私立第三新東京中学校

第六十三話・アタシだけの腕


気まずい雰囲気が流れる。アスカも綾波の言葉には気を引かれたし、洞木さん
と僕はそうでなくともはじめから苦しいものを感じていた。こんな訳で、一瞬
沈黙が走ったが、洞木さんがそんな空気を吹き飛ばそうとするかのように、ア
スカに向かって明るく尋ねてきた。

「と、ところでアスカ!?アスカ達はデートって、どこに行こうとしてたの?」
「スーパーよ。」

アスカは憮然とした表情で、小さな声で答える。確かにデートの場所がスーパ
ーじゃ、大きな声で言えようはずもない。

「え!?」
「だから、スーパーよ!!ヒカリ達と同じ。アタシとしては、シンジとはじめ
てのデートなんだから、もうちょっといいところに行きたかったんだけどね。」
「じゃあ、スーパーって言う事は・・・・買い物?」
「そうよ!!恥ずかしいから、これ以上聞かないで!!」
「何だ、そうだったの。」

洞木さんはそう言うと、綾波のところに行って耳打ちした。

「そんなに辛い顔しなくてもいいのよ、綾波さん。またアスカが、碇君をだま
して無理矢理連れてきたみたいだから。」

僕にもアスカにも、洞木さんが綾波に向かって言った事は聞こえなかったが、
それを聞いた綾波の顔には、驚くくらいの変化が現れた。まるで昇る朝日が暁
の空を赤く染めていくかのように、綾波には本当の喜びが満ち溢れ、青ざめて
いた顔も紅潮してきた。そして先程とはまったく違った微笑みを浮かべて、綾
波は僕に向かって言った。

「私は碇君を待ってるから。」

綾波はそれだけ言うと、隠れるように洞木さんの後ろに下がった。事情を知ら
ない僕とアスカは、綾波の急激なまでの変化に呆然としてしまったが、アスカ
はそれをなんとか乗り越えて、洞木さんに詰問した。

「ヒ、ヒカリ!!ファーストに何言ったのよ!?」
「ちょっとした事よ。」
「それじゃ答えになってないわよ!!」

アスカが更に洞木さんに詰め寄ると、洞木さんは答える代わりに、アスカに向
かって話しはじめた。

「綾波さんだってかわいそうじゃない。アスカも知っての通り、綾波さんも碇
君の事が好きなんだから。だからあたしは、綾波さんを慰める意味で、ちょっ
と元気になるような事を言ってあげたの。」
「何なのよ、それ?」
「秘密よ。でも、嘘じゃないと思うわ。」
「アタシには言えない事なの?」
「そうね、言わない方がいいと思うわ。これは綾波さんの問題だから。」

洞木さんがそう言うと、アスカは取り敢えず引き下がる事にしたようで、最後
に洞木さんの後ろにいる綾波に向かって言った。

「ヒカリに感謝するのね!!アンタの事をかばってくれたんだから!!」

僕はまだアスカと腕を組んだままだったので、アスカに振り回される形になっ
ていたが、アスカが洞木さんに詰め寄った時、偶然綾波と目が合った。綾波は
嬉しそうな顔をしたが、僕の心の中は複雑だった。

そんなこんなで、結局四人で買い物をする事になった。アスカはスーパーの中
でも、僕の腕を離そうとはしなかった。自由もきかないし、周囲の目も気にな
るという事で、至極買い物をしづらい環境にあったが、それでも何とか僕たち
は買い物を終える事が出来た。僕はほっとしてスーパーの外に出ると、綾波が
僕に向かって話し掛けてきた。

「碇君。」
「ん?なに、綾波?」
「今日、碇君のうちまでついていっていい?」
「え!?」
「な、なに言ってんのよ、アンタは!?」
「碇君、駄目?」
「駄目に決まってるでしょ!!」
「私は碇君の意見が聞きたいの。」
「え!?でも、どうして僕に付いて来たいの?」
「一人で食事しても、おいしくないから。だから、今日碇君に会えたんだし、
この後も碇君のそばにいたいと思って。」

僕はその綾波の言葉を聞いて、昔の自分を思い出してしまった。側に誰もいな
い寂しさ、そして一人で食事を作り、食べる毎日。僕には綾波の今言った言葉
が、痛い程よく分かった。僕はミサトさんのところに来るまで、ずっとそうい
う辛さを感じ続けていたのだ。だから僕にはこのまま綾波を一人で帰す事は出
来なかった。

「調子いい事ばっかり言ってんじゃないわよ!!アンタはそれだか・・・」
「待って!!」

僕はアスカが綾波にそれ以上言うのを妨げた。そして綾波に向かってやさしく
言う。

「僕たちと一緒においで、綾波。一人じゃ寂しいだろ?」
「碇君・・・」
「ちょっと待ちなさいよ!!どうしてシンジはそれを許してやる訳!?仮にも
アタシとデート中だって言うのに!!」

アスカが僕に向かってそう言うのを聞くと、僕は静かに、しかし誰にも譲らな
いといったような力強い表情で、アスカに向かって言った。

「アスカには悪いと思ってる。でも、僕にはここで綾波を一人で帰す事は出来
ない。」
「どうしてよ!?」
「僕は綾波が寂しく思う気持ちが、よく分かるから。一人寂しく食事をする寂
しさを、痛いほど知っているから・・・・」

僕が悲しげな顔をしてアスカにそう言うと、アスカは怒りの勢いをゆるめた。

「アスカだって知ってるだろ?寂しいっていう事が、どういう事か。だからア
スカにも、綾波の気持ちを分かってあげて欲しい。」
「・・・・・わかったわよ。シンジがそう言うんだったら、シンジがしたいよ
うにさせてあげる。」
「ありがとう、アスカ。分かってくれて。」
「アタシだってアンタが思ってるほど、分からず屋のわがままでもないわ。」
「うん・・・」
「アンタがそう言うんだったら、ファーストがついてきても我慢するけど、こ
れは特別よ!!今日だけの特別なんだから!!」
「分かってるよ、アスカ。さ、綾波もアスカにお礼を言って。」
「ありがとう・・・」
「お礼ならシンジにするのね。シンジがアンタの為に、アタシに頼んでくれた
んだから。」

アスカが綾波に向かってそう言うと、綾波は僕を見つめると、お礼を言った。

「ありがとう、碇君。やっぱり碇君は私の事を考えてくれているのね。私はい
つも、心の中で碇君にありがとうって言い続けているから・・・」

僕は綾波のその言葉を聞いても、黙っていた。僕には何と綾波に答えてよいの
か、わからなかったからだ。一方アスカは綾波が僕に向かってそう言うのを、
嫌そうな顔をしてみていたが、口には何も出さなかった。洞木さんは余計な口
出しをしないようにと、僕たち三人のやり取りを黙って見つめていたが、どう
やら解決したとみて、僕たちに別れを告げた。

「じゃあ、綾波さんがアスカ達についていくっていう事なら、あたしはここで
さよならね。」
「そうだね。じゃあ、洞木さん、明日、綾波の家で。」
「碇君も大変だと思うけど、頑張って。」
「うん。」
「何が大変なのよ、ヒカリ!?」
「まあ、いろいろね。」

洞木さんはアスカにそう適当に返事をすると、今度は綾波に向かって言葉をか
けた。

「綾波さんも楽しくやるのよ。あんまりアスカを怒らせるような事をしないよ
うにね。碇君が困るから。」
「私は碇君を困らせるような事はしないわ。」
「そうね、綾波さんならそれが出来るわ。だから頑張って。」
「うん。」

洞木さんは、綾波と話し終わると、僕たちにさよならを言って去って行った。
そして僕たちも、洞木さんがいなくなると、帰途につく事にした。

帰り道、アスカと僕はまだ腕を組んだまま、そして綾波は僕の隣で歩いている。
アスカは僕越しに綾波の事を見て、僕の耳に口を近づけて耳打ちした。

「あの娘、アタシとシンジが腕組んでるところをじっと見てるわよ。」

僕はそう言われて綾波の方を見る。言われてみると確かに綾波の視線は前でも
なく、かといって僕の顔でもなく、なんとなくそっちを向いているような気が
する。僕はそれを目で確かめてから、アスカの方に顔を戻した。

「あの娘も、こういう風にアンタと腕を組んでみたいって、考えてるのかしら
ね?」
「な、何言ってんだよ、アスカ?」
「冗談じゃないわよ。きっとそうに違いないと思うわ。」
「どうして?」
「あの娘の目、そういう目をしてるもの。アタシには分かるわ。」
「そ、そう?」
「アンタにはわかんないでしょうね。男だもの。」

そう言うと、アスカは組んでいる僕の腕をぎゅっと強く抱きしめて、僕にささ
やいた。

「でも、この腕は渡さないわよ。この腕は、アタシだけのものなんだから。」

アスカはそう言うと、僕に身を寄せてきた。綾波は僕とアスカがなんだかひそ
ひそ話をしているのに気付いて、僕たちの顔を見つめていた。そして、更にア
スカが僕に身を寄せているのを見て、複雑な表情をした。僕はそれを見て、綾
波になんだか悪いような気がしたが、既にアスカには綾波に関して僕のわがま
まを聞いてもらっているので、僕は何も言えなかった。僕は綾波の視線を気に
しないように努め、アスカの方を見たが、僕には、綾波の視線が痛いほど感じ
られて辛かった。そしてアスカは、僕の腕を胸に抱いて、幸せそうな表情を浮
かべていた・・・・


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