私立第三新東京中学校

第八十六話・携帯電話にのせて


僕とアスカはミサトさんに冷やかされながらも、今までにもめったにないくら
いの楽しい夜を過ごしていた。食事が済んでからも、僕は片づけをしながら、
後ろで楽しそうにしゃべる二人の会話に参加していた。
そしてお風呂も済んでもう寝る時間、僕とアスカはミサトさんをリビングに残
して、それぞれの部屋に向かう。ドアの前に立って、今日の別れとなるその時、
僕とアスカは一瞬お互いの顔を見合わせた。僕もアスカも、二人が同じ事を考
えてきたのに気づくと、少し顔を赤らめる。そして、そんなちょっと恥ずかし
そうにしたアスカは、僕にひとこと言う。

「おやすみ、シンジ。また明日ね。」
「うん。おやすみ、アスカ。」
「・・・今日は楽しかったわね。」
「うん、そうだね。」
「また明日も、今日みたいにいいことばっかりだったらいいわね。」
「そうだね。」

僕がなんとなくはっきりしない返事をしていると、アスカはちょっと眉をひそ
めて、自分の部屋のドアの前を離れて、僕の方に詰め寄ってきた。

「そうだね、しか言えないの?」
「そ、そういう訳じゃないけど・・・・」
「もう、二人の別れのときなんだから、ぼーっとしてないで、もう少し寂しそ
うにしたらどうなの?」
「別れって言ったって、明日また会えるだろ?別にそんな感傷的にならなくた
って・・・・」

僕がそう途中まで言うと、アスカはいきなり僕に抱きついてキスをしてきた。
少々長めのキス。僕はあまりのことに驚いて、抵抗することも忘れ、呆然とな
っていた。
アスカは名残惜しげに僕の唇から自分の唇を離すと、僕の目を見つめて一言。

「おやすみ、シンジ。」

そして、自分の部屋に消えていった。
僕はしばらく茫然自失だったが、アスカの姿が視界から消えると、次第に我を
取り戻して、自分の部屋に入っていった。

僕は自分のベッドに横になると、目を開いたまま、眠ろうとせずに天井を見つ
めていた。そして、今日あったいろいろなことについて頭を巡らせてみる。
いろいろあったといっても、考えるのはほとんどアスカのことと、そして綾波
のことだった。

アスカについては、いろいろあったけれど、最終的にはうまく行った。
実際、僕がここの所アスカに急速にひかれているのは事実だし、アスカと仲良
くするのは悪い気はしない。まあ、アスカがところ構わずキスしてくるのには
困ったもんだが、それでアスカが満足するのなら、僕も我慢しようかと思う。
アスカは僕が知ってる人の中でも、一番傷つき易いので、なかなかその対応も
難しく、アスカのすることを受け入れてやることくらいしか、僕には何も出来
ていない。でも、アスカは幸せだ。少なくとも僕にはそう見えるし、みんなも
そう感じているだろう。

しかし、問題なのは綾波だ。僕は綾波のためを思って何くれと教えてやったり、
面倒を見ているので、僕になついている。なつくというのはおかしい言い方か
もしれないが、実際そんな感じだ。僕は実のところ、綾波が僕に傾倒していく
のを危惧していたし、少々わずらわしくも思っていた。しかし、それでも今日
の綾波には悪いことをした。アスカを追っていくためとはいえ、綾波の制止を
振り切って出ていってしまったからだ。

僕は明日、綾波に顔を合わせるのがつらい。何といって謝ったらいいのだろう?
僕が何を言おうと、それは言い訳にしかならないことを僕は承知していた。し
かし、綾波が一人で泣いているかと思うと、僕にはたまらないものがあった。
僕は一人であの薄暗い部屋の中ですすり泣いている綾波を想像すると、なんだ
か居ても立ってもいられなくなった。
僕はどうしようかと思ったが、うまい方法が思い浮かばない。僕は仕方なく瞼
を閉じると、心を落ち着けようとした。しかし、僕の心の中には、綾波に付け
た傷痕が残り、眠ることさえできなかった。

僕は仕方なく、音楽でも聴こうと、ベッドから起き上がり、鞄の中身をあさる。
すると、あるものが僕の目にとまった。それは携帯電話だった・・・・
僕はそれを手に取ると、綾波の家に電話をしようかと思った。綾波の家の電話
番号はメモしてあったし、携帯電話にも登録してある。一度もそれを利用した
ことはなかったが、僕は初めてそれを使う決意をした。

プルルルル、プルルルル・・・・・

綾波は電話に出ない。僕はそれでも綾波が出てくるのを待った。

プルルルル、プルルルル・・・・・

まだ綾波は出ない。もう、十数回も待っているのに。

プルルルル、プルルルル・・・・・

綾波は出ない。とうとう僕はあきらめようかと思って、スイッチを切ろうとし
たその時、ブツッと回線のつながる音が聞こえた。

『・・・・・』

しかし、何の応答もない。僕はきっと綾波が電話の向こうにいるだろうと思っ
て、恐る恐る声をかけてみた。

「あ、綾波・・・・?」
『・・・・・』
「あ、綾波、いるんだろ・・・・?」
『・・・いかり・・・くん?』

綾波の声が聞けた。綾波は僕に応えてくれたのだ。僕は思わずうれしくなって、
大きな声で綾波に向かって呼びかける。

「あ、綾波!!ぼ、僕だよ、シンジだよ!!」
『碇君・・・・』
「きょ、今日はごめんね。綾波を置いていってしまって・・・・・」
『・・・・』
「あ、綾波・・・?」
『・・・・どうして私に電話してきたの・・・・?』
「え!?そ、それは・・・・綾波に謝ろうと思って・・・・」
『そう・・・・』
「綾波・・・怒ってる?」
『・・・別に怒ってなんていないわ。』
「そ、そう?ならいいんだけど。」
『・・・・』
「あ、綾波・・・?」
『・・何、碇君・・・・?』
「す、少し、話をしてもいい?」
『・・・碇君は私なんかと話をしたいの・・・・?』
「う、うん。」
『・・どうして・・・?』
「どうしてって言われても・・・・とにかく綾波と話をしたいんだよ。」
『本当に?』
「本当に。」
『・・・碇君は、私のことを嫌いになったわけじゃないの・・・?』
「もちろんだよ。どうして僕が綾波を嫌うなんてことが!?綾波の方こそ、僕
のことを嫌いになってしかるべきだよ!!」
『・・・どうしてそういう事言うの・・・?』
「だって、僕は綾波を置いて、出ていったんだから・・・・・」
『私は碇君が、私のことを嫌いになったんだと思ってた。』
「そ、そんなことないよ!!」
『じゃあ、碇君は今までと同じように、これからも私と付き合ってくれるの?』
「うん。」
『本当に?』
「本当に。」
『なら、私に碇君の声を聞かせて。私には碇君がいるってことを、信じさせる
ために。』
「うん。でも、何を話したらいいのか・・・・?」
『何も話さなくていいの。ただ、私の名前を呼んで。私の名前を・・・・』

綾波のお願いは、なんだか恥ずかしいものだったが、僕はその綾波のわがまま
を聞いてやることにした。

「う、うん。あ、綾波。」
『もっと。』
「綾波・・・」
『もっと大きく。』
「綾波!」
『・・・・今度はレイって呼んで。』
「え!?」
『お願い・・・・』
「レ、レイ・・・・」
『碇君・・・・』
「レイ・・・」
『碇君・・・・』
「レイ」
『碇君!!』
「・・・綾波・・・・?」
『碇君、好き!!』
「あ、綾波・・・・」
『碇君、碇君、碇君・・・・・私だけの・・・・碇君・・・・』
「・・・・」

僕は綾波の思いの丈をぶちまけたような、言葉を聞くと、何も言えなくなって
しまった。綾波がいいおわり、僕も圧倒されて黙っていると、綾波は落ち着い
たのか、静かに僕に呼びかける。

『・・・・碇君・・・?』
「な、何、綾波?」
『これから・・・碇君のところに行ってもいい?』
「え!?だ、駄目だよ。」
『どうして?』
「もう、夜遅いし、これから出歩くのは危ないよ。」
『私は大丈夫。だから・・・・』
「と、とにかく!!心配だから、ね!!」
『私を心配してくれるの?』
「うん。だから、わかってよ。」
『・・・わかった。碇君がそういうのなら、私は我慢する。』
「あ、ありがとう、綾波。」
『碇君・・・・』
「何、綾波?」
『好き。』
「あ、綾波・・・・」
『好き。』
「わ、わかったから、ね。」
『好き好き好き!!』
「ちょ、ちょっ・・・・」
『大好き!!』
「あ、あや・・・」
『私には碇君しかいないの!!碇君じゃなきゃ駄目なの!!』
「お、おちつ・・・」
『碇君が欲しいの!!』

綾波は興奮のあまり、それだけ言うと、後は静かになった。僕は綾波が落ち着
いたと感じると、静かに声をかける。

「綾波・・・?」
『碇君・・・・』
「そろそろ遅いから、電話、切るよ・・・・」
『・・・・もう少しだけ・・・・』
「きりがないから。」
『じゃあ、あと一言だけ・・・・』
「う、うん、じゃあ、あと一言ね・・・・」
『碇君はレイって言って・・・・』
「わかった。レイ・・・・」
『ずっとずっと、碇君のことを好きだから。ずっとずっと・・・・』

綾波は大きな声でそう言うと、これ以上は何も言おうとはしなかった。僕はそ
う感じると、綾波に終わりを告げた。

「じゃあ、もう切るよ・・・・」
『・・・うん・・・・・』
「じゃあ、綾波、おやすみ・・・・・」
『碇君も・・・・』

そして、僕は静かに携帯電話のボタンを押した。
僕は綾波との電話を終えると、電話をもとあった鞄の中に収め、再びベッドに
横になった。そしてまた、はじめと同じように天井を見つめる。

・・・・綾波は僕からの電話に、ずいぶんと興奮していたようだった。
綾波は僕に対する気持ちを言うときも、どことなく淡々としていたものだ。
しかし、今はなんとなく違った。直接顔を見せていなかったせいなのか、それ
とも今日のことで綾波に変化が現れたのか、僕にはわからなかったが、取り敢
えず僕は綾波が元気になってくれてほっとしていた。

そして、僕は心が落ち着くと、自然と眠りが訪れ、僕はいつのまにか眠ってし
まっていた。悪夢は僕に矛先を向けずに、僕の知らない誰かに向けられた。
僕は心地よい眠りの中で、夢を見ることすらなかった。
こうして、長い長い波乱に満ちた一日がようやく終わりを告げたのだった・・・


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