私立第三新東京中学校

第七十四話・アスカの髪といじわるな風


アスカは僕の胸から顔を上げる。その顔には涙の跡が見えた。しかし、もうア
スカは涙を流してはいない。その顔はどちらかというと、晴れ晴れして見えた。

「何だかアタシ、最近泣き虫になっちゃったみたいね。」

アスカは照れ隠しにそう言う。僕もアスカの感情がおさまったのを見ると、純
粋に喜んで、冗談めかして言った。

「そうだね。アスカは最近泣いてばっかりだし、何だか調子狂っちゃうよ、全
く。」
「あ、どういう意味よ、それ?」
「泣き虫アスカなんて、らしくないって事さ。」
「アタシが泣いてるのって、変かな?自分では、泣き顔も結構かわいいと思っ
てるんだけど。」
「かわいいよ、アスカは。」
「ほんとに!?お世辞や冗談は許さないわよ。」
「ほんとだってば。これに関しては、僕も嘘をつかなくていいから、心が苦し
まなくて助かるよ。」
「・・・・」

僕がそう言うと、アスカは黙ってじっと僕の方を見つめた。僕はアスカにじっ
と見つめられて、ちょっぴりどぎまぎした。そしてアスカは僕から目を離さず
に、僕に向かって尋ねてきた。

「アタシの事、かわいいと思う?」
「う、うん・・・」

僕が返事をすると、アスカは僕の目の前でポーズをとって言う。

「この服、似合う?」
「え?う、うん。でも、髪をしばったほうがいいんじゃないかな?」
「あ、そう言えばそうね。」

アスカは平然とした声でそう答えると、僕に近づいてきて、赤いゴムを手渡す。

「何、これ?」

僕がそう尋ねると、アスカは僕には答えずに、僕に背を向けると、恥ずかしそ
うに言った。

「し、しばってよ、シンジが・・・・」
「え、僕!?」
「そうよ、いいから早く!!」
「自分じゃ出来ないの?」
「出来るわよ。でも、今は・・・・ね?」
「う、うん・・・わかった。」

僕はアスカの甘えたい気持ちを汲むと、アスカの望む通りにしてやろうと思っ
た。そして、ゴムを片手に、アスカの髪を手に取る。

「ど、どう、アタシの髪?」
「うん。」
「うん、じゃわからないわよ。はっきり言って。」
「綺麗だね。太陽にキラキラ光って。」
「ありがと、シンジ。」
「ううん。」

アスカと顔を合わせていないだけに、お互いあまり恥ずかしがらずに話が出来
る。僕もアスカも、今は割と本音で会話を楽しんでいた。一方、肝心の髪の方
は、僕には初めての事なので、かなり手間取っている。しかし、二人とも時間
のかかり過ぎる事にも、焦りの色はなかった。

「シンジ、ちゃんと出来る?」
「う、うん。難しいけど、何とかするよ。」

僕はそう答えるものの、下手なところにおりからの強い風が、僕の作業を更に
困難なものへと変えている。はっきり言って、今の僕はただアスカの髪の毛を
いじくっているようにしか見えない。

「痛い!!ちょっと優しくやってよ。」
「ご、ごめん、アスカ。」
「ゆっくりでいいんだから、ゆっくりで・・・・」
「う、うん・・・」

ちょっとアスカの髪を引っ張ってしまった。アスカには申し訳ない事をした。
僕がそう反省していると、急に突風が吹く。

「ぶわっ!!」

アスカの髪が、もろに僕の顔にかぶさる。僕は思わず変な叫び声を上げてしま
った。

「だ、大丈夫、シンジ?今の風、凄かったけど。」
「う、うん、平気。」
「ほんとに?」
「うん。大丈夫だから、心配しないで。」

僕ははっきり言って最初からのやり直しとなってしまったが、何も言わずにア
スカの髪を取る。

「ねえ、シンジ?」
「ん?何、アスカ?」

僕は結構集中してるので、返事もいい加減だ。しかし、アスカはそんな僕の様
子などお構いなしに、話を続ける。

「アタシの髪、好き?」
「え!?」
「長い髪と短い髪、どっちがいいかな?」
「ど、どっちでもいいよ。」
「そんな事言わないでよ。ちゃんと答えて。」
「そんな事言われたって・・・・」
「じゃあ、長い短いはともかくとして、アタシの髪、好き?」
「え、う、うん・・・・」
「今、触ってて、気持ちいい?」
「う、うん。」
「ほんとにほんと?」
「う、うん。」
「なら、もうちょっとうまくなってよね、髪結ぶの。」
「え!?」
「毎朝やらせてあげるから、シンジに。」
「え、い、いいよ、別に。」

僕がどぎまぎしながら、アスカに断ると、アスカはそれについては何も言わず
に、僕に話し続けた。

「女の子の髪って、男の子と違って柔らかいでしょ。」
「う、うん。」
「だから、優しく扱って欲しいんだ。」
「そ、そう。」
「シンジなら、アタシの髪も優しく結んでくれると思って・・・・」

これで初めて、どうしてアスカがこういう話に持ってきたのかがわかった。し
かし、僕には何とも答えようがなかった。そして、僕がアスカの言葉に気を取
られて、手元がおろそかになっていると、アスカが僕にこう言った。

「もう、やっぱりシンジはへたね。アタシがどうやってやるか、教えてあげる。」

アスカはそう言うと、自分の両手を後ろに伸ばし、僕の手を取る。僕はいきな
りの事でびっくりしたが、アスカに手を取られるままにしていた。

「こうやるのよ、いい?」
「う、うん。」

僕ははっきり言って、アスカの手があった方がやりにくい事この上なかったが、
そんな失礼な事はとてもアスカには言えなかった。なぜか今はちょうど風も弱
くて、髪はすぐに結べた。さっきまでの僕の苦闘が、馬鹿らしく思えるほどだ。

「できたっ。」

アスカはそう言うと、僕の手を離し、くるりとこっちを向く。

「どう、やっぱりアタシはこっちの方がいい?」
「え?うん。」
「シンジもやっぱり男の子なのね。」
「え!?」
「アタシの髪、さんざん触って楽しんでたでしょ!?」
「な、なに馬鹿なこと言ってんだよ!?」
「冗談よ、冗談。シンジがそんな奴じゃないって事くらい、アタシは知ってる
もん。」
「もう・・・・」
「でも、さっき言ってたのは、冗談じゃないわよ。」
「え、なに、それ?」
「アタシの髪、今度から毎日シンジに結んでもらう事にするから。」
「え、ちょ、ちょっと待ってよ!!」
「駄目よ。もう、アタシは決めたんだから。」
「そんなぁー。」
「アタシがこんなこと言うのは、後にも先にもシンジだけなんだからね。」
「うう・・・」
「ア、アタシだって、こんなこと言うのは、とっても恥ずかしいんだから!!
シンジもそれに応えてよね!!」

アスカは顔を真っ赤にしながら、僕にそう言った。それとこれとは話が違うよ
うな気がしたが、アスカは一度こうと決めると、絶対に引かないのは、既に重
々承知しているので、僕はしぶしぶ承知した。

「・・・・わかったよ。だけど、恥ずかしいから、誰にも言うなよ・・・」
「わかってる。これはアタシとシンジ、二人だけの秘密よ。」
「・・・・」

僕は何だか自分が情けなくなってしまった。どうして僕はこうも簡単にアスカ
の策に乗ってしまうんだろう?はっきり言って、僕はアスカの手玉に取られて
ばかりいる。僕は別にそんなつもりは毛頭ないのであるが、いつの間にやら、
こういう事になってしまっているのだ。僕はつくづく自分の馬鹿さ加減に嫌気
が差してしまった。
アスカの髪を毎日いじる。こんなこと、トウジでなくともまともな男のするべ
き事でないと思うに違いない。しかし、アスカの言う事を聞かない訳にもいか
ないし、本当に困った。ああ、明日の朝が、恐い・・・・


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