私立第三新東京中学校

第八十七話・輝ける朝



シンジ・・・・

誰かが僕を呼んでいる。

シンジ・・・シンジってばぁ・・・・

眠い。でも、誰かが僕を揺さぶる。

シンジ・・・起きてよ・・・・

これは夢に違いない。そうだ、そうに決まってる・・・・ぐぅ・・・・

もう・・・しょうがないわね・・・・・

「んんっ!!」

僕はいきなりの唇に触れてきた感触に驚いて、目を覚ました。
うとうととしていた気分はいっきに覚め、目を見開く。僕の視界に入ってきた
ものは、アスカの顔のアップだった。

「んん!?」

僕は完全に何が起こったのかを理解したが、アスカに口をふさがれていたので、
言葉が出せない。しかし、僕がふがふがしだすと、アスカもようやく僕が目覚
めたのに気付いて、その真っ赤な唇を僕の唇からゆっくりと離した。

「起きた、シンジ?」

アスカはまるで何事もなかったかのように、僕の顔を覗き込みながらやさしく
言う。僕はアスカのした事の強烈さと、言葉の調子とのギャップに驚きながら
も、何とか返事をする事ができた。

「う、うん・・・起きた。」
「そ。なかなか起きないから、ちょっと困ってたのよ。」
「そ、そう・・・でも、僕、寝坊しちゃった?ちゃんと目覚しはセットしてお
いたはずなんだけど・・・・」

僕はそう言いながら、目覚し時計の方に視線を向ける。そして、それで気がつ
いたのだが、外の様子はまだ薄暗く、ようやく日の出かどうかというところだ。
僕がしげしげと窓の方を見つめていると、アスカがそんな僕の注意を自分に引
き戻すかのように、僕に声をかけてきた。

「まだ、朝の五時半よ。シンジが寝坊したわけじゃないわ。」
「ご、五時半!?」

僕は慌てて寝ぼけまなこをこすりながら、目覚し時計の文字盤をしっかりと確
認する。確かにアスカの言うとおり、五時半になったというところを、時計の
針は指していた。僕はどうしてこんなに早くに?と疑問に思いながら、アスカ
に尋ねる。

「きょ、今日は何かあったっけ?早起きしなくちゃいけないこととか。」

まだ僕の口調ははっきりしていない。まあ、起きたばかりだからしょうがない
事かもしれないが、それに比べてアスカの話し方はとても今起きたばかりとは
思えないほど、はっきりとしたものだったし、こんなに朝早くだというのに、
眠そうな顔すらしていない。
僕がこんな感じでアスカの顔をじっくり眺めていると、アスカはちょっと気に
なったのか、少し顔を赤くしてあせった口調で僕に答えた。

「あ、あるといえばあるし、ないといえばないのよ・・・・」
「へ!?どういうこと、それ?」

僕はアスカの言葉に訳が分からずに、素っ頓狂な声を上げた。するとアスカは
顔をさらに真っ赤にして、さもそれをいうのが恥ずかしげに、僕に向かって尋
ねる。

「と、とにかく・・・・昨日の事、シンジは覚えてない?」
「え!?昨日の事!?」
「そうよ!!もう・・・アタシの口から言わせる気!?」

僕はアスカに言われて、昨日の事を振り返ってみる。そして、ようやく僕の頭
の中から、あることを引き出す事に成功した。

「え、えーっと・・・・あ!!」
「思い出した!?」
「確かアスカの髪をやるとか何とか・・・・」
「それよ!!」
「そ、そうだったんだ。それで僕をこんなに早く起こしたの?」
「そうよ。アンタは下手だから、時間がかかると思ってね。」

確かに今にしてみると、アスカの髪はぼさぼさではないものの、いつものよう
にきっちりと結ばれてはおらずに、ばさりと下におろしている。

「んで、これから僕がやるの?」

僕はめんどくさそうにアスカに尋ねる。するとアスカは僕の言葉の調子から、
僕の気持ちを察したのか、むっとした顔をして僕に言った。

「アンタ、もしかして、嫌なの!?」

僕はアスカのその強い口調に、アスカの怒りを感じて、慌ててそれを否定した。

「そ、そういう訳じゃないよ!!」
「じゃあ、もっと嬉しそうな顔をしなさいよ。アタシの髪に触れるんだから。」
「そ、そんな事言ったって・・・・」
「アタシの髪、嫌い!?」
「い、いや・・・・」
「好きなんでしょ!?」
「う、うん。」
「ならいいじゃない。」
「で、でも、今度はちょっと時間が足りないんじゃない?僕も朝ご飯やお弁当
を作んないといけないし・・・・」
「そんな事なら心配ないわ。アタシがもう、すべてやっておいたから。」
「ほ、ほんと!?」
「本当よ。朝食を済ませて、着替えも終えてから、ゆっくりとやりましょ。時
間はたっぷり残っているだろうから・・・・」
「う、うん・・・・」

こうして、僕とアスカは二人連れ立ってリビングへと移動する。
僕がそこで目にしたものは、きれいに二つ揃えて置かれている弁当箱と、テー
ブルの上の朝食の数々だった。僕は驚きのあまり目を見張ると、アスカに尋ね
た。

「こ、これをアスカが一人で・・・?」

僕が尋ねると、アスカはさも自慢げに僕に向かって答えた。

「もちろん!!まあ、結構時間もかかったし、洋風だから簡単だしね・・・・」

確かにアスカの言うとおり、テーブルの上に並んでいるのは、まだ焼いていな
い食パンとベーコンエッグ、それにボイルしたソーセージが少々だ。僕はいつ
も忙しくないとき以外は、ご飯に味噌汁という和食の朝ご飯にしていた。朝か
らパンでは力が付かない、という古臭い言葉を真面目に実践していたからなの
だが、だからこういう洋風の朝食というのは、かなり珍しいものと言えた。
まあ、洋風和風はともあれ、アスカが一人でこれをすべてこなしたという事に
は、僕は心の底から感心していた。弁当を作る時間もあったというのに、大変
な事だったであろう。さらに豪勢すぎるという事もなく、普段の朝食らしい、
堅実な内容だ。
僕は感心する事しきりに、うなずきながらアスカに言う。

「凄いよ、ほんと・・・・よくやったよ、アスカ・・・・」
「ほんと!?でも、それは食べてから言ってみて。味も大事だから。」

アスカはそう言うと、僕とアスカ、二人分の二枚のパンをトースターにいれ、
コップに牛乳を注ぐ。僕は黙ってアスカのその様子を見ながら、椅子に腰掛け
た。そして、後はパンが焼けるだけになると、アスカも僕の向かいに腰を下ろ
した。その、パンが焼けるまでのほんの少しの時間、何もする事がなくなった
ので、僕は取り敢えずアスカに尋ねた。

「ミサトさんも起こす?冷めないうちに食べた方がおいしいだろうから・・・」
「いいわよ、ミサトは。きっと疲れてるだろうから、ゆっくり寝かせておいて
やりましょ。」
「そ、そう?」
「そうよ。こんな早くに起こしちゃ、ミサトに悪いじゃない。」
「それもそうだね・・・・」
「アタシたち二人・・・これで十分よ。」
「・・・・」

僕はアスカの言葉に感じるものがあって、アスカの方に視線を向けていたが、
もうその時のアスカは、既にトースターの方に意識を集中させていた。

チーン!!

パンが焼けた。アスカは急いで二枚のパンを取ると、マーガリンをせっせと塗
りながら、僕に尋ねてきた。

「シンジは何つける?」
「え!?」
「だからぁ、パンによ。」
「ああ、じゃあ、いちごジャム。」
「いちごジャムね・・・・」

アスカはそう答えながら、今度はいちごジャムをべたべたと塗りたくった。そ
してそのパンを僕に差し出して言う。

「はい、おまたせ!!」

僕は驚いてアスカに尋ねる。

「え!?僕に塗ってくれてたの!?」
「当たり前でしょ!!さ、冷めないうちに食べて!!」
「う、うん・・・」

僕は驚き覚めやらぬ感じでアスカに答えると、差し出されたパンを受け取り、
おもむろにかじりつく。一方アスカは、今度は自分の方にマーガリンを塗り、
そして僕とは違っていちごジャムでなくマーマレードを塗っていた。
アスカは自分のパンにようやくありつくと、パンをくわえながらアスカの方を
見つめている僕の事に気が付いた。

「ちょ、ちょっと何じろじろ見てんのよ?」
「うん。」
「うんじゃわかんないわよ。」
「アスカにも、こういうところがあるんだなーって思って。」
「な、何よ、それ?」

アスカは僕の言葉に照れて顔を赤くしている。僕はそんなアスカを見ると、に
こっと笑って、何事もなかったかのようにパンを食べはじめた。アスカは僕の
様子にびっくりしながらも、口では自分の気持ちを隠すかのように、まったく
違う事を口にした。

「お、おかずの方も食べてみなさいよ。パンばっかりじゃなく。」

僕はアスカの言葉に、黙って行動で答えた。箸で器用にベーコンエッグをちぎ
ると、さっとそれを口の中に放り込む。そして顔を上げてアスカの方を見ると、
口をもぐもぐさせたまま、大きく二度うなずいて見せた。アスカはそれを見る
と、さも嬉しそうに瞳を輝かせて僕に尋ねる。

「おいしかった!?ねえ、本当においしかったの!?」

僕は口の中のものをごくりと飲み込むと、アスカに言葉で返事をする。

「おいしかったよ、アスカ。お世辞じゃなくって。」
「じゃ、じゃあ、今度はソーセージ食べてみて!!」
「うん、わかった。」

ソーセージに味付けは関係ないのだが、僕は黙ってアスカに言われた通りにソ
ーセージに箸を伸ばすと、粒マスタードを付けてかじりついた。

「どうどう!?」
「うん、皮がパリっとしておいしいよ。」
「でしょ!!」
「うん。」

とまあ、こんな感じで二人きりのにぎやかな朝食の時間を僕たちは過ごした。
そして、ミサトさんの分だけテーブルの上に残し、後の食器は流しに運んでお
いた。ミサトさんは僕たちよりもずっと後に家を出るので、食器を洗っている
暇がないのだ。とにかく、僕たちは朝食を済ますと、学校に行く支度に取り掛
かった。
僕とアスカは別れて自分たちの部屋に散る。僕は一人で制服に着替えながら、
何気に時計を眺めた。時間はまだ六時を少し回ったというところ。はっきり言
ってようやく僕が起きはじめるかどうかという時間だ。僕はこれからの事に頭
を悩ませながらも、一方ではさっきまでの楽しい朝食に考えを働かせていた。

アスカは目にみえてかわいくなった。それは僕にもわかる。
やっぱり人は幸せになると、輝いてみえるものなのだろうか・・・?
僕にはその答えは分からないが、アスカに関する限り、どうやらそのようだ。
では、僕は人から見て、輝いているのだろうか?そして綾波は?

・・・どうも難しい。僕はせっかく楽しい気分に浸っていたというのに、何だ
か暗い気持ちになってしまった。
幸せになる・・・それは簡単なようで、難しい。
みんなが、そして僕もまた、幸せを追い求めている。
僕は果たして幸せになれるのだろうか・・・?

僕はいつのまにか手を止め、考え込んでいた。
そしてそれが、今日という日の始まりの朝だった・・・・・


続きを読む

戻る