私立第三新東京中学校

第四十六話 止められた手

「これでもう、落着いたかい・・・?」

僕は抱きしめていたアスカから、そっと身体を離すと、そうアスカに尋ねた。

「うん・・・」
「そう、ならよかった・・・」
「・・・ごめんね、シンジ・・・アタシってうるさい女でしょ・・・・?」
「ううん。そんなことないよ。」
「・・・シンジは優しいからそう言ってくれるけど、アタシだって自分の事く
らいわかるの。アタシがうるさい女だって事くらいは。」
「アスカ・・・」
「シンジだって、本当はそう思ってるでしょ?」
「・・・・」
「うん、って言って。お願い・・・」

僕にはアスカが何を言いたいのかよく分からなかった。僕がそう認めたからっ
て、何になるんだろう。僕は疑問に思いつつも、アスカの言うとおり、うなず
いて認めた。

「う、うん・・・」
「これでシンジもアタシの事をうるさい女だってみとめた事になるのね。」
「う、うん・・・」
「じゃあ、アタシはうるさい女だから聞くけど、昨日はファーストの家で何を
してたのか、詳しく聞かせてくれる?」
「え!?」

アスカは、まだ立ち尽くしている綾波の方に首をしゃくると、僕に尋ねてきた。
僕はこれで初めて、アスカが何を言おうとしているのかを理解した。僕は綾波
の方をちらりとみると、アスカに話をする事にした。

「昨日は綾波の家でお茶を飲みながら、父さんの話をしたんだ。」
「そんな事くらいアタシも知ってるわ。で、それからどうしたの?」
「う、うん。で、話が終わって帰ろうと、外に出てみたら雨が降ってたんだ。」
「それで、遅くなるってアタシに電話してきたのね?」
「うん。綾波に傘を借りようと思ったんだけど、余ってるのが無かったから、
雨が止むまで雨宿りする事にしたんだ。」
「そう。そういうことだったのね?」
「そうなんだ。それで綾波の家で夕食をごちそうになって・・・」
「何ですって!?」

アスカは僕の言葉を聞くと、いつもの調子で大きな声をあげた。僕は一瞬余計
な事を言ってしまったかとも思ったが、今ここでアスカに隠し事をしてはなら
ないと思って、自分の発言を否定せずに、言い訳がましい事を言った。

「べ、別に綾波に作ってくれとか、腹が減ったとか、そういう事を言った訳じ
ゃないよ。」
「当たり前でしょ!!そんな事言ったら、アンタは死刑よ!!」
「な、何で死刑なんだよ!?別にそんなにすごい事でもないだろ!?」
「アンタはそう思ってるかもしれないけど、アタシにとってはとっても大切な
事なんだから!!」
「ど、どうしてだよ!?で、でもとにかくそんな事言ってないんだから、今は
いいだろ!?」

僕のこの言葉に、アスカは取り敢えず興奮も収まったようで、声のトーンを一
段階下げて、続きを僕に求めてきた。

「・・・まあ、いいわ。取り敢えず今は置いとくとして、それで、ご飯を食べ
て、どうしたの?」
「う・・・」

アスカに尋ねられて、僕は暫し躊躇した。ご飯をごちそうになったくらいでこ
の怒りようなんだから、シャワーを浴びたなんて言ったら、どうなる事だろう?
きっと恐ろしい事になるに違いない・・・
僕がそんな事を考えていると、アスカは僕が躊躇したのを、何か言えない事で
もしたんではないかと思って、強い口調で答えを求めてきた。

「何かアタシに言えない事でもしたの?」
「そ、そんなことはないよ・・・」
「じゃあ、言ってごらんなさい。」
「・・・・シャワーを浴びた・・・・」
「シャ、シャワー!?」
「う、うん・・・・」
「ア、アンタ・・・そ、それがどういう事だか分かってんの・・・?」

アスカは恐ろしい形相になって、言葉を詰まらせながら僕に尋ねる。僕はアス
カのその顔に恐れを抱いて、おどおどしながら聞き返した。

「な、何だって言うのさ、そんな恐い顔しちゃって・・・・?」
「ファ、ファーストだって一応女なのよ。男と女が二人っきりで、しかもシャ
ワーを浴びるといったら・・・・」

いくらその手の事には鈍い僕でも、アスカが何を言おうとしているかくらいは
わかった。僕はアスカがそんな事を考えていると知ると、大きな声を出して否
定した。

「ご、誤解だよ!!そんな事僕が考える訳ないだろ!?」
「アンタにはそんな甲斐性はないかも知んないけど、この女が何をするかわか
らないわ。」
「な、何言ってるんだよ!!」
「この女はアンタを狙ってるわ。同じ女のこのアタシにはわかる。」
「あ、綾波がそんな事考える訳ないだろ!?」
「そんな事言ってるからアンタは鈍いって言うのよ。その鈍さもいいかげんに
してもらいたいもんだわ。」
「ぼ、僕のどこが鈍いって言うのさ!?」
「全部よ、この馬鹿!!」
「ば、馬鹿って言うなよ!!それじゃあ答えになってないだろ!?」

僕はいきなり馬鹿と言われた事で、冷静さを一気に失い、興奮してアスカに食
って掛かった。アスカも僕が興奮したのにつられて、大声を上げて返した。

「アンタにはそれで十分なのよ!!わかる!?」
「わかんないよ!!アスカの言ってる事なんて!!」
「どうしてわかんないのよ、アンタには!?」
「わかんないものはわかんないんだよ!!」
「アタシがこれほどまで言ってもわかんないの!?」
「アスカは何にも言ってないだろ!?」
「言ってるわよ!!」
「言ってない!!」
「じゃあ、アンタが聞き逃してんのね。これほどしつこく言ってるのに!!」
「ああ、そうだね!!きっとそうに違いないよ!!」
「アンタは馬鹿よ!!アタシがこれほどはっきり言っても、アタシの気持ちひ
とつ、理解できないんだから!!」
「ああ、馬鹿の僕には、アスカの気持ちなんて分かんないね!!」
「何ですって!?もう一度言ってみなさいよ!!」
「ああ、何度でも言ってやるよ。アスカの気持ちなんて僕には分からないって
ね!!」
「シンジの・・・シンジの馬鹿!!」

その言葉を聞いて、僕は我に返った。言い過ぎだった。
しかし、僕がアスカに謝る暇も無く、アスカの叫びと同時に、平手が僕に飛ん
でくる。僕が避けずに受けようと覚悟したその時、今まで呆然としていたはず
の綾波が、アスカの振り下ろした手をつかんで止めた。

「碇君をぶたないで。」

綾波はアスカの手首をつかんだまま、静かに、しかし有無を言わせぬ口調で、
アスカに向かって言う。アスカはいきなり出てきた綾波に驚きながらも、自分
の行動を止められた事に腹を立て、綾波に怒鳴り付ける。

「手を離しなさいよ!!」

しかし綾波はアスカの手を離そうともせず、落着いて言う。

「碇君をぶつ気なら、離す事は出来ないわ。」
「アンタには関係ない事でしょ!!」
「関係なくないわ。私は碇君を守るから。」
「どうしてアンタがシンジを守るのよ!?」
「碇君が私を守ってくれるから、私も碇君を守るの。あなたにはそれがわから
ないの?」
「わからないわ!!それよりもわかってないのはアンタの方じゃないの!?」
「どういう事?」
「シンジはアンタだけじゃなく、誰にでも優しいのよ!!アンタはそれを自分
にだけと思って、勘違いしてんじゃないの!?」

僕はアスカと綾波の険悪なムードに危機感を抱いて、慌てて割って入った。

「二人とも止めろよ!!僕の事で喧嘩なんかしないでくれよ!!」
「アンタは黙ってて!!これはアタシとファーストの問題なんだから!!」
「で、でも・・・」
「いいから引っ込んでて!!」

僕はアスカの剣幕にたじたじとなって、一歩退いた。アスカは僕が下がったの
を確認すると、再び綾波に向かって言う。

「わかる!?アンタは勘違いしてるだけなの。シンジがアンタを好きだなんて
そんなこと思わない事ね!!」
「勘違いしてるのはあなたよ。碇君は私を愛してくれているわ。」
「ど、どうしてアンタにそんな事が分かるって言うのよ!?シンジがアンタに
そう言ったとでもいうの!?」
「その通りよ。碇君は私の事を想っていると、そう昨日言ってくれたわ。」

僕は綾波のその言葉にぎょっとして、綾波に向かって叫んだ。

「な、何言ってんだよ、綾波!!」
「そ、そうよ。何かの間違いに違いないわ!!」

そんな風に、僕とアスカが慌てても、綾波は少しも動じることなく、平然と答
えた。

「碇君は確かにそう言ってくれたわ。それとも昨日のあれは嘘だったとでも言
うの?」
「た、確かにそう言ったけど・・・」
「そ、そんな事アンタは言ったの!?」
「い、言った事は言ったけど、でも・・・・」
「でも!?」

アスカが僕に聞き返したその時、天の助けが訪れた。

ピンポーン!!

玄関のチャイムが鳴る。

「ト、トウジたちだよ、きっと!!」

そう言うと、僕は急いで立ち上がって、そそくさとドアを開けにいく。綾波は、
僕がアスカの追求から逃れたと分かり、ようやくつかんでいたアスカの手首を
離した。しかし、アスカはそんな事にはまったく気付かずに、ドアのところに
慌てて駆け寄る僕の後ろ姿を、じっと見つめていた。その顔はさっきまでのも
のとは全く違い、悲しげな表情だったが、それを見ていたものは、誰もいなか
ったのだった・・・


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