私立第三新東京中学校

第百一話・櫛


ピンポーン!!

頭が痛い・・・・

ピンポーン!!

なんだかうるさいなあ・・・・・

ピンポピンポピンポーン!!

頭が割れそうだ・・・・・・

・・・・・・

ようやくうるさい音が止まった。これでゆっくり寝られる・・・・・

・・・・・・・・・・・


・・・・・・むうぅ・・・

僕はようやく目が覚めて起きあがった。頭はまだかなり痛かったが、僕はその
重い頭を上げて、壁掛け時計の方に視線をやる。

十時十三分か・・・・・ってじゅうじぃ!?

僕は背筋が凍る思いがした。そしてゆっくりと周りを見まわしてみる。
辺りは雑然としており、数え切れないほどのビールの空缶、そして数本のワイ
ンの空き瓶、更には僕が見た覚えのないブランデーと日本酒の空き瓶が転がっ
ていた。

ははは・・・・

僕はもう学校には大遅刻だということも忘れて、呆然としていた。そして、昨
日の酒宴の名残の間に、完全熟睡している女三人の姿も見えた。
ミサトさんは、確か僕が最後に見た時にはテーブルの椅子に腰掛けていたが、
今では固い床の上にごろりと横になって、軽くいびきをかいて寝込んでいる。
僕はミサトさんを踏んづけないように慎重にソファーの方に近づき、あとの二
人の様子を確かめに行った。
アスカも綾波も、昨日の乱れようとは打って変わって、心地よさそうな寝息を
立てて、いかにも女の子らしいやさしい寝顔を見せている。僕もこれが休みの
日なら、このまま眠らせておいてやりたかったのだが、もう間に合う間に合わ
ないどころの話でないとはいえ、このまま学校を休む訳にもいかない。取り敢
えず僕は一番手近な綾波の身体に手をかけると、軽く揺さぶって声をかけた。

「綾波、綾波。起きて。」
「・・・・・」
「綾波!!」

僕が少し強めにすると、ようやく綾波が眠りから覚めはじめた。

「・・・・碇・・・・くん?」
「綾波、朝だよ。っていってももう遅刻なんだけど。」
「・・・朝?・・・・ってここは?」
「リビングのソファーの上。綾波が酔っぱらって寝ちゃったんで、僕がここま
で綾波を運んでおいたんだ。」

本当のことを言うなら、綾波はミサトさんにげんこつで殴られてそのまま気絶
したのであるが、さすがに僕もそこまで言うことは出来なかった。綾波は僕の
言葉を聞いているうちに、次第に頭がはっきりしてきて、状況が理解できてき
たのだろうか、たどたどしく僕に話し掛けてきた。

「碇君が・・・・私を?」
「そうだよ。でも、そんな事言ってる暇はないんだ。もう十時をとっくにすぎ
ているんだよ。」
「本当?」
「本当だよ。だから綾波も、すぐに学校の準備をしてきて。僕はみんなを起こ
すから。」
「うん、わかった。」

綾波は僕の言ったことを何とか理解したようだが、学校に遅刻したということ
に対しては、あんまり重要に感じてはいないようで、ただ僕にそう言われたか
らそうするだけだとでもいうような感じで、ゆっくりと立ち上がると、すたす
たとどこかに歩いていった。綾波にあてがわれたミサトさんの部屋か、洗面所
か、まあ、そんなところだろう。
僕はまず綾波のことを解決すると、次にアスカを起こしにかかった。

「アスカ、アスカ!!」

アスカを起こす時は、綾波の時とは違って、はじめから荒っぽい。なぜなら、
僕はアスカがなかなか起きて来ないというのも知っているし、いつもこうして
いるからだ。

「アスカ、起きて!!」
「うう〜ん・・・・シンジ・・・・」

アスカは夢と現実がごちゃ混ぜにでもなっているのか、寝言で僕の名前を呼ぶ。
僕はそれを聞くと、少し頬が緩んだが、すぐに顔を引き締めると、最後の手段
としてアスカのほっぺたをぺちぺちと軽く叩いた。

「ん・・・・・シンジ・・・?」
「そうだよ。アスカ、起きて。もう学校遅刻だよ。」
「・・・・遅刻?いいじゃない別に。それより頭が痛い・・・・・」
「昨日は散々飲んだからね。二日酔いでもおかしくないよ。」
「二日酔い・・・?」
「そう。二日酔い。いったい一人でワインを何本飲んだの?」
「・・・・アタシ、そんなに飲んだの・・・・?」
「覚えてないの!?」

僕は思わずちょっと大きな声で驚きの声を上げると、アスカは顔をしかめて僕
に言った。

「ちょっと、大きな声出さないでよ・・・・頭に響くじゃないの・・・・・」
「ご、ごめん。でも、とにかく起きて。もう十時過ぎなんだよ。」
「ほんとに?」
「うん。綾波はもう起こしたんだけど、ミサトさんがまだだから、先に起きて
学校の準備をしてくれる?」

アスカは、僕が自分より綾波を先に起こしたと言う事を聞くと、ちょっと眉を
ひそめたが、口では何も言わずに、おとなしく僕の言う通りにして立ち上がる
と、リビングから出ていった。
そして最後はミサトさんだ。僕は自分が気絶したのはミサトさんのせいだと薄
々感じていたので、かなり乱暴にミサトさんをたたき起こした。

「ミサトさん、ミサトさん!!起きてください!!遅刻して、減俸になっても
知りませんよ!!」

僕は自分の頭に響くのもかえりみずに、大声でそう言うと、ミサトさんの肩を
つかんでがたがたと揺さ振った。すると何とかミサトさんもその深い眠りから
目覚めてきた。

「ん・・・・シンちゃん・・・?」
「ミサトさん、起きましたか!?」
「・・・・起きたわよ。起きた・・・・」
「じゃあ、すぐに学校に行く準備をしてください。」
「・・・・って、今何時なの?まだ遅刻じゃないんでしょ?」
「冗談じゃありません!!もう十時をとっくにすぎてますよ!!」
「ほんとに!?って、あいたたた・・・・」

ミサトさんは思わず大きな声を出してしまって、二日酔いの頭痛の痛みにこめ
かみを押さえる。僕は自業自得と感じていたが、僕にもミサトさんの状態が少
しは共感できるので、敢えてミサトさんにきつい言葉は吐かなかった。
ミサトさんはまだこめかみを押さえたまま、立ち上がって流し台のところに歩
いていくと、コップに水をくんでごくごくと飲み干した。それで少しすっきり
したのか、ミサトさんは僕の方を振り返ると、何も言わずにそのまま部屋をあ
とにした。
こうして僕は三人を起こして一人リビングに取り残された。僕は辺りの散らか
りように、これからの後片付けに思いを馳せながら、自分の部屋に戻って着替
えに行った。

僕の着替えはすぐに出来た。僕はそもそもあまり身なりに気を配る方ではない
し、同世代の男の子なんて、所詮僕と大差はないであろう。僕は昨日着たワイ
シャツの首まわりの汚れ具合をチェックすると、大丈夫と見てそのままそれを
着たのだ。もちろんズボンも替えなどある訳がない。だから大して細かく考え
ることもないのだ。僕は急いで今日使う教科書やノートを鞄の中に詰め込み、
そそくさと洗面所に向かった。
運のいい事に洗面所には誰もいなかった。僕は適当に顔を洗い、口をゆすぐと、
鏡に向かって頭を軽くとかす。本来なら僕などは手櫛でささっとやればそれで
よかったのだが、なぜかアスカがもうちょっときちんとしろと難癖を付けてく
るので、仕方なく最近はこうしている。髪などどうでもいいのに・・・・
そう、髪といえば、アスカはどうするつもりなんだろう?まさかこの遅刻しそ
うで、しかも綾波がいるという状況下で、僕に髪をやれとは言わないだろうな?
僕は鏡を見ながらそんな心配に駆られていた。しかし、それはほんの少しの間
のことであって、僕はすぐに現実に立ち返ると、みんなよりも一足先にリビン
グに戻っていることにした。

顔を洗ってすっきりした目で改めて見てみると、やっぱりかなり散らかってい
る。僕は取り敢えずみんなが転ばないようにと、足元に落ちている瓶や缶の類
を拾い集めた。そして更にテーブルの上のそれらも集めて、全て分別して指定
のゴミ袋にほうり込んだ。そして、その後に食べ散らかされた昨日の残り物を
整理して、今日の朝食にすることにし、空のお皿を流し台に運んで、水に浸け
ておいた。
僕はそこまでして、後は帰ってからということにした。それにこれから弁当を
作っているという訳にもいかないので、つまり僕はもう何もすることがなくな
ったのだ。しかし、いつまで経っても、誰も着替えを終えてこっちに来るよう
な気配がない。僕はちょっと待っていたが、次第にじれったくなってきて、み
んなを急かしにいくことにした。

まず、僕はアスカの部屋の前に立って呼びかける。

「アスカ!!早くしてよ!!」

しかし中からは何のいらえもない。アスカは普段こういう時には必ず何らかの
返事をしてくるのだが、こうだんまりされていると、僕はちょっと心配になっ
てくる。

アスカ・・・また寝ちゃったか・・・?

僕はそういう不安を抱くと、もう一度アスカに言う。

「アスカ!?起きてるんでしょ!?中に入るよ!?」

しかし、返事はない。僕は今さっき言った通りにドアのノブを回して、中に入
ったが、アスカは中にはいなかった。僕は頭に軽く響くのをこらえて言った事
だっただけに、かなり自分のやってたことが馬鹿馬鹿しく思えてしまった。
きっとアスカはトイレかどこかだろう。僕はそう思いながら、今度は綾波を催
促しに行った。そこで僕はふと思う。

綾波って朝はどういう風な支度をしていたんだろう・・・?

僕にはちょっと想像がつかなかった。まあ、普通に着替えて、普通に学校に来
ていたのだろうが、果たして髪をとかしたり、きれいに身繕いをしているのだ
ろうか?僕はちょっと興味をひかれながら、綾波がいるはずであろう、ミサト
さんの部屋のドアをノックして言う。

「綾波、支度できた?」
『碇君・・・?ごめんなさい、あともう少し。』
「そう、ちょっと急いでね。」
『うん。あ、碇君?』
「なに、綾波?」
『ちょっとお願いがあるの・・・・・』
「なに?言ってみてよ。」
『櫛なんだけど・・・・私、家から持って来なかったの。よかったら碇君のを
貸してくれる?』
「いいよ。じゃあ、ちょっと持ってくるね。」
『ありがとう、碇君。』

僕は綾波に頼まれて、洗面所に向かった。洗面所はお風呂場とつながっており、
お風呂場からはシャワーの音が聞こえてくる。僕は、あんまり深い意味はない
のだが、すりガラスごしに見えるシルエットの髪の色から、中に入っているの
がアスカだと気付いた。

「アスカ?シャワー浴びてるの?」
『そうよ!!昨日はお風呂に入れなかったからね!!』
「時間がないから早くしてよ!!」
『わかってるわよ!!』
「頼んだよ!!」
『それよりシンジ・・・・?』

アスカはそう言いながら、こっちに近づいてくる。いくら間にすりガラスがあ
るとはいえ、こう接近されるとアスカの身体のラインが見えて、かなり恥ずか
しい。僕は思わず視線をそらすと、自分の動揺をごまかすかのように、大きな
声でアスカに尋ねた。

「何、アスカ!?」
『一緒にシャワー、浴びる?』
「な、何言ってんだよ、朝っぱらから!?」
『えっちねえ・・・何想像してるの?別に何も変なことしやしないわよ。』
「あ、当たり前だろ!?そういう問題じゃないの!!」
『あ、シンジはアタシの裸、見たことないんだっけ!?なら今見せてあげよっ
か!?』
「い、いいよ!!もう、僕をからかうのは止めてよ!!」
『ごめんごめん。でも、そういうえっちな意味でなく、アタシの裸って綺麗よ。
今度ほんとに見せてあげるわね。』
「だ、だからいいってば!!」

僕はこのままこうしてアスカと問答していても、きりがないように感じたし、
それよりもアスカが調子に乗って、いつこのまま裸の状態でここから出てくる
かわからなかったので、無理矢理に話題を変更することにした。

「ところでアスカ、アスカの櫛、借りていい?」
『別にいいけど・・・・何に使うの?シンジが自分の髪をとかすの?』
「違うよ。綾波が櫛がないっていうから、貸してあげるんだよ。」
『そう・・・・アンタの櫛を貸せば!!って言いたいところだけど、レイにシ
ンジの櫛を使われる方がしゃくだからいいわよ。どれでも好きなのを持って行
って。』

アスカはそう言うと、ようやくお風呂場のドアから遠ざかって、シャワーの方
に戻った。僕はほっとしてアスカの櫛を適当に選ぶと、急いで洗面所から抜け
出し、僕を待つ綾波のもとへそそくさと向かった。僕はその時、どうやらアス
カのことでかなり動揺していたのか、ノックもせずにいきなりミサトさんの部
屋に飛び込んで言った。

「綾波、お待たせ!!」

僕の見た綾波は、既に制服姿に着替えていた。綾波は僕に近づくと、微笑みな
がら言う。

「ありがとう、碇君。わざわざ私のために・・・・」
「別にいいんだよ。それより、はいこれ。」

僕はそう言うと、アスカから借りてきた櫛を綾波に手渡す。綾波はそれを受け
取ったが、なぜかいぶかしげな顔をしてつぶやく。

「碇君、これ・・・・・?」
「ああ、これ、アスカから借りてきたんだ。綾波も男の僕の櫛よりも、同じ女
の子のアスカの櫛の方が気持ち悪くないでしょ?」
「・・・・うん・・・・・」
「じゃ、後でアスカに返しておいてね。」
「・・・うん・・・・」

僕は取り敢えず綾波に櫛を渡すと、この部屋から出て、またリビングの方に戻
って行った。アスカの櫛を受け取った綾波が、櫛を握り締めながらどんな表情
で僕の出ていったドアを見つめているのかも知らずに・・・・


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