私立第三新東京中学校

第四十七話 傷つけた訳

「よう、シンジ、おはよう!!」

何も知らないトウジは、ぼくがドアを開けると、元気に挨拶をする。そして、
中に綾波がいるのに気付いて声を掛ける。

「何や、綾波はここにおったんか。わいらが行っても返事せえへんから、どう
したんかと思うて心配しとったんやで。」

綾波はトウジの言葉を聞くと、自然に謝った。

「ごめんなさい。今日は先にここに来たの。」
「さ、さよか。ま、今度からそういう時は、わいらに言っとくんやで。」
「わかったわ。」

トウジは普段はあまり話さない綾波が、今日は何故か割と普通に会話をするの
を見て、戸惑いを隠し切れなかったが、取り敢えず綾波に何故かという事は尋
ねなかった。

「い、碇君、今日は一体どうしたの?」

鈍いトウジには気付かなくとも、洞木さんとケンスケは、なんだかおかしい周
りの空気を察していた。綾波が普通に話をする事はともかく、アスカの何とも
いえない表情を見れば、まあ普通の人間には分かる事だろう。それにもう学校
に行く時間だというのに、アスカは部屋着のまま玄関先に座っているのだ。何
かおかしいと感じない方がおかしいのだ。
しかし、洞木さんがおかしいとわかっても、僕はあえて何がここで起きていた
のかは話さなかった。

「何でもないんだ。それよりちょっと待ってくれない?アスカはまだ準備が出
来ていないんだ。」
「そうみたいね。」

洞木さんはアスカの様子に目をやると、そう答えた。あえて今、ここで問いた
だす必要はないと思ったんだろう。これが果たしてよい事であるのか、それと
も悪い事であるのか、僕にはまだわからなかったが、今はアスカをそっとして
おくのがいいと思った。しかし、ここでこうしていても仕様が無いので、僕は
アスカにいく準備をするように促す。

「アスカ・・・」
「わかったわよ、今すぐ着替えてくるから、ちょっと待ってて!!」
「うん。」
「シンジ!!」

すぐアスカは着替えに行くと思いきや、僕の目の前に来ると、僕の名前を大き
な声で呼んだ。

「な、何?」
「今のところは勘弁してあげる。でもいい!?」
「???」
「帰ったら今の続きはしっかり聞かせてもらうわよ!!」
「う、うん。」

それだけ言うと、アスカは自分の部屋に駆け込んでいった。そして僕はアスカ
が着替えている間、みんなをここで立たせておくのも何なので、家の中に招き
入れた。

「アスカが着替えてる間、中に入っていてよ。」

みんなは靴を脱ぐと、僕に続いて中に入る。そしてソファーや椅子に腰掛ける
と、落着いたようで、たまった疑問を噴出させた。

「おい、シンジ!!」

トウジは僕を近くに引き寄せる。そして口を耳に近づけると、早速尋ねてきた。

「綾波、一体どうしたんや!?」
「どうって?別に普通と変わらないけど。」
「アホ、お前の目は節穴か!?いきなりしゃべるようになっとるやないか。」
「た、確かにトウジの言う通りかもしれないけど、何でだか、僕にもわからな
いよ。」
「嘘こけ!!お前は昨日、綾波の家にいったんやろ!?昨日そこで何があった
んや、何が!?」
「な、何にも無いって!!ほんとだよ。」
「ほんまかぁ?」
「ほんとだってば!!」
「まあ、シンジがいわんのなら、綾波に聞けばいい。お前はそれでもええんか?」

僕はトウジの脅しを本当におそれた。綾波なら何を言い出すか知れたものでは
ないからだ。それが綾波の純粋でいいところなのかもしれないが、今は隠し事
というか、言っていい事と悪い事の把握できないそんな綾波が恨めしい。しか
し、ここで僕がトウジに言ったとしても、僕は嘘をつくとすぐ顔に出てしまう
ので、意味が無いだろう。それよりも、僕は綾波にかける事に決めた。

「べ、別に構わないよ。綾波に聞けばいいじゃないか。」
「さよか。ならセンセの言う通りにさせてもらうわ。」

そう言うとトウジは立ち上がって綾波に呼びかけた。

「おい、綾波、ちょっと来いや!!」

トウジに呼ばれた綾波は、すぐに来て、何事か尋ねた。

「なに?私に用でもあるの?」
「ああ、ちょいと聞きたい事があってな。」
「聞きたい事?」
「せや。昨日、シンジと何かあったんか?」
「昨日?別に何も無いわ。」

僕は綾波が何も無かったといってくれたのを聞いて、思いっきり安心して、自
分の選択が正しかった事を喜び、自慢げにトウジに向かって言った。

「ほら、綾波もそう言ってるだろ!?何にも無かったって言ったじゃないか!!」
「あ、綾波、ほなら昨日は何をしてたんや?大した事はなくても、何かあるや
ろ?」
「碇君が昨日、うちに泊まっていったわ。言う事といったら、そのくらいかし
ら。」

しれっとした顔で、綾波はとんでもない事を言った。やっぱり綾波を僕は過信
していたのだ。トウジだけでなく、洞木さんやケンスケまでが、今の話を聞い
ていた。みんなは綾波の言葉を聞いて仰天している。もうとり返しはつかない。

「な。なんやて!?」
「う、うそー!!」
「ふ、不潔よ!!」

僕はみんなの驚きように、慌てて言い訳をする。

「た、ただ泊めてもらっただけだって!!昨日はあの嵐で、帰るに帰れなかっ
たんだよ!!」
「そないな言い訳が通用すると思うんか!?」
「そ、そんな事言ったって、ほんとの事なんだからしょうが無いだろ!?」
「まあ、動機はええとしても、やった事はどないや!?ほんとに泊まっただけ
なんか?」
「あ、当たり前だろ!!」

しかし、冷静なケンスケは、そんな言わば砂上の楼閣の上になんとか立ってい
るような、実に不安定な僕に、足元を突き崩すような鋭い突っ込みをしてきた。

「じゃあ、どうして綾波がこんなに話をするようになったんだよ、シンジ?」
「そ、そんなの僕にわかる訳ないだろ!?」
「いや、なんか隠しとる、わいにはわかるで!!」
「か、隠してなんかないったら!!」
「そのうろたえよう、怪しい。」
「せや、さっさと白状せい、シンジ!!」

こんな風に僕たち三人が、言え言わないといった言い合いをしていたその時、
側で聞いていた洞木さんが、ぴしゃりと僕たちをたしなめた。

「いいかげんにして、三人とも!!」

僕たちは洞木さんの声にびっくりして、すぐに口を閉ざした。そしてそろって
洞木さんの方に視線をやる。

「アスカの事は、アスカの事はどうでもいいって言うの!?」
「いや、そんな訳じゃあ・・・」
「アスカのあの様子を見た!?アスカが退院してからはじめて見たわ、あんな
の!!」
「・・・・」

僕たちは、くだらない、といっては綾波に失礼だが、とにかく下世話な話をし
ていて、アスカを心配するような気配は見せていなかった。洞木さんはアスカ
の一番の親友であるだけに、それが気に触ったのだろう。確かに洞木さんの言
うとおり、今はそんな事を話しているより、アスカの事を考えてやるべきだっ
た。僕だけでなく、トウジやケンスケもそれに気がついたようだ。僕たち三人
は、洞木さんの言葉に反省の色を濃くし、黙り込んだ。
僕たちが反省したのを見た洞木さんは、さらに言葉を続ける。

「アスカはね、まだ退院したばかりなのよ。いつも強気に見せているけど、と
っても繊細で傷つき易い心を持っているの・・・」

洞木さんの言葉に、僕はうなずきながら答えた。

「うん・・・僕は知ってる・・・・」
「碇君のおかげで、アスカは普通に戻れたんだけど、このままじゃ、また入院
してたころのアスカに戻っちゃうかもしれないわ。だから碇君、お願い、アス
カをもう傷つけるような真似は止めて!!」
「僕は何もアスカを傷付けるつもりなんか・・・」
「碇君にはそのつもりが無くても、アスカはいつも傷つけられているの。だか
ら多分、昨日のような事をしてしまったんだと思うわ。」

僕は洞木さんに言われて、昨日の朝、ここで起きた出来事を思い出した。僕は
知らぬ間に、アスカの事を傷付けていたんだろうか・・・?
僕はいつもアスカには優しく接してきたつもりでいた。わがままもいつも聞い
てやっていたし、話もよくした。確かにアスカの約束を破り、綾波の家で一夜
を過ごしたのは悪かった。しかし、それ以外に僕は、アスカを傷付ける行為を
していたのだろうか?僕には思い当たる節がなかった。

「僕は何で、アスカを傷付けてきたんだろう・・・?」

僕は誰に問い掛ける訳でもなく、ただつぶやいた。しかし洞木さんは僕のその
呟きを聞き取り、僕に向かって言った。

「それは人に聞く事じゃないわ。無論、アスカに聞くなんてとんでもない。碇
君自身が考え、そして答えを求めるの。大変な事かもしれないけれど、人の心
というのは、そういうものなのよ。」

僕は洞木さんの言葉を聞くと、その言葉の意味を理解し、うなずいて答えた。

「洞木さんの言う通りだね、僕にはいろいろと考える必要がありそうだ。アス
カだけでなく、いろいろな事について・・・」

僕はそう言うと、ひとり、思考の渦に消えていった。そして、それを妨げよう
とするものは、誰もいなかった。ただ、時計の針だけが、時を刻み続けていっ
た・・・・


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