私立第三新東京中学校
第七十三話・風吹く屋上
僕と洞木さんは、アスカを探してデパートの中を駆けずり回った。しかし、な
かなかアスカは見つからない。
「アスカ、どこに行っちゃったのかなあ?」
走り疲れてしばし立ち止まった時、僕は洞木さんに向けてこぼした。すると洞
木さんは僕に向かって言う。
「アスカはこのデパートのどこかにきっと居るはずよ。そして、碇君が来てく
れるのを待ってるわ。」
「うん・・・」
僕は洞木さんの言う通りだろうと思っていたので、静かに一言、そううなずい
た。洞木さんは僕がうなずくのを見ると、話を変えて僕に提案してきた。
「別々に探さない、碇君?その方が早いだろうから。」
「うん、僕は別に構わないけど。」
「じゃあ、アスカが見つかろうと見つかるまいと、取り敢えず十一時三十分丁
度に、デパートの入り口のところに来て。」
「わかった。」
「じゃ、他のみんなに会った時も、そう伝えておいて。」
「うん。」
こうして、僕と洞木さんは別れ、別々にアスカを探す事にした。一階からくま
なく探し、どんどん上に登っていく。偶然にも、一度別れた洞木さんや、トウ
ジ達にも、一度も会わなかった。そして残り階数は減ってゆき、後は屋上を残
すのみとなった。
僕は屋上に通じるドアを開く。屋上は天気こそ良いものの、風が強く、人数も
かなりまばらだ。僕は辺りをぐるりと見渡す。そして一目で気がついた。見晴
らしのいいフェンスのところに立っている一人の少女が、僕の捜し求めていた、
アスカである事を・・・・
アスカはフェンスに手をやり、外の景色を見ている。いや、そうではないかも
しれないが、少なくとも傍目にはそう映る。僕はアスカを驚かさないよう、ゆ
っくりとアスカに近づいて行った。
アスカの長い髪の毛は、屋上の強い風にあおられて、綺麗になびいている。確
か今日は髪は束ねていたはずだが、今ここで見る限りにおいては、そうではな
いように見える。僕はアスカの数歩後ろまで近寄ると、静かにアスカに声をか
ける。
「アスカ・・・」
アスカは僕の声を聞くと、わずかにビクッとしたが、こちらを振り向くことは
なかった。
「アスカ・・・怒ってるの?」
返事はない。先程の様子からして、僕がここにいて、アスカに向かって話し掛
けているという事は、十分わかっていると思われるのであるが。
「あれは誤解なんだよ、アスカ。綾波と手をつないでしまったのも、特に深い
意味はないんだ。だから・・・」
そこまで言って、僕ははたと言葉を止めた。だから何なのか?ただ、アスカに
機嫌を直して欲しいだけなのか?それとも、アスカにこっちを向いて欲しいだ
けなのか?それとも、僕を許して欲しいという事なのか?それとも・・・・
僕が自分の次の言葉について考えてしまっていたその時、アスカは僕に背を向
けたまま、いかにもアスカらしくないような、透き通るような声で、僕に向か
って続きの言葉を求めてきた。
「だから・・・何なの?」
「それは・・・・」
僕はアスカがまさかこう尋ねてくるとは思いもよらなかったので、動揺して更
に何も思い付かなくなってしまった。僕が答えに困っているのを感じると、ア
スカはそのままの姿勢で僕に向かって言ってきた。
「言えないんだ、シンジは・・・・」
「そ、そんなこと・・・・」
「ううん、アタシは分かってた。シンジが悪くないっていうこと。」
「え!?」
アスカの言葉には、つながりがないような気がしたが、それでもその内容には
驚いた。
「シンジが悪いんじゃないっていう事くらい、アタシには分かってた。でも、
そうと分かってても、シンジがあの娘と手をつないでるのを見てしまった時、
ついかっとなってシンジをたたいてしまったの・・・・」
「アスカ・・・・」
「アタシってやな女よね。うるさくて、嫉妬深くて・・・・」
「・・・・」
「アタシがいる事は、シンジの為にはならないっていう事も、アタシには分か
ってる。でも、シンジに悪いって知ってても、アタシはシンジの側から離れら
れない。・・・・ごめんね、シンジ。迷惑ばかり掛けちゃって・・・・」
「そ、そんな事ないよ、アスカ!!」
僕は大きな声で否定した。僕はアスカが今自分で言っているような風には、ア
スカの事を思ってはいないのだ。
「僕にとって、アスカが側にいる事は、とってもいい事だと思う!!アスカが
言うような、そんな事は絶対にないよ!!」
「・・・・シンジはほんとにそう思ってるの?」
「当たり前だろ!?嘘なんて言う訳ないじゃないか!!」
「・・・アタシが側にいても、いいの?」
「もちろんだよ、アスカ!!」
僕がそう言うと、アスカはくるりとこちらに振り向く。風で乱れた髪が、顔に
かかっていてその表情は良く見えなかったが、その目には涙が光っているよう
にも見えた。
アスカは僕の方を向くと、詰まった声で僕に向かって言う。
「アタシをシンジの側に、置いててくれる?アタシには、もうアタシには、シ
ンジの側しか居場所がないの・・・・」
「アスカ・・・・」
僕は思わず、アスカとの距離を縮めていた。僕が、アスカに手の届くくらいに
まで近寄ると、アスカはいきなり僕の胸に雪崩れかかってきた。
「シンジ・・・・」
アスカは僕の胸に顔を埋めて、僕の名前を呼ぶ。
「シンジ、シンジ、シンジ、シンジ、シンジ・・・・・好き・・・・・・」
くぐもった声ではあったが、僕にはしっかりと聞き取る事が出来た。
「アスカ・・・・」
僕はアスカのそれを聞いても、ただアスカの名前をつぶやく事しか出来なかっ
た。しかしアスカは、今はここでこうして自分の名前が僕の口から発せられる
だけで、それだけで十分に感じているように、僕には感じられた。
二人の時はとまり、何者もそれを妨げる者はいない。ただ、屋上の強い風が、
僕とアスカの髪をなびかせて、それだけが現実を指し示していた。僕とアスカ
は、身動き一つせず、一言も口をきかず、ただじっとこうしている。それは、
風吹くデパートの屋上での出来事であった・・・・
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