私立第三新東京中学校

第九十九話・ワインの色


僕は台所で料理をしている。
そして、僕の右手には綾波、左手にはアスカがいる。二人とも僕を手伝ってく
れているのだが、いかんせん三人揃うと台所は狭い。前も確かこういうことが
あったような覚えがあるが、何だか今日は特に狭く感じる。僕の気のせいなの
だろうか?

僕の左肘がアスカにぶつかる。

「あ、ごめん、アスカ。」
「んん、気にしないで。」

アスカはなぜか怒らない。まあ、このくらいのことで怒る怒らないと言っては、
身も蓋もないのであるが、それにしてもアスカももうちょっと僕に対して何か
言ってもいいものだ。しかし、今のアスカは何だかやけに機嫌がよく、少し気
味悪く感じるくらいだ。
まあ、それはともかく、この調子では今度は綾波に肘鉄をかましそうな気がし
たので、僕は二人に向かって言った。

「二人とも、今日は僕一人で作るから、向こうで座って待っていてよ。」
「何でよ?別にいいじゃない、手伝ったって。」
「いや、手伝ってくれるのはうれしいんだけど、狭いし、しょっちゅうぶつか
ったりしたら嫌だろ?」
「アタシは構わないわよ。」

僕が本心から言った言葉を、アスカは平然と否定する。それに続いて綾波も僕
に向かって言った。

「私も、碇君とならぶつかってもいい。」
「ちょ、ちょっと、二人とも・・・・」

僕が困っていると、後ろで座ってこっちを観察していたミサトさんが僕を冷や
かしてきた。

「シンちゃ〜ん、もてる男はつらいわねぇ〜。」
「ひ、冷やかさないでくださいよ、ミサトさん!!」
「ま、とにかくがんばんなさいよ〜!!」

ミサトさんは他人事だと思って、かなりいいかげんな態度だ。まあ、元々ミサ
トさんはそういう野次馬根性のある人だというのは、既にわかっていたことな
ので、僕は今更目くじら立てて怒るようなことはしなかった。しかし、ちょっ
とむっときたので、僕は口には出さなかったものの、かなりのしかめっ面をし
ていた。

僕がミサトさんと話をしていて、その手が止まっている間にも、左右の二人は
手を休めてはいない。
アスカはまだ料理をはじめてから日が浅いということもあって、もっぱら僕は
材料の下ごしらえをお願いしている。つまり、芋の皮むきとか、そんなものだ。
以前のアスカだったら、どうして自分が芋の皮むきなのか!?と、大声で僕に
食って掛かっただろうが、今ではもうそんなこともない。アスカも自分のこと
を素直に受け入れるようになったのだろう。そして僕はそのことを、素晴らし
いことだと思う。今の自分を認識し、それを進歩させようと努力する姿は、例
えまだ技術が未熟であっても、とても美しいものだ。こういう点は、僕も見習
わなくてはならない。
そして、もう一方の綾波だが、綾波はもう既にかなり料理の腕前は上達してい
るので、大体任せきりにしてある。しかし、綾波は僕に任せられているのを喜
ぶのとは裏腹に、しきりに僕に話し掛けてくる。

「碇君、これはどういう風に切ったらいいの?」
「ん?ああ、それは短冊切りに。」

「碇君、味付けはこれでいい?」
「ん?どれ・・・うん、いいと思うよ。」
「ほんと!?よかった。」

「碇君、そろそろ煮えたと思う?」
「ん・・・?うん。箸も通るし、いいんじゃない?」
「うん。」

と、大体は僕に聞かなくてもいいようなことなのだが、綾波は僕と一緒に料理
して、そして側で話ができるということ自体がうれしいらしく、その内容は大
して問題ではないらしい。僕はそういうところはかわいいと思うのだが、ちょ
っとしつこすぎるきらいもあるため、辟易しはじめていたのも事実である。
まあ、それでも綾波の話し掛けてくることは、一応料理についてのことなので、
僕も邪険にすることもなく、一つ一つ丁寧に答えてやっていた。

そしてしばらくして、下ごしらえや何やら、細々としたことはすべて完了した
ため、もうアスカにしてもらうこともなくなり、ここを離れてテーブルの上を
きれいにしてきてもらうように頼んだ。綾波の方も、ほんとだったらまだ手伝
ってもらえることもあったのだが、綾波にだけ手伝ってもらうとなるとアスカ
がむくれるので、綾波には食器を出してもらうことにした。すると綾波は珍し
くちょっと不満気な顔をして僕に言ってきた。

「私はもう少し、碇君のとなりで手伝いたい。だめ?」

綾波は懇願するように言ったので、僕もなんだかかわいそうな気分になったの
だが、アスカがおとなしく言われた通りにしてくれた以上、綾波のわがままを
通させるわけにもいかなかった。それに、これからは火を使うので、あんまり
側に来られても邪魔になるだけであるので、僕は綾波にそう言って聞かせた。

「ごめんね、綾波。これからちょっと火を使うから、綾波がいてもすることな
いんだ。それに、お皿を出すのも、大事な仕事なんだよ。」

何だか子どもを諭すみたいな言い方になってしまった。しかし、綾波はそうい
うことまでは気付かなかったとみえて、純粋に僕の言葉を受け入れてくれた。

「わかったわ、碇君。ごめんなさい、わがまま言って。」
「いいんだよ、別に。じゃあ、お皿お願いね。」
「うん。」

こうして、僕はようやく一人になれて、広々と台所を使うことができた。

やっぱり料理は一人でやったほうがいいな・・・・

僕はそんなかなり失礼なことを考えながら、フライパンを振り、揚げ物を揚げ
た。換気扇を回していても、辺りにはいい匂いが広がる。後ろでは何もしない
で一人座っているミサトさんが、声を上げた。

「く〜、待ちきれないわね!!シンちゃ〜ん、まだ〜!?」
「もう少しですから、待っててくださいね。」

僕は振り返ることなく、ミサトさんに答える。きっとミサトさんは缶ビールで
も握り締めながら叫んでいるのだろう。僕にはそんな事くらい見なくても分か
るのだ。すると、案の定アスカがミサトさんに言う。

「ミサト!!ビール片手に何のんきなこと言ってんのよ!!ちょっとは手伝う
気とか、ないの!?」
「あら、だってアタシなんかが手伝うと、却って邪魔になるでしょ?それに、
アタシは男女の仲に立ち入るほど、野暮じゃないもの。」

ミサトさんに言われると、アスカはかなりうろたえたような口調になって、ミ
サトさんに言い返す。

「な、何馬鹿なこと言ってんのよ!?」
「ま、いいけどね〜。それにアタシはまだ、ビールを飲んでないんだから。こ
うして缶を持って、準備してるだけよ。」

ミサトさんは真面目にアスカの相手をしていない。こんな調子で本当にまだ酔
っ払っていないのだろうか?僕には到底信じられないことだ。もしかしたら、
缶を持っただけで飲んだ気分になれるのかな?

僕はそんなくだらないことを考えながらも、料理の方は進めていたので、それ
ほどミサトさんを待たせることもなく、料理の方は完成した。

「出来ましたよー!!」

僕は料理ののった皿をテーブルに運びながら、みんなにそう言う。アスカも綾
波も運ぶのを手伝ってくれているので、座っているのはやっぱりミサトさんだ
けだ。
三人で運んだこともあって、すぐにテーブルはごちそうの並んだお皿で一杯と
なった。僕は全て終わったので、エプロンを外しながら席に着く。綾波も、こ
れは僕が見せてもらったときには気付かなかったのだが、僕が買ってあげたエ
プロンを持ってきていたので、それを外してさっとたたむと、ちゃっかりと僕
のとなりに腰を下ろした。
アスカはそれを見て、しまった!!というような表情をしたのだが、あきらめ
でもしたのか、何も言わなかった。そして、アスカは一人、冷蔵庫の前に行く
と、中からワインを二本取り出して、どんとテーブルの上に置いた。

「これは・・・?」

僕が恐る恐るアスカに尋ねる。するとアスカは平然とした顔をして言った。

「ワインよ。決まってんじゃない。」
「で、でも・・・・」
「アンタ、聞いてなかったの!?今日は飲むのよ。もちろん、アンタとレイも
よ。いいわね!?」
「う、うん・・・・」

僕は確かにアスカがそんな事を言っていたような記憶があったので、あまり大
きく反論することもなく、おとなしく従う態度を見せた。すると、アスカは更
に続けて言う。

「シンジ、白とロゼ、どっちがいい?」
「え!?うーんと・・・・じゃあ、ロゼ。」
「ロゼね。」

アスカはそう言うと、ワインの栓を開け、僕の正面に伏せて置いてあったグラ
スをひっくり返すと、とぽとぽと注いだ。そしてそのまま自分の前にあったグ
ラスもひっくり返し、ワインで満たした。
アスカはそれでひとまずボトルを置き、今度は白ワインの方に手を伸ばすと、
それの封も切り、綾波のグラスをひっくり返して言った。

「レイ、アンタにはやっぱり白よね。白が似合ってるもの。」

アスカはそう言うと、有無を言わせず綾波のグラスに白ワインを注いだ。そし
て返す刀でミサトさんにも白ワインを注ぐと、こう言った。

「ミサト、アンタもはじめは付き合いでワインにしなさいよね。その後は、ビ
ールだろうと焼酎だろうと、好きにしていいから。」
「わかったわよ、アスカ。」

ミサトさんは気分を害した様子もなく、アスカに答える。しかし、綾波はとい
うと、何を思っているのか無感情な瞳で、目の前に置かれた白ワインの満ちた
グラスを黙って見つめていた。
僕が綾波の気持ちを推し測るような目で見つめていると、アスカがそれに気付
いたのか、ちょっと大きめの声でこう言った。

「さ、乾杯よ!!みんなグラスを持って立って!!」

僕はアスカの声を聞くと、正面に向き直って、アスカに言われたとおりグラス
を持って立ち上がった。全員が立ち上がると、アスカが音頭を取って言う。

「では、レイの引越しを祝して、かんぱ〜い!!」

僕はアスカのグラスと軽く合わせ、ミサトさんのとも軽く音を立てた。しかし、
綾波はこういう事ははじめてなのか、よく分からないと言った様子で、グラス
を持ったまま立ち尽くしている。僕はそんな綾波に向かって、グラスを持って
いくと、チリンと軽くぶつけてこう言った。

「引越しおめでとう、綾波。」
「・・・・・?」
「乾杯だよ。こうやってグラスを合わせて、それから飲むんだ。」
「・・・ごめんなさい、私、何も知らなくて・・・・」
「いいんだよ。さ、アスカもミサトさんも待ってる。」
「うん。」

綾波は小さい声でそう答えると、二人のグラスの方に手を伸ばし、それぞれに
自分のグラスを触れさせた。それを確認した僕は、綾波に向かって言う。

「それで、飲むんだ。ほら、こんな感じで・・・」

僕はそう言うと、綾波に見せるように自分の手に持ったグラスを一息で空ける。
別に一気飲みしなくてもよいのだろうが、綾波にははっきりと分からせるため
にも、こうして見せたのだ。綾波は僕がワインを飲み干したのを見ると、恐る
恐るグラスを口の方に持っていって、少しずつ飲みはじめた。そして、かなり
ゆっくりではあるけれども、僕と同じようにグラスを空にすると、ふぅ、と一
息ついて僕にこう言った。

「これでいい、碇君?」
「うん、いいよ。」
「でも、何だかちょっと苦い・・・・・」
「お酒だからね。僕も苦いと思うよ。」

僕がそう言うと、アスカがワインをくいくい飲みながら、僕に向かって言う。

「アンタ、こんな甘いので苦いって言ってんの!?じゃあ、赤ワインにしなく
て正解だったわね!!」
「赤ワインって、そんなに苦いの?」
「苦いって言うか、渋いのよ。アタシはちょっと苦手ね。」
「そう・・・・」

僕は飲んだことがなかっただけに、アスカの言葉もいまいちピンと来なかった。
一方ミサトさんはいつのまにか自分のワインは飲み干してしまっていて、缶ビ
ールをぐびぐび飲んでいる。しかも、久しぶりの自宅でも飲酒ということで、
かなりハイペースだ。ただでさえ飲むのが早いというのに・・・・

僕がミサトさんの飲みっぷりにあきれていると、早くも少し酔いが回ってきた
のか、頬を薔薇色に染めたアスカが、僕に言う。

「シンジ、アタシたち、おそろいの色ね。」
「う、うん。」
「アタシ、シンジがロゼを選んでくれて、うれしかったんだ。」
「そ、そう・・・」
「アタシの色だもんね。もしシンジが白って言ったら、どうしようかと思っち
ゃった。」
「べ、別に僕は深い意味でそう言った訳じゃないんだけど・・・・」
「って言うことは、深層心理でも、アタシを求めてるってことよね。」
「・・・・・」

アスカも酔っているのか、人前では言わないようなことも、つるつると口に出
している。僕は少々アスカの強引な理論に圧倒されていたが、そんな時、綾波
が僕の袖をくいくいと引っ張った。

「んって、何、綾波?」

僕はそう言って綾波の方を振り返ったが、僕の見た綾波はアスカの比ではなく、
完全に真っ赤になっていた。綾波にはそういう経験がないだけに、免疫がなか
ったからなのか、はたまた綾波は色白なだけに格別それが目立つのか、僕には
分からなかったが、綾波が一杯のワインで酔いはじめていることだけは明らか
だった。そして、綾波は熱っぽい吐息と共に、僕に向かって言う。

「何だか熱いの・・・・」
「お、お酒のせいだよ。」
「お酒を飲むと、こうなるの?」
「そうだよ。綾波ははじめて?」
「うん・・・・こんな気持ちはじめて・・・・」

綾波がそう言うと、アスカがそれを聞いて、ワインのボトルを手にして言った。

「なら、もっとどんどん飲みなさいよ。そもそもアンタは堅物でいけないのよ。
酔っ払ってアンタ自身を見せてみたら!?」

そしてアスカは、空になった綾波のグラスになみなみと白ワインを注ぐ。する
と綾波もどういう訳か、グラスを手に取ると一気にまたそれを空けた。

「お見事!!」

アスカは大きな声で綾波に向かってそう言っている。
もうこれでは完全に酒宴だ。ミサトさんは既に一人で飲みまくっているし、ア
スカは面白がって綾波に飲ませながら、自分でもくいくい飲んでいる。これで
は僕がせっかく作った料理も水の泡だ。僕は大きくため息をつくと、箸を取り、
目の前においてあった豆腐ステーキを口に入れた。綾波はハンバーグが駄目な
ので、僕がわざわざその代わりに作ったものだ。しかも綾波一人じゃ寂しいと
思って、僕もそれにしたのだ。

何だか虚しいなあ・・・・

僕は心の中でそう思うと、酒飲み達とは離れるかのように、料理の皿に集中す
るのであった・・・・


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