私立第三新東京中学校

第五十話 涙と微笑みと

その後は特に何事もなく、僕たちは学校に着いた。僕はなんだか周囲の目が気
になっていたが、どうする事も出来ないので、気にしないよう務めた。
そして、教室につくと、まもなく午前中の授業が始まった。そのままいつもの
ように何事もなく、お昼休みを迎えるのかと僕は思っていたが、残念ながら、
僕の期待通りにはならなかった。それはちょうど二時間目と三時間目の間の休
み時間の事だ・・・

「シンジ、ちょっとええか?」

トウジが僕に話し掛けてくる。トウジと僕とケンスケ、この三人はいつもつる
んでいる。だからトウジも休み時間になると、大抵僕とケンスケの席がかたま
っているここに来るのだが、今日のトウジはなんだかいつもと違っていた。

「何、トウジ?」
「実はお前に聞きたい事があるんやが・・・」

そういってトウジは綾波の方をちらりとみると、話を続けた。

「ここでは何や、人の目も気になる。ちょっと便所まで付き合えや。」
「そ、そう?べつにいいけど・・・ここじゃ駄目なの?」
「ああ。済まんがわいのいう通りにしてくれんか?」
「いいよ、じゃあ、行こう。」

そういって僕は席を立ち、トウジの後に続く。僕が立ち上がると、ケンスケも
席を立って僕たちのあとに付いてきた。トウジが何も言わないところを見ると、
おそらく二人の間には了解が取れているのであろう。
とにかく僕たち三人は、黙ったままトイレに向かって行った。トイレに着くと、
早速トウジが本題を切り出してきた。

「シンジ、お前、一体本命はどっちなんや!?」
「は!?」
「今更とぼけても無駄や。ここは男らしくはっきりせい!!」
「そうだぞ、シンジ。俺達だけに言ってしまえよ。黙ってるからさ。」

トウジだけでなく、ケンスケまでが何だか僕に回答を求めている。僕は二人が
何を言ってるのか分からなかったので、尋ねてみた。

「ほんとに何のことか分からないんだよ。もうちょっと具体的に言ってくれな
いかな?」

僕がそう言うと、トウジとケンスケは思いっきりあきれた顔をして言った。

「お前ほんまにわいらの言っとる事がわからんのか?」
「それはもう、鈍感を通り越して、罪悪の域に達してるよ。」
「わ、悪かったな、僕が鈍感で。自分でもそうだって分かってるんだ。でもど
うしようもない事だろ?それをそこまで言う事も無いじゃないか。」

僕がちょっと怒ったような口調で二人に言うと、トウジはすぐに納得したよう
に、僕に謝った。

「まあ、それもそうや。わいらも言い過ぎたかも知れん。なら鈍感なシンジに
でも分かるように率直に言うが、お前は惣流と綾波のどっちがほんまは好きな
んや?」

トウジはすらっと僕にそう聞いてきたが、僕にとっては驚愕するような事だっ
た。

「な、何だってぇ!?」
「せやから、惣流と綾波のどっちが好きかって聞いとんのや。」
「そ、そんなこと急に言われても・・・」
「ほな両天秤かいな?」
「へ!?」
「お前、あそこまで露骨に好意をあらわされといて、まだ、あの二人に好かれ
ている事に気付かんのか?」
「僕が・・・アスカと綾波に・・・好かれてる・・・?」

僕は、未だにこの二人が、僕に何を言おうとしているのかを、明確に理解でき
なかった。そんな、理解しかねるという表情を僕が見せると、ケンスケが僕に
向かって言ってきた。

「そうだよ。僕たちはシンジ達の今朝の様子を見せてもらったけど、まるで惣
流と綾波が、シンジを取り合ってるようにしか見えなかったよ。」
「ほ、ほんと?ケンスケ?」
「ああ。稀に見る、見事な痴話喧嘩だった。な、トウジ?」

ケンスケはそういってトウジに賛同を求める。するとトウジは大きくうなずい
て僕に向かって言った。

「せや、ケンスケの言う通りやで。あんな道端で恥ずかしいことしておって、
わいらも近寄れんかったわ。」
「そ、そんなに恥ずかしかったの?」
「ああ、もう学校中の噂になっとるかも知れん。」
「ほ、ほんとに!?」
「シンジがそういうのに気付かなかったのは意外だな。もしかしたらもうああ
いうのに慣れっこになって、もう普通になっちゃったんじゃないのか?」
「そ、それは・・・そうかもしれない・・・・」

ケンスケが冗談めかしていった言葉に、僕が真面目な顔をして、あいまいにで
はあるが肯定したもんだから、二人は仰天して、僕に向かってまくしたてた。

「そ、そいつはほんまか!?」
「ど、どうなんだよ、シンジ!?」

僕は自分の言った事に対する、予想外に大きな反応に驚きながらも、本当の事
を二人に話した。

「う、うん。まあ、あのくらいの事は最近は割としょっちゅう・・・・」
「くー、うらやまし過ぎるで、ほんまに!!」
「そうだよなー、あんな美少女二人に囲まれ、ハーレム気分とは・・・」
「な、何だよ、そのハーレム気分ってのは?」
「だって実際そうなんだろ?シンジがあの二人にもてもてってのは?」
「そ、そんなことあるわけないじゃないか!?」
「どうしてだよ?ほんとに毎日あんな感じなんだろ?」
「それはそうだけど、アスカはしょっちゅう僕の事を殴ってるからよく分かん
ないし、綾波はまあ、あれはすり込みみたいなもんだから・・・」

僕は困ったもんだというような顔をしてそう言うと、ケンスケは驚いて聞き返
した。

「お、おい、そのすり込みって何なんだよ・・・?」
「綾波はそういう事にまだ免疫がないんだ。だから最初に優しくしてくれた僕
に付いてくるんだと思う。それだから、綾波が僕の事を嫌いじゃないってのは
分かってるけど、それが短絡的に恋愛感情であるかっていうのは、疑問視すべ
きだね。綾波もそのうちいろんな人を知ってくるようになれば、変わっていく
んじゃないかな?」

僕がそう淡々と述べると、トウジもケンスケも唖然とした顔で僕の顔を眺めた。

「お前って何だか怖い奴だな・・・」
「そうだよ、人の好意をそんな風にみるなんて・・・」

確かに二人の言うように、これが普通の女の子なら、残酷な事だろう。しかし、
今の綾波は言わば生まれ立ての赤ん坊のようなものなんだ。だから、はじめに
目にとまった僕に好意を持ってくれる。
本当にそれだけなのだ。綾波がこれからどう変化していくかは分からない。だ
から綾波を僕に縛り付けてはならないのだ。そして綾波には、もっと色々な視
野で以って、世界を眺めなくてもらわなくてはならない。それが綾波をより人
間らしくする事なのだから。そして僕は、誤解をしてはならない。綾波が僕の
事が好きだっていうのは・・・・

しかし、綾波の秘密を知らないトウジ達には、僕の本心を語る訳にも行かず、
僕は人でなしの烙印を押される事にした。いや、僕は本当に人でなしだ。綾波
が自分を普通の人間だと思って欲しいと言ったにもかかわらず、僕は完全には
綾波の事を、そう見る事が出来ないのだから・・・
僕は自分が情けなくなる。綾波があんなに僕についてきてくれるというのに、
僕は綾波に応える事が出来ない。何にも知らない風に、綾波は僕に自分を受け
入れて欲しいのに、全ての事情を知る僕には、とても出来ない事だ。それとも
僕はまた逃げているのか?綾波から、そしてアスカから。確かに今は幸せな日
々だ。僕もそう感じるからこそ、今の状態を崩したくないのかもしれない。僕
には分からない。僕には何にも分からない・・・

僕がこんな暗い事を考え込んでいると、どうやらそれが顔にも出たようで、ト
ウジとケンスケは、僕にも色々事情があると察したのか、僕に向かって慰める
ように言った。

「まあ、シンジの言う通りかも知れんな。綾波も今までほとんど人付き合いを
してこなかったみたいやし・・・」
「それもそうだな。こんなシンジが誰かに好かれるなんて、考えられないもん
な。」

そう優しく僕に言う二人に、僕は驚いて顔を上げた。僕はこれで友達ではなく
なるかもしれないと思っていたのだ。僕は、二人が正確に僕の気持ちを理解し
たとは思えなかったが、それでもこの二人が優しさを見せてくれた事により、
僕の心は救われた。そして、僕は思わず、涙を溢れさせそうになった。

「トウジ・・・ケンスケ・・・・」

二人は僕の目に浮かんだ涙をみると、場の空気をなごまそうとしてか、明るく
言った。

「何泣いとんのや、シンジ。」
「そうだよ、別に泣く程の事じゃないだろ?」
「僕と・・・僕とずっと友達でいてくれるかい・・・・?」
「当たり前やないか。そんな事聞く方が失礼っちゅうもんや。」
「そうだよ。そんな事言うなんて、水臭いぞ、シンジ。」
「ありがとう・・・ありがとう・・・・」

僕はそう二人に感謝しながら、あふれ出る涙を押さえ切る事は出来なかった。
トウジとケンスケは涙を流し続ける僕を、困ったような顔で見ていたが、僕の
肩を軽く叩いて、僕を慰めてくれた。

「シンジにも色々あるんやな。それに気付かんで、余計な事言ったわいらが軽
率やった。済まんかったな、シンジ。」
「もう二度と、シンジに二人の事を聞いたりしないよ。だからシンジも、今の
事は水に流して欲しい。」
「・・・・」

僕はもう言葉にはならなかった。僕たちはしばらくこうしていたが、それは短
い休み時間の事、すぐに次の授業を知らせるチャイムが鳴り響いた。いつまで
もここにいても仕方ないので、僕たちはこれをきっかけに、教室に戻る事にし
た。僕が涙をふきふきトイレから出ると、そこには綾波が立っていた。どうや
ら僕がすぐに戻ってこないのを見て心配になったらしい。それとも、今朝の僕
のいるところにずっと付いて行くという事を、実践しているのだろうか?
そんなことはともかく、綾波はトイレから出てきた僕が涙を拭いているのを見
ると、驚いて言った。

「碇くん、一体ここで、何があったの?」

僕は明らかに綾波が何か誤解していると悟って、慌てて綾波の心配を打ち消す
ようにして言った。

「な、何でもないんだ。別に綾波が気にする事じゃないよ。」
「でもその涙・・・」
「ああ、これ?綾波も知ってるとは思うけど、涙は悲しい時やつらい時にだけ、
流すものじゃないんだよ。うれしい時にも、流すものなんだ。」
「碇くんは、何かうれしい事があったの?」
「うん。だから綾波は何も心配しなくていいんだ。この涙は、気持ちのいい涙
なんだから・・・」

僕はまだ、涙のぬけきらない、潤んだ瞳で、微笑みながら綾波にそう言った。
すると、綾波も僕と同じように、優しく僕に微笑んだ。
トウジとケンスケは、さっきの事があるので、複雑な顔をして僕と綾波の様子
を眺めていたが、何だかそれは、いかにもお似合いの二人にしか見えないのに、
とでも言っているような、そんな表情であった・・・・


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