私立第三新東京中学校

第八十話・はじめてのキス


一応綾波の服を買い、僕たちは今までいた店を後にした。これから僕たちはお
昼をどこかで食べた後、雑貨類を見てまわる予定だ。僕たちは、ようやく人通
りの増えて来たデパートの通りを、のんびりと歩いていく。
綾波は買ってもらった服を大事そうに抱えながら、僕の斜め後ろを歩いている。
アスカと洞木さんは、僕の横で歩いている。二人で何やら話をしているが、ま
あ、無理に聞こうとも思わない。
トウジとケンスケは、少し離れたところで歩いていたのだが、そこはやはりい
つも腹を減らしているトウジのこと、昼食の相談をするために、僕たちのとこ
ろに何度も顔を出してくる。

「腹減ったのう。」
「わかってるって、トウジ。だからこれから何か食べに行くんだろう?」
「せやけど気になるやんけ。」
「じゃあ、トウジは何が食べたいか考えておいてよ。」
「よっしゃあ、わいにまかせとき!!」
「あ、でも、綾波は肉が嫌いだから、そのつもりで。」
「く・・・なあ、綾波、好き嫌いはいかんぞ。」
「・・・・」

トウジは肉が駄目だと思うと悔しいのか、綾波に何やら説教している。しかし
綾波は聞く耳をもたない。僕は何だかトウジが哀れになって、口を挟むことに
した。

「綾波、どうして肉が嫌いなの?」
「碇君は知りたい?」
「うん、知りたい。」
「じゃあ、教えてあげる。」
「うん。」
「肉は、血の匂いがするから嫌なの。」
「血の匂い?」
「そう、血の匂い。」
「僕にはそんな風には感じないけどなあ。」
「・・・・私はそう感じるの。だから、肉は食べられないわ。」
「そう・・・・」
「ごめんなさい、わがまま言って。」
「いいんだよ、別に。じゃあ、トウジと一緒になって、食べる場所を決めると
いいよ。そうすればトウジも納得するだろうし・・・」
「碇君の言う通りにするわ。」

綾波はそう言うと、トウジの話に耳を傾けようとした。トウジは僕の方をちら
りとみると、綾波と何やら話をはじめた。僕はそっちが解決したのを見ると、
再び前を向いて、一人になった。
しかし、そう長い間、僕は一人にはなれなかった。すぐにアスカが話し掛けて
来たからだ。

「シンジ。」
「ん、アスカか。」
「アスカか、じゃないわよ。アタシの服、結局どうするのよ?」
「そうだねえ。」
「呑気な顔してないでよ。」
「そうだ、アスカがうまく僕をみんなから抜け出させる方法を考えてよ。」
「アタシが?」
「うん。」
「アンタが自分で考えなさいよ、それくらい。」
「でも、アスカはそういうの得意そうだしさあ。」
「た、確かにそうだけど。」
「たのむよ、ね。」
「わ、わかったわよ。しょうがないわねえ・・・・」
「ありがとう、アスカ。恩に着るよ。」
「そのかわり、ちゃんと選ぶのよ。わかったわね。」
「わかってますって。」

と、こういう話になった。そうこうしているうちに、綾波とトウジの方も、話
がまとまったようだ。

「決まったで、昼飯の場所。」
「へえ、結局どこにしたの?」
「ここを出たすぐのとこのラーメン屋や。」
「ふうん。」
「綾波はラーメン屋なら行ったことあるっちゅうてな。」
「そう言えばそうだったね。僕も一度綾波とみんなで行った事があるよ。」
「シンジはええやろ?」
「うん、僕はそこでいいよ。」
「ほな、わいは他の連中にも聞いてくるわ。」

トウジはそう言うと、僕から離れて洞木さん達のところに行った。しかし、綾
波はトウジとは一緒に行かずに、ここに残っている。そして綾波は、僕に近づ
いてくると、話しはじめた。

「私が前、碇君達とラーメンを食べに行ったっていう話、聞かされているから。」
「そうだったんだ・・・・」

僕は綾波の言葉を聞いて、あの時の綾波は今の綾波ではないということを思い
出した。しかし、綾波にその時の記憶がなくとも、どうやらリツコさんなり、
父さんなりに、いろいろ話を聞かされていたらしい。僕はそう思うと、何だか
複雑な気持ちになったが、僕は昔の綾波でなく、ここにいる今の綾波を思う事
にした。過ぎ去ったことよりも、これからの方が、大切なことであるのだから。

そして、場所は変わってデパートの外のラーメン屋。結局みんなこの案には賛
成したようだ。今はちょうどお昼時ということもあって、日曜でもなかなかの
盛況である。しかし、運よく並ぶこともなく、僕たちは中に入ることが出来た。
みんな入るとメニューを眺めるが、そこは決断力一番、アスカが一番最初に何
にするか決めた。

「んーっと、フカヒレはないみたいだから・・・・アタシ、ネギ味噌チャーシ
ュー大盛り!!で、シンジは?」
「僕?えーっと・・・・」
「もう、さっさと決めなさいよ。」

僕が迷っている間にも、他のみんなはどんどん自分のものを決めていく。

「あたし、チャーシューメン。」
「わいは味噌バター大盛りや。」
「俺はチャーハン。」
「ほら、後はシンジとファーストだけよ。」
「ん・・・よし、僕はタンメン。」
「それでいいのね?じゃあファースト、後はアンタだけよ。」
「私は、碇君と同じのがいいわ。」
「はいはい。じゃ、みんな決まったわね。ヒカリ、注文よろしく。」

そして、しばらくして、みんなの注文の品がやってくる。僕と綾波は、二人仲
良くタンメンだ。アスカはそれを見ると、皮肉たっぷりに綾波に言う。

「アンタ、もしかしてシンジと同じ物が食べたかっただけなの?」
「私は何でも碇君と一緒よ。」
「じゃあ、もしシンジがチャーシューメンとか、レバニラ定食だったらどうし
てた訳?」
「それはありえないわ。」
「どうしてよ?」
「私は碇君を信じてるし、碇君も私のことを知ってるから。」
「アンタねえ・・・・」

アスカはあきれた顔をしたが、僕に向かってこう言って来た。

「シンジ、アンタ、チャーシューメンに変更しなさいよ。そうでもしないと、
ファーストのこれは治らないわよ。」
「そんな今更無茶言うなよ・・・・」
「まあ、今は無茶だけど、今度から気をつけなさいよね。」

アスカはそれだけ言うと、自分のラーメンに取り掛かった。僕は綾波の方に視
線をやると、綾波も僕の方を見ていた。
僕は綾波に微笑みながら一つうなずく。すると、綾波もうれしそうな顔をして、
僕に微笑みを返して来た。僕も綾波も一言も言葉を交わさなかったが、お互い
に心は通じ合えたようだ。これもタンメン効果だろうか?僕は下らんことを考
えて苦笑すると、みんなと同じように自分のものを食べはじめた。

こうして僕らはおいしい昼食を済ませ、ラーメン屋を後にした。デパートの中
に戻る途中、アスカが一言ぼやく。

「失敗したわ・・・・」
「どうしたの、アスカ?」

アスカのすぐ隣にいた洞木さんが、心配そうにアスカに尋ねる。アスカはいか
にも失敗した、というような顔をして、洞木さんに答えた。

「ヒカリはうまいわよね、チャーシューメンだもの。」
「なに、どういうこと?」
「それに比べて、あたしはネギ味噌チャーシュー大盛りよ。はあ・・・・」
「いいじゃない、おいしかったんでしょ?」
「おいしかったわよ。でも、ニンニク臭くなるじゃない。アタシとしたことが、
うかつだったわ・・・・」
「そうね・・・そうだ、アスカ、ガム一枚あげる。これを噛めば、何とかなる
んじゃない?」

洞木さんはそう言って、手提げの中からガムを一枚取り出し、アスカに渡す。
アスカはそれを受け取って、口にほうり込むと、噛みながら洞木さんに言う。

「ありがと、ヒカリ。でも、これで大丈夫かしら・・・?」
「大丈夫よ、アスカ。でも、どうしてそんなに気にするの?別にいいじゃない、
ちょっとくらい。」

洞木さんがそう言うと、アスカは真っ赤な顔をして、洞木さんの耳に口を近づ
けると、そっとささやいた。

「アタシの場合、いつシンジとキスするかわからないじゃない。」
「ア、アスカ!?」
「シッ、大きな声出さないで。聞かれたら恥ずかしいじゃないの。」
「で、でも・・・・」
「それよりヒカリ、そっちはどうなの?今日辺り、チャンスじゃない。うまく
やんなさいよ。」

洞木さんはアスカの言葉に、耳まで真っ赤になった。そしてかなりうろたえた
様子でアスカに言う。

「そ、そんな事言ったって・・・・」
「確かに恥ずかしいけど、鈴原だってヒカリのこと、満更でもなさそうだし、
別に構わないんじゃないの?」
「で、でも、あたしにはまだ、そういうのは早いから・・・・」
「早くなんかないって。ヒカリ達の関係なら、もう遅いくらいよ。」
「でも・・・・」
「とにかく、アタシは応援してるからね、ヒカリのこと。」
「アスカ・・・・」
「頑張んなさいよ。」

これで、二人の密談は終わった。僕にもトウジにもその内容は聞こえなかった
が、僕たち二人はそういうことを無理に聞き出すような男ではないので、別に
気にはしなかった。

そして、僕たちはデパートの中をいろいろ巡り、綾波の部屋を飾るものや、そ
の他必要と思われるものを買いあさった。一時間くらいこうしていただろうか、
アスカが急にみんなにこう言った。

「ア、アタシ、ちょっとトイレ。」
「そう、じゃあ、あたし達はここにいるから。」
「う、うん。でも、ちょっと場所が分かんないから、シンジを借りていくわね。」

アスカはかなり無理な言い訳だったので、恥ずかしそうに顔を赤くしながら、
有無を言わさず僕の手をとって、さっさと行ってしまった。綾波は僕がアスカ
に連れ去られる様子をただ黙ってじっと見つめていたが、なぜか何も言わず、
ついて行こうともしなかった。

「シ、シンジ、これでいいわよね?」
「アスカ、今のはちょっと見え見えだったんじゃない?」
「いいのよ。バカどもにはわからないだろうし、ヒカリにはそれとなく言って
おいてあるから、きっとフォローしてくれるわよ。」
「そう?ならいいけど、でも、なるべく早目に済ませようよ。」
「・・・わかってるわよ、それくらい。」

アスカはつまらなそうにそう答えた。しかし、それは仕方ないことなので、僕
は敢えてアスカに何も言わなかった。

そして、僕とアスカはなるべく近場の店に入る。いろんな服が目に入ってくる
と、アスカは僕に尋ねてくる。

「で、シンジはアタシにどういうのが似合うと思ってる訳?」
「うーん・・・・そうだなあ、アスカは健康的なイメージがあるから、結構男
っぽい方が似合うんじゃないかな?」
「なにそれ、もしかしてアタシが男勝りだって言いたい訳?」
「そ、そういう訳じゃないよ。」
「ならいいけど。」
「と、とにかく選んでみるから。」

僕はそう言うと、アスカを置いて店の中をうろついた。そして、これと思った
ものを二点、手に取ってアスカのところに戻って来た。

「随分早かったのね。」

アスカはあまりいい顔をせずに僕に言う。僕はそれを見てちょっと躊躇したが、
それでもアスカに持って来たものを見せた。それは青の眩しいジーンズと、ア
スカにはちょっと大きめな赤いチェックのシャツだった。

「これなんだけど・・・」
「・・・・」
「どう、気に入らなかったら、また別のものを探してくるけど。」
「・・・・気に入らないなんて言う訳ないじゃない。」
「じゃあ?」
「気に入ったわ。アタシはファーストじゃないから、シンジが選んだものなら
何でも、って言う訳にはいかないけど、これならアタシにも似合いそうだし・・・」
「試着してみる?」
「そうね、そうさせてもらうわ。」

アスカはそう言うと、試着室に消えた。しばらくして、割と早くアスカがそこ
から出て来た。

「どう、シンジ?似合う?」
「うん。とってもカッコいいよ。」
「そうね、アタシもそう思うわ。」
「じゃあ、それでいいね?」
「うん。」
「なら、すぐで悪いけど、また着替えて来てくれる?」
「わかったわ。」

一方、僕とアスカのいない、洞木さん達。そこでは調理関係の売り場だったの
で、洞木さんは水を得た魚の様に、楽しそうに綾波にいろいろ教えている。ト
ウジはそんな洞木さんを見ると、ケンスケに一言いい、どこかへ姿を消してい
った。

しばらく洞木さんはトウジがいないことに全く気がつかなかったが、僕とアス
カが長すぎるトイレから戻って来て、それを指摘すると、はじめてトウジがい
なくなっていたことに気がついた。

「す、鈴原!!どこに行ったって言うの!?」

洞木さんはかなり心配げな様子だ。するとケンスケが洞木さんに向かって言う。

「安心しなよ、委員長。トウジなら、何か用事があるって言っていなくなった
けど、すぐに戻ってくるとも言ってたから。」
「で、でも・・・・」
「トウジはしっかりした奴だから、心配する必要はないよ。すぐ戻ってくるさ。」

ケンスケは落着かせるようにそう言ったが、洞木さんは全く安心したそぶりは
見せずに、ぐるぐると歩き回ってた。
そして、洞木さんには長い長い数分間が過ぎ、ようやくどこに行っていたのか、
トウジが戻って来た。それを見た洞木さんは泣きそうな顔をしてトウジに詰め
寄る。

「どこに行ってたのよ!!ほんとに心配したんだから!!」
「済まん、いいんちょー。実はな・・・・」

トウジはそう言って、それまで持っていなかった袋から、あるものを取り出す。
それは、淡いグリーン色をした、一枚のエプロンだった。

「これを買いに行ってたんや。いいんちょーに、何がええかとおもったんやけ
ど、やっぱりいいんちょーにはエプロンが似合うかと思うて・・・」

トウジはそう言いながら、洞木さんにそのエプロンを渡す。

「いつもありがとう、いいんちょー。これがわいの心からの贈り物や。」
「鈴原・・・」

洞木さんは、トウジからそれを受け取りながら、涙を流していた。

「ありがとう、鈴原・・・・あたし・・・・」
「なに泣いとんのや。いいんちょーに涙は似合わんで。」

トウジはそう言うと、洞木さんの顔に手を伸ばして、涙をそっとぬぐってやる。

「鈴原・・・・あたし・・・・・」
「何も言わんでええ。何も言わんで・・・・」
「あたしには、鈴原に返してあげられるものはないけど・・・・」
「弁当をいつももらっとるやないか。」
「い、今はこれだけ!!」

洞木さんはいきなりトウジに飛びついて、ほっぺたにキスをした。洞木さんは
自分のしたことに恥ずかしくなって、顔を真っ赤にしながら、トウジに向かっ
て言う。

「これが・・・あたしの、鈴原に対するお礼だから。」
「・・・・」

トウジはまるでひっぱたかれたかのように、洞木さんの唇の触れた頬に手を当
てながら呆然としていた。そして洞木さんは恥ずかしさのあまり、うつむいて
誰にもその顔を見せようとはしなかった。
そう、それは、キスをする側にも、される側にも、初めての体験だったのだ。
誰も何も言わず、ただ黙っていた。しかし時はそこで動きを止めたが、二人の
歯車は、急速に回っていったのだった・・・・


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