私立第三新東京中学校

第九十八話・騒動とキス


僕達は、スーパーで買い物を終えてようやく家路についた。
スーパーでは、特にミサトさんとアスカが何やらにぎやかにやっていたが、僕
は一人で黙々とごちそうの材料をかごに入れていった。ミサトさんはともかく、
アスカはもう自分でも料理をするのだから、もう少し買い物に興味を示しても
いいものだが、どうやらそういうことはなさそうだ。そもそもアスカは作るの
は作っても、それだけであって、片づけとかははっきり言って嫌いみたいだ。
まあ、そう思う気持ちは僕にも分かるのだが、それでも自分のやったことに最
後まで責任を持って欲しいと思ったりする。無論、そんな事はアスカには言え
ないけどね。
一方、綾波の方はというと、こちらもあんまり買い物に関しても現実的ではな
いようで、それほど興味を示した様子は見せない。まあ、それでも僕に付き合
ってくれるだけでも、ほかの二人よりましなのだが、あまり参考になる相手と
はいえない。なぜなら、僕が綾波に、

「これなんかどう?」

と尋ねても、綾波の答えはいつも、

「碇君がいいなら、私もそれがいい。」

と、こんな感じで、自分の意見を持とうとしない。困ったことだ。
と言うわけで、僕は綾波に頼ろうとするのを止め、すべてを自分の考えで決め
ていったのだ。
こうして僕はつまらない買い物を終えて、今、車の中にいる。
ミサトさんはご機嫌で、鼻歌なんぞを歌っていた。その理由ははっきりしてい
て、ミサトさんはうちでお酒が飲めるからだ。ミサトさんはどういう訳か律義
にもリツコさんに言われた禁酒令を守っていたので、うちでは飲まずにもっぱ
ら外に行って飲んでいたのだ。だから近頃帰りが遅いということもあったのだ
が、今日、スーパーで物欲しそうに立ち並ぶ缶ビールを眺めていたミサトさん
にアスカが次のように声をかけたのだ。

「ミサト、何ビールなんか見てんの?」
「うちでは飲んじゃ駄目って、リツコに言われてるからね・・・・」
「まだそんなこと気にしてたの!?前にも言ったけど、そんなの無視しちゃえ
ばいいのよ。」
「・・・・・」
「それに、今日はパーティーじゃない!!今日くらいは大目に見てくれるわよ、
きっと!!」
「そ、そう思う、アスカ!?」
「そうよ!!アタシもワインあたりをいただくから、ミサトも飲みなさいよ。
遠慮なんかしないでさ!!」
「そ、そうよね・・・よし、今日は死ぬまで飲むかー!!」

と言うわけで、ミサトさんはアスカの煽動にすっかりのせられてしまっていた。
もちろんミサトさんのお酒を飲みたいという強い欲求が後押ししたのは事実な
のだが、それにしてもアスカもやりすぎのような気もする。特に僕はミサトさ
んに無理矢理お酒を飲まされた経験があるだけに、これからがかなり心配だ。
僕だけにならまあ、我慢もできるけど、綾波にまで無理矢理飲ませるようなこ
とにでもなると・・・・どうなるんだろう?

僕がそんなことを考えているうちにも、もううちの前まで着いた。さすが車と
いったところか、本当にあっという間のことだった。今は大丈夫だったけど、
これでもっと優しい運転をしてくれれば、もっと乗せてもらってもいいんだけ
れどそれは無理な注文であろうか?

「ただいまー!!」

ミサトさんが先頭に立って、誰もいない家の中に入る。そしてそれに続いて僕
とアスカが入っていった。最後に綾波が入って行こうとすると、玄関先でミサ
トさんが綾波を止めた。

「ちょっと待って、レイ。」
「何ですか、葛城先生。」
「んーっと、その前に、その葛城先生っていうの止めてくれない?アタシたち
は家族になるんだからさあ。」
「わかりました。」
「ミサトって呼んで。いいわね?」
「はい。ミサト・・・さん。」
「おっけーおっけー。で、次なんだけど、ま、これはいわゆる儀式みたいなも
んね。」
「儀式?」
「そ、ここはこれからあなたのうちになるってことで、入るときは<ただいま>
って言うのよ。いい?」

綾波はミサトさんの言葉を聞くと、黙ってうなずいて、そして小さな声でひと
こと言った。

「・・・ただいま。」

するとミサトさんは僕のときと同じようにやさしく言う。

「おかえり、レイ・・・」
「ただいま・・・」
「二度はいいのよ。」
「は、はい。」

綾波はついその「ただいま」というのを反芻してしまい、ミサトさんに軽くた
しなめられた。でも、何だか綾波は嬉しそうな顔をしていた。そして、僕はそ
んな綾波の気持ちが分かるような気がしていた・・・・

僕達三人がちょっと現実から離れている間に、一人現実を保っていたアスカが、
僕達に声をかける。

「いつまでもそんなところに突っ立ってないで、中に入りなさいよ。まだいろ
いろしなくちゃいけないことがあるんだから。」
「そ、そうだね、アスカ。」
「そうよ、大体ファーストの寝る部屋ってあるの?空いてる部屋なんてないじ
ゃない。」

アスカの言ったことは実にもっともなことであったが、ミサトさんはそれには
答えずに、別のことをアスカに注意した。

「アスカ、そのレイをファーストって呼ぶのは止めなさい。これから一緒に暮
らすんでしょ!?」
「そ、そりゃあ、そうだけど・・・・」
「なら、いいわね?」
「・・・わかったわよ。」

アスカはかなり嫌そうでもあったが、とりあえず納得した様子を見せると、綾
波に向かって大きな声で言った。

「ファースト、アンタのことは今現在から、レイって呼ぶわよ!!いいわね!?」
「・・・いいわよ。」
「だからアンタも、アタシのことをアスカって呼びなさい。わかったわね、レ
イ!?」
「わかったわ。」
「じゃ、言ってみて。」
「・・・・アスカ。」
「よし。ま、いいでしょう。」

こうして名前問題で一応の決着をつけると、アスカはまたミサトさんの方を向
いて尋ねた。

「これでいいわね、ミサト!?」
「上出来よ、アスカ。で、そのレイの部屋のことなんだけど・・・・」
「どうすんの?」
「どうしよっか!?みんな、いい案ない?」
「って、アンタ、何も考えずにレイを引っ越させたわけ!?」
「しょ、しょうがないでしょ!!リツコが今日すぐにだって言うもんだから、
アタシもいろいろ考える暇がなかったのよ・・・・」
「確かにそうね。と言うことは、やっぱり誰かの部屋に入ることになるのよね
え・・・・」

アスカのその言葉を聞くと、黙っていた綾波がいきなり口を出してきた。

「私は碇君の・・・・」
「ダメ!!それだけはダメ!!アタシもまだそうしてないんだから!!」

アスカは綾波が最後まで言い終わるのも待たずに、大きな声で綾波の考えを禁
じた。すると、綾波は残念そうな顔をして言う。

「駄目なの・・・?」
「当たり前でしょ!!ミサトも何とか言ってやってよ!!」

アスカに振られたミサトさんは、やれやれといったような顔をしながらも、取
り敢えず保護者の立場を貫いて、綾波に言った。

「駄目なのよ、レイ。やっぱり、男の子と女の子じゃね・・・・」
「そうですか・・・・わかりました。」
「ま、チャンスはいくらでもあるから、諦めなくてもいいわよ。」
「ちょ、ちょっと、何言ってんのよ、ミサト!!」
「じょ、じょーだんだって、アスカ。軽い冗談よ。」
「あの娘は、そうはとってないみたいよ。」

アスカの言葉に、僕達は綾波に視線を向ける。確かに僕達の見た綾波は、ミサ
トさんの言葉を冗談とはとっていないようで、本気に計画を立てていたような、
そんな目つきであった。ミサトさんはそれを見ると、驚いて綾波に向かって訂
正する。

「レ、レイ!!さ、さっきのはほんの冗談だから。だからまともに受け取らな
いで・・・・」
「嫌です。私は碇君を諦めませんから。」
「レ、レイ・・・あなた・・・・」
「碇君とは同じ部屋になれないのは残念ですけど、私は諦めませんから。」
「・・・・・」

ミサトさんは何も言えなくなってしまった。そんな中、アスカが僕に耳打ちす
る。

「どーすんの、シンジ?」
「どうするって言ったって・・・・」
「浮気するんじゃないわよ。それから、夜這いには気を付けなさい。いいわね?」
「ちょ、ちょっと、アスカ・・・・いくらなんでもそこまでは・・・・」
「だからアンタは甘いって言うのよ。レイはアンタのためなら、どんなことで
もしかねないわ。」
「で、でも・・・・」
「でももへったくれもないの。いいわね!?」
「わ、わかったよ・・・・」
「わかればよろしい。」

まったくアスカはとんでもないことを言うもんだ、と僕は思いながら、その当
の綾波の方を見てみると、僕とアスカが何やらひそひそ話をしていたのに気づ
いて、僕のことをじっと見つめている。僕はその綾波の見透かすような視線に、
ちょっと後ろめたいような気持ちも覚えたが、口には何も出せなかった。
しかし、僕が綾波の視線にさらされているとき、ミサトさんが僕達に向かって
言った。

「じゃあ、レイは取り敢えずアタシのところに寝てもらうわ。それでいい?」
「はい。」
「これで決まりね!!さ、シンちゃん、お料理よろしくね!!」

ミサトさんはそれだけ言うと、綾波の手をつかんでとっとと自分の部屋に入っ
ていってしまった。残された僕とアスカは、呆然としてそのミサトさんの去っ
て行ったあとを眺める。

「・・・・何だったんだろう・・・・?」
「さあ・・・?お腹が空いたから、早く話を切り上げたかったんじゃないの?」
「そうなのかなあ・・・?」
「そうよ、きっと。ま、アタシとしては、レイにアタシの部屋のスペースを取
られなくって、ほっとしてるんだけどね。」
「でも、ミサトさんの部屋で大丈夫なのかなあ・・・・?」
「もしかしたら、レイに部屋の掃除をさせたくって、自分の部屋に入れるって
言ったんじゃないの?」
「・・・・有り得なくはない話だね。」
「現実味たっぷりよね。」
「うん。」
「そういうことなのよ、きっと。」
「そうだね。じゃあ、僕達も自分たちの部屋に戻ろうか?」

僕がはじめてアスカの方を向いてそう提案すると、アスカもこっちを向いたが、
なぜか顔を真っ赤にしていて、それにいい返事をしなかった。

「で、でも・・・・」
「なに、何か問題でもあるの?」
「べ、別に問題はないんだけどね・・・・その・・・・」
「何なの?はっきり言ってくれなくっちゃわかんないよ。」
「その・・・・レイが引っ越してきて、もうあんまり二人っきりにはなれない
でしょ・・・?」
「そうだね。」
「って、もう!!気付いてよ、アタシの気持ち!!」
「アスカの気持ち!?」
「この鈍感!!こういうことよ!!」

アスカはそう言うと、いきなり僕にキスしてきた。

「んんっ・・・・」
「んっ・・・」

長めのキス。僕はいつ見られるかと思って、どきどきしていたが、アスカはな
かなか僕から唇を離そうとはしてこなかった。
しかし、まあ、それにも限界はある。アスカはようやくキスをやめて、僕から
離れると、息をついた。

「ふぅ・・・」
「・・・・」
「シンジ?」
「な、何?」
「感じた?」
「な、何言ってんだよ、アスカ!!」
「結構スリリングよね、こういうのって。」
「もう、びっくりしたよ、いきなり・・・・」
「でも、そんな事言って、シンジも満更じゃなかったくせに・・・・」
「そ、そんな事ないよ!!」
「うそ!!だって、全然抵抗しなかったじゃないの!!」
「そ、それは・・・つまり・・・・・」

僕がアスカの指摘に困ってくちごもっていると、アスカは笑いながら僕にこう
言った。

「冗談よ、シンジ。からかってみただけ。」
「・・・・冗談にしちゃあきつすぎるよ。」
「ふふふっ!!でも、これからレイも一緒に住むとなると、ろくろくキスもで
きなくなるわね。」
「いいよ、僕はキスなんてしなくても・・・・」
「駄目よ!!シンジはしたくなくても、アタシがしたいんだから。」
「そんな・・・・」
「これからチャンスは少なくなるから、アタシはのがさないわよ。」
「アスカ・・・・」
「じゃ、シンジ、またあとでね!!」

アスカはそう言うと、自分の部屋に消えて行った。僕は一人玄関先にたたずみ
ながら、呆然としていた。いったい綾波に見つかったら、アスカはどうするん
だろう?僕は恐ろしすぎて、想像もしたくなかった。
しかし、綾波も一緒に暮らすようになると、アスカと同じく僕にこうしてくる
のだろうか?僕はそう思うと、なんだかちょっと恐くなった。アスカが考えて
るほど、僕はこういうのが好きなわけではないのに・・・・

僕はため息をつくと、台所にスーパーの袋を持っていき、買ってきたものを出
し始めた。やっぱりこうして何かをしているときが一番落ち着く。僕はこれか
ら作る料理のことを考えて、それ以外の考えを締め出した。
これも逃げの一種なのだろうか?しかし、僕はこうせずにはいられなかった。
なぜなら、僕は今までこのようにしか、生きてこられなかったのだから・・・・


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