私立第三新東京中学校
第九十七話・増える家族
僕たちの話し合いは終わった。
綾波が僕たちの家に引っ越してきて僕を守り、渚さんのことは様子を見るとい
うことで一応の決着が付いた。案外時間が経たなかったようでそうでもなかっ
たのか、外はそろそろ日も暮れかけてきたようだ。僕たちが帰ろうと思って揃
って校舎を出た時、ミサトさんの車が校門の前に止まる。
「三人とも、乗せてってあげるわよ!!」
ミサトさんは窓を開けてそこから顔を覗かせて僕たちに呼びかける。僕として
は歩いて帰ってもよかったし、ミサトさんの運転の荒っぽさも重々承知してい
たのだが、それでも珍しくミサトさんが僕たちを誘ってくれたのであるから、
僕はそれを受けることにした。そう、人の好意を無にしてはならないのだ。
こうして僕とアスカ、それに綾波の三人は、ミサトさんの車に乗り込んだ。
いろいろと問題がないようにと、僕が助手席に座り、アスカと綾波が後ろの座
席に乗り込んだ。
車が発進する。僕はアスカや綾波が驚くのではないかと案じていたが、なぜか
ミサトさんは安全運転だった。僕たちはこういう配置のせいもあってか、何だ
か気まずく、会話すら成立しなかった。そんな寂しい中、僕が何か話をしよう
かと思ったその時、ミサトさんが先にその沈黙を破った。
「レイの引越しは、今日すぐにだけど、何か自分で先に持って行っておきたい
ものとか、ある?」
なるほど。綾波をいきなりうちに連れて行くために、ミサトさんは僕たちを乗
せて行こうと思ったのか。僕はそれに気付くと、ちょっとがっかりもしたが、
それよりも綾波がすぐ引越してくるということに僕の気持ちは行っていた。
僕は興味をひかれて綾波の言葉を聞こうと耳をそばだてると、綾波がこう答え
る。
「私が持って行きたいものなんてほとんどありません。でも・・・」
「でも、なんなの、レイ?」
「でも、一つだけ私の手で持って行きたいものがあります。それだけは、他人
の手に触られたくありません・・・」
「そ、わかったわ。じゃあ、これからレイのうちに寄るから、持って行きまし
ょ。それ以外のものは、引越し屋さんにすべて任せるけど、それでいい?」
「はい。私はそれで構いません。」
「よし、なら、ちょっと急ぐわよ!!」
ミサトさんは綾波の了解を得ると、ようやくいつものミサトさんに戻って、ア
クセルをふかした。
「うわっ!!」
僕は思わず驚いて声をあげる。
「きゃっ!!」
いつも何事にも動じない綾波も、この時はかわいい悲鳴を上げた。一方アスカ
はというと、ミサトさんの乱暴な運転に文句を言う。
「ちょっと、もっと静かに運転しなさいよ!!それでも女なの!?」
「アタシは女よー、アスカ。でもその前に、ドライバーとしてのアタシがある
の。」
何を言っているのかミサトさんは、とぼけたことを言ってアスカの言葉など全
く聞く様子もない。アスカもそれに反論しようとするのだが、何せこの荒っぽ
い運転。下手になにか言うものなら、たちまち舌を噛みそうで、何も言えずに
いた。
そしてあっという間に、綾波の家の前に到着した。
僕たち四人はひとまず車から降りて、外の新鮮な空気を吸う。ミサトさんだけ
は平気な顔をしていたのだが、それでも自分一人で車の中に残っているのは気
が引けるのだろうか、僕たちと一緒に外に出た。そしてミサトさんは綾波に言
う。
「すぐ持って来れるものなの?そうでなければ、アタシも一緒についていって
あげるけど。」
「平気です。一人で持って来れます。」
綾波はそう言うと、一人で家の中に入っていった。僕も付いていってあげよう
かと思ったのだが、却って邪魔になるかとも思い、その考えは捨てた。僕の視
界から綾波の後ろ姿が消えると、今度はアスカの方に目を向けた。
アスカがミサトさんの車に乗るのはめったにないことなので、かなりきつかっ
たようだ。僕はちょっと心配になると、アスカの背中をさすりながら声をかけ
る。
「アスカ、大丈夫?酔ったりしてなきゃいいけど・・・・」
「・・・・気持ち悪い・・・・」
「大丈夫?綾波のうちに行って、水でももらって来ようか?」
「・・・いい。」
「そう?もう・・・ミサトさん、気を付けてくださいよ。人の命を預かってる
んですよ。自分一人の時と同じような運転は止めてください。」
「わかってるわよー。でも、どうしてもステアリングを握ると、熱がこもっち
ゃうのよね。」
「いい加減にしないと、いつか痛い目を見ますよ。」
「はいはい。シンちゃんにはかなわないわね。以後気を付けますって。」
ミサトさんはほんとにわかっているのか、それも怪しいと思わせるような顔で
僕に返事をしていたが、取り敢えず口では気を付けると言ったので、僕はそれ
を信じることにした。一方、アスカは僕とミサトさんのやり取りもよく聞こえ
ていなかった様子で、顔色もあまり優れない。僕はアスカの背中をずっとさす
りながら、心配そうな目でアスカの顔を覗き込んでいた。
そうこうしているうちに、綾波が紙袋を一つ持ってうちの中から出てきた。僕
は綾波を見ると、早速声をかける。
「早かったね、綾波。なに持ってきたの?」
綾波は僕に尋ねられると、ちょっと恥ずかしそうにおずおずと僕に向かって紙
袋を開いて見せながら言った。
「これ・・・・碇君に買ってもらった服・・・・」
「ああ・・・それ・・・・」
僕はそうとしか答えられなかった。綾波は僕に見せ終わると、手に提げて持て
ばいいのに、わざわざ胸に抱きかかえるようにして、大切そうに自分のほうに
戻した。アスカは僕に背中をさすられながらも、その様子をしっかりと目に焼
き付けていた。しかし、その目は何かを語っていたとしても、言葉では何も表
しては来なかった。
ミサトさんは黙って僕たちの様子を眺めていたが、ひと段落ついたのを確認す
ると、僕たちにこう言った。
「これでいいわね?いいなら、これからレイの歓迎パーティーのための買い出
しに行くわよ。」
「パーティーか・・・・確か僕の時にもしてくれましたよね、ミサトさん。」
「そう言えばそうね。もうだいぶ前の話になるかもしれないけど。」
「でも、レトルトは駄目ですよ、ミサトさん。今度はきちんと僕がごちそうを
作りますからね。」
「もちろんじゃない。期待してるわよ、シンちゃん。頑張っておいしいのを作
ってね!!」
「頑張りますけど、ミサトさんのためじゃないんですからね、あくまでも綾波
のためなんですから・・・・」
「はいはい。アタシは何でもいいから、早く行きましょ。」
そして、僕たち四人は再び車に乗り込んだ。ミサトさんはアスカが本気で気分
を悪くしていると感じたのか、今度はかなり普通の運転をしていた。そのせい
なのか、それとも僕が背中をずっとさすっていたのが効いたからなのかはわか
らないが、アスカは随分と元気を取り戻した様子を見せて、僕に話し掛けてく
る様子も見せている。
「シンジ、ごちそうってなに作るの!?ねえ、教えてよ!!」
アスカは後ろの座席から、前に座っている僕のほうに顔を乗り出してきて、こ
う尋ねてくる。僕はアスカが元気になったのにほっと胸をなで下ろしながら、
アスカの方を振り向いてやさしく答える。
「そうだね・・・綾波は肉関係が食べられないから、野菜だけかな?」
「えー、肉ないのー!?それじゃあごちそうっていう気がしないじゃない!!」
アスカが言った事は実にもっともなことだったので、僕もちょっと考え直して
言った。
「うーん・・・じゃあ、何かアスカとミサトさんのために、肉料理も手配する
よ。何がいい、アスカ?」
「・・・・はんばーぐ!!」
「また!?」
「いいじゃない、別に。アタシはそれが好きなんだから。」
「別にいいけど・・・・」
「なら作って。ね、いいでしょ?」
「・・・わかったよ。今日はじゃあ、ハンバーグも作ろう。」
「やった!!」
アスカはまるで子どものように、無邪気に喜んでいる。僕はそれを見ながら、
こんなことくらいでアスカが喜んでくれるのなら、毎日ハンバーグでもいいな、
と密かに思っていた。
しかし、そんな僕とアスカのやりとりを、黙って見つめる視線があった。綾波
は、こんなに打ち解けた僕とアスカを見るのは、はじめてのことなのかもしれ
ない。僕はそんな綾波の視線に気付くと、なぜか自然と微笑みを返した。綾波
は僕の微笑みにちょっと驚いた様子を見せる。僕は綾波が驚きを感じているの
に気付くと、やさしくこう言う。
「これが家族っていうんだよ、綾波。」
「家族・・・・?」
「そう、家族。アスカと僕は学校では同級生として接してるけど、学校を離れ
れば、家族なんだ。」
僕がそう言うと、アスカが横から口を挟む。
「ま、家ではシンジとは家族であり、そして恋人でもあるんだけどね!!」
「ちょ、ちょっとアスカ!!冗談は止めてよ。」
「冗談じゃないわよ。アタシはそのつもりだから。」
「わ、わーわー、と、とにかく、綾波は今日から僕たちの家族の一員になるん
だ。だから、何も遠慮することなんてないんだからね。」
「うん・・・・」
しかし、綾波の表情は何だか硬い。僕は疑問に思って綾波に尋ねてみた。
「どうしたの、綾波?あんまりうれしそうじゃないみたいだけど・・・」
僕がそう言うと、綾波の代わりに、運転中のミサトさんが答えた。
「レイはね、こういうのに慣れてないのよ。だから、戸惑ってるんじゃないの?
どういう風に感じたらいいのかって。」
「そ、そうか・・・・」
「そうよ。シンちゃんだって、はじめは似たようなもんだったわよ。アタシの
ところに引越してきた時は、随分不景気な顔してたじゃないの。」
「そ、そうでしたっけ?」
「でも、すぐに慣れたじゃない。レイもきっと家族っていうものに、すぐ慣れ
るわよ。」
綾波はミサトさんの言葉を聞くと、独りつぶやいた。
「私が・・・・家族・・・・?私はもう、独りじゃないの・・・?」
僕はそんな綾波に対して微笑みながら言う。
「僕たちの家族へようこそ、綾波。もう綾波は独りじゃないんだよ。僕もいれ
ば、ミサトさんも、アスカもいるんだ。だから、もう寂しくなんてないんだよ。」
「碇君・・・・」
「さあ、これから綾波の歓迎パーティーだ!!盛大にやろうよ!!」
僕は元気よくそう宣言した。この綾波の引越しというのは、あまりいい事から
生まれたことではないかもしれないけれど、僕はこれが綾波にとっては本当に
為になる事なのではないかと思った。
綾波のこれまでの世界には、自分と、そして僕しかなかった。しかし、僕たち
の家族となることによって、アスカやミサトさんのことも、見えてくるのでは
ないかと、そう思っていた。そしてそれをきっかけにして、だんだんその他の
人々とも自然に付き合えるようになる・・・・それが僕の願いであった。
そもそも、僕もミサトさんのところに来るまでは、抜け殻のようなものだった。
しかし、家族が出来たことによって、友達も生まれ、普通の生活をしていくこ
とが出来るようになっていった。だから綾波も・・・・綾波もそうなるであろ
う。僕にはそんな、予感めいたものが感じられたのであった・・・・
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