私立第三新東京中学校

第八十四話・歌と思い出


「シンジ?」
「何、アスカ?」

僕とアスカは、さっきから同じような会話をやり取りしている。

「どこか、行きたいところって、ある?」
「行きたいところ?」
「そう、行きたいところ。」
「どうして?」
「だって、アタシ達が一緒に遠くに出かけたのって、あの温泉の時くらいじゃ
ない。」
「そういえば、そうだね。」
「沖縄にも行けなかったしさ。」
「うん。」
「一緒にどこか、行きたいね。」
「うん。」
「今度の休み、一泊旅行にでもいこっか?」
「え!?」
「二人っきりでさ。」
「それはまずいよ。」
「どうして?」
「それは、その・・・・」
「そ、シンジはアタシのことをそういう目で見てくれてるんだ。」
「そ、そういう訳じゃないよ!!」
「いいの。アタシはシンジがアタシのことを一人の女の子としてみてくれてて、
それだけでうれしい。」
「アスカ・・・・」
「いいわ。旅行はあきらめる。」
「そ、そう・・・・」

僕たちは、しばらく歩きながら、こんなちょっと恥ずかしいような会話を、と
りとめもなくしていた。アスカももう完全に落着いて、自分の言葉に僕がどん
な反応を示しているのかを、何だか楽しんでいるかのような、ある種の余裕み
たいなものを見せている。
僕はアスカの言葉に顔を白黒させながらも、正直に言葉を返していた。
アスカも僕に心を開き、僕もアスカに心を開く。
アスカは思ったまま、感じたままを僕に話し、僕も精いっぱいそれに答えよう
とした。この、僕とアスカの会話は、僕にとって、何だか安らぎを覚えるひと
ときだった。それはアスカも同じようで、アスカは終始にこやかな笑顔を、惜
しげもなく振り撒いていた。そんなアスカは何だか輝いて見えたし、一番綺麗
に見えた。
僕たちはどのくらい歩いていたんだろう?アスカも僕も、話に夢中になって、
時間も場所も忘れていた。

「シンジ?」
「何、アスカ?」
「子ども・・・好き?」
「子ども?」
「そう、子ども。」
「どうして?」
「・・・なんとなく。」
「・・・・嫌いじゃないよ、子ども。」
「そう・・・・」
「アスカは?」
「アタシはあんまり好きじゃない。でも・・・・」
「でも?」
「でも・・・・好きになれるかも・・・・・」
「ふうん・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
「シンジは・・・・」
「なに?」
「ううん、何でもない。」
「・・・・」
「・・・・」
「アスカ・・・?」
「な、何、シンジ!?」
「僕のことばっかりじゃなく、今度はアスカのことを聞かせてよ。ここに来る
前のアスカのこととかさ。」
「・・・・」
「駄目?」
「ううん。駄目って言う訳じゃないけど・・・・」
「うん?」
「アタシは今が一番幸せだから、未来を見つめていたいの。過去はもういらな
いの、アタシにとっては、忌まわしい思い出でしかないから・・・・」
「それは僕も同じだよ。僕も、未来に向かって生きていきたい。」
「シンジも?」
「うん。アスカのことは知らないけれど、僕もここに来る前のことは、いい思
い出なんてひとつも無いんだ・・・・」
「そう・・・・アタシ達、似てるのかもね。」
「そうだね・・・・」
「似た者同士、うまくやって行けるかもね・・・・」
「うん。」
「シンジもそう思う?」
「うん。」
「じゃあ、聞くけど・・・・」
「何、アスカ?」
「自分の子どもって、欲しい?」
「へ!?」
「シ、シンジの子どもってことよ!!」
「ぼ、僕の子ども!?」
「そう、シンジの子ども。」
「そ、そんなのわかんないよ。」
「どうして?」
「だって、まだ中学生だし・・・・」
「関係ないじゃない、そんなの。」
「関係あるよ!!」
「・・・・それもそうよね。自立してないんだし。」
「そ、そういう問題じゃないよ。」
「じゃあ、どういう問題?」
「そ、それは・・・・と、とにかく、まだ早すぎるんだよ!!」
「・・・・早くないわよ・・・・」
「アスカ・・・?」
「・・・・アタシはもう、準備できてるから・・・・」
「・・・・」
「・・・・もう、大丈夫だから・・・・・・」
「アスカ・・・・」

何だか妙な雰囲気になって、話はそこで途切れた。
僕とアスカはさっきからずっと手をつないでいたが、僕は手をつなぐことくら
い平気だった。でも、今は何だかちょっと違う。今ここでこうして手をつない
でいるのは、よくないことなのではないかと思った。しかし、僕はそう思いな
がらも、アスカの手を離すことはなかった。そうすることは、僕がアスカを追
いかけてきたことを、無意味なものに変えることになるから。そして、つなぎ
止めておかないと、またアスカがどこか遠くへ行ってしまうような気がしたか
ら・・・・
そんな中でアスカの手は、何だかいつもよりも熱く感じた。それは、燃え盛る
生命の熱さだった・・・・

しばらくして、いつのまにやら僕たちは湖のほとりにたどり着いていた。
そして太陽も、ちょうど沈みはじめていて、真っ赤に燃え盛ろうとしている。
水面に映る太陽はまぶしく、僕たちを赤く照らす。僕は彼方を眺めていると、
アスカが声をかけてきた。

「シンジ?」
「何、アスカ?」

僕はアスカの方に視線を向ける。しかし、アスカは僕の方を向かずに、湖の方
を見つめたまま、話しはじめた。

「音楽って、好き?」
「音楽?」
「そう、音楽。」
「どうして?」
「だって、シンジは前、よく一人で何か聞いてたじゃない。」
「そういえば、そうだったね。」
「今はもう、聞かないの?」
「最近はあんまり聞いてないな。」
「どうして?」
「ああいうのは、気が紛れるんだよ。」
「気が紛れる?」
「そう。一人でいる時でも、音楽を聴いていると、何だか一人でいるとは思え
なくて、寂しくなかったんだ。」
「そうだったんだ・・・・」
「でも、今はみんながいるし、寂しくないから、聞く必要はないんだ・・・」
「一人じゃなくなったのね。」
「うん。」
「・・・・でも、音楽ってそういうもんじゃないんじゃないかな?」
「え!?」
「寂しさを紛らわすためにっていうだけじゃなく、楽しい時や悲しい時、うれ
しい時にも、音楽はあるとおもうけど・・・・」
「・・・・」
「歌わない?」
「え!?」
「アタシとシンジ、ふたりで。」
「ど、どうして?」
「いいじゃない、歌っても。今アタシは、無性に歌いたい気分なの!!」
「い、いいけど、何を?」
「何がいいと思う?」
「な、何でもいいけど、二人が知ってる歌じゃないと・・・・」
「そうね・・・・じゃあ、日本の歌よね・・・・」
「うん・・・」
「・・・・赤とんぼなんてどう?」
「赤とんぼ?」
「そう。今のこの景色に、合ってると思わない?」
「そうだね。」
「じゃあ、いくわよ・・・・」

こうして、僕とアスカは静かに赤とんぼを歌った。
ゆっくり、しずかに、おだやかに・・・・・
僕はちょっとこういうところで歌うのには抵抗があったが、幸い辺りには誰も
いなかったので、恥ずかしい思いはせずにすんだ。しかしそれでも、顔を赤ら
めずにはいられなかった。まあ、夕日に照らされて全てのものが赤一色に染め
抜かれていたので、誰も気付かなかっただろうが・・・・

僕とアスカは歌い終わると、なぜかお互いの顔を見合わせた。
そしてアスカは僕に向かって微笑みながら言う。

「歌っていいわね・・・・」
「え!?」

僕はびっくりした。
あの時、ちょうどこんな感じのところで僕が聞いた、あの言葉と同じだったか
らだ。そう、僕の忌まわしい思い出、しかし僕にとってはまた、懐かしくもあ
るカヲル君の思い出と重なったのだ・・・・

しかし、アスカは僕が急に驚いたのを見て、不思議そうな顔をしている。

「どうしたの、急に?」
「ん?ううん、何でもない。」
「そう、ならいいけど・・・・」

アスカはそう言いながら、僕に心配そうな顔を見せる。僕はそんなアスカを安
心させるために微笑んで見せたが、心の中ではカヲル君のことを考えていた。

僕のことをはじめて好きと言ってくれた人。
そして僕を裏切った人。
そして・・・僕の殺した使徒・・・・・


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