私立第三新東京中学校

第六十四話・二つの湯飲み


「ただいまー!!」

何とか道中何事も無く、無事に家まで辿り着いた。何もある訳はないのだが、
なぜか僕には心配だったのだ。まあ、ともかく家までついたのだから、それで
よしとしよう。

僕とアスカがまだ腕を組んだまま(アスカが離そうとしないのだ)玄関に入る。
僕は後ろを向くと、綾波に声をかけた。

「綾波、遠慮しないであがってよ。」
「うん。」

綾波は僕に向かってそう一言答えると、靴を脱いで僕たちの後に続いた。僕は
それを見届けると、何せこんな格好であるので、着替えなくてはならない事も
あり、綾波に椅子に座って待ってもらうように言った。

「綾波、悪いけど、僕たち着替えなくちゃならないから、ちょっと座って待っ
ててくれる?何か飲みたいんだったら、冷蔵庫の中に冷たいものがあるだろう
し、とにかく勝手にやっていいから。」
「わかったわ、碇君。私は碇君に言われたとおり、座って待ってるから。」
「うん、ゆっくりしていていいからね。」

そう言うと、僕とアスカは自分達の部屋の方に向かう。アスカは渋い顔をして
僕のことを見つめていたが、敢えてここでは何も言わなかった。僕は自分の部
屋の前に立つと、アスカに言った。

「アスカ、腕・・・」
「う、うん・・・」

そう言うと、アスカは名残惜しそうにしていたものの、ようやく僕の腕を解放
した。僕はそんなアスカに向かって、一言優しく声をかける。

「今日は楽しかったよ、アスカ。」
「え!?」

アスカは僕の言った言葉に、さも意外な事を聞いたといったような顔をしてい
る。僕はそんなアスカに気付きながらも、更に語りかけた。

「短い間だったけど、一応これが僕のはじめてのデートなんだし、なんとなく
そういう気分が味わえたよ。」
「ほんとに?シンジは嫌がってたんだとばっかり思ってた・・・」
「確かに嫌だと感じるとこもあったけど、アスカだって人間なんだから、そう
いうところだってあるさ。僕にだって自分が嫌な奴だって感じる事がしょっち
ゅうある。だからそんなちょっとした事で、全てに腹を立てるのは、よくない
事だと思うんだ。」
「シンジ・・・そんな事考えてたんだ・・・」

アスカは僕の言葉を聞くと、考え込むような顔をして、そうつぶやいた。僕は
そんなアスカを見ると、気分を変える為に明るくおどけてアスカに言った。

「まあ、アスカにこういつもひっぱたかれてるんだ、もう僕はアスカがこうい
う女の子だっていうのは分かってるよ。でも、僕はアスカはそれだけじゃなく、
いいところもいっぱいあるって事を知ってる。だから僕はいいところも悪いと
ころも全てひっくるめた上で、アスカという人間を見て行きたい。」
「・・・シンジはアタシのいいところって知っているの?」
「もちろんだよ。」
「言ってみて、それをアタシに・・・・」
「そうだなあ・・・みんなを明るくしてくれるところとか、いつも元気なとこ
ろとか・・・」
「それだけ?」
「それだけじゃないと思うけど、こう、急に言われてもなかなか口には出てこ
ないよ。」
「それもそうね。」
「うん、じゃあ、そういう事だから、また一緒にどこかに行こう。」
「二人っきりで?」
「え!?うん、まあ、アスカがそうしたいんなら・・・」
「ほんと!?約束よ、シンジ!!」
「う、うん。じゃあ、今度、休みにでも入ったらね。」
「絶対よ!!アタシは覚えてるから!!」
「わかったよ、アスカ。」

そう言うと、僕は逃げるように自分の部屋へと消えた。ちょっと言い過ぎだっ
ただろうか?僕はそう思いながら服を着替えていた。何だかそんなつもりじゃ
なかったのに、またアスカとデートをする事になってしまった。まあ、またど
こかに行こうといったのは僕の方なのだし、僕の責任でもあるのだから、僕は
逃げも隠れもせずに甘んじてそれを受けるつもりだ。別にアスカと一緒に街に
繰り出すのが嫌なのかというと、別にそうでもないので、そう深く考える事も
ないのかもしれないが、アスカと二人で出かけるとなると、何か一波乱ありそ
うな気がする。まあ、これは僕の杞憂かもしれないが・・・・

僕が着替え終わって、リビングに入っていくと、アスカはまだ着替え終わって
いないらしく、そこには綾波がちょこんと椅子に腰掛けているだけだった。僕
は綾波の方に軽く視線をやると、綾波の事は取り敢えず置いておいて、買って
きた品物を冷蔵庫の中に仕舞おうとした。しかし、そこには何も見当たらない。
すると僕のそんな様子を見ていた綾波が、僕に向かって言った。

「碇君、私がもう仕舞ったから。」
「え!?」
「買って来たものは、冷蔵庫に入れておいたの。だから冷蔵庫を見て。」
「あ、綾波が入れてくれたの!?」
「うん。そうした方がいいと思って。」
「ありがとう、綾波。わざわざ済まなかったね。」
「ううん、碇君の為だもの。気にしないで。」
「そう?あ、そうだ、お茶でもいれようか?」
「お茶ならもういれてあるわ。碇君が飲みたいだろうと思って。」

確かにテーブルの上を見ると、湯気の立った湯飲みが二つ、置いてある。アス
カの分はいれてくれなかったのだろうか?僕はそう思うと、アスカの分をいれ
る為に、再びやかんを火にかけようとする。すると綾波が僕に向かって言った。

「どうしたの、碇君?」
「アスカの分もいれないとかわいそうだろ?」
「それなら必要無いわ。ここにあるから。」

そう言って綾波は自分の目の前にあった湯飲みを指差す。僕は驚いて綾波に向
かって尋ねた。

「そ、それは綾波の分じゃなかったの!?」
「うん。私はもう飲んだから。だからこれはあの人の分なの。碇君だったらそ
うすると思って。」
「そ、そうなんだ。ありがとう、綾波。」
「ううん、お礼なんていいから。それよりも碇君、せっかくいれたんだから、
冷める前に飲んで。」
「う、うん。そうだね、じゃあ、早速頂くとするよ。」

僕はそう言うと、僕のお茶の置いてある目の前の椅子、すなわち綾波のとなり
の席に腰を下ろすと、湯飲みを手に取った。

「いただきます・・・」

そう言って僕はお茶をすする。熱くなく、ぬるくもない、ちょうど飲み頃のお
茶だ。綾波のうちではいつもお茶ばかりだされていたから、綾波もお茶のいれ
方がうまくなったのだろう。料理もすぐ上達したようだし、さすが綾波、とい
ったところだ。僕が感心しながらお茶を飲んでいると、綾波は僕のその様子を
じっと見つめていた。僕は居心地悪く思ったが、まあ、いつもの事であるので、
ここでは何も言わなかった。
しかし、いつまで経っても綾波は僕から目を離そうとしない。僕は少しいぶか
しく思って綾波の方を向いて、聞いてみる事にした。

「綾波、どうしたの?」
「碇君が、私のいれたお茶を飲んでくれているから、うれしくて。」
「前も綾波のいれてくれたお茶は飲んだ事があるじゃないか。何だかその時と
は様子が違うような気がするけど・・・」
「今回は特別なの。」
「何が特別なの?」
「・・・秘密。」
「秘密!?綾波らしくもない。教えてくれたっていいじゃない。」
「聞きたい?」
「うん、聞きたい。」
「じゃあ、碇君にだけ教えてあげる。」
「ありがと。で?」
「その湯飲み・・・私が使ったものなの・・・・」
「へ!?」

僕は綾波がそんなにもったいぶって僕に話した事が、そんな事であったので、
何だか拍子抜けしてしまった。

「碇君が前に言ってたでしょ、間接キスって。」
「う、うん。確かにそう言ったけど。」
「恥ずかしい事なんでしょ、それ?」
「う、うん。」
「私も恥ずかしい事って、知ってみたかったの・・・・」
「そ、そうなんだ。」
「でも、何だかうれしいだけだった。碇君が私の使った湯飲みに口を付けるの
を見ても・・・」
「・・・・」

僕は綾波の言葉に、唖然としてしまっていた。綾波はそんな僕を見ると、僕に
向かって謝って来た。

「ごめんなさい、碇君。こんな勝手な事をしてしまって。」
「い、いいんだよ、別に。大した事じゃないから。」
「本当に?」
「もちろんだよ。綾波だって、僕に悪気があってやった訳じゃないだろ?」
「うん。私は碇君を困らせる事なんて、絶対したくはないから。でも、私が碇
君に黙って自分勝手に行動してしまって・・・」
「いいんだよ、綾波。綾波だって時には自分の好きな事をするのもいいよ。そ
れが人間らしいっていう事につながるんだから。」
「そうなの、碇君?」
「ああ。アスカを見てご覧よ。自分の好きな事をやってるだろ?あれが人間ら
しいっていうんだ。」
「私もあの人みたいにすればいいの?」
「そ、そういう訳じゃないよ。ただ、ああいう例もあるよ、って言いたかった
んだ。綾波もアスカほどではないにしても、もうちょっとわがままに振る舞っ
た方がいいんじゃないかな?」
「本当、碇君?」
「うん。僕はそうした方がいいと思うけど。」

僕がそう言うと、綾波は少し考えるような顔をしたが、顔を上げると僕に向か
って言った。

「・・・碇君がそう言うのなら、私はそうしてみる。」

僕は綾波が僕にそう答えるのを聞いて、余計な事を言うのではなかったと、少
し後悔した。確かにこれで綾波は変わっていくのだが、それは僕が言った通り
にでしかない。綾波は僕の思い通りになるおもちゃではない。だから僕が綾波
を左右するような事を言うべきではないような気がしていた。僕は父さんとは
違うのだ。綾波を自分の思い通りにするのではなく、綾波自身の判断に委ねな
ければならない。僕はそう思い至ると、綾波の顔の方に視線を向けた。綾波は
そんな僕の内心の心の動きなど全く気付かぬかのように、嬉しそうに微笑んで
いた。そして、僕の視線を受けると、更に喜びを増したように見えた。そして、
僕はそんな綾波を見るのが辛かった・・・・


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