私立第三新東京中学校

第九十三話・転校生


一時間目の授業が始まった。
いつもながらのことだが、ミサトさんの授業はにぎやかだ。みんなしっかり聞
いているので、例のセカンドインパクト話の数学教師とは違っているのだが、
それでもちょっと雑談にそれる嫌いがある。しかし、ミサトさんはふざけてい
るようには見えても、なぜか常に僕のことは監視しているかのようで、僕がぼ
ーっとしていたりすると、即座に突っ込みを入れてくる。これは学校再開初日
からのことなので、僕もいい加減慣れたが、それでもミサトさんの茶化しには
遠慮というものがなさそうなので、僕はミサトさんがくだらない話をしている
ときでも、真剣にミサトさんの方に注目せざるをえなかった。

ミサトさんが教室に入ってきたとき、僕と綾波の机が密着しているのに気づい
て、今日の授業はその話題から入った。まあ、冗談めかしていうところが、ミ
サトさんなりの心遣いなのかもしれないが、それにしてもあの笑い顔で言われ
ると、僕としても、却ってそっとしておいてくれた方がよかったのに・・・と
思ってしまう。きっとミサトさんも楽しんでいるのだろう。僕はもうミサトさ
んにあれこれ言おうという考えは放棄し、ただ黙って茶化されるままにしてい
た。僕の反応が鈍ければ、きっとミサトさんもすぐ解放してくれるだろうし。

そんな僕の考えは当たっており、今朝も僕がミサトさんに言われても、うろた
えた態度を見せなかったために、この話はすぐに打ちきりとなった。まあ、ミ
サトさんの問題はこれでよかったのだが、問題になるのは綾波だ。机をくっつ
けてるだけでなく、椅子の位置も一番右寄り、つまり僕近くに座っている。そ
してそれだけでなく、僕の席は教室の右端前方にあるため、どうしてもミサト
さんの授業を聞くには、左を向かなければならない。そんな中、綾波はという
と、今まではそんなことはなかったのだが、授業そっちのけで、僕の方をずっ
と見ている。僕はミサトさんの方に注目していないとまた茶化されるし、そう
すると綾波にじっと潤んだ目で見つめられ続ける。綾波に授業を聞くように注
意しようとも考えたが、僕がここで綾波に話し掛けると、またそれで僕のこと
が話題にされてしまうだろうから、そうも出来ずにいた。

つまりは八方塞がりと言う訳だ。僕は仕方なくも、おとなしく今の状態に甘ん
じていたのだが、そんな時、いきなり呼び出しの放送が流れた。

『・・・葛城ミサト先生、葛城ミサト先生、至急校長室までお越しください。
繰り返します。葛城ミサト先生、葛城ミサト先生、至急校長室までお越しくだ
さい・・・・』

それはミサトさんを呼び出すものだった。

「もう・・・なんなのよ、一体!?じゃあ、アタシは行くけど、みんなおとな
しく待ってんのよ!!いいわね!!」

ミサトさんはクラスのみんなにそう言うと、急いで教室を後にする。ミサトさ
んがいくらざっくばらんで気安く話せる先生だといっても、そこはやはり教師
である。みんなはいきなり訪れた自習タイムに、喜びの叫びをあげた。

「ちょっと、授業中よ!!静かにしてください!!」

洞木さんはこのざわめきを静めようと、大きな声を張り上げてみんなに注意す
るが、いまいち効果はない。しかし、なぜかこういう時に一番騒ぎ立てる筆頭
といってもよいトウジが、今日はおとなしく黙って座っていた。洞木さんはみ
んなに呼びかけるのに夢中だったため、それにはまったく気づいていないよう
だが、周りを見てみると、アスカもケンスケもそのことには気付いている様子
だった。

そして、クラス中がうるさいまま、しばらくしてがらっという音を立てて教室
のドアが開いた。
ミサトさんだ・・・・しかし、僕が見たミサトさんは、さっき出て行った時の
ミサトさんとはまるで別人かのように、厳しく引き締まった表情をしていた。
そして、心なしか僕にはミサトさんの顔が青ざめているようにも感じられた。
クラスのみんなも、普段だったらミサトさんが帰ってきたところで、そうすぐ
静かにするものでもなかったのだが、今のミサトさんの顔を見て、一瞬で静ま
り返った。

ミサトさんは今までみんながうるさかったこと、そして今急に静まり返ったこ
とには、何も気付かなかったかのように、黙って教卓に着くと、正面を見つめ
たまま黙っていた。そして、みんながミサトさんの言葉を待っていると、なぜ
かミサトさんと僕の目がぴたりと合った。みんなもミサトさんが僕のことを見
つめていることに気付いて、一斉に僕に注目する。するとミサトさんは僕に視
線を向けていたのをごまかすように、また正面に向き直ると、大きな声でみん
なに言った。

「・・・みんな、聞いてくれる?」

ミサトさんの声で、またみんなの注目はミサトさんに戻る。ミサトさんはそれ
を確認してから重々しい口調でこう言った。

「突然だけど、うちのクラスに転校生がくることになりました。」

えー!!といったざわめきが起きる。しかし、ミサトさんはそれをあえて無視
して、自分が入ってきたドアの方を向くと、また大きな声でその向こうで待っ
ているであろう転校生を呼んだ。

「入っていいわよ。」

すると、がらりと音を立ててドアが開く。みんなは固唾を飲んでそのいきなり
訪れた転校生を見ようと、注目した。そして・・・・

「そ、そんな馬鹿な!!そんな・・・・」

僕は思わずその姿を見て大声を上げる。しかし、はっと我にかえって、身を乗
り出しかけたのを何とか押さえた。
そう、その姿は、僕の忌まわしい戦いの記憶の中で、最後まで心の中に深く残
されたもの、「渚カヲル」その人の姿とうりふたつであったのだ・・・・

その転校生は、僕が大声を上げておかしな事を言ったので、じろりと一瞥をく
れたが、そのままミサトさんのもとに歩いて行った。
一方ミサトさんは僕が声を上げたのを見ると、やっぱり・・・といったような
表情をしたが、口には何も出さなかった。クラスのみんなも、僕が声を出した
のには気付いたが、それよりも転校生の方に興味があったため、さほどのいぶ
かしげな視線は受けずにすんだ。
アスカはカヲル君のことは知らないので、至って普通の反応を示してはいるが、
それでも僕が声を上げた時は、ちょっと心配そうな目で僕のことを見つめた。
そして、綾波だが・・・・・綾波は最近ではあまり見せなくなった、おなじみ
の無感動な冷たい視線を浴びせていた。しかし、今の綾波にそのように凝視さ
れると言うことそのものが、綾波が特別な感情を抱いたと言う証であった。

「さ、自己紹介して・・・・」

ミサトさんは転校生に向かって静かに言う。すると転校生はゆっくりとその口
を開き、自分の名前を言う。

「渚カヲルです。よろしく・・・・」

僕はその言葉を聞いた瞬間、最後まで残されていた、「ただ似ているだけでは
ないのか・・・?」という一種の希望みたいな感情が、一気に吹き飛んだ。

姿かたちだけではなく、声も、そして名前も同じ・・・・

僕はさっき以上の衝撃で、思わず立ち上がって叫んでいた。

「嘘だ!!カヲル君はもう死んだんだ!!」

僕はそれだけ言うと、椅子に座り頭を抱え込んでしまった。
僕が周りの好奇の視線など気にすることなくこうしていると、いきなり僕の目
の前にひらけたわずかな隙間から、カヲル君が覗き込んできた。
いつのまに!?と僕は思ったが、向こうは僕に話し掛けてくる。

「君は僕のことを知っているみたいだけれど、残念ながら僕は君のことは知ら
ないな・・・・」
「え・・・!?」
「それに僕は死んでなどいない。こうして君の前で話をしているのだから・・・」
「カ、カヲル君・・・・」
「それに君はどうやら誤解をしているようだ。君の目に、僕がどう映るのかわ
からないけど、一応僕はれっきとした女なんだから・・・・」
「う、嘘!!」

僕は驚きのあまり思わず体を起こして、叫んでしまっていた。しかし、カヲル
君の方は落ち着いた口調で僕に話し続ける。

「ここで全部脱いで見せなくてはいけないかな?それとも二人でどこか別のと
ころに行って見るかい・・・?」
「い、い、いいよ!!わかったから!!」
「そう、残念だな・・・・・僕はそうしてもいいのに・・・・・」

僕はその大胆な発言に早くも肝を失いかけていたが、話を逸らそうと思って、
一つ疑問に思ったことを尋ねてみた。

「じゃ、じゃあ・・・カヲル・・・さんは・・・・」
「君でいいよ。僕もそっちの方が好きだから。」
「カ、カヲル君は、どうして男子の制服を着てるの?それに自分のことを僕な
んて言ってるし・・・・」
「ああ、そのことかい?僕はこっちの方が好きなんだ。ただそれだけさ・・・・」
「で、でも・・・・」
「校則に、女子は女子の制服を着なければならないっていうのはなかったはず
だけど・・・・僕の勘違いかな?」
「そ、そうだね。そういうのはないかもしれない。」
「だろう?ところで君・・・・」

カヲル君はそう言いながら、その中性的な顔をぐっと僕に近づけてきて、こう
尋ねた。

「名前はなんて言うんだい?よかったら、僕に教えてほしい・・・・」
「い、碇・・・碇シンジ。」

僕はわずかに顔を退きながら、おどおどと答える。するとカヲル君の方は僕の
さがった分だけまた顔を近づけると、妖しげな笑みを浮かべてこう言う。

「シンジ君か・・・・いい名前だね・・・・」
「そ、そう?」
「それに、君の目は・・・・とても綺麗だ。きっと君は純粋な心を持っている
んだね。」
「そ、そんなことないよ。」
「フフ・・・君のそういうところも、好意に値するよ・・・・」
「え!?」
「つまり・・・・好きってことさ・・・・・」

ええーっ!!

一体どうなることかと固唾を飲んで見守っていたクラスのみんなは、カヲル君
の言葉に驚きの声を上げる。アスカの声が一番大きかったような気がしたが、
なぜか隣で座っている綾波は一言も口を利かずに、黙ってその深遠な紅い瞳で
カヲル君のことを見つめ続けていた。

一方、僕はカヲル君の言葉に一種の既視感の様なものを覚えていた。
「好意に値する」など、そう普通の人は口にするものではない。僕はそれだけ
に一層、この初めて会ったもう一人の「渚カヲル」に只ならぬ運命的なものを
感じていた。

もしかして、カヲル君の生まれ変わりなのだろうか・・・・?
でも、カヲル君は使徒だったのだ・・・・・
それに、僕がこの手でこうして・・・・・

僕はそう考えながら、まるでもう一度カヲル君を握り潰すのを再現するかのよ
うに、拳をぎゅっと握り締めた。

手の平に爪の食い込む感触・・・・
痛みは感じなかったものの、あの時僕がああしたということは、僕の心の中に
深く刻み込まれていた。そして、僕の心はようやく傷が癒されつつあったのに、
また真っ赤な血を流しはじめていた。
そして、僕は自分の心が痛みに苦しんでいるのに気付くと、もっと強く拳を握
り締め、現実の痛みでそれを忘れようとするのであった・・・・・


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