私立第三新東京中学校

第七十七話・人のぬくもり


取り敢えず、僕たちはデパートの中をさまよった。

デパートといっても、今いるのは専門店が立ち並ぶところなので、なかなか目
移りするらしい。
僕の横には綾波がぴったりくっついているが、どういう訳か、洞木さんも綾波
の反対側の、僕の横にいる。多分、これはアスカに対する洞木さんの思いやり
の結果だろう。綾波と僕を二人っきりにせずに、しかも問題が起こらないよう
にと・・・・

僕は、この洞木さんの思いやりには感謝してもしきれなかったが、綾波は洞木
さんなど全く目に入っていないようだった。

「碇君。」
「何、綾波?」
「碇君は、私にどういう服を選んでくれるつもりなの?」
「え!?うーん、そうだなあ・・・・」

僕が悩んでいると、洞木さんが横から口を出してきた。

「碇君、このお店はどう?」
「え、う、うん。そうだね。ここでいいかな、綾波?」
「私はよくわからないから、碇君の決めたところなら、どこでもいいわ。」
「じゃあ、ここを覗いてみようか。」

取り敢えず、みんなでその店に入る。トウジとケンスケは、露骨につまらなそ
うな顔をしていた。僕もその気持ちはよく分かるので、僕は二人に賛意の視線
を向けた。

それまでちょっと離れたところにいたアスカは、やはり年頃の女の子というこ
ともあってか、元気になって、僕たちの中心にやってきた。

「ヒカリ、これ、かわいいと思わない?」
「そうね、アスカ。でも、アスカには、ちょっと大きすぎるんじゃない?」
「そうかなあ?どれ?」

アスカはそういって自分の身体に合わせてみる。

「ヒカリの言う通りかもしれないわね。」
「ねえ、じゃあ、これなんかはどう?」

と、まあ、こんな調子で、いつのまにか洞木さんとアスカは二人でわいわいや
っている。忘れ去られた僕は、それを見ながらため息を一つつく。

「わいらの出番、なしやな。」

それを見たトウジが僕に言う。

「うん。そうだね。」
「でも、あいつら、綾波のことなんかほっといてるよ。」

ケンスケも会話に参加してきた。

「そうみたいだね。」
「俺達、どうしようか?ここでこうしていてもしょうがなさそうだし。」

僕とトウジ、ケンスケの三人は、顔を見合わせた。

「かといって、わいらが勝手にどこか行ってしまうっちゅうのも、いかんやろ
うしなあ。」
「じゃあ、僕ら男たちだけで、綾波の服を選んであげようか?」
「そうだな。それがいいかもしれないよ。」

そして、僕たちは綾波の方を向いて尋ねる。

「こういう事なんだけど、綾波はどう?」

僕がそう聞くと、綾波は黙ってこくりとうなずいた。
それを見たトウジは一言言う。

「決まりやな。」
「まず、みんなで一つずつ持ち寄ろう。それでどうかな?」

僕がそう提案すると、みんなはそれを了承し、店の中に散ることにした。

僕は二人と別れ、服の立ち並ぶ中をかき分けるように進んでいった。当の綾波
は、僕のあとにしっかりとくっついてきている。こうして、即席ではあるが、
僕と綾波は二人っきりになったのだ。
そうなってすぐ、綾波が僕に声を掛けてきた。

「碇君。ちょっとこっち向いて。」
「何、綾波?」

僕は言われた通りに立ち止まると、綾波の方を向いて答えた。綾波は、振り返
った僕の顔を見ると、こころもち顔を赤くして、僕に言った。

「もう、誰も見てないわ。」
「え!?」
「ここなら碇君も恥ずかしくないでしょ?」
「そ、そんな事言っても・・・・」
「私は碇君と二人っきりになれる、こうした時間を待ってたの。」
「で、でも・・・・」

僕はくちごもる。それはそうだ。こんなところでキスしろなんて、とても納得
できるもんじゃない。僕がなかなかいい顔をしないでいると、綾波は心配にな
って僕に尋ねてきた。

「やっぱり碇君は恥ずかしいの?」
「うん・・・・ごめん、綾波。」
「じゃあ、何ならいいの?」
「うーん・・・・」

何ならいいの?と言われても困ってしまう。僕はさっと答えを導き出すことは
出来なかった。すると綾波は僕に顔を近づけて言う。

「私はこの時をずっと待ってたの。昨日からずっと・・・・」
「あ、綾波?」

僕は綾波の様子が少し変わったのを見て、すこし心配になって言った。綾波は
僕の瞳の奥底を覗き込むかのような目で僕を見つめると、言葉を続けた。

「ずっと心臓がドキドキしてるの。碇君のことを想うだけで・・・・」
「・・・・」
「碇君には聞こえない?私の心臓の音が?」
「・・・う、うん・・・・」
「なら、聞こえるようにしてあげる。」

綾波はそう言うと、おもむろに僕の頭を両手に挟み、自分の胸に僕の耳を押し
付けた。

「聞こえる、碇くん?・・・・私の鼓動が・・・・?」

綾波の胸の膨らみが顔に伝わる。僕は恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にする
と、どもりながら返事をした。

「う、うん・・・・」
「私も生きているでしょ?碇君と同じに・・・」
「綾波は、立派な人間だよ。」
「碇君がそう言ってくれて、私はうれしい・・・・」
「僕はただ、本当のことを言ったまでだよ。」

僕がそう綾波に答えると、綾波は抱え込んだ僕の頭をぎゅっと抱きしめて言っ
た。

「私は碇君が好き。」
「綾波・・・」
「今はこうさせていて。これが、キスの代わりの、私のお願い。」
「・・・・」
「こうして碇君を感じていたいの。」
「・・・・」

僕は黙ったまま、綾波に抱きしめられるに任せていた。

「碇君って、あたたかい・・・・これが、人のあたたかみなの?」
「・・・・」
「今まで知らなかった。私はずっと一人だったから・・・・」
「綾波・・・・」
「碇君・・・・」

僕は綾波の胸の中で、ゆっくりと瞳を閉じた。
人のあたたかみ、人のぬくもり・・・・それは僕も知らなかったものだ。だか
ら、綾波の言っていることが僕には痛いほど伝わった。無論、綾波と僕が今ま
で体験してきたことは、全く違うであろうが、それでも、お互い愛を知らずに
育ったということには変わりがない。僕は、手負いの獣たちが、互いに傷を舐
め合うように、僕たちも互いに冷たくなった心を暖め合わなければならないと
感じていた。

綾波の心臓の音が聞こえる。しかし、それはさっきまでの激しいものから、次
第にゆっくりとしたものへと変化していった。僕はそれに気付くと、綾波も穏
やかに感じている事を悟った。

「碇君・・・・私を一人にしないで・・・・」

綾波は小さくそうつぶやく。
一人はいや。これに関しては、僕も、綾波も、アスカも、みんながみんな言っ
てきたことだ。すべての人が、互いにつながりを求めている。きっとそう思っ
ているのは僕だけではないはずだ。
綾波には父さんもリツコさんもミサトさんもいた。でも、やっぱり綾波は一人
だった。誰が綾波を一人ではなくさせることが出来るのだろう?やはり僕しか
いない。綾波が言うように、綾波には僕しかいないのだろうか?

しかし、僕は考えるのを止めた。
今はこうしていよう。綾波のぬくもりを感じ、綾波にも僕を感じてもらおう。
僕らはもう、一人ではないということを知らせるために。

僕はそう思うと、それまで下に降ろしていた手を、綾波の体に回した。
それはただ、回すだけ。力は一切加えない。僕はそうすることによって、更に
穏やかな気持ちに包まれていった。すると綾波も、僕の頭を押さえていた力を
緩め、ほんの支えるだけにした。この時僕は、それまでよくわからなかった綾
波のことを、何だか少し、分かってきたような気がした・・・・


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