私立第三新東京中学校

第七十五話・おいかけっことその代償


「あ、そうだ、みんなが待ってるんだった!!」

僕は肝心なことを思い出すと、腕時計を見た。時間はもうすぐ十一時半になろ
うとしている。

「何時に待ち合わせたの?」
「十一時半だよ!!早く行かないと!!」

僕はそう叫ぶと、みんなのところへ行こうとした。しかし、そんな僕をアスカ
はつかんでとめた。

「待って。」
「え、でも、みんな待ってるし・・・」

僕は振り返ってアスカにそう答える。しかし、アスカは僕の言葉を受け入れず
に言った。

「少しだけでいいの。」
「え!?」
「今行ったら、もう二人きりにはなれない。だから・・・・」

アスカの顔は真っ赤だ。アスカは僕の目を見ることも出来ずに、地面を見つめ
ている。僕は約束の時間に遅れるのは嫌だ。でも、アスカの様子を見ると、ほ
んの少しならいいか・・・と考えるようになっていた。

「な、なら、ちょっとだけだよ。」
「うん・・・・」

アスカは息のかかるくらい僕に近づくと、僕の手に、そっと自分の手を重ねあ
わせてきた。ただ、それだけのことであったのだが、アスカのしぐさがこうな
ので、僕もアスカと同じく、顔を真っ赤にしていた。アスカも僕も、お互いの
顔こそ見なかったが、恥ずかしさは少しも衰えるものではなかった。
ほんの数十秒の沈黙。長い長い時間に感じられるその一瞬のあと、アスカはそ
のまま僕に話し掛けて来た。

「シンジ・・・?」
「ん・・・?」
「ファーストに・・・ファーストに服を選んであげるんでしょ?」
「う、うん。」
「いいわね、あの娘・・・・」
「どうして?」
「シンジが服を選ぶなんて、まずないことじゃない。」
「それはそうだけど・・・」
「一緒に住んでるアタシも、まだ無いのよ。」
「言われてみれば、そうだね。」
「あの娘、昨日は眠れなかったでしょうね。」
「・・・でも、僕は服のことなんて、よく分からないから・・・・」
「アンタだけじゃなく、ヒカリも選んであげることになると思うけど、きっと
あの娘、シンジの選んだものしか着ないわよ。」
「え!?どうして?」
「アンタだって、あの娘がどうだか、知ってるでしょ?」
「う、うん・・・・」
「アタシには、あの娘の気持ち、よく分かる。きっとシンジより、アタシの方
がよく分かってるかもね・・・・」
「そうかな・・・?」
「そうよ。アンタは何にも分からないんだから・・・・」
「そんな事無いよ。」
「じゃあ、どうしてアタシがこんな話をしてるかが分からないの!?」
「え!?」
「アタシがせっかくシンジと二人っきりの時間を作ってもらったって言うのに、
そこでファーストの話ばかりして、楽しいわけないじゃない。」
「う、うん・・・」

僕がそう言うと、アスカは僕から更に顔をそらしたが、しかし、その手はしっ
かりと僕の手を取って、僕に向かって言った。

「・・・アタシにも・・・アタシにも、して・・・・」
「え!?」
「アタシにも、服を選んで!!」
「僕が!?」
「そうよ!!どうしてもアタシに最後まで言わせたいの!?アタシはシンジに
アタシの服を選んで欲しいの!!」
「・・・・」
「返事してくれないの?」
「え、そんな事無いよ。ちょっと驚いていただけ。」
「じゃ、じゃあ、どうなの?」
「でも、僕はあんまりセンスのある方とはいえないよ。」
「そんなのわかってるわよ!!でも、それでもアタシはシンジに選んでもらい
たいの!!」
「・・・・べ、別にアスカがそう言うんだったら、いいけど・・・・」
「本当!?」
「う、うん。でも、後悔したって知らないよ。」
「後悔なんてしない。アタシもあの娘とおんなじだから・・・・」
「・・・・」

何だかアスカは妙に綾波を意識するようだが、僕は気にしないことにした。と
もかく僕がアスカにも服を選んでやることが決まったのだ。アスカの言いたか
ったことはどうやらこれだけだったらしく、アスカはいい終わると、今度はき
ちんと僕の方を向いて言った。

「じゃあ、もういきましょ。ヒカリ達が待っているだろうし・・・」

アスカはそう言うと、握っていた僕の手を放して、逃げるように屋上の入り口
の方に走っていった。

「ちょ、ちょっと待ってよ、アスカ!!」

僕は慌ててアスカの後を追った。アスカは僕が追って来ても、そのスピードを
速めることはなかったので、すぐに追いついた。僕は息を切らしながら、アス
カの肩に手をやると、アスカは振り向いて僕に言った。

「アタシを捕まえていてね、シンジ!!」

そしていきなり僕の方に飛びつくと、軽く唇にチュッとキスをして来た。

「え!?」

僕はいきなりのことであったので、びっくりして呆然となる。僕はアスカの唇
の触れた自分の唇に軽く手を当てながら、アスカの方を見る。するとアスカは
軽く微笑んで言った。

「アタシはシンジがアタシのところに来てくれるのを、待ってるんだから。」

アスカはそれだけ言うと、また僕を背にして走っていってしまった。僕はアス
カの後ろ姿を、ただ、ぼーっと見つめていたが、アスカの背中が視界から消え
ると、僕は我にかえって、止めていた足をもどし、アスカの後をまた追いかけ
ていった。

今度の僕は全力疾走ではなかったので、アスカには追いつかなかった。アスカ
の様子はちらちらとはみえたが、アスカも僕から離れず、かと言って見えなく
なるところまで行ってもしまぬようにと、時々こっちを振り返っては、速度を
調節していた。僕はそんなアスカを見て、アスカは完全にこのおいかけっこを
楽しんでいるな、と悟ったが、僕は気を悪くするどころか、アスカがそんな風
に物事を楽しめる状態になったということを喜んでいた。僕がそう思っている
と、自然にもそれが顔に出たらしく、アスカはちょっと振り返った時に、口を
への字にして、走る速度を上げた。僕はそれを見ると、これはまずいと思い、
顔を引き締め、走る速度を上げた。

そのうち、みんなの姿の見えるところまで来た。アスカはみんなのところまで
来ると、洞木さんの後ろに隠れて言う。

「シンジがアタシをいじめるの。かくまって!!」

洞木さんをはじめ、僕達を待っていた人間は、アスカのその言葉を聞くと、驚
きの色を隠せなかった。トウジは洞木さんの背中に引っ付き僕から隠れている
アスカを見て、あきれた口調で言う。

「なんや、わいらを待たせて、二人で楽しく鬼ごっこかいな?」
「いいでしょ、別に。」

二人がこう言っていると、僕はようやくみんなのいるところまで辿り着き、息
を切らせながら立ち止まった。

「お疲れ様、碇君。」

洞木さんは僕の様子を見ると、そう声をかけて来た。

「シンジも大変だよな、惣流みたいなのにつかまっちゃって。」
「そ、そんな事・・・・ないよ・・・」

僕がケンスケの同情に返事をしていると、アスカは洞木さんの背中から顔をに
ゅっと覗かせて、僕に向かって言った。

「アタシはまだ、捕まっていないわよ。」
「もういいだろ、アスカ。それに、元々こういう事じゃなかったじゃないか。」
「駄目よ。アタシを捕まえなくっちゃ。」
「もう、お遊びはこのくらいにして・・・・」
「アタシを捕まえたら、またキスしてあげるわ。」
「な、何言ってんだよ!!」

僕がそう言うと、ふざけるアスカの腕を、いきなり綾波がつかんだ。そして、
外見からは想像もつかない力で、アスカを僕のところに連れて行く。アスカも
僕も、そしてみんなも、驚いてしまって何も言えなかった。綾波はアスカを僕
の目の前に連れてくると、僕に向かって言った。

「碇君の代わりに、私が捕まえてあげたわ。」
「・・・・」
「碇君は何にも言ってくれないの?」
「え、ああ、綾波、ありがとう・・・・」

僕は上の空で綾波に返事をする。綾波はそれでも僕の返事を聞くと、顔を輝か
せて僕に向かって言った。

「あの人のご褒美は、代わりに私がしてあげる。」

そう言うと、綾波はさっきアスカがやったのと同じように、僕に飛びつくと、
キスをして来た。僕はとっさにかわそうとしたが、かわしきれずに唇の端に綾
波の唇が当たった。しかし、綾波は僕がかわそうとしたのを知ると、元々白い
顔を更に蒼白にして言った。

「どうして碇君は避けるの?」
「え、それは・・・・」
「あの人のキスは受けても、私のキスは受けられないの?」
「あ、綾波・・・・」
「碇君は私に、今日は何でも好きなことを聞いてくれるって言った。」
「・・・・」
「私にもキスして・・・碇君から、私に・・・・それが私の、碇君にするたっ
た一つのお願い・・・・」

綾波は真っ正面から僕の顔を見つめて、そう力強く僕に告げた。僕は驚きのあ
まり、硬直してしまっている。そして、綾波の横に立っているアスカは、僕の
顔に穏やかな眼差しを向けている。僕はそれを見ると、アスカが僕の事を信じ
ようとしているのが見て取れた。そして、僕は決意を固めて、しっかりとした
口調で綾波に言う。

「ごめん、綾波。それだけは、聞く事は出来ない・・・・・」

僕には、綾波を傷つけると分かっていても、こう言わざるをえなかった。綾波
は僕のその言葉を聞くと、ゆっくり瞬きを一つすると、静かに僕に言う。

「わかったわ。もう、何も言わない・・・・」

僕には綾波の中の何かが、音を立てて崩れていったような気がした・・・・


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