私立第三新東京中学校
第六十一話・口紅
僕は着替え終わった。買い物に行くにしてはあまりにも物々しいいでたち。僕
は自分の姿を鏡に映してみながら、こんな格好でいつものスーパーに行く気恥
ずかしさを覚えていた。
とにかく僕の方は用意が整ったので、アスカの様子を伺う事にした。僕はアス
カの部屋の前に立つと、ノックして呼びかける。
コンコン。
「アスカ?準備できた?」
しかし返事はない。何だかぶつぶつ言う声が聞こえるので、アスカが中にいる
のはわかるのだが、何をしているのだろう。僕は取り敢えずもう一度呼びかけ
る事にしてみた。
「アスカ?いるんでしょ?いるなら返事してよ。」
しかしそれでも様子はさっきと変わらない。僕は少し心配になって、今度はも
う少し強く呼びかけてみる。
「アスカ?どうしたの?入るよ?」
僕は返事がないのを確かめると、ゆっくりとドアのノブを回した。すると、ア
スカは僕が入ってきた事にも気付かずに、いろいろ洋服を並べて眺めている。
「アスカ!!」
僕が後ろから強く言うと、アスカはびっくり仰天して、振り返るなり叫んだ。
「ちょ、ちょっとアンタ!!なに人の部屋に勝手に入ってきてんのよ!!」
「アスカが呼んでも返事をしないからだよ。」
「ア、アンタは返事がなかったら人の部屋に勝手に入ってくる訳!?」
「そういう訳じゃないよ。アスカの事が心配だったから・・・」
僕がそう言うと、アスカは急に怒りを収めて、静かに僕に言った。
「アタシの事、心配してくれたんだ・・・・」
「・・・・」
「ありがと、シンジ。でもアタシって・・・そんなに心配?」
「ん・・・まあ、ね。」
「そっか。そうなんだ・・・」
アスカは小さな声でそうつぶやいたが、すぐにもとの元気なアスカに戻って、
僕に向かって言った。
「とにかく出てってよ。アタシはこれから着替えるんだから。」
「こ、これからって、今までなにやってたの!?」
「着ていく洋服を選んでたのよ。まだ決まってないけど。」
「え!?まだ着ていく服も決まってないの!?」
「そうよ。アンタ達男とは違って、女の子の支度は難しくて時間もかかるの。」
「そ、それはそうかもしれないけど、そんな事やってたら、すぐ夜になっちゃ
うよ。」
「わかってるわよ、そんな事くらい!!でも、いい加減には出来ないの!!」
「どうして?着ていく服なんて何だっていいじゃない。ちょっとそこまでなん
だしさ。」
「そういう訳にはいかないの!!これはデートなんだから!!」
「そ、そういえば、そうだったね・・・・」
「わかった!?わかったなら早くあっちに行って!!」
アスカは僕向かってそう言ったが、僕はアスカに言われたのとは反対に、つか
つかとアスカに近づいていった。アスカは僕がいきなり近づいてきたのに驚い
て、僕に聞き返す。
「ちょ、ちょっとなんでこっちにくんのよ!?アタシは出ていってって言った
のよ!!」
「アスカが選んでたんじゃ、いつまで経っても決まらないだろ?だから僕が服
を選んであげるよ。」
「え!?シンジが・・・?」
「そう。それならアスカも納得するだろ?」
「う、うん。」
「なら決まりだね。」
僕はそう言うと、ベッドの上に並べられたいくつかの洋服を物色し、しばらく
してひとつの洋服を選び出すと、それを手にとって、アスカに合わせてみた。
「うん、これなんかどうかな?それほど派手じゃないし、いいと思うけど。」
アスカは僕らしからぬ行動に、呆然としてしまっている。僕はそんなアスカの
様子にも気付かずに、アスカにも意見を求めた。
「どうかな、アスカ?これでいいと思う?」
「え!?う、うん。シンジが選んでくれたんだから、それでいいわ。」
「そう?よかった。じゃあ、僕は部屋の外で待ってるから、急いでね。」
そう言うと、僕はアスカの返事も待たずにとっととアスカの部屋を出ていった。
アスカは僕がいなくなった部屋の中で、僕が手渡した服を、大事そうにそっと
抱きしめると、ようやく着替えはじめた・・・
少しして、アスカは部屋を出てきた。アスカは部屋の外で立って待っていた僕
にポーズを取って見せると、感想を聞いた。
「どう、シンジ?似合う?」
「似合ってるよ、アスカ。もっともアスカはどんな服を着ても似合うと思うけ
ど。」
「お世辞なんて言わないでよ。そんな他人行儀に。」
「お世辞なんかじゃないよ。アスカだっていつも自分がかわいいと思ってるん
だろ?」
「それはまあ、そうだけど・・・」
「じゃあ、もっと自信をもたなくっちゃ。」
「・・・アンタがその、アタシの自信を無くさせている張本人でしょ・・・・」
アスカは僕に聞こえないような小さな声で、そうつぶやいた。もちろん、僕に
はそれが聞こえなかったので、全く別の話をアスカにした。
「じゃあ、行こうか?用意はもう出来たんでしょ?」
「待って、髪をとかしてくる。」
そう言うと、アスカは洗面所の方へと行った。僕は別にそんな事いいのに、と
も思ったが、それは男の感性である事がわかっていたので、アスカには何も言
わなかった。
僕がリビングで座って待っていると、程なくアスカが現れた。僕は目の前に現
れたアスカを見て、いつもと何か違う事に気が付いた。
「あれ、アスカ・・・・」
「なに、どうかしたの、シンジ?」
「いや、何かいつもと雰囲気が違うと思って・・・・」
「これでしょ?」
そう言うと、アスカは自分の唇を指差す。僕はそれを見て、アスカが口紅を塗
っている事に気が付いた。
「く、口紅!?」
「そう。シンジはアタシが口紅をしてるとこ見るのって、はじめてよね。」
「う、うん・・・・」
「どう、口紅を塗ったアタシは?きれいにみえる?」
「何だか別人みたいだ。たったそれだけなのに、不思議な事だね・・・・」
「アタシは特別な時にしか、口紅を塗らないの。だからシンジにも、特別にう
つるのかもしれないわね。」
「特別な時!?今日が?」
「そうよ。だって、今日はアタシとシンジの、初デートの日だもの。特別な時
って言えない?」
「でも、ただの買い物だよ・・・」
「ただの買い物でも、デートはデートよ。シンジはそうでなくても、アタシは
そういうつもりでいるから。」
アスカは真剣な眼差しで、僕に向かってそう言った。
きれいにおしゃれして、そしてその形のいい唇に、軽く口紅を塗ったアスカは、
本当にいつもとは違って、大人びて見えた。化粧というのは、化けるという字
を使っているが、その時僕は、はじめてそれが真実である事を知った。ちょっ
とした変化であるにもかかわらず、なぜか僕はその時のアスカに魅せられてい
た。いつものわがままで子供っぽいアスカは姿を消し、アスカが年上の女性に
見えた。別にアスカの態度が、特に変わったという訳でもないのに、不思議な
事だった。僕ははじめて、女の人がどういうものかを、わずかではあるが、感
じたような気がした・・・・
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