私立第三新東京中学校
第四十三話 嵐の夜
「そろそろ止んだかな、雨・・・?」
僕はそう言うと、立ち上がって玄関に向かった。綾波も僕について立ち上がる。
僕はドアを開けて外を見たが、まだ雨は降っていた。雨はさっきよりも激しさ
を増しており、いっこうに止む気配を見せなかった。また、そろそろ辺りは暗
くなってきており、あと一時間も経たないうちに、昼の世界から、夜の世界へ
と移り変わっていく事が見て取れた。
そんなわけで、僕は振り向くと、後ろにいた綾波に聞いた。
「どうしようか、綾波?」
「碇くんが望むなら、いつまでも雨宿りして。私は別に迷惑じゃないから。」
「そう?でもアスカが心配してるしなあ・・・」
そうして、僕は心配げにうちの方角を見やる。それを見た綾波は僕を安心させ
ようと、こう言った。
「なら、彼女に電話したら?ちょっと遅くなります、って。」
僕は綾波の、電話してここにいれば、という案にわずかに躊躇したが、今はそ
れが一番いいだろうと思い、綾波の意見を了承した。
「そうだね。それが一番いいと思うよ。じゃあ・・・」
そういって僕は鞄の中から、携帯電話を出そうとする。しかし、鞄の中に、目
的のものは見つからなかった。
「おかしいなあ・・・家に忘れてきちゃったかなあ・・・」
「どうしたの、碇くん?」
「うん。携帯電話を家に置き忘れてきちゃったみたいなんだ。悪いけど、ここ
の電話、使わせてくれる?」
「いいわよ。遠慮無く使って。」
「そう?じゃあ、悪いけど、借りるよ。」
そう言うと、僕は綾波のうちの電話を借り、うちにいるアスカに電話する。
プルルルル・・・
『はい、もしもし。』
「あ、アスカ?シンジだけど。」
『ア、アンタ、雨降ってるけど、大丈夫なの!?』
「う、うん。今綾波のうちにいるんだ。少し雨が止むまでここにいるから、悪
いけどちょっと遅くなるよ。だから、もし遅くなり過ぎたら、いつまでも待っ
てないで、出前でもとってくれる?」
『止むまでって、そんなのいつになるか分かんないじゃない!!ファーストに
傘借りられないの?』
「綾波のうちには一本しかないんだ。だから僕が借りる訳にはいかないだろ?」
『じゃあ、アタシが傘持っていくから、そこで待ってなさいよ。』
「悪いけどいいよ。それにアスカは綾波のうち知らないだろ?」
『そ、それもそうね。』
「じゃあ、そういう事だから!!」
『ちょ、ちょっと待ちなさいよ!!アン・・』
ガチャ!!
僕はアスカの言葉の続きを聞くことなく、電話を切った。アスカに言わせてい
たら、いつまで経ってもきりがないのだ。これは綾波の電話だし、長電話する
訳にもいかない。そう言う訳で、僕は用件だけアスカに伝えると、一方的に電
話を切る事にしたのだ。
電話を終えて、部屋に戻って行こうとすると、何だか音が聞こえた。
トントントン・・・
聞き覚えのある音だ。そう、それは包丁の音だ。
僕は部屋に戻ると、綾波が台所に立って、料理をしているのが見えた。そして、
綾波は僕が電話を終えて戻ってきたのに気付くと、振り向いて言った。
「電話は終わったの、碇くん?」
「う、うん。ところで、綾波は何してるの?」
「見て分からない?夕食の支度よ。」
「・・・そういえばもうそんな時間だね。」
「碇くんも食べていくでしょ?私はそのつもりで作っているから。」
「え!?で、でも・・・」
「彼女には遅くなるって言ったんでしょ?ならいいじゃない。彼女だって子ど
もじゃないんだし、心配しなくても大丈夫よ。」
「まあ、一応遅くなったら出前を取ってくれって言っておいたけど・・・」
「なら、平気ね。食べていくでしょ?」
僕ははっきり言って迷ったが、もう綾波が僕の分も作りはじめているとの事な
ので、断る訳にも行かず、綾波に向かってうなずいた。
そして、綾波は僕がうなずくのを見ると、大いに喜んで言った。
「本当!?碇くんが食べてくれるなら、私も一生懸命心を込めてつくるから!!」
僕は予想外の綾波の驚きように、気おされて、取り敢えずなんとか返事をした。
「う、うん・・・ありがとう、綾波。」
「碇くんみたいに上手じゃないかもしれないけど、頑張っておいしくするよう
に努力するから。だから碇くんも我慢して食べてくれる?」
「そ、そんな・・・綾波の料理はおいしいよ。それについては僕が保証する。
だから綾波ももっと自信を持っていいと思うよ。」
「本当!?碇くんが私の料理を誉めてくれるなんて・・・うれしい。」
「そ、それほどの事じゃないよ。僕でなくたって、みんなそう言うと思うよ。」
「・・・でも私は・・・碇くんにそう言ってもらえたのがうれしいの・・・・」
綾波は神妙になってそう言う。それを見て、この僕にそんな価値があったのか
と思い、綾波に言った。
「光栄だよ。綾波にそう言ってもらえて。自分で言うのもなんだけど、やっぱ
り料理の出来ない人間に誉められるよりも、料理の上手な人間に誉められた方
がうれしいのかな?」
「・・・・うん。」
その時の綾波には、何だか元気の無いような気がしたが、僕は取りたてて気に
は止めなかった。
「じゃあ、僕はおとなしく座って、料理が出来るのを待つことにするよ。」
「うん。もう少しでできるから、碇くんは座って待ってて。」
こうして、僕は腰を下ろして、綾波の料理をする後ろ姿を見つめた。それを見
ながら、僕は何か違和感を覚える。何だろうと考えながらそのまま見続けると、
まもなく、それが何かに気が付いた。エプロンがないのだ。
「綾波、エプロンって持ってないの?」
僕はつい口に出してしまったが、言ってすぐ後悔した。服も持ってないのに、
エプロンなど持っているはずが無い。それにもし万が一持っていたにしても、
持っていればつけるはずだ。制服姿で料理をすれば、汚れてしまうだろうから。
しかし、僕が言うと綾波はすぐに料理を止め、振り向くと僕に向かって答えた。
「持ってないの。あった方がいいと思う?」
「もちろんだよ。そのまま制服なんかでやったら、汚れないかい?」
「うん。でも私は制服の替えなら沢山持ってるから。」
「エプロン使った方がいいよ。そんな毎日制服を汚してたんじゃ、クリーニン
グ代も馬鹿にならないだろ?」
「うん。碇くんの言う通りかもしれない。」
「じゃあ、今度服を買いに行く時に、一緒に買おう。これなら僕が見たててあ
げるよ。」
「ありがとう、碇くん。」
「ううん。それよりも料理を中断させちゃって、悪かったね。」
「いいの。碇くんは大事な事を私に教えてくれたんだし、そうでなくても私は
碇くんに声をかけてもらえるだけでうれしいから・・・」
僕は綾波のその言葉を聞いて、僕が綾波にべたべたに慕われている事に気付い
た。確かに綾波には僕しかいないのだろう。それは僕にも良く分かっているの
だが、何だか度が過ぎる気もする。多分、ずっと誰にも相手にされずにいた、
反動なんだろう。
僕はそんなことを考えながら、今度は口を挟まずに、おとなしく料理が出来る
のを待っていた。
しばらくして、料理の皿が、次第にテーブルの上に並びはじめた。それらを見
ると、綾波の料理の上達具合が良く分かる。綾波は肉が食べれないので、自然
と純粋な精進料理的和食になる。そして、それはそう上手くは作れないものな
のだ。僕はそれを悟ると、感心して、大きくうなずいたが、綾波の邪魔をして
はいけないので、今のところは声は出さずに、それのみに止めた。
そうこうしているうちに、料理も全て出来上がった様子で、綾波もテーブルに
来て腰をおろした。
「じゃあ、食べましょうか。」
「うん。じゃあ、いただきます。」
「いただきます。」
今日は綾波もいただきますの挨拶をした。最近僕らと一緒に食事をする機会が
多かったので、綾波も覚えたんだろう。それでも、今日のお昼まではそんなこ
とはしなかったのに、今はしたということは、やっぱり綾波が変わったという
のは確かなものかもしれない。
そんなことを考えながら、僕は綾波の方に視線を向けると、綾波は心配そうな
顔をして、僕の事を見つめていた。きっと料理の出来が気になるんだろう。僕
はそれに気付くと、慌てて料理に箸をつけた。そして一口食べると綾波の方を
向いて感想を述べる。
「おいしいよ、綾波。」
「本当!?よかった、碇くんがおいしいって言ってくれて。」
「うん、綾波も見てないで食べなよ。冷める前にさ。」
「うん。」
そして、僕たちはしばらく食事に専念した。
「おかわりいる、碇くん?」
綾波は僕のお茶碗が空になっているのに気付くと、そう尋ねてきた。
「う、うん。じゃあ、お願いしようかな・・・」
そういって、僕はおずおずと手に持ったお茶碗を、綾波に差し出す。綾波は優
しくそれを受け取ると、更に僕に尋ねてきた。
「どのくらいにする?」
「さっきと同じくらいで頼むよ。」
「わかったわ。」
そういって綾波はご飯をよそってくれた。そして綾波はお茶碗を僕に向かって
差し出しながら、微笑んで言う。
「はい、碇くん。」
僕はその笑顔に魅せられて、思わずどきりとしてしまった。
「あ、ありがとう、綾波・・・」
「どういたしまして。」
綾波は微笑んだままそう答える。僕は赤くなってしまった顔を隠すために、お
茶碗に顔を伏せて、綾波に顔を見られないようにして、食べ続けた。
ご飯を食べ終わると、僕は綾波に入れてもらったお茶をすすっていた。綾波と
向かい合わせになって、くつろいでお茶を飲んでいるうちに、僕は大事な事を
思い出した。僕はここにくつろぐためにいるんじゃなく、雨宿りのためにいた
のだ。
僕は急に立ち上がると、玄関の方へ向かう。綾波も驚いて僕の後に続いてきた。
そして僕は慌てて玄関のドアを開ける。その時僕が見たその外の光景は、まる
で嵐だった。雨だけでなく、風までが吹き荒れ、街路樹が大きな音を立てて揺
れている様子が伝わってくる。僕は今日天気予報を聞いてこなかった自分を悔
やんだ。
「これじゃあ、とても帰れないわね。」
綾波が僕の後ろで言う。確かに綾波の言っているのは誇張などではなく、全く
の現実である。僕は困って綾波の方を向くと尋ねた。
「どうしよう、綾波・・・?」
「泊まっていけば?こんな夜に外に出たら危険だし。」
「でも・・・」
「気にしないで。碇くんが泊まっていっても迷惑じゃないから。」
「そう?」
「うん。」
「・・・じゃあ、そうさせてもらうよ。でもアスカにだけは連絡しておかない
と。きっと僕の事を心配してるだろうし・・・」
僕が綾波に向かってそう言うと、綾波はそれまで軽く微笑みを浮かべていた表
情を引き締めると、僕に向かって言った。
「彼女に電話するのは止めた方がいいと思うわ。」
「ど、どうしてさ!?」
「電話をすれば、彼女は碇くんを迎えに行くために、この嵐の中を、私のうち
までやってくると思うわ。碇くんは彼女をこんな嵐の中でうろつかせても良い
の?」
「それは・・・」
「だったら黙っていた方がいいわ。その方が、みんなのためになるんだから。」
「・・・・本当にそう思う?」
「ええ。」
「・・・・わかった。綾波の言う通りにするよ。」
僕は納得すると、ドアの鍵を締め、再び部屋へと戻っていった。
僕は戻ってくると、腰を下ろしかけたが、綾波はそのまま食器を片づけはじめ
た。僕はそれに気付くと綾波に向かって言った。
「あ、僕も手伝うよ、綾波。」
そういって僕は下ろしかけた腰を上げた。しかし綾波は振り返ると僕に向かっ
て言った。
「ここは私がするから。それより碇くんはシャワーでも浴びてきて。」
「シャ、シャワー!?そ、そんな、いいよ!!」
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃない。別に一緒に入る訳じゃないん
だから。」
「そ、それはそうだけど・・・」
「碇くんが着るようなものはないけど、バスタオルは入り口のところにおいて
あるから使って。」
「で、でも・・・・」
「そんな遠慮なんかしないで。さ、はいってきて。」
「う、うん・・・」
僕は綾波に半ば押し切られるように、シャワールームに向かった。
僕は入り口で服を脱ぐと、シャワールームに入った。そこは、清潔ではあるが
簡素で、シャンプー一つ置いていなかった。僕は綾波らしいな、と思いながら、
シャワーを浴びた。僕はシャワーで取り敢えず汗を流すと、体は洗わずに、そ
うそうと出る事にした。
僕は置いてあるバスタオルで体を拭き、再び制服を着て、綾波の前に姿をあら
わした。
「さっぱりしたよ。悪かったね、なんかシャワーまで借りちゃって。」
「いいのよ、気にしなくて。それより喉が渇いたでしょ。はい、これ・・・」
そういって綾波は僕に水の入ったコップを差し出す。僕は黙って受け取ると、
熱いお茶でなくて良かったと思いながら、一気に飲み干した。
「ありがとう、綾波。とってもおいしかったよ。」
「そう?よかった。碇くんが喜んでくれて。」
「・・・・座ろうか、する事もないし。」
「うん・・・・」
そういって、僕と綾波はまた向かい合わせに座った。僕は腕時計をちらりとみ
ると、もうすぐ八時になろうかというところだ。僕たちは話すこととて無く、
黙っていた。しばらく黙って二人ともうつむいていたが、まもなくそれに耐え
切れなくなって、僕は綾波に声をかけた。
「あ、綾波もシャワー浴びてくれば?」
「私はまだいいの。寝る前で。」
「そ、そうなんだ。なんか余計なお世話だったね。」
「そんなこと無いわ。碇くんが私を気遣ってくれたんだから。」
「そ、そういってもらえると助かるよ。」
そしてまた沈黙の時間となった。こういう時は時間が長く感じられる。僕はし
ょっちゅう時計を見ては、いっこうに時間が過ぎていかない事に苛立っていた。
綾波はそんな僕を見て、僕の気持ちを察したようで、こう言ってきた。
「碇くん、もう寝る?」
「え!?」
「なんだかこうしていてもしょうがないような気がするから・・・」
「う、うん。そうだね。まだ寝る時間じゃ無いけど、そうしよっか。」
「じゃあ、碇くんは私のベッドを使ってくれる?」
「え!?じゃあ、綾波はどこに寝るの?」
「私は床でいいわ。」
「そんな、駄目だよ!!僕が床に寝るよ!!」
「碇くんはお客様だから、床に寝せるわけにはいかないわ。」
「そんな事言ったって・・・」
「私なら敷布団があるから、床でも大丈夫。だから碇くんは遠慮無くベッドを
使ってくれる?」
「でも・・・」
「碇くんは私の気持ちを受けてくれないの?」
僕はその言葉を聞いて、綾波の言う通りにする事にした。
「わかった。ありがたくベッドを使わせてもらう事にするよ。」
「うん。気にしないで使って。」
そして、僕は綾波の布団を床に敷くのを手伝うと、寝る事にした。
「じゃあ、私はシャワーを浴びてくるから、碇くんは先に寝ていて。」
「う、うん・・・」
そういって綾波はシャワールームの方に消えていった。僕はベッドに腰を下ろ
すと、ようやく一人になって、ゆっくりとくつろいだ。僕はしばらくぼーっと
して、この感じを楽しんでいた。
どの位時間が経っただろうか、いつのまにか、綾波はシャワーを終えたようで、
こっちへ向かってくる足音が聞こえた。
「おかえり、綾波。」
僕はまだ見えない綾波に声をかける。しかし、綾波が僕の視界に入ると、僕は
驚いて大声を上げた。
「あ、綾波!!」
綾波は服を着ておらず、バスタオルを体に纏ったままだった。しかし、僕の驚
きようにも、綾波は平然としており、僕に向かってこう言った。
「碇くん、まだ寝てなかったんだ。」
「ね、寝てなかった?じゃないよ!!そんな格好で出てくるなよ!!」
「どうして?別に見せてる訳じゃないし、もう服は着なくていいんだもの。」
「な、何言ってんだよ!!」
「制服で寝るわけにはいかないでしょ。だから私はいつも裸で寝てるの。」
僕は綾波のその答えを聞いて、何とか納得した。
「そ、そうなんだ。じゃあ、僕はもう寝るね。」
僕は慌ててベッドの中に潜り込んだ。
「変な碇くん。」
綾波は一言そう言うと、部屋の電気を消し、自分も布団に入ったようだ。しか
し、僕はそれでも、高鳴る心臓の音を押さえる事は出来なかった。ベッドの中
は女の子特有のいい匂いがし、僕は落ち着いて寝てなどいられなかった。
綾波の匂いがする・・・・
僕は一言そうつぶやくと、布団の中で目を閉じ、眠ろうと努力をした。なかな
かすぐには僕の努力は報われなかったが、どの位時間が経ったのだろうか、や
がて僕もようやく眠りに落ちていったのだった・・・
続きを読む
戻る