私立第三新東京中学校

第九十話・分かち合うこと、そして変わらない二人


ガチャ・・・・

僕は急に聞こえてきた音に反応して、ドアの方を見る。すると、もうきちんと
制服を着たアスカが、目を伏せがちにして立っていた。

「アスカ・・・・」

僕はアスカに声をかける。しかし、アスカはドアが空いて部屋の中が見えるよ
うになっていても、中に入ってこようとはせず、そのまま黙って立っていた。
僕にはアスカが入ってこない理由がなんとなく感じられたので、こっちからア
スカに近づいて行こうと、椅子から立ち上がる。すると、アスカは僕の動きに
身体を一回ビクッと震わせて、そしてひとこと口に出した。

「ごめん・・・・」

僕はアスカのその言葉を聞くと、立ち上がったばかりの椅子に再び腰を下ろし
て、そのすぐ脇にあった小さい椅子を正面に引き寄せた。そして、立ったまま
のアスカに向かって言う。

「中に入って、ここに座って・・・・」
「でも・・・・」
「僕は全然怒ってないから。」
「・・・うん・・・・・」

アスカは僕に招かれて、目を伏せたままゆっくりと僕の部屋の中に入ってくる。
そして僕の真正面までやってきたが、その椅子には座ろうとはしなかった。僕
は座らないアスカを見ると、やさしくもう一度、アスカに向かって座るように
言った。

「さ、座って・・・立ったままだとアスカも疲れるだろ・・・・」
「・・・・・」

アスカは僕の言葉に黙って従い、目の前の椅子に腰を下ろした。アスカが腰を
下ろすと、僕はアスカに微笑みながら言う。

「そんな下なんて向いてないで、アスカの顔を僕に見せてよ。」
「え・・・!?」

アスカは僕の口から発せられた言葉が余りにも意外だったのか、驚いて思わず
顔を上げた。僕はアスカの顔が僕の方を向くと、微笑みを浮かべたままアスカ
に話し掛けた。

「僕は全然怒ってなんかないから。むしろ謝らなければならないのは、僕の方
だと思う。ごめん、アスカ。」

僕はそう言うと、アスカに深く頭を下げた。そして頭を下げたまま言葉を続け
る。

「アスカの気持ちに応えてあげられないで、本当に済まない。でも、僕はアス
カのことが嫌いだからとか、そう言うんじゃないんだ。」
「シンジ・・・・」
「僕は前、ある人に言われたんだ。僕は人との一時的接触を恐れているって。」
「ある人?」
「うん。でも、今はもういない・・・・それよりも、僕はそんな事はないと思
ってた。現にこうしてアスカやミサトさんと暮らしはじめて、普通にやってこ
れたんだから。」
「・・・・」
「でも、やっぱりそうだったんだ。アスカにああ迫られた時、僕は恐かったん
だよ・・・・・」
「・・・・」
「僕は恐かったから、逃げ出したんだ。昔の僕と同じように。僕は昔よりもも
っと強くなれたと思ってた。でも、僕は何も変わってなんかいなかったんだ・・・・」
「・・・・」
「僕は臆病なんだよ!!アスカや綾波にやさしくしてるのだって、みんなにや
さしくして欲しいから、みんなに捨てられたくないからなんだよ!!」

僕はいつのまにか、自分の言葉に酔ってしまって、アスカに向かって話し掛け
るという訳でもなく、自分の考えを吐露していた。そしてアスカは、そんな僕
のことを穏やかに見つめながら、黙って僕が言うままにさせておいてくれた。
アスカは、僕が半ば涙ぐみながら全てを言い終わると、静かに僕に言った。

「シンジも苦しかったんだね・・・・アタシ、自分のことしか考えてなかった。
苦しいのはアタシだけなんだって・・・・・」
「・・・・・」
「苦しかったら、今みたいにすべてアタシに言って。アタシも、苦しいことや
悲しい事があったら、全部シンジに言う。そして全てを二人でわけあいましょ。
苦しいことも、辛いことも、そして、うれしいことも・・・・」
「・・・アスカ・・・・」
「前にシンジはアタシに、アタシには涙なんて似合わないって言ってくれたわ
よね・・・?」
「・・うん・・・・」
「アタシも今、シンジに同じ事を言ってあげる。シンジ・・・シンジには涙な
んて似合わないわよ。シンジには、微笑んでいるのが一番似合うんだから・・・・」

アスカはそう言うと、涙の浮かんだ僕の目尻にそっと指を当ててくれた。僕に
は、アスカのそんな言葉と思いやりがとても胸にしみた。そして僕は、アスカ
に言われたように、ぎこちなく微笑みを作って浮かべる。アスカは僕が微笑み
を浮かべようとしているのを見ると、軽く苦笑していった。

「・・・だめね、シンジは。自然にじゃないと、うまく笑えないみたい。いつ
ものように、素直に心の中の喜びを、顔に出せばいいのよ、そう、アタシみた
いに・・・・」

アスカはそう言って、その顔に満面の笑みを浮かべる。そしてそのまま僕に話
し掛け続けた。

「シンジが一時的接触を怖がってるって言うのは本当のことかもしれないわね。
だったらさっきみたいなのは強烈すぎたのかもしれない。」
「うん・・・・そうかもしれない・・・・」
「だから、シンジも順を踏んでなれていきましょ。」

アスカはそう言うと、さっと立ち上がって僕を胸に抱きしめた。そして僕の頭
を抱きかかえながら、僕の耳に口を近づけてそっと言う。

「毎日何度も、アタシがこうして抱きしめてあげる。だからシンジは遠慮せず
にアタシに甘えて。そして、少しずつ自分以外の人の肌に慣れていって・・・」
「・・・・」
「アタシが全部、教えてあげる。人に甘えることも、人のあたたかみも・・・」
「・・・・」

僕はアスカの胸に抱かれながら、アスカのあたたかみを感じていた。ちょうど
昨日、綾波に同じように抱きしめられたのだが、何だかその時とは全然違った
ように感じた。なんと口で説明したら良いのか、僕にはわからなかったが、と
にかく今は落着いてはいても、そのまま目を閉じてしまう気分にはならなかっ
た。しかし、僕は目を空いたままでも、そのままじっとしていた。
そしてしばらくすると、アスカは自分から僕を離してこう言った。

「・・・今日はこれまで。少しずつ、時間を延ばしていくからね。」
「うん・・・・」

僕は何だかアスカの平気そうな顔を見ていると、自分が思いっきり恥ずかしい
ことをしたのではないかと感じて、顔を真っ赤にした。アスカはそんな真っ赤
になった僕を見ると、軽く笑いながら僕に向かってこう言った。

「ふふっ、赤くなっちゃって・・・・いつものかっこいいシンジはどうしたの
よ?これじゃあいつもと逆じゃないの。まあ、たまにはこういうのも、悪くな
いんだけどね。」
「か、からかうなよ・・・・もう・・・・・」
「シンジが真っ赤になってるからよ!!もうちょっと慣れないと駄目みたいね!!」

アスカはそう言うと、ふざけてまた僕の頭を抱えて自分の胸に押し付けた。

「どう!?アタシの胸、当たってるでしょ!?柔らかい!?」
「むむむ・・・・」
「どうなのよ!?答えなさい、シンジ!!」
「んんん・・・・」
「答えなければ、アタシが止めないと思ってるんでしょ!?シンジも案外えっ
ちなのね!!」
「ん・・・・」
「もう、返事なさい!!くすぐるわよ!!」

僕は顔面をアスカの胸に押し付けられているので、何も言えなくなっているの
だが、アスカはそんな事お構いなしに、勝手にそんな事を言って、しまいには
僕の脇の下をくすぐりはじめた。
僕は抱きしめられるくらいは何とかこらえていたのだが、くすぐりとなるとそ
うは行かない。僕はアスカに抱えられたまま悶絶していた。

「んん・・・むぐぐ・・・ぷふ・・・・・」
「暴れたって駄目よ。勘弁してやらないんだから!!」
「・・・うむぐ・・・・ううう・・・・」

僕は手足をばたばたさせる。しかしそれでもアスカは僕を放そうとはしない。
僕はそれで仕方なく、アスカのこともくすぐってやった。

「きゃっ!!や、止めなさいよ、くすぐったいじゃない!!」

アスカは自分勝手なことを言っているが、僕はくすぐりを止めない。

「や、止めなさいってば・・・・・きゃ・・・あ・・・・・」

アスカは殊のほかくすぐりに弱いのか、僕のくすぐりにこらえきれずに、よう
やく僕を解放した。僕はアスカに解き放たれると、おとなしくくすぐりは止め
てやった。アスカはよほどくすぐったかったのか、肩で息をしている。

「や・・・やってくれたわね・・・・・」

アスカは下を向いてそう言うと、いきなり僕に襲い掛かってきて、今度は真剣
に僕をくすぐりはじめた。

「お返しよ、シンジ!!」
「く・・・・負けるもんか!!」

僕もまけじとアスカをくすぐりかえす。そしていつのまにか僕とアスカは床に
転がりあって、本気でくすぐりあった。
ドタバタと暴れる音が、部屋中に響く。しかし僕もアスカもそんな事には全く
気付かず、お互いにくすぐり合うのに夢中だった。そしてこのバトルが佳境に
入ってきたその時、余りのうるささに目覚めたミサトさんが、部屋の入り口に
立って、僕たちに大きな声で注意した。

「アンタ達、今何時だと思ってんの!!いい加減にしなさいよ!!」

僕とアスカはミサトさんの突然の出現にびっくりして、思わずくすぐっていた
手を止める。

「ミ、ミサト!!」
「ミサトさん!!」
「それともアタシはお邪魔だったかなぁー?」

ミサトさんは僕たちのことを眺め回しながら冷やかすようにそう言う。僕もア
スカも真っ赤になって、大きな声で否定した。

「そ、そんなんじゃないわよ!!」
「そ、そうだよ。ただ僕たちはくすぐりあっていただけで・・・・」

僕とアスカが言い訳をするが、ミサトさんはそれを聞くとニヤーっと笑みを浮
かべながら、僕たちに言う。

「ほんとかなぁー?アタシにはとてもそんな風には見えなかったけどぉー・・・」
「ほ、ほんとです!!僕たちはそんな事は何も・・・・」
「そんな事ってどんなことなのかなぁ?シンちゃーん?」
「そ、それは・・・・つまりその・・・・」
「恥ずかしいわよねぇー、親同然のアタシにそんな本当のことを知られちゃあ?」
「ち、違いますよ!!」
「そ、そうよ、アタシ達はまだ・・・」
「まだ!?へぇー、まだねえ・・・・」

僕はアスカの失言に大きな声をあげる。

「ア、アスカ!!何言ってんだよ!!」
「だ、だって!!」
「と、とにかくミサトさん!!僕たちは何もしてませんから!!わかってくだ
さいね!!」
「ま、シンちゃんがそこまで言うなら、そういう事にしてあげる。でも、そう
いうのはアタシのいない二人っきりの時になさい。いいわね?」
「ミ、ミサトさーん・・・・」
「じょーだんよ。じょーだん。ちょっとからかってみただけよ。シンちゃんが
そんな大胆なこと出来る訳ないもんね。」

ミサトさんは笑いながら僕に向かってそう言うと、僕の部屋を出ようとして、
ドアの前で振り返って僕たちに言った。

「二人とも、一緒にリビングに来たら?アタシが食事するのに、お茶でも相伴
しなさいよ。」
「は、はい!!」
「そうね。そうするわ。」

こうして、僕とアスカ、そしてミサトさんの三人は、僕の部屋を出てリビング
へと向かった。そして、みんなが迎えに来るまで、三人でお茶を飲みながら楽
しく話をしていたのだった・・・・


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