私立第三新東京中学校
第五十一話 ひとつのお弁当
こうして、僕たち三人と綾波は、一緒に教室に戻ってきた。教室につく頃には、
既に僕の涙も治まっていたので、誰も僕の事をいぶかしく思う人間はいなかっ
た。アスカは僕と綾波が一緒にいるのを見て、露骨に嫌な顔をしたが、二人き
りならともかく、トウジやケンスケとも一緒だったので、取り敢えず何も言っ
ては来なかった。
そして、あっというまに午前中の授業も終わり、弁当タイムとなった。しかし、
僕は今朝いろいろあった事もあって、弁当を作っている暇もなかった。アスカ
も玄関で寝込んでいたところを見ると、作ってきてくれているはずのない事は
明らかである。しかし、万が一という事もあるし、そうでなくてもパンを買い
に行かなければならないので、僕はアスカに声をかける事にした。
「アスカ!!」
僕はちょっと離れたところから、大きな声でアスカに呼びかける。それにクラ
スはざわめきを見せたが、僕はそんなことに気付かない。アスカは僕が呼ぶと、
すぐに僕のもとに駆け寄ってきて言った。
「シンジ、そんな大きな声でアタシを呼ばないでよ!!恥ずかしいじゃないの、
全く・・・」
「そ、そう、ごめん・・・」
「そうでなくてもアタシたちは何かと噂の種になっているのよ。気をつけても
らわなくっちゃ。」
「う、うん。」
噂の種になるような事は全てアスカがやった事だし、それに今朝は噂になって
も構わないといっていたのだが、僕はそんな事はおくびにも出さずに、素直に
うなずいた。
「で、アタシに何の用なの?」
「う、うん、アスカは今日は弁当作ってきてないだろ?」
「言われてみればそうね。」
「僕も今朝はそんな暇無かったから、今日は二人とも弁当無しという事になる
ね。だから、これからケンスケと一緒にパンを買いに行くんだけど、一緒に行
こうかと思って。」
「ア、アタシを誘ってくれるの?」
「まあ、大した事じゃないけど、そういう事になるね。」
「ほ、ほんとは、お弁当を作ってこなかったシンジに、アタシの分も買わせる
ところだけど、それじゃあ、シンジがかわいそうだから、アタシも一緒に行っ
てあげるわね。」
「つ、つまり、OKだってことだね?」
「そうよ!!何度も同じ事言わせないでよ!!」
「ご、ごめん。じゃあ、早く行こうか。早くしないと売り切れちゃうかもしれ
ないから。」
そんな訳で、僕とケンスケは、アスカを一緒に伴って、パンを買いに行った。
その途中で、ケンスケはアスカに話し掛ける。
「惣流はひょっとしたら、パンを買いに行くのははじめてじゃないのか?」
「そう言われてみればそうかもしれないわね。アタシはいつもシンジのお弁当
だったし、たまにそうでなかった時でも、誰かに買わせていたから。」
「だろ?毎日パンを買いに行ってるけど、惣流とは買いに行ったことがない様
な気がしたからなあ。」
僕はアスカとケンスケの話を聞いて、なるほどと感心して言った。
「そうだったんだ。僕は全然気が付かなかったよ。」
「アンタは鈍いからよ。細かい事を考えるようには出来てないんじゃないの?」
「そ、そんな事言うなよ。これでも気にしてるんだからさあ・・・」
僕とアスカが言い合いそうな雰囲気になると、ケンスケがとっさに間に入って
言った。
「まあまあ、二人とも。それよりどうして今日は、シンジに任せずに一緒に来
る事にしたんだ?」
「そ、それは、何となくよ。アンタたちの単純な頭脳には、アタシの高尚な考
えなど理解できないのよ。」
「そうか?俺にはなんとなく分かるけどなあ・・・」
ケンスケがアスカに向かってそう言うと、アスカは明らかにうろたえた様子を
見せて、ケンスケに向かって大きな声で言った。
「だ、黙ってなさいよ、アンタ!!」
「分かってるって、俺はそんなに野暮じゃないから。誰にも言わないよ。その
代わりといっちゃ何だけど、撮り貯めた惣流の写真、売りさばくのを許してく
れないか?」
「ア、アンタまたそういう事やってたの!?」
「まあね。いつの時代も買い手はなくならないもんでね。いい商売をさせても
らってますよ。」
なぜかそこだけ怪しい密売人口調になって、ケンスケはアスカに向かって言っ
た。
「ま、まあ、アタシの美しさを求める男どもの気持ちも分からないでもないか
ら、許可してあげるけど、一度アタシの検閲を受けてもらうわ。一体どんな写
真を市場に出されるか、心配なところがあるから。」
「そういう事でしたら喜んで。今度お持ち致しますよ。どうぞ私の芸術作品を
ご覧ください。きっとお気に召すと存じますよ。」
「そ、そう?なら持ってきなさいよ。アタシが見てあげるから。」
アスカがそう言うと、ケンスケはただ、怪しくにやりと笑った。何だか入り込
んでしまっているようだ。僕はそんなケンスケにあきれて、そのまま歩みを進
めた。
そんなこんなで、パンも買い終わり、僕たち三人は教室に戻った。と、その時、
座って僕たちを待っていた綾波の顔を見て、大事な事を思い出した。綾波も弁
当を作っていなかったはずだ!!僕はアスカだけ誘ってしまった自分の失態に
後悔し、わずかに大目に買ったパンを眺めた。何とか綾波に分けてやるくらい
は出来るだろう。
しかし、僕がそんな事を考えながら、既にきれいに並べられた机の上を見ると、
綾波の手元にはしっかりと弁当箱が置いてあった。僕はいつのまに、といった
感じで驚くと、綾波に尋ねた。
「あ、綾波、いつのまに弁当なんか作ったの?」
「碇くんが寝てる間に作ったの。碇くんはよく眠ってたから気が付かなかった
みたいだけど、ちゃんと作っていたのよ。」
「そ、そうなんだ、それは凄いね。」
「ううん、そんなことない。それよりもわたしは、碇くんが私のベッドで安心
して眠ってくれたのが嬉しかった。碇くんの寝が・・・」
「な、何ですって!?」
アスカは綾波の言葉に驚愕して、大声で叫んだ。洞木さん以下は唖然としてし
まっていて、声も出ない状態だ。しかし、綾波は自分が言った事の重大さに気
付かず、アスカに自分の話の腰を折られた事にむっとして言った。
「私の話を邪魔しないで。折角碇くんに話をしてるのに。」
「そ、そんな問題じゃないでしょ!!」
「うるさいわね。」
綾波はアスカにそう一言言うと、僕に向かって続きを話しはじめた。
「とにかく、碇くんの寝顔が安らかだったから、私もうれしい。だからって言
う訳じゃないけど、碇くんは多分そんな暇はないだろうからと思って、碇くん
の分も、お弁当作ってきたの。碇くんがパンを買いに行く前に言えば良かった
んだけど、ごめんなさい。余計なお世話かもしれないけれど、碇くんがよかっ
たら、私の作ったお弁当、食べてくれる?」
みんなは驚きのあまり、そしてアスカは怒りのあまり、何も言えずにいるとこ
ろに、綾波は淡々と僕に向かって話し続けた。そしていい終わると、自分の鞄
から大事そうに一つの弁当箱を取りだし、僕に向かって差し出した。
僕は差し出されたそれを断る理由もないので、驚きと戸惑いの表情をしながら
も、おずおずと受け取った。
「あ、ありがとう、綾波。」
「ううん、気にしないで。碇くんが食べてくれるだけで、私は十分うれしいか
ら。」
アスカはそんな僕と綾波を見ると、更に鬼の形相をして、叫んだ。
「シンジがアンタのベッドに寝たですって!?そしてお弁当まで作る!!もう
許せないわ!!」
僕はアスカのその怒りように危険を感じると、慌てて言い訳をした。
「べ、別に綾波のベッドに寝たからって、一緒に寝た訳じゃないんだから・・・」
「当たり前でしょ!!別々に寝たからって、女の子のベッドに寝るなんて許さ
れると思う!?どうしてアンタは床に寝なかったのよ!!」
「だ、だって綾波がどうしてもって言うから・・・・」
「どうしてもって言われたって、それを断るのが男ってもんでしょう!?」
「そ、それはそうかもしれないけど・・・・」
「それにどうしてそこでお弁当を受け取る訳!?」
「だ、だって、断る事なんて出来ないだろ?」
「もうシンジなんか知らない!!」
そう言うと、アスカはいつものように僕をひっぱたく代わりに、僕に背を向け
て両手で顔を覆い隠してしまった。僕はいつもおっかないアスカを目の当たり
にしているだけに、その女の子らしい反応には、戸惑ってしまった。今の僕と
アスカのやりとりを見て、クラス中の人間が僕たちに注目していたが、僕はう
ろたえるあまり、そんな事には全く気付いていなかった。
僕は何とかアスカを慰めようとして、声をかける。
「アスカ・・・」
「・・・・」
しかし、アスカは僕の顔を見ようともしない。それでも僕は諦めずに、アスカ
に話し掛け続ける。
「僕が悪かったよ、アスカ。許してくれないかもしれないけど、アスカも弁当
がない事だし、よかったらこの綾波の作ってくれた弁当を、二人で半分こして
食べよう。」
僕がそう言うと、アスカはようやく少し顔を上げた。そのわずかな隙間からの
ぞいたアスカの瞳には、大粒の涙が光って見えた。そしてアスカは僕に向かっ
て、甘えるような声で尋ねる。
「・・・シンジがアタシに食べさせてくれる・・・・?」
アスカの涙を見てしまった僕には、もう断る事など出来ようはずもなかった。
「もちろんいいよ。そんな事でよければ、いつでも食べさせてあげるよ。」
「本当・・・?」
「うん。アスカがそれで機嫌を直してくれるんだったら、僕は何でもするよ。」
「・・・じゃあ、許してあげる。その代わり、二度とこんなことしないでよ。」
「分かってるって。」
「約束よ。」
「うん。」
こんな調子で、僕とアスカはクラス中の注目の中、二人の世界に入り込んでし
まっていた。しかし、僕はまだ、周りの目には気付いていなかった。もちろん、
僕を見つめる綾波の目にも・・・・
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