私立第三新東京中学校

第五十六話・人を好きになること


今日は土曜日。週休二日の日ではなかったものの、学校は午前中で終わりだ。
今週は学校ではいろんな事があったが、ようやくそれも終わり、休む事が出来
る。まあ、家でも学校でも、同じ事かもしれないが・・・

とにかく授業も終わり、みんな帰り支度をはじめている。僕は鞄に荷物を詰め
ながら、ある事を思い出していた。綾波の家で約束した事。服を買いに行くと
いう約束。綾波は面と向かっては何も言わないが、きっと覚えているに違いな
い。恐らく僕が話を切り出してくれるのを待っているのだろう。それとも、僕
がそれを覚えているかどうかを、確かめたいのか・・・?

まあ、何はともあれ、僕は幸いにも約束事を忘れるような人間ではなかったの
で、僕にとっても綾波にとってもよかった事だろう。僕はそんな訳で、みんな
が集まってきたところで、その話を切り出した。

「みんな、ちょっと頼みがあるんだけど・・・」

するとトウジが僕に応じて答える。

「何や、シンジ?急にあらたまって?」
「うん。明日は日曜だろ?ちょっとみんなに買い物に付き合って欲しいんだ。」
「わしはええけど、何や?シンジ一人で買えんようなもんなんか?」
「う、うん。そう言われればそうだね。」

するとアスカが口を挟む。

「何よ、アンタが一人じゃ買えないものって?まあ、アタシ達も誘ってるみた
いだから、変なものじゃないとは思うけど。」
「うん。まあ、変なものではないよ。」
「じゃあ、何よ?」

僕は言いにくかったが、言わない訳にもいかないので、ぼそぼそと小さな声で
答えた。

「あ、綾波の・・服・・・」
「は!?何でアンタがファーストの服を買いに行くのよ!?」
「こ、この前綾波の家に行った時、今度の日曜に服を買いに行こうって約束し
たんだ。」
「ア、アンタはそんなデートの約束まで取り付けてたって言うの!?」
「ち、違うよ!!だから、みんなも誘ってるんだろ!!」
「そ、それはまあ、そうかもしれないけど、どうしてじゃあ、服を買いに行く
って約束したのよ!?」
「綾波は服を一着も持ってないんだよ。だから、買いに行こうって言ったんだ。」

僕がそう言うと、アスカは驚いて僕の顔を見て、それから信じられないといっ
た表情で、椅子に座っている綾波の顔を見つめた。それはアスカだけでなく、
他のみんなも同じだ。

「本当なの、碇君?」

洞木さんが僕に確認を取る。それに僕は真面目な顔をして答えた。

「うん。綾波は制服しか持ってないんだ。だから、うちに帰っても、ずっと制
服のままなんだ。僕が綾波の家に行った時、綾波はうちに帰っても着替えない
の?って聞いたら、制服しか持ってないって言ったんだ。それにエプロンも持
ってないみたいだし、これは綾波にも服を買いに行かせた方がいいんじゃない
かと思って。」
「そうだったの・・・そう言えば綾波さんの私服姿って見た事なかったわね。」
「うん。服の一つも持ってないようじゃ、やっぱりおかしいでしょ?」
「そうね、じゃあ、碇君の言うように、明日みんなで買い物にいきましょ。」

洞木さんがそう言うと、トウジとケンスケが嫌そうな顔をして、洞木さんに向
かって言った。

「わいらも行かなあかんのか?シンジは張本人だから行くのは当然として、綾
波の服を買いに行くのに、わいとケンスケは必要無いやろ?」

トウジの言葉を聞くと、洞木さんは急に怒って、大きな声でトウジに向かって
言った。

「鈴原達も来るのよ!!荷物持ちに必要なんだから!!」
「そんな怒って言わんでもええやないか、いいんちょー。」
「怒ってなんか無いわよ!!とにかく鈴原、あんただけは絶対に来なさいよ、
わかったわね!!」
「わかったって。そない大きな声で言わんでもええやないか・・・」

トウジの言葉の最後の方は、洞木さんに聞こえないように、ひっそりとささや
かれた。それは運良く洞木さんの耳には届かなかったが、もしそれが洞木さん
に聞こえたならば、洞木さんの怒りの声はまだ続いていただろう。

そんな洞木さんとトウジのやり取りが行われている間も、綾波は何も言わなか
った。顔は僕たちの方を向いているので、関心が無いという訳ではないのだろ
うが、自分に関係のある事なんだから、もう少し何か言ってもいいものなのに、
と、僕が考えながら、何気に綾波の方に視線をやると、僕と綾波の視線が合っ
た。その時、綾波は僕から視線はそらさなかったものの、急に顔を真っ赤に染
めた。そして真っ赤な顔で僕に向かって言う。

「ありがとう、碇君。私との約束、忘れていなかったのね・・・」
「あ、ああ、うん。もちろんだよ、綾波。」

僕は綾波に返事をしたが、その時、急にそれまで黙っていた綾波が言葉を発し
たので、洞木さんとトウジに注意を奪われていたアスカ達は、綾波の方を見る。
そしてそこには、顔を真っ赤にして見詰め合う、僕と綾波の姿があった。それ
は言わば、いい雰囲気という奴だ。それを見たアスカは驚いて僕と綾波の間に
割って入る。

「な、何してんのよ、アンタ達!?」

アスカはそう言ったが、僕は僕と綾波がどんな風に見られていたのか気付いて
いなかったので、驚いてアスカに向かっていぶかしげに言った。

「な、何だよ、アスカ、いきなり!?」
「ア、アンタ達がいい雰囲気で見つめ合ってたからよ!!」
「僕が!?綾波と?いい雰囲気?何馬鹿なこと言ってんだよ、アスカは。」
「アンタはそうじゃないかもしれないけどね、こいつはそうなのよ!!見なさ
い、顔を真っ赤にしちゃって。」

そう言ってアスカは綾波の方を見る。僕もつられるようにして、綾波の方に視
線を向けた。確かにさっきから綾波は顔を赤くしている。

「アンタはシンジと視線が合って、うれしかったんでしょ!?」

アスカはきつい顔をして綾波に向かって聞く。それに対し、綾波は黙ってコク
ンとうなずいたものの、僕が綾波の事を見ていたので、綾波とまた視線が合っ
てしまい、綾波はアスカの方など全く見ていなかった。アスカはそんな綾波を
見ると、あきれるやら、腹を立てるやらで、とにかく大きな声で綾波に向かっ
て叫んだ。

「話してるアタシの方も少しは見なさいよ!!」

アスカがそう言うと、僕も綾波もアスカの方に顔を向ける。その様子が思いっ
きりシンクロしていたので、アスカは更に腹を立てたかのように、大きな声で
僕に向かって言った。

「大体アンタが誰彼かまわず優しくすんのが悪いのよ!!」
「そ、そんな差別するような事、出来る訳ないだろ!?」

僕がそう言うと、アスカは僕から顔を背けて言った。

「そうね、アンタにはそんな事出来ないわよね。アンタには人の気持ちなんて
分からないんだから。」
「何言ってんだよ、アスカは!?」

僕はそんなアスカのちょっとした変化に気付かずに、ちょっとむっとしてアス
カに言った。するとアスカは僕の目をしっかりと見詰めて、真剣な眼差しで僕
に問い掛けた。

「アンタは人を好きになった事がある・・・?」

僕はそのアスカの問いに、とっさに答える事が出来なかった。僕はアスカの言
うとおり、人を好きになった事が無いのだろうか?とにかく僕は今まで人に見
てもらいたくて、誰かと一緒にいたくて、寂しさ故に愛を求め、そして人に優
しく接してきた。しかし、それはアスカの言うとおり、誰彼かまわずであり、
誰か個人に執着するという事はなかったのかも知れない。いや、ただ一人だけ
いる。僕が執着し続けた、ただ一人の人物。
それは僕の父、碇ゲンドウだ・・・・

僕が考え込んでいると、アスカは寂しそうに言った。

「やっぱりね・・・アンタは人を好きになった事が無いんだ・・・・だからア
タシの気持ちも、この娘の気持ちも、わからないはずね・・・」

アスカはそう言ったが、僕は黙っていた。アスカは僕が黙り込んでいるのも気
付かぬかのように、誰に言うでもなく、語り続ける。

「でも、アンタも人なんだから、いつの日か、人の事を好きになる時が来るは
ず・・・それがいつの日になるのか、アタシにはわからない・・・だけど、だ
けど・・・そのときに、アタシが一番シンジの近くにいれたなら・・・・」

アスカの言葉は、そのまま小さくなって、消えていった。既にアスカの目は、
僕の目ではなく、彼方を見つめていた。アスカの言う、その時を見ているのだ
ろうか?アスカの視線を追っても、僕の目には何も映らない。人を好きになっ
た事のない、僕のこの目には・・・・


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