私立第三新東京中学校

第六十七話・似た者同士


しばらくして、着替えて来たミサトさんが、僕たちの目の前に姿を現した。

「みんな何やってるのよ、せっかくシンジ君とアスカが作ってくれたんじゃな
い。冷めないうちに頂きましょうよ。」
「そ、そうですね、ミサトさん・・・」

こうして、ミサトさんのおかげと言ってよいのか、とにもかくにも状況は先へ
と進んでいった。
僕はさっとテーブルの上の皿を並べ直すと、すぐに食事の出来るよう、支度を
万全に整える。

「アスカ、隣の部屋から椅子を持って来て。」
「うん、わかった。」

狭いテーブルではあるが、アスカに椅子を持って来てもらって、みんなが同じ
ところで食べられるように取り計らう。

「綾波、よかったら、みんなに箸を配ってくれる?」
「わかったわ、碇君。」

僕はてきぱきとアスカや綾波に指示を出す。綾波はともかく、アスカも僕の言
う事に文句を言う事も無く、おとなしく従っている。そんな僕の様子を眺めな
がら、ミサトさんとリツコさんが話していた。

「ミサトも一緒に住んでいるのだから、シンジ君を見習うべきね。」
「あ、無理無理。シンジ君みたいな事は、アタシにはとてもじゃないけど出来
ないわよ。」
「そんな事言って、出来ないんじゃなくて、シンジ君がこうこまめにやってく
れるのをいい事に、任せっきりにしてるだけじゃないの?」
「そうよ、リツコ。アタシがやるより、シンジ君にやってもらった方が、ずっ
と早いもの。」
「ミサトの言う事も分かるけど、もういい年なんだから、ちょっとはこういう
事もしなくちゃ駄目よ。」
「そういうリツコはどうなのよ?家事、ちゃんとやってるの?」
「私はやってるわよ。ミサトとは違うもの。」
「本当?信じられないわね。研究一筋のリツコが、そんな事してるなんて、想
像も付かないけど。」
「あなたの知らないところでは、ちゃんとやってるのよ。」
「じゃあ今度、リツコのうちに行って見せてもらおうかしら?」
「え!?何言ってるのよ、ミサト?」
「やってるんでしょ、家事!?ならいいじゃない、別に。」
「だ、駄目よ。散らかってるから。」
「あら、きちんと家事をやってるんじゃなかったの?」
「そ、それは・・・・わかったわよ、私の負け。私も家事なんてしてないわ。」
「ほらご覧なさい。リツコもアタシの事を非難できる立場じゃないのよ。」

と、そんな事をこの二人が言い合っている間に、こちらの方ではもう準備が整
った。

「ミサトさんもリツコさんも、そのくらいにしてください。食事の用意が出来
ましたから。」
「ほ、ほら、シンジ君が言ってるわよ、ミサト。」
「もう、あと少しでリツコを完全に言い負かすところだったのに。」
「はいはい。食べ終わった後にでも、続きをやってください。今度は止めませ
んから。」

こうして、賑やかな食事が始まった。アスカと一緒に作ったのは、お弁当のお
かずだけではなかったので、テーブルの上はなかなかに華やかだ。ミサトさん
は目を輝かせると、すばやく箸を取り、ごちそうに手を付けた。

「おいしいっ!!さすがシンちゃん、プロ並みの腕前ね!!」
「本当においしいわ、シンジ君。」
「シンジ君の料理はおいしいって先輩から聞いてましたけど、これほどとは思
ってませんでした。」
「来てよかったでしょう、マヤ?」
「はい。私もこんなに上手に料理が出来たらいいんですけど・・・」

みんなが僕の事をこうして誉めそやしていると、アスカがいきり立って大きな
声で言った。

「ちょ、ちょっと、どうしてシンジばっかり誉める訳!?アタシも一緒に作っ
たのよ!!」
「わ、分かってるわよ、アスカ。アスカが作ったのもおいしいわよ。」
「嘘!!ミサトはアタシがどれを作ったのか、知らないくせに。」
「そ、それはそうだけど、シンジ君の作るのを手伝ったんでしょ?なら全部に
アスカの手が加わっているって事じゃない。」
「そうじゃない!!アタシはシンジの作るのなんか手伝えなかった。ただ凄い
なあ、って見てただけ。アタシが作ったのは別にあるの。」
「そ、そうなの。じゃあ、アスカが作ったのはどれなのよ?」
「これ・・・」

アスカはそう言うと、テーブルの端っこの辺りにおいてある、卵焼きの皿を指
差す。それは、アスカが今日、努力をした結果だった。ミサトさんはアスカが
指差したそれを、箸でつかみ、口に入れる。

「うん、なかなかいけるわよ、これ。」
「本当!?」
「本当よ、アスカ。とてもアタシにはこんな風には作れないわ。」
「やった、シンジ!!これもシンジのおかげよ!!」

そう言うと、アスカは喜びのあまり、いきなり隣に座っていた僕に抱き付いて
来た。ミサトさんをはじめとするみんなは、アスカのこの大胆な行動に、目を
丸くしている。僕はそれに気が付くと、慌ててアスカに離れるよう言った。

「ちょ、ちょっと、アスカ!!みんなが見てるよ!!」
「いいじゃない、見てたって!!」
「な、何言ってるんだよ!!ほら、いいから離れて。」

僕は無理矢理にアスカを引き剥がす。そしてたしなめるようにアスカに向かっ
て言った。

「興奮するのはいいけど、こんなところでいきなり抱き付いたりするなよ。恥
ずかしいじゃないか。」
「でも・・・・」

アスカが僕の言葉に納得した様子を見せないでいると、ミサトさんが僕たちに
向かって言った。

「シンジ君、アスカ・・・アタシも噂には聞いてたけど、やっぱりあなたたち
って・・・・そういう関係なの?」
「な、何言ってるんですか、ミサトさん!!」
「だって学校中の噂よ、シンジ君がアスカとレイ、両天秤にかけてるって。」
「ちょ、ちょっと、それ、本当ですか、ミサトさん!?」
「本当よ。お昼休みにレイがシンジ君にキスしたって言うし。」

ミサトさんがそう言うと、リツコさんはその言葉を聞いて、ミサトさんに詰め
寄った。

「ミサト、私はそんな事聞いてないわよ。」
「だって言ってないもの。」
「どうしてそんな大事な事を私に黙ってるの!?」
「リツコにわざわざ言う事でもないと思って。」
「アンタって娘は・・・それにレイもレイよ。どうして何にも言わないの!?」

リツコさんが綾波に矛先を向けると、綾波はリツコさんに冷たく言った。

「赤木博士に言う必要はないと思ってましたから。」
「今度から、そういう事は私に報告しなさい!!そもそも最近は私のところに
も顔を見せないし、一体どうしたって言うの!?」

リツコさんは、ミサトさんだけでなく、綾波までが黙っていた事を知って、リ
ツコさんらしからぬ興奮した様子で、綾波にそう言った。すると綾波はしばら
くうつむいていたが、顔を上げると、決意に満ちた表情を見せてリツコさんに
言った。

「私は碇君の事が好きです。誰にもその邪魔はさせません。」
「レイ、あなた・・・」
「ファースト、何言ってんのよ!!シンジが好きだなんて、アンタには百年早
いわよ!!」

リツコさんは綾波のその言葉に、さっきの綾波の様子と重ねあわせて見ていた
が、アスカにはそんな事は関係ないので、綾波の発言に怒りをあらわにした。
しかし、綾波は二人に対して力強い口調で言った。

「たとえあなたが碇君の事が好きであっても、赤木博士が私のする事に問題を
感じたとしても、私の想いは止められません。もう、今の私は昔の私ではない
んです。だから誰にも邪魔させません。」
「綾波・・・・」

みんなは綾波のその言葉に口を閉ざしてしまっていたが、僕は思わずその名前
を口に出した。すると、綾波は僕の方を向いて済まなそうに言った。

「ごめんなさい、碇君。もしかしたら、碇君は迷惑に感じるかもしれないけど、
これが今の私の気持ちなの。私が碇君を困らせたくないっていう気持ちは、今
も変わらないけど、でも、どうしても押さえ切れないの。もう私は碇君の事し
か考えられなくて・・・・」

僕は綾波の言葉に、何と返事をしてよいのか分からなかった。ただ、綾波の感
情の吐露を、呆気に取られて眺めていた。それはもちろん、アスカをはじめと
するほかの人たちとは違ったものであろうが、とにかく、どうしようも出来な
いという点だけは、僕もみんなも違いはなかった。
僕たちは黙って、綾波を見るなり、僕の方を見るなり、また、有らぬ方向を見
るなりと様々だった。しかし、それぞれにはそれぞれの思いあり、なかなか一
つには割り切れぬものがあった。中でもアスカは、下を向いたまま、強く歯を
食いしばっていた。しかし、僕がアスカに視線を向けたちょうどその時、アス
カが、ようやく考えを整理出来たのか、顔を上げると綾波に向かって言った。

「アンタがシンジを思う気持ち、良く分かったわ。さすがね、と言いたいとこ
ろだけど、それだけじゃあ駄目ね。」
「どういう事?」
「アンタのそれは一方的なものよ。シンジからは返ってこない。」
「嘘・・・・」
「嘘じゃないわ。シンジは確かにアンタに優しくしてくれるかもしれないけど、
アンタはそれを愛だと勘違いしている。実際アンタにそう接してくれるのはシ
ンジだけなんだから、その面で言えばアンタにとってシンジは特別なのかもし
れない。でも本当は、シンジは人を愛したことがないのよ。」
「・・・・碇君は私を愛してる。私はそう信じてる・・・・・」
「信じるだけなら、誰にでも出来るわ。でも、それは幻想でしかないのよ。」
「・・・・」

アスカは綾波の心を打ち砕く。アスカの言葉は、綾波にとっては氷で出来た剣
のように、冷たく、鋭く、そして痛かった。綾波はうつむくと、黙り込んでし
まったが、しばらくしてうつむいたままアスカに尋ねた。

「・・・じゃあ・・・・じゃあ、あなたはどうなの?碇君はあなたになら愛を
くれるというの・・・・?」

アスカは綾波の問いに対して、わずかに躊躇した。本当の事を言うべきか、そ
れとも嘘をついて綾波に止めを刺すべきなのか、悩んだのかもしれない。そん
な中、アスカは静かに綾波に答えた。

「・・・残念だけど、アタシもアンタと同じよ。アタシも虚しい希望を抱いて、
眠りにつくだけ。・・・でも、アタシは、いつの日か朝が来る事を信じてる。
そういった点では、アンタとアタシは似た者同士なのかもね。」
「あなたと私が、似ている?」
「そう。シンジという、近いけれども遠い存在を追い求めて、ひたすらに想い
続けるの。いつかその思いが届くのではないかと、信じ続けて・・・・」
「・・・・」
「それにアンタと同じで、私も今はシンジしかいないの。今シンジがいなくな
れば、きっと私は駄目になってしまう。だから私は、こうし続けるより他にな
いの。」

アスカは綾波に向かって言ったのか、それとも自分に向かって言ったのか。と
もかく、アスカは自分の心の内を語った。そして、一方綾波は、それを聞いて
いるのかいないのか、僕にはわからなかったが、うつむいたまま静かにつぶや
いた。

「・・・私は碇君を信じてる。碇君は私を愛してる。私はそれを知っている。
碇君は私にとって、特別な人。私を人として見てくれた、唯一の人。私が愛す
る、唯一の人・・・・・」

それは、僕だけでなく、ここにいる全ての人間に聞こえた。しかし、綾波に声
を掛けられる人間は、ただの一人もいなかった。綾波の対象である僕も、いい
言葉が思い浮かばなかった。ここで嘘をついて綾波に希望を持たせる事も考え
られたが、僕にはそんな器用な事は出来なかったし、第一そんなひどい事はし
たくなかった。アスカは、嘘をつけば自分が有利になると知っていたにもかか
わらず、綾波に本当の事を話した。僕はそこでアスカの事を改めて見直したし、
アスカがそう選択してくれた事がうれしかった。だから僕も、いい加減な事は
言いたくなかった。かといって、綾波を突き放す事も出来かねた。だから僕は、
黙っていた。何も言わず、ただ黙っていた・・・・


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