私立第三新東京中学校

第八十八話・近づく瞳


コンコン!!

「シンジ、用意できた?」

僕はアスカに呼びかけられて、我に帰った。僕は急いで途中までしか終えてい
なかった着替えを終え、アスカに返事をする。

「あ、ああ、着替え終わったよ。待たせてごめん、アスカ。」
「じゃあ、入るわよ・・・・」

アスカはそう言うと、ドアを開けて僕の部屋に入ってきた。僕はその時ふと気
がついて、アスカの顔をじろじろと眺める。アスカは僕に見られると、少し顔
を赤くして、恥ずかしそうに尋ねた。

「な、何よ、人の顔をじろじろ見ちゃって・・・?」
「いや・・・ね・・・」
「もう、もったいぶってないで言いなさいよ。気になるじゃない。」
「いや、いつものアスカだったら、僕のことなんて構わずに勝手に中に入って
くるのになあーって思ってさ。」
「そ、そう?」
「そうだよ。うん。」
「そうかなあ・・・?」
「アスカも変わったのかな。」
「アタシが?」
「うん。アスカは変わったよ。僕にはそんな気がする。」
「・・・シンジはアタシがどう変わったって思うの?」

アスカが僕にそう尋ねると、僕はかなりくちごもりながらも、恥ずかしげに答
えた。

「・・・・・何だかきれいになったよ。」

アスカは僕の言葉を聞くと、本当に顔を真っ赤にして、僕にささやくように言
う。

「アタシ・・・きれい・・・?」
「う、うん・・・」
「・・・ありがと、シンジ。アタシ、とってもうれしかったから。」
「う、うん。でも、お世辞なんかじゃないよ。アスカは最近とっても元気だし、
何だか輝いて見えるよ。」

僕がアスカにそう言うと、アスカは耳をそばだてなければ聞こえないような、
かなり小さな声で言った。

「・・・・シンジのおかげだから。」
「え?」
「・・・アタシが元気なのは・・・シンジのおかげだから・・・・」
「う、うん・・・・」
「シンジ・・・・?」
「な、何・・・?」
「髪・・・やってくれる?」
「う、うん・・・・」
「・・・・・じゃあ、これからアタシの部屋に来て・・・・」
「う、うん・・・・」
「いきましょ・・・早く・・・」

アスカはそう言うと、真っ赤にした顔を僕に見られたくないかのように、僕か
ら顔を背けると、そっと手を差し出す。僕ももう既にかなり恥ずかしくなって
いたのだが、差し出されたその手をやさしく取ると、アスカに導かれてこの部
屋を出た。

ガチャ・・・・

アスカが空いた反対の手で、ゆっくりとドアのノブを回して、アスカの部屋の
ドアを開ける。

「入って・・・・」

アスカはちょっと僕の方を振り向くと、ひとこと僕に声をかけて、そのまま部
屋の中へと導く。

僕が見たアスカの部屋は、何度も入った事があるので、いつもに見るのと大差
はない。そもそもアスカがここに引っ越してくる前は、ここが僕の部屋だった
のだ。だから僕はなんとなく懐かしいものを感じるが、外観こそ変わってはい
ないものの、やはり女の子がしばらく住んでいる部屋ということで、かなり雰
囲気も違っている。
僕はここに毎日アスカを起こしに来ているとはいえ、それだけであって、アス
カを起こすとすぐに出ていってしまう。だから、この部屋に長居することはほ
とんどといっていいほどなかった。そんな理由も手伝ってか、僕はなんとなく
部屋の中を眺め回していると、アスカは自分の机の上に置いておいた、ブラシ
やアスカの愛用している赤い髪留め、そして、髪を縛るゴムなど、これから使
うと思われるであろう品々を手に取り、それを持ってベッドの上にぽんと置い
た。そして、アスカは自分もベッドの上に乗り、僕をその上に導く。

「シンジ、こっちに来て。」
「う、うん。」

僕もアスカに言われるがままにベッドの上に乗っかる。すると、アスカはつな
いでいた手を離して、僕に道具一式を手渡し、僕に背を向けて体育座りをした。

「いいわよ、して。」

僕はブラシを手に持ったまま、少し戸惑っていた。いきなりやれと言われても、
僕だって何をしていいのかわからない。僕が何もせずに黙っていると、アスカ
は首だけこっちに向けて話し掛けてきた。

「時間があるって言っても、それほどある訳じゃないのよ。だからぼさっとし
てないで早くはじめてよ。」
「で、でも・・・・」
「なにか問題でもあるの?」
「いや、そういう訳じゃないんだけど、いきなりやれって言われても、何をし
ていいものなのか、僕にはわからないよ。」
「・・・それもそうね。アタシが悪かったわ。なら、一つ一つ口で説明するか
ら、そのとおりにやって。いいわね?」
「う、うん。そうしてもらえると、助かるよ。」
「じゃあ、まず、そのブラシで、髪を全体的にとかして。やさしく、ゆっくり
とね・・・・」
「うん。わかった。」

僕が納得してブラシを持ち直すと、アスカは再び顔を前に戻して、完全に僕に
自分の背中をゆだねた。僕はアスカの髪をとかせるように、アスカに接近する
と、ゆっくりとアスカの髪にそのブラシをあてる。そしてアスカに言われた通
りに、やさしく丁寧にとかしはじめた。

僕はしばらくアスカの髪を丹念にとかし続けたが、アスカはもうこれくらいで
いいとか、そういう事を言ってくれないので、僕は次第に痺れを切らして、ア
スカに尋ねた。

「アスカ、もうこれくらいでいいだろ?」
「・・・・・」
「アスカ、聞いてる?」
「・・・ん?なにか言った、シンジ?」
「なにか言った?じゃないよ、もう・・・・。」
「ごめん。ちょっとあんまりいい気持ちだったもんだから、つい浸っちゃって。」
「そ、そう・・・それよりもういい?結構長い時間やったんだけど。」
「そ、そうなの?もういいわよ。じゃあ、次は・・・・」

こんな感じで、アスカはちょっとぼーっとしていたので、僕はアスカの髪を手
入れしながらも、ときどき声をかけてやらねばならなかった。
昨日デパートの屋上でやってあげた時は結構いい加減だったが、今度はそうい
う訳にもいかなかったので、僕は割と気合いを入れてやった。そんな訳で結構
時間がかかったように感じたが、それでも何とか見栄えのするように出来上が
った。

「これで終わりっと。アスカ、終わったよ。」

僕はアスカに完成を告げる。するとアスカはようやくこっちを向いて、僕に返
事をした。

「お疲れ様。大変だったでしょ。」
「そんなでもないよ。屋上では風が強くてあれだったけど、今日は家の中だか
ら。」
「そう?まあ、そんな事はいいとして、せっかくシンジがやってくれたんだか
ら、ちゃんと確認しておかないとね。」

アスカはそう言うと、立ち上がってベッドから下り、置いてあった手鏡を拾う
と部屋の壁に掛けてあった鏡の前に立った。そして、手に持った手鏡を駆使し
て後ろや横などをチェックする。その間、少しアスカの調整が入ったとは言う
ものの、ほとんど大掛かりな手直しはなされることなく、アスカは鏡の前から
戻ってきて、またベッドの上に登った。
アスカが僕の側を離れて鏡の前にいる間、僕は呆然としてアスカの様子を眺め
ていたのだが、アスカが再び戻ってきて僕に声をかけると、僕は我に戻った。

「シンジ?」
「あ、アスカ。何?」
「なに?じゃないわよ。どうしたの、ぼーっとして?」
「な、何でもないよ。で、どう?僕ちゃんと出来てた?」
「まあ、合格ね。はじめてにしちゃあ、うまい方だと思うわよ。」
「そ、そうかな・・・?」
「そうよ。じゃあ、シンジがアタシにしてくれたお礼に、今度はアタシがシン
ジの髪をとかしてあげる。」

僕はアスカの言葉に、さも意外な事を聞いたかのように驚いて、あわてて断っ
た。

「え!?い、いいよ、僕は髪なんかどうでも。別にアスカにやってもらうほど
のもんじゃないよ。」
「遠慮しないで。ね、アタシはシンジの髪もやってあげたいの。」

僕はアスカの言葉の調子に、アスカが真剣なのを感じて、取り敢えずアスカの
言う通りにすることにした。

「そ、そう・・・?アスカがそう言うなら、やってもらうけど・・・」
「じゃあ、決まり!!はい、シンジ、アタシに背中を向けて・・・・」

アスカは僕がアスカの意見を受け入れると、一気に元気になって、僕に後ろを
向くように言ってきた。僕はアスカに言われるがままに、アスカに背中を向け
ると、アスカに合図した。

「いいよ、アスカ。もう始めても。」
「・・・・・」

アスカは返事もせず、かといって始める様子もない。僕はちょっとおかしく思
って、アスカに声をかけようと思ったその時、僕の髪の毛にブラシでないなに
かが触れた。それはアスカの手の感触だった。僕は驚いて、前を向いたままア
スカに声をかける。

「ア、アスカ・・・?」
「・・・・シンジの髪の毛って、固いんだね・・・・」

アスカは僕の髪の毛を撫でながら、つぶやくように言う。僕はかなり戸惑いな
がらも、アスカに調子を合わせて答えた。

「僕も男だからね。アスカのような柔らかい髪じゃないよ。」
「・・・・それもそうね・・・・・」
「・・・・・・」

僕は黙ってアスカに髪を撫でられるがままにしておいたが、アスカも少しする
と、それを止め、僕の髪の毛にブラシをあてはじめた。

「・・・・」
「・・・・」

僕もアスカも黙っている。部屋の中にはただ、僕の髪の毛のとかされる音が聞
こえるだけだ。僕はこうして人に髪の毛をとかされることなんてはじめてのこ
とだったので、何だか不思議な気持ちを覚えていた。そして、自分がされてみ
てようやく、アスカがちょっとぼーっとしていた理由が分かった。
僕がこんな風にぼーっとしていると、それまで黙っていたアスカが、僕に話し
掛けてくる。

「シンジ・・・・?」
「ん、何?」

僕はアスカの口調にあまり元気さを感じなかったが、大して気にせずアスカに
応えた。

「今・・・何時だかわかる・・・?」
「ん?えーっと、六時四十二分ってとこかな?」

僕は自分の腕時計を眺めながらアスカに時間を教える。僕は時間がまだ六時台
だと知ると、ちょっとアスカは起こすのが早すぎたかな?と思っていた。一方
アスカは僕から今の時間を聞き出すと、動かす手は止めずにつぶやくように僕
に尋ねてきた。

「ミサトはまだ・・・・寝てるわよね・・・・?」
「う、うん。ミサトさんはこんな時間には絶対起きてなんて来ないよ。」
「そうよね・・・・そう・・・・」
「アスカ・・・?」

僕にはアスカがなぜ急にこんなことを聞き出すのか、全く分からなかったし、
何だか様子もちょっとおかしいので、心配そうな声をアスカに投げかけた。し
かし、アスカからは何の返事も返ってこない。そして、いつのまにか動かして
いた手も止まってしまっていた。僕はそれに気付いて、振り返ってアスカの様
子を見ようと思ったその時、アスカがいきなり僕の後ろから抱き付いてきた。

「ア、アスカ!?」

僕は後ろを振り返ろうとするが、アスカは完全に僕の背中に身体を密着させて
抱き付いているので、なかなか思うようにはいかない。するとアスカが僕の肩
越しからにゅっと顔を出して、僕に言葉をかけてくる。

「シンジ・・・アタシはいいわよ・・・・」

アスカはそう言いながら僕に体重を預けてくる。ぼくはベッドの上で不安定な
体勢だったので、思わず横倒しにされた。そしてアスカは、僕の上にのしかか
るように倒れ込んだ。
僕は思わず呼吸を止める。そして、僕が顔を上げると、そこには僕の顔を見下
ろすアスカの顔がある。その顔は真剣な眼差しを浮かべており、軽い口など利
けないような雰囲気にさせた。

「ア、アスカ・・・?」

僕はアスカに声をかける。しかし、アスカはそれにも微動だにしない。ただ僕
を見つめ続けるのみだ。僕は少し躊躇しながらも、アスカにもう一度声をかけ
ようとしたその時、アスカが口を開いた。

「好き・・・・」


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