなんてないわ。私は、今のこの碇君が
好きなんだから・・・・」

そして、綾波に続いてアスカも言う。

「ごめん、シンジ。余計な事言っちゃって・・・レイの言う通りよね。アタシ
がこんなに元気になれたのは・・・アタシが前のアタシより、ずっと綺麗にな
れたのは、シンジのおかげだもんね。シンジがいなかったら、今のアタシはな
いもの。」

僕は二人の言葉を聞くと、胸にぐっと来てしまって、うまく言葉にならない言
葉を発した。

「・・・綾波・・アスカ・・・ぼ、僕・・・・そ・・・・ええと・・・・」

するとアスカがさらりと僕に言った。

「アタシはシンジが好きだからね。今も、そしてこれからもずっと・・・・」

そして、僕の方に身体を伸ばして、ほっぺにチュッ!!
それを見た綾波も、アスカと同じく僕に言った。

「私も・・・碇君が好きだから。だから・・・・」

そして、アスカがキスした反対側のほっぺにやさしくキスをしてきた。
僕は二人の愛の言葉とキスに、呆然としてしまって、何も言えなくなってしま
った。そんな僕を見たアスカは、軽く笑って僕に言う。

「行きましょ、シンジ。もう遅刻だけど、早い方がいいわ。」

そう言ってアスカは僕の手をとる。それを見た綾波も、黙ってもう片方の僕の
手をとった。

「アタシから逃げようと思っても、そうは行かないわよ。シンジ!!」
「私も・・・碇君から離れないから。ずっと、一緒だから・・・・」

こうして、僕はアスカと綾波に両手を引っ張られて、誰もいない学校の廊下を
進んで行った。僕はその時は、なぜか人に見られたらどうだとか、そういう事
には一切気持ちが行かなかった。ただ、僕は一人じゃないという気持ちだけが、
強く胸を動かしていたのであった・・・・


続きを読む

戻る