私立第三新東京中学校

第八十二話・それぞれの苦しみ


僕とアスカ、綾波の三人は、並んで歩いていた。
僕は考え込んでいたし、アスカも洞木さんのことで考えるところがあったのだ
ろう。綾波については、余計なことをべらべらと喋るような女の子では無いの
で、黙っていても不思議ではない。つまり、三人とも黙っていたのだ。

どれくらい経っただろうか、いつのまにか綾波の家まで着いていた。

「碇君・・・」
「ん、綾波、じゃあまた明日。」

僕は考え込んでいたので、あいまいに綾波にさよならを言うと、そのまま立ち
去ろうとした。すると、綾波はさっと僕の前に立ちふさがって言ってきた。

「待って、碇君!!」
「ん、あ、綾波!?」
「今日は色々買ってもらったけど、たくさんあって、ちょっと一人で整理する
のは大変なの、だから・・・・」

確かに食器とか、服とかだけでなく、何やら色々ある。綾波の手にはいっぱい
荷物があるが、それは僕も同じで、両手に抱えるように持っている。特にトウ
ジのことで、ケンスケがいなくなってしまった今、荷物持ちは僕一人なのだ。
僕は納得すると、綾波に答えた。

「うん、いいよ。手伝ってあげる。」

僕がそう答えるやいなや、アスカが急に口出ししてきた。

「ア、アタシも手伝うわよ。シンジ一人じゃ、大変でしょ!?」
「そんな事無いわ。碇君がいれば、後は何とかやれるから。」
「と、とにかく!!アタシも協力するから!!」
「・・・・」

綾波は不満気な顔を見せていたが、何も言わずに僕とアスカを家の中にいざな
った。

「今、お茶を入れるから。」

綾波は帰ってくるなり、やかんに火をかける。僕は取り敢えず荷物を下に置く
と、椅子に腰を下ろした。そんないかにもくつろいでいる僕とは裏腹に、アス
カはかなり珍しそうにして、部屋の中を眺めている。

「ほんとに殺風景なところねー・・・・」
「まだ、これでもよくなった方なんだよ、アスカ。」
「ほんとに?」
「うん。僕がここにはじめて来た時は、何だか不気味だったから。」
「そう・・・・」

アスカは今朝は中には入らなかったので、ここに来るのは今日が初めてという
ことになる。確かにはじめてでは驚くのも無理はない。どう見ても女の子の部
屋という感じではないからだ。今ではゴミが散乱していたり、怪しげな薬とビ
ーカーが置かれているということはなくなったが、それでもコンクリートむき
出しの壁だったし、床も何も敷かれていない。
アスカは部屋の中を立ったまましげしげと眺め、僕がその様子を目で追ってい
ると、お茶がはいったようで、綾波がテーブルの上に三つの湯飲みを置いた。

「碇君、お茶、はいったから・・・・よかったら、冷めないうちに、飲んで。」
「う、うん。ありがとう、綾波。」

僕はそう言うと、早速綾波の入れてくれたお茶に口を付ける。そして取り敢え
ず礼儀だけ果たすと、湯飲みを下に置く。

「おいしいよ、綾波。」
「ありがとう、碇君。碇君を想って、心を込めていれたから・・・・」
「う、うん・・・」

僕は綾波の言葉にちょっとうろたえを見せて、話を変えるためにアスカに話し
掛けた。

「ア、アスカも座ったら!?綾波がお茶をいれてくれたことだし。」

アスカはそれまで立ったまま綾波の部屋を観察していたのだが、僕の言葉で我
にかえって、答えた。

「え!?う、うん。わかったわよ。」

アスカはまだ驚きから完全に抜け出していない様子で、ぼんやりしたまま手近
にあった椅子に腰を下ろした。僕はそれを見届けると、今度は綾波に向かって
声をかける。

「あ、綾波?」
「何、碇君?」
「せっかく服を買って来たんだから、綾波もちょっと着替えて来たら?その間
に僕たちで荷物を袋から出しておくから。」
「わかったわ、碇君。」

綾波はそう言うと、服の入った袋を持って、お風呂場の方に消えていった。き
っとお風呂場の前が綾波の着替えるところなんだろう。綾波は制服しか持って
なかったから、シャワーを浴びる時以外に着替えは必要ないからだ。

綾波がいなくなり、部屋にはアスカと僕が残されている。アスカはまだ、何と
なくお茶の入った湯のみを口の辺りに持っていきながら、部屋の中を眺めてい
る。僕はわずかに苦笑すると、アスカに尋ねた。

「そんなに綾波の部屋が珍しいの?」
「え!?」
「だって、何だか妙にアスカが気にしてるみたいだからさ。」
「う、うん。」

そう答えるアスカは何だか元気がない様に見えた。僕は少し心配になって、ア
スカに尋ねてみる。

「どうしたの、アスカ?何だか元気ないみたいだけど。」
「そ、そんな事ないわよ。でも・・・」
「でも?」
「ここにいると、何だか怖くて・・・・」

アスカはそう言いながら、手に持った湯飲みを両手で握り締めた。僕はアスカ
のその言葉を聞くと、納得はしたが、取り敢えずアスカを安心させるために、
やさしく言葉をかけた。

「確かにそう感じるかもね。でも、心配いらないよ。何も怖いことはないから。」
「うん・・・・」

アスカは一応うんとうなずいたが、その様子は一向に落ち着いた様子を感じさ
せるものにはならなかった。僕はそれを見ると、一層不安をつのらせると、椅
子から立ち上がってアスカの側に寄る。そしてアスカの肩に手をかけると、座
ったアスカを見守るように、上から見下ろして話し掛けた。

「何がそんなに怖いの?」
「・・・わからない。でも、何だか怖いの・・・・」
「大丈夫?」
「うん、何とか。でも・・・・」
「なに?」
「アタシの手、にぎっ・・・・」

アスカが僕の顔を見上げながらそう言いかけた時、ちょうど着替え終わった綾
波が、こちらにやって来たので、アスカはその言葉を途中で収め、うつむいた。
綾波はそんなアスカなど存在しないかのように、僕に向かって声をかけてくる。

「どう、碇君?碇君の選んでくれた服よ・・・・」

そう、綾波の言う通り、それは僕が選んでやってあげた服だった。おまけにし
っかり帽子までかぶっている。僕はてっきり家用のトウジのジャージを着るの
かと思っていたので、これにはちょっと驚かされた。僕が唖然としていると、
綾波は更に言葉を続ける。

「碇君、似合う?私は碇君の意見が聞きたい。」
「う、うん。とってもよく似合うよ。」
「本当!?」
「本当だよ、綾波。」
「よかった・・・・碇君が似合うっていってくれて。」

綾波が一人で喜びに浸っているのを見て、僕も悪い気はしなかったが、とにか
くそんな格好でいられては、いつ汚してしまうとも限らないので、綾波にそれ
となく着替えるように言うことにした。

「でもね、綾波。」
「・・・何、碇君?」
「うん、そういうのは、どこか外へ出かける時に、着た方がいいよ。」
「え?」
「うん、だから、そういうのは特別な時にさあ・・・・」
「でも・・・・」
「綾波の気持ちも分かるけど、うちではそれは着ない方がいいよ。せっかくト
ウジがジャージを買ってくれたんだし、それを着れば?」

綾波は僕の言葉に、うつむいて唇をかんでいたが、わずかの沈黙の後、顔を上
げて僕に向かって微笑みながら言った。

「わかった。碇君の言う通りにする。」
「う、うん。ごめんね、なんか余計な事言っちゃったみたいで。」
「いいの、碇君の言うことは、きっと正しいことなんだろうから。」
「ほんと、ごめんね。それに、綾波もジャージの方はまだ着てないだろ?ちょ
っと僕に着て見せてよ。」
「うん。」

綾波はそう言うと、僕に背を向けてとことこと歩いて、また奥に消えていった。
僕はそんな去っていく綾波の後ろ姿を眺めながら、一つため息を吐いた。
綾波がいなくなると、それまで黙っていたアスカが、後ろから僕に声をかけて
きた。

「やさしいわね、シンジって・・・・」
「え!?」

僕は急にアスカから声をかけられたので、ちょっとびっくりして振り向く。

「ファーストの気持ちを考えて、言葉を選んで言い聞かせてさ・・・・」
「そ、そんな事ないよ。」
「ううん、アタシにも、同じ風に話してくれてる。」
「そ、そうかな?」
「アタシには、そう感じた。」
「そうなんだ・・・」

僕はそう返事をしたが、どうしてアスカがそんな事を言い出したのか、僕には
理解出来なかった。僕がその理由を考えていると、アスカが言葉を続ける。

「アタシとあの娘は、シンジにとっては同じ存在なの・・・?」
「え!?」
「同じように接して、同じように言葉をかける。その中のシンジの気持ちは、
両方とも同じものなの?」
「・・・・」

僕はアスカにそう言われて、自分がこの二人に対して、どう接して来たかを改
めて考え直させられた。僕が黙っていると、アスカは僕が黙っているのは答え
られないからだと思ったのか、まるで自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

「やっぱりアタシとファーストは同じか・・・・そうよね。シンジにとっては、
どっちも同じだし・・・・・」
「そ、そんなことないよ!!」

僕は慌ててアスカのその言葉を否定する。アスカは僕の言葉を聞くと、別に感
銘を受けた様子も見せずに、静かに僕に聞き返した。

「じゃあ、どこが違うの?シンジにとって、アタシとファーストは・・・・」
「そ、それは・・・・」
「いい加減な嘘は聞きたくないわ。ほんとのことを言って。」
「ア、アスカは家族だし、綾波は友達だし・・・・・」
「それだけ?アタシとアンタの関係は、それだけなの?」

アスカのこの問いかけに、僕が返事をしようと口を開きかけたその時、後ろか
ら声が聞こえた。

「それだけよ!!」

僕が振り返って見ると、そこには真っ白なジャージに着替えた綾波が立ってい
た。

「あ、綾波・・・」
「碇君のあなたとの関係は、ただの同居人。それ以上ではないわ。」

綾波は戸惑う僕にちらりと視線を向けると、表情を厳しいものに変えてアスカ
にそう冷たく言い放つ。アスカも綾波に言われると、かっとなって大声で言い
返した。

「アンタにそんな事言われる筋合いはないわよ!!」
「いいえ、言わせてもらうわ。私にはその権利があるもの!!」
「どんな権利がアンタにあるっていうのよ!?」
「私と碇君は、心も身体も、一つになっているからよ!!」
「え・・・・!?」

綾波のとんでもない発言に、アスカは魂を奪われてしまったようだ。

「嘘・・・・」
「嘘じゃないわ。本当のことよ。」
「信じない、アタシは信じない・・・・・」
「ちょ、ちょっと綾波・・・・そんないい加減なことを言うのはやめて・・・」
「私は一生忘れないわ。碇君と抱きしめ合った、今日のこの日を・・・・」

綾波は僕の制止も聞かずに、話し続ける。それを聞いて更にうろたえる僕に、
アスカが一言尋ねた。

「本当のことなの?」
「え!?」
「本当のことなの、シンジ?アンタとファーストが抱きしめ合ったって?」
「そ、それは、つまり・・・・」
「言い訳は聞きたくないわ!!イエスかノーか、はっきりと応えて!!」
「・・・・イエス・・・・・」

僕は苦しみながらもアスカに本当のことを答えた。するとアスカは、まるでも
うどうでもよくなってしまったかのような感じで、一人つぶやいた。

「ははは・・・やっぱりね。そんな事だと思ったわ。シンジがアタシにやさし
くしてくれてたのは、別にアタシが好きになってくれはじめたとか、そういう
んじゃないんだ・・・・誰でも・・・・誰でもよかったんだ・・・・」

アスカの乾いた笑いが、部屋にこだまする。

「・・・じゃあ、アタシはこれで帰ることにするから・・・・後は二人で好き
にやってちょうだい・・・・・」

アスカはそう静かに言うと、ゆっくりと僕たちに背を向け、立ち上がると、い
きなり外に駆け出していった。

「アスカ!!」

僕はそう叫んで、アスカの後を追おうと立ち上がる。しかし、綾波は僕の手を
つかむと、僕を引き止めた。

「行かないで、碇君。」
「綾波!!」

僕は綾波に向かって、いい加減にしろといいたげな表情で叫ぶ。しかし、綾波
は僕の声の中に含まれる感情を読み取ることが出来ずに、自分の話を続ける。

「あの人から許可が下りたわ。今日は碇君を返さないから。そして私と碇君は、
本当に一つになるの・・・・」

僕は綾波の言葉を聞かずに、僕の手をつかんだ綾波の手をひきはがすと、アス
カを追っていった。綾波は僕の通り抜けていった玄関のドアをしばらく眺めて
いた後、ゆっくりと立ち上がり、ベッドにうつぶせに倒れ込んだ。

「碇君・・・・」

そして綾波は、また一人となった・・・・・・


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