私立第三新東京中学校

第九十四話・不思議な彼女


そして、あわただしい授業の後の休み時間。
渚さんの席は、一番窓際の一番後ろの隅っこに決められた。それは空いている
席がなかったからという理由からなのだが、僕から一番離れた席であるという
ことは、僕を内心ほっとさせていた。

気になる存在ではあるが、気にしたくない存在。

言ってみれば、僕にとって渚さんはそんな存在であった。カヲル君とうりふた
つの女の子なんて、僕に忌まわしい記憶を喚起させるだけの存在でしかないの
だ。しかも、みんなの前であんな事言うなんて・・・・・

そんな僕の気持ちなどお構いなしに、大勢の女子生徒が渚さんの周りに群がっ
ている。きっと一般的な目で見たら、渚さんは男装の麗人といった感じで、女
の子の興味を引くのだろう。
さらにさっきのあの爆弾発言だ。ただでさえ僕はアスカと綾波のことでみんな
の注目を浴びているというのに、これで更に変な風に思われてしまうのは目に
見えている。きっと今、ある事ない事渚さんに吹き込んでいるに違いない。僕
はそう思っただけで、もううんざりしてしまって大きなため息をひとつついた。

「何ため息なんてついてんのよ。」

僕の後ろからアスカが声をかけてくる。アスカは渚さんへの興味よりもずっと、
僕への心配の方が強かったみたいだ。僕は後ろを振り向くと、さほど驚いた様
子も見せずに物憂い返事をする。

「ああ、アスカか・・・・」
「何が、アスカか、よ。元気だしなさいよ、シンジ。」
「うん・・・・」

僕が頼りない返事をすると、アスカは僕に心配そうな目を向けて話の本題を切
り出す。

「シンジ、アンタ、あの女の事知ってたみたいだけど・・・・」
「渚さん?ああ、昔ちょっと似てる人を知ってたんだ。」

僕は心の乱れをごまかすかのように、平然とした口調でアスカに答えた。しか
し、僕はそういう事がさりげなくできる方ではないし、アスカも察しのいい方
だったので、すぐに見破られてアスカは僕に言った。

「ごまかさないで。それだけじゃないんでしょ?」
「う、うん・・・・・」

僕はアスカの問いかけにたいして、うんとは言ったものの、なかなか言い出す
ことが出来ずにいた。すると、それまで僕たちの会話に何の関心も示した様子
を見せずに、ただ無表情に正面を見つめていた綾波が、アスカに答えるという
わけでもなく、ぼそりと言った。

「第十七使徒、渚カヲル。最後の使者よ。」

アスカは綾波のその言葉に、かなりの衝撃を受けて、綾波の正面に回ると大き
な声で綾波に尋ねた。

「ちょ、ちょっとどういう事よ、それ!?」

しかし、綾波はアスカの問いかけに答えるでもなく、ただ話を続けた。

「でも、どこか違うわ。少なくとも彼女には使徒であるという感じはない。」
「ほ、ほんと、綾波!?」
「ええ。間違いないわ。でも、これにはきっと何かある・・・・」
「何かって何なのよ!?」
「そこまでは私にはわからないわ。でも・・・・・」
「でも?」
「でも、碇君に近付けるわけにはいかない。あのひとは危険だわ・・・・」
「そうね。アイツはどう見ても怪しすぎるわ。これ以上シンジにちょっかい出
したら承知しないんだから!!」

アスカはそう言うと、渚さんの方を向いてにらむ。綾波も渚さんの方に視線を
向けたが、それはアスカの向けたものとは違い、何かを推し量るような、そん
な視線であった。
そして僕も、そんな二人につられるように、何となく渚さんの方に視線を向け
た。すると、それまで大勢の女の子達に取り囲まれていて、そっちに意識を集
中していたはずの渚さんが、いきなり僕の方を向いて僕と目と目を合わせた。
そして、カヲル君を思わせるような、あの煙るような微笑みを僕に浮かべた。
僕はびっくりして慌てて視線をそらす。渚さんをにらんでいたアスカは、いき
なり渚さんがこっちを見て微笑んだのを見ると、はっとして僕の方に振り向く。
そして、渚さんの視線を避けようとしている僕に気づくと、ちょうど渚さんか
ら僕が隠れるようにさっと身体を移動させて、僕を守ってくれた。
一方の綾波はというと、まだ、同じような視線で渚さんのことを見つめ続けて
いたのだ・・・・


そして時は進み、早くもお昼休み。
例の休み時間から、取りたてて何もなかったのをこれ幸いに思っていた僕は、
さっさと学校が終わって、家に帰ることばかりを考えていた。別に渚さんは悪
い人ではなさそうなのだが、やはり僕にとってはかなり問題があると言わざる
をえない。
そんな訳で、僕はしょぼくれながら、アスカの作ってくれた弁当を鞄から取り
出すと、食事の時間に入って行こうとした。もちろん、いつものようにおなじ
みの顔触れが集まって、めいめいに椅子を持ちよってそれぞれの弁当を取り出
していたのだが、いつもならみんなの方をきょろきょろとみまわしている僕も、
今日はそんなことはなく、ただ自分の弁当の方ばかりをみていたのだ。

そしてそんな時・・・・

「おいしそうなお弁当だね、シンジ君。」
「えっ!?」

僕は慌てて振り向くと、僕のすぐ真後ろに立って、渚さんが微笑みながら僕の
弁当を覗き込んでいた。

「な、渚さん!?ど、ど、ど・・・」

僕はうろたえて言葉になっていない。しかし、渚さんはそんな事は気にせずに、
僕に向かってこう言う。

「さっきみたいに、カヲル君、と呼んでくれないかい?」
「で、でも・・・・」
「僕は君に、そう呼ばれたいんだ。」
「で、で・・・・」

僕がまたもや言葉にならない声を発していると、たまりかねたアスカが横から
割り込んできた。

「アンタ、ちょっと初対面のくせに、馴れ馴れしすぎるんじゃないの!?いい
加減にしなさいよ、シンジが困ってるじゃない!!」

アスカが大きな声で渚さんを怒鳴りつけると、渚さんはアスカにも微笑みを浮
かべてこう言う。

「君がアスカさんだね?話には聞いているよ。」
「アンタがどんな話を聞いてるのか知らないけど、所詮は噂よ!!アタシには
関係ないし、もちろんアンタには何の関係もないわ!!」
「僕と君は関係がなくはないよ。」
「どういう事よ!?」
「シンジ君は僕がもらうからね。そういう事さ。」
「フン!!アンタなんかにシンジが振り向くとでも思ってるの!?シンジはそ
んないい加減なやつなんかじゃないわよ!!」

アスカの言葉を聞くと、渚さんは穏やかな口調でアスカに言う。

「愛してるんだね、シンジ君を・・・・・」

アスカはそれを聞くと、顔を真っ赤にしたが、それをごまかすかのようにちょ
っときつめの口調で言った。

「そ、そうよ!!悪い!?それがどうかしたっていうの!?」
「いや・・・ただ僕は、人にそこまで愛される、シンジ君の魅力を再認識した
だけさ・・・・」
「アンタにシンジの何がわかるのよ!?」
「君ほどには知らないかもしれない。でも、すぐに追いつくよ。」

渚さんはそう言うと、今度は僕の方を向いて、話し掛けてきた。

「そういう事だから、シンジ君、僕と一緒に昼食をとらないかい?」
「え!?」
「僕は今一人なんだ。だから君の仲間に僕も入れてほしい。」
「で、でも・・・・」
「駄目かい?」
「そ、そういう訳じゃないけど、でも・・・・」
「なら、決まりだね。僕も自分の椅子を持ってくるよ。」

渚さんは最後まで僕の言葉を聞かずに、とっとと自分の椅子を取りに行ってし
まった。その間中、他の女の子に誘われているみたいだったが、なぜかそれに
は全く乗るような姿勢を見せなかった。僕はえらいものに見込まれたもんだと
うんざりしながらその様子を眺めていたが、アスカに至ってはかなり頭に来て
いるようで、おっかない顔をしていたのだった。

そして、渚さんは椅子を持ってくると、僕とケンスケの間に割り込んで、僕の
隣の席をせしめた。綾波には自分の机があるので、僕の隣には座れずに僕と相
向かいになっているのだが、アスカは僕の左隣だ。アスカは僕越しに渚さんを
気に食わないというような顔で見ていたが、渚さんはそんなことにはお構いな
しに、僕に言ってきた。

「ところでシンジ君?」
「な、なに!?」
「僕は今日、お弁当を持ってこれなかったんだ。だから君のお弁当を半分わけ
てもらえないかい?」
「え?」
「いいだろ、シンジ君・・・・?」
「で、でも・・・」

僕ははっきりしないことを言っていると、これまたアスカが渚さんに大声で怒
鳴った。

「図々しいにも程があるわよ!!そのシンジのお弁当はアタシが作ったんだか
らね!!」
「そうか・・・・」
「そうなのよ!!アンタは購買にでも行って、パンでもかじってりゃいいのよ!!
わかった!?」

アスカが渚さんにそう言うと、洞木さんはその感じがちょっと気になったのか、
アスカに向かってちょっと注意する。

「アスカ、ちょっと言い過ぎよ。渚さんは転校してきたばっかりなんだし、も
うちょっとやさしくしてあげなきゃ・・・・」
「で、でも・・・・」
「いいわ。あたしのぶんを渚さんにあげる。それならアスカもいいでしょ?」
「う、うん・・・・」

さすがは洞木さんだ。洞木さんはアスカを納得させると、自分のまだ手をつけ
てないお弁当を、全部そのまま渚さんに渡した。

「はい、渚さん、これを食べて。渚さんの口には合わないかもしれないけど、
あたしの手作りだから。」
「ありがとう。君の親切に感謝するよ、洞木さん。」

渚さんはそう言って洞木さんの弁当を受け取った。しかし、洞木さんと渚さん
とは距離が離れているし、僕はどうするのだろうとちょっと気になって、洞木
さんに尋ねた。

「でも、洞木さん、自分の弁当を渡しちゃって、自分はどうするの?」
「え?そ、それは・・・鈴原、あんたのお弁当は人一倍大きく作ってあるし、
これが二つ目なんだから、あたしに半分わけなさいよ。」

いきなり自分に振られたトウジは驚いたが、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして
いる洞木さんをじっと見つめると、黙って、すっ、と大きな弁当箱を洞木さん
の方に押しやった。

「・・・・いいの・・・鈴原?」
「ええで。わいは・・・・」
「・・・・ありがと。」

洞木さんは静かにトウジに向かってお礼を言うと、予備にいつも携帯している
箸を取り出して、差し出された弁当に手を伸ばした。トウジはそれを見ると、
洞木さんに届きやすいように、弁当箱をもうちょっと洞木さんの方に動かす。
洞木さんは、そのトウジのさりげないやさしさに気付くと、さらに頬を赤く染
めて、黙ってトウジに甘えた。
みんながそれを見ていたが、誰も何も言わなかった。
そう、それは他人が立ち入ってもいいようなものではない、あたたかな二人の
心の交わりであったからだ・・・・・


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