私立第三新東京中学校

第五十四話 訣別

放課後、教室の中は家路へとつく生徒達であふれている。
今日はいろいろな事があったが、こうした風景は、いつもと何も変わらない。
そして、僕たちも、いつものように一緒に帰るはずであった。
しかし・・・・

「みんな、今日は先に帰っていてくれない?」

僕は集まっていたみんなに、そう呼びかける。僕のその言葉を聞いて、トウジ
が真っ先に僕に理由を尋ねてきた。

「どうしたんや、シンジ!?なんか用でもあるんか?」
「まあ・・・ね。」

僕はあいまいに返事をする。するとアスカが僕に向かって詰問してきた。

「何のようなのよ!?アンタはいつも暇じゃないの!!」
「いつもはそうかもしれないけど、今日だけは違うんだ。」

僕はアスカにそう言われると、これから来るであろう、辛い大仕事に頭を巡ら
せ、しんみりとした表情で言った。アスカもそんな僕の表情を見て、何かある
と悟ったかもしれないが、それでも聞き返さずにはいられなかった。アスカは
そこまで今の状態を心もとなく感じていたのかもしれない。

「今日だけって?」
「前に言ったと思うけど、今日、これから父さんに会おうと思うんだ。」
「そう・・・なの・・・・」
「うん。どのくらいまでかかるかわからないから、みんなは先に帰っていてよ。
アスカも、多分それほど遅くはならないと思うけど、もし遅くなるようだった
ら、今度は必ず電話を入れるから。」
「・・・・わかった。アタシは家でシンジの帰りを待ってる。お父さんとの話
が、うまく行くといいわね。」
「うん。じゃあ、僕はこれで。」

そう言うと、僕はひとり、教室を後にした。みんなは僕と父さんの事情を、そ
の程度の差こそあれ、ある程度知っていたので、僕の後ろ姿を心配そうに眺め
ていた。しかし、僕の背中も見えなくなると、みんなは帰ろうとしはじめた。
ただ一人を除いて・・・・

「綾波さん、帰らないの?」

洞木さんは、綾波が椅子に座ったままであるのを見て、声を掛ける。すると、
綾波は一冊の本を洞木さんに見せて、帰らない理由を述べた。

「ごめんなさい。この本、今日までに図書室に返さなくてはならないの。読み
終わるまでもう少しだから、ここに残って読んでいきたいの。」
「そう・・・それならいいけど、一人で帰ると危ないから気をつけてね。」
「ええ、わかってるわ。」
「じゃあ、あたし達はお先に・・・」

そう言って洞木さんは教室を後にする。アスカも洞木さんに続いて出て行こう
としたが、最後に本を読む綾波をじろりと一瞥すると、何か考えるような顔を
した。綾波はそんなアスカの様子には気付きもしない。アスカは綾波の様子を
しばらく眺めていたが、洞木さんの後を追って教室を後にした。
しばらくして、本を読んでいた綾波は、教室に自分一人しかいなくなると、そ
れまで読んでいた本をぱたりと閉じ、鞄に仕舞った。そして、綾波は人気の無
い教室を見渡すと、誰もいなくなったそこを後にした。

一方、父さんに会う為に、僕は校長室に向かって、廊下を歩いていた。久しぶ
りに父さんと再開するのだから、普通の親子ならば喜んでしかるべきだ。しか
し、廊下を歩く僕の足取りは次第に重く、ゆっくりとしたものになっていった。
綾波のうちでは、楽観的に言ってはいたものの、いざ会う段になると、やっぱ
り不安が満ち満ちてくる。僕の恐れは、今では誰が見てもはっきりとわかるも
のになっていた。僕はアスカのように、自分の弱さを見せるのに、それほどの
抵抗は感じないものの、それでも自分の父親と対面するのを恐れているという
事実は、僕にとっても恥ずべき問題であった。そして、そうだと心の中で理解
しているにもかかわらず、自分の感情をコントロールできない自分に対して、
憤りのようなものまで感じていたのだ。
しかし、僕の歩みがいくらゆっくりであろうとも、校長室までの距離は、あま
りにも短い。僕の逃げてしまいたくなるほどの恐怖が勝ってしまう前に、僕は
とうとう校長室のドアの前まで辿り着いた。僕はしばらく、片手のこぶしを握
り締めていたまま、そのドアをノックする事を躊躇していたが、目を見開くと、
意を決して、その運命のドアを音高くノックした。

コンコン!!

ドアの向こうからは返事が無い。僕はもう一度、今度はさっきよりも強く扉を
叩く。

コンコン!!

しかし、さっきと同じように、誰からの返事も聞かれなかった。僕は、もしか
したら、今日は父さんも冬月先生もいないのでは?という、一瞬事態を後回し
に出来るのではないかといった、虚しい安堵感に満たされた。しかし、僕のそ
んな気持ちはあっさりと打ち砕かれる。今まで物音ひとつしてこなかったドア
の向こうから、冬月先生と思しき声が聞こえたのだ。

「入り給え。」

僕は急に返事があったので、びっくりしたが、すぐに気を取り直すと、中に入
る事にした。

「失礼します・・・」

僕はそう言ってドアのノブを回し、身体を中に滑り込ませた。そして、校長専
用の椅子に腰掛けた、冬月先生と視線を合わせる。僕の見た、その時の冬月先
生は、僕が来た事に驚きの顔一つせず、静かに僕に声を掛けた。

「よく来たね。君が来るのを待っていたよ、シンジ君。」
「え!?」
「私が留守の時に、君がレイと一緒にここに来た事は、加持君から聞いている
よ。碇に会いに来たんだろう?」
「は、はい。」
「君も知っているとは思うが、碇はこの奥にいる。私もそろそろ、親子の対面
が必要だとは思っていたんだよ。」
「は、はい。」
「そう固くならんでもいい。まあ、君にとっては固くもなろうかもしれないが、
落着く事だ。とにかく私は、この件に関しては口を挟まない事にするよ。健闘
を祈る。」

そう言うと、冬月先生は立ち上がって、校長室に僕をひとり残したまま、廊下
に出ていった。僕は部屋の中にぽつんと一人、取り残されていたが、ここで立
っていても仕方が無いので、奥の扉に入る事にした。そう、父さんの待つ、理
事長室の中に・・・・

僕はノックしようと右のこぶしをドアに近づけた。しかし、僕がノックをする
前に、向こうの方からすっと扉が開いた。そこには、この間と同じように、加
持さんが立っているのが見えた。

「か、加持さん!?」

僕は驚いて声を上げる。すると加持さんは全く驚いた様子を見せずに、僕に向
かって言った。

「待っていたよ、シンジ君。さ、中に入って。俺は外で冬月先生と待っている
から。」

そう言うと、加持さんは僕の返事も聞かずに、冬月先生と同じように、廊下に
消えていった。僕は振り返って、不思議に思いながら加持さんの後ろ姿を見て
いたが、後ろの方から声がかかったのを聞いて、現実に立ち返った。父さんだ!!

「シンジか・・・?」

僕は久しぶりに聞く父さんの声に、早くも冷静さを失い、大きな声で叫ぶ。

「と、父さん!!」
「久しぶりだな、シンジ。」

僕のうろたえようにも全く意に介することなく、父さんは落着いた声で僕に言
葉を掛けた。僕はそれに対し、何か答えようとしたが、それよりも先に、父さ
んの方から僕に話し続ける。

「学校の方はどうだ?」
「そ、そんなこと・・・」
「何だ、楽しくないのか?」
「そんなこと久しぶりに会った親子の交わす言葉じゃないだろ!?」
「お前がそう言うのなら、お前が私に話すがいい。」

僕は父さんにそう言われたものの、いざ親子の会話というものをしようとして
も、そういう経験が全く無いので、何を言っていいものか、とっさに思い付か
なかった。僕がそんな具合に黙っていると、父さんは僕に向かって尋ねてきた。

「どうした、何か話すことが有ったのではなかったのか?」

僕はそんな風に落ち着き払って僕に話し続ける父さんを見て、怒りに似た感情
を覚えた。そして、僕はそのまま感情の赴くままに、大きな声を上げる。

「と、父さんはどうしてそんなに落着いていられるのさ!?お互いに憎しみ合
って、顔も見せなかった者同士なのに!!」
「私はお前を憎んでなどいない。お前は私を憎んでいるのか?」
「当たり前だろ!!父さんはどれだけ僕を裏切り続けたか、本当に分かってる
のか!?」
「・・・私は、私がいいと思うことを成し遂げてきただけだ。別にお前を裏切
った覚えはない。」
「嘘だ!!僕をエヴァに乗せ、トウジを僕に傷つけさせ、そしてそして・・・」
「・・・・」
「綾波を作ったんだろ!?父さんの忌まわしい科学の力で!!」
「・・・・」
「僕は見たんだ!!あの、セントラルドグマにいた、沢山の綾波の姿を!!」
「・・・・」
「どうなんだよ!?それでも父さんは、僕を裏切っていないって言うのか!?」

僕の叫びに、父さんは身動き一つしなかった。父さんの目は、眼鏡に隠れて見
ることは出来なかった。そのため、父さんの心の中を知るすべは全く無い。僕
はいつものように、父さんが冷酷な心を見せて、僕のことを嘲笑っているのか
と思った。僕が父さんのことを眺めながら、そう思っていると、父さんは僕に
答える代わりに、別のことを尋ねてきた。

「レイは・・・レイは元気にしているか・・・?」
「何言ってるんだよ!?綾波は、よく父さんのところに来ているって言ってた
ぞ!!父さんが知らないわけないじゃないか!!」
「ここ数日は、レイは私の元に顔を見せてはいない。」
「それがどうしたって言うんだよ!?」
「・・・何でもない。気にするな。お前には関係の無いことだ。」
「関係なくなんか無い!!」
「何故だ?」
「綾波は僕たちの仲間だからだ!!いつも孤独な父さんにはわからないかもし
れないけど、僕には父さんみたいにそうたやすく、人に関係ないなんて、そん
な事言えないんだよ!!」
「・・そうか・・・・」

父さんは僕の言葉を聞くと、そう一言もらしただけで、後は何も言わなかった。
僕は父さんに冷たく厳しい一言でも浴びせられるかと思っていたのに、ちょっ
と拍子抜けしてしまった。そして、僕が続いて話をしようかと思ったその時、
父さんが先に僕に向かって話し掛けてきた。

「お前も大人になったな、シンジ・・・」
「え!?」
「レイももう、昔のレイではない。私の元に来る必要も無いだろう。」
「ど、どういうこと!?」
「言葉の通りだ。もう用が無いなら帰れ。」
「ちょ、ちょっと待ってよ!!」
「まだ何か、私に言いたいことでもあるのか?」
「あるに決まってるだろ!!」
「では、言ってみるがいい。」

僕はそう父さんに言われると、辛そうな顔をしていたが、少しして、絞り出す
ようにして言った。

「・・・父さんは・・・父さんは僕と一緒に暮らしたいと思わないの・・・?」

すると、父さんも顔にこそ出さないものの、即座に答えずに、少ししてから答
えた。

「・・・お前のことは、葛城君に一任してある。お前もそちらの方がいいはず
だ。」
「僕のことを聞いてるんじゃないよ!!父さんはどう思うかって聞いてるんだ
よ!!」

すると、父さんはいつもと同じ調子で、重々しい声で僕に答えた。

「・・・私も、お前と一緒に暮らす必要はないと思っている。」
「う、嘘だろ!?本当のことを言ってくれよ!!父さんの本当の心の内を!!」
「・・・私は嘘など言わん。」
「・・・どうして!?どうしていつもいつも父さんはそうなんだよ!!それで
も人の親なの!?父さんにあたたかい血は流れているの!?」

僕がそう、父さんに向かって叫ぶと、父さんは静かにひとこと、僕に向かって
言った。

「それで終わりか?終わったならもう帰れ。私は忙しい。」

僕は父さんのその言葉を聞くと、黙って部屋を飛び出していった。僕は悲しい
はずなのに、何故か涙は出なかった。僕は大きな音を立てて、後ろ手に扉を閉
めると、そのままドアを背にして座り込んだ。そして、僕はそこに座り込んだ
まま、ぼんやり校長室の天井を眺めていた。しばらく僕はそうしていたが、ゆ
っくりと目を閉じると、立ち上がり、そして目を見開いた。僕はもう、閉ざさ
れたドアを見ることも無く、そのまま力強く、確かな足取りで校長室を後にし
た。それが、訣別の瞬間だった・・・・


続きを読む

戻る