私立第三新東京中学校

第九十五話・同じ傷を持つ存在


渚さんが入ってきたことによって結構ひやひやしたお昼休みも、どうやら何事
もなく無事に終わった。午後の授業になっても、渚さんはすぐにこのクラスに
溶け込めたようで、取りたてて問題はなかった。渚さんは別に愛想がいいとか、
面白いことを言うとか、そういう女の子ではないが、やはり顔がいいのは得だ。
それだけで十分に人気を獲得できる。
しかし、それでも何故か彼女に群がるのは女子ばかりで、男子はそれを興味深
げに眺めているといった程度だ。まあ、男の格好をしてるんだし、胸もほとん
ど無いので、どう見たって男の子にしか見えないのだから仕様が無いといえば
仕様が無いのだろうが。

僕もようやく渚さんとカヲル君を切り離して考えることが出来はじめていたの
で、余りその姿を見ても苦しむことはなかった。しかし、それは遠目に見た時
の話であって、近くで見たり、話をしたりすると、やはりカヲル君のことが頭
に浮かんで苦しかった。僕はやはり、渚さんの席が僕から離れれてよかったと
改めて痛感しつつ、午後の授業を受けていた。

そして放課後・・・・

「シンジ君。」

渚さんが早速僕のところに来る。

「何、渚さん?」

僕がそう尋ねると、渚さんは悲しげな顔をして僕に言った。

「・・・・カヲル君って呼んでくれないかな。」
「・・・ごめん・・・・まだ、出来ない。」
「そうか。シンジ君がそう言うのなら仕方ない。今のところはあきらめるよ。」
「うん・・・で、何?それを言いにわざわざ来た訳じゃないんだろ?」
「ああ。シンジ君と一緒に帰ろうと思って。」
「・・・・ごめん、僕、これからちょっと用事があるんだ。」
「僕はシンジ君の用事が済むまで待ってるよ。どうせ暇なんだ。」
「いや、悪いんだけど洞木さん達とでも先に帰っていて欲しい。ちょっといつ
までかかるかわからないから。」
「そう・・・・」

僕が渚さんに話をしていると、横からアスカが口を挟んで来た。

「用事って何なのよ、シンジ?」
「ん?ああ、悪いけど、アスカも一緒に付き合ってくれるかな?」
「アタシ?別に構わないけど。」
「ありがとう、アスカ。」

僕はアスカに礼を述べると、今度は隣にいた綾波にも声をかける。

「それから綾波も・・・・」
「わかっているわ、碇君。私もそのつもりだったから。」
「そうだよね。綾波は知ってるから・・・・」

僕がなんだか思わせぶりな言い方をしていると、横で聞いていたアスカは訳が
分からずに、僕に尋ねてくる。

「何なのよ、アタシだけは知らないって言うの!?」
「う、うん。それについても、後でゆっくり話すよ・・・・」
「・・・・ここじゃまずいの?」
「うん。」

僕とアスカが話し合っていると、横で黙って待っていた綾波が僕たちをせかし
た。

「さ、早くいきましょ。もう話が始まってるかもしれないわ。」
「そ、そうだね。行こうか。」

僕が返事をすると、綾波はさりげなく僕の手を取って、引っ張って行った。

「あ、あやなみー!!そんな急がないでよー!!」
「・・・・」

綾波は僕に返事をすることもなく、僕の手を引っ張り続ける。アスカもなんだ
か分からぬままに、綾波と僕の後に続いた。アスカは綾波が僕の手を取ってい
ることに気がついただろうが、なんだかそれどころではない気配だったので、
敢えて何も言わなかった。
そして、渚さんはこのような事態になっても、いたって落ち着いていて、去っ
ていく僕たちを黙って微笑みながら見送っていた。

僕は渚さんの顔を見ながら、ようやく綾波がなぜ急いだのかに気がついた。も
ちろん、渚さんの登場により、ミサトさんやリツコさん、そして、元ネルフの
先生たちが集まって、この事について話をしているだろうということは予想で
きたので、僕たちもその話に加わらなくてはいけないというのがあったが、そ
れ以外に、渚さんのいるところでこういう話をすべきではないという思いがあ
ったのだろう。僕は綾波の気持ちを汲み取ると、自分の愚かしさにちょっと恥
ずかしくなった。

渚さんの姿が見えなくなるところまでくると、綾波はようやく急ぐのを止め、
歩く速度を普通の速さに戻した。しかし、まだちゃっかりと手はつないでいた
のだが、僕はそれどころではなかったので、気付くゆとりもなかった。
そして僕と綾波、アスカの三人は、一路職員室へと向かう。その途中で、アス
カが僕に話し掛けてくる。

「ねえ、もう誰もいないんだから、教えてくれてもいいでしょ?」
「そうだね。渚さんもいないし、アスカもあらかじめ知っておいたほうがいい
かもね。」
「何だかわからないけど、早く言いなさいよ。」
「うん。第十七使徒の名前が渚カヲルって言うことは綾波から聞いただろ?」
「聞いたわよ。でも、同じ名前っていうだけなんじゃないの?」
「それが違うんだ。姿かたちも、声も、まるっきり同じなんだ。でも・・・・」
「でも?」
「僕が知ってたカヲル君は、れっきとした男だったんだ。でも、渚さんは自分
では女だと言ってる。」
「そう・・・・そうだったんだ・・・・」
「うん。アスカから見て、渚さんは本当の女の子に見える?女装してる男とか、
そういう事は感じない?」
「そうねえ・・・アタシも詳しくはわからないけど、一応女なんじゃない?ア
タシはそう感じたけど・・・」
「そう・・・・」

僕がアスカの答えに、なんとなく納得したようなしないような、そんなそぶり
を見せると、それまで黙っていた綾波が口を開く。

「あの人は女よ。」

するとアスカがちょっときになったのか、綾波に尋ねる。

「どうしてそんな事がアンタに分かるのよ?」
「わかるものはわかるの。私にはそうとしか言えないわ。」
「・・・・アンタも訳の分かんない奴ね。」

アスカが別にそれほど深い意味はなく言った言葉は、何故か綾波の激烈な反応
を引き起こした。

「私とあの人を一緒にしないで!!私はあの人とは違うわ!!」

アスカは綾波のこの大きな声の訴えを聞くと、かなりびっくりした様子を見せ
て、綾波に言った。

「そ、そんなに大きな声で怒ることないでしょ?」
「私が碇君を好きなのには訳がある!!それに、私はもう、操り人形なんかじ
ゃ・・・」
「綾波!!」

僕は綾波の言葉を遮る。もう、それで十分だった。僕にはそれだけでわかった
し、それ以上そんな事を耳にしたくなかったのだ。でも、アスカはどうして僕
がそんな事を言ったのか、はっきりと分かりかねる様子だった。しかし、どう
見てもただ事ではない雰囲気に、アスカは何も言い出すことは出来なかった。
アスカはただ、僕と綾波を交互に眺めて、そこから隠されたものを読み取ろう
としているかのようだった。そして綾波は、自分の言葉が僕に遮られた後は、
ただ黙ったうつむいていた。しかし、まだ握ったままの僕の手を、しっかりと
握り締めているのであった。

僕たちはこうしてしばしの間、歩みを止めていたのだが、誰からともなく、ま
た歩きはじめていた。そして、職員室に着くまでの間、三人とも黙ったままで、
ただ歩くだけであった。
職員室に着くと、僕がドアをノックして、中へと先頭をきって入っていく。

「失礼しまーす・・・・」

僕が中に入って見まわして見たが、残念ながら、ミサトさんの姿は見当たらな
かった。

「ミサトさん・・・・いないみたいだなあ・・・・」

僕がそうつぶやくと、後から続いて入ってきたアスカが僕の後ろから話し掛け
てくる。

「ミサト、いないわね。それにリツコもいないし、ネルフ関係の先生は誰もい
ないじゃない。」
「みんな、どこに行ったんだろう・・・?」

僕が誰に言うでもなく、そう自問すると、綾波が静かに答える。

「赤木博士のところよ。」
「そ、そうか!!そこがあったね!!」
「あ、理科準備室?なるほどね。行ってみましょうよ。」
「うん。じゃあ、行ってみよう。」

こうして僕たち三人は、すぐに職員室を後にして、リツコさんの根城である理
科準備室へと向かった。アスカは気付いていないのかもしれないが、本来なら
ば、僕は校長室の冬月校長のところに聞きに行けばよかったのだろう。しかし、
僕はそれは口には出さなかった。なぜなら、この渚さんの転入は冬月校長の肝
いりだったらしく、ということは父さんが絡んでいるに決まっているからだ。
父さんが絡んでいれば、いくら温和な冬月校長といえど、絶対に話してはくれ
ないだろう。そもそも、ミサトさんの顔色を見れば、冬月校長がミサトさんに
も話さなかったということが分かる。それをこの僕に話してくれるだろうか?
僕はそんな事はありえないと確信していたし、それだけでなく、父さんがいそ
うなところには、近づきたくもなかった。はっきり言ってしまえば、それが僕
の本音なのかもしれない。僕はまた、父さんから逃げてしまっていたのだ。
僕は情けない自分に対して歯がゆい気持ちを覚えながら、なんとなく綾波のほ
うを見てみる。僕と綾波は職員室に入る時に、もう手は離していたのだが、今、
何故か無性にそれが気になってきた。

僕と同じく、碇ゲンドウを避ける存在。

そんな綾波は、今どんな気持ちでいるのだろう?と、気になったのだ。そして
僕の見た綾波の横顔は、やはりその事を考えてでもいるかのように、いつもの
無表情ではなかった。綾波の顔色というのは元々青ざめているみたいであった
が、それでも最近ではほんのり赤味を帯びることもしばしばであった。しかし、
今の綾波は本当に青ざめて見える。僕と同じく父さんのことに思いをはせてい
るのではないかもしれないが、それでもなんだか僕にとっては、今のこの綾波
と僕は、シンクロしているようにも感じられた。そして僕はそう感じると、な
ぜだか心地よいものを覚えた。
アスカは僕の辛さ、寂しさを慰めてくれるのだが、綾波の場合は、僕と境遇が
似ていたところもあって、その気持ちを分かち合うことが出来るのだろう。

同じ傷を持つ存在。

それが僕と綾波の関係であった。無論綾波と僕とは、天と地ほども違いがある
ことくらいは、僕にもわかっていたし、アスカについても一人ぼっちでいた傷
というものがあり、僕と共通している部分も数多いのだが、何故か今は綾波で
あった。
その理由は僕にもわかっている。つまり、全ては碇ゲンドウから来ているのだ。
僕はそうとわかるだけに、父さんの呪縛から逃れることの出来ない自分に対し
て腹が立ったし、悔しかった。そして僕は内心から湧き上がる気持ちを隠すか
のように、それまで見つめていた綾波の横顔から、視線を外した。そして、た
だ前を見つめて、歩く事に全神経を集中させていったのであった・・・・


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