私立第三新東京中学校

第四十話 人のかたち、こころのかたち

今日の授業もすべて終わり、放課後になった。
僕たちはいつもと同じように仲良く帰途につく。しかし、今日はいつもと違う
事があった。それは僕が綾波の家に行く事だ。

「いってもいいけど、早く帰ってくるのよ!!」

別れ際の道で、アスカは僕にこう言った。

「わかってるって。夜御飯までには帰ってこれると思うよ。」
「お昼休みの時にした約束、忘れんじゃないわよ!!」
「大丈夫だって、アスカ。そんなに心配しなくても。」
「アンタがそう言うなら、一応信用してあげるわ。でもね・・・」
「何?」
「約束破ったら承知しないわよ!!」
「わかったわかった。早く帰ってくればいいんだろ?」
「そうよ。」
「じゃあ、もう行くよ。行こう、綾波。」

そう言って、僕と綾波はアスカを置いて、歩いていった。そんな僕たちの後ろ
からアスカがしつこく声をかける。

「早く帰ってくるのよー!!」

しかし僕はそのしつこさにうんざりして、もう後ろを振り返らなかった。そし
て綾波に謝る。

「ごめんね、綾波。アスカがうるさくって。」
「いいのよ、別に・・・碇君のせいじゃないんだから。」
「でもしつこいだろ、アスカって。」
「そうね。」
「・・・早く行こう。またアスカに何を言われるかわからない。」
「うん。」

そう言って僕たちは歩みを速めた。僕はアスカの為に、早く行って早く帰って
こようとしているのだろうか?僕はなんとなくそんな事を考えていたが、僕は
自分のその分析が正しい事を知っていた。
僕はアスカの為に早く帰ってこようとしている。それはなぜなのだろうか?僕
にはまだ今朝の出来事が引っかかっている。しかし、僕が早く帰ろうとするの
は、アスカの気持ちに答えてやるからではない。僕が早く帰ってこなければ、
アスカが傷付くからだ。人が傷つくのを恐れるのは悪い事ではないが、こうい
う時には不甲斐ない。しかし、だからといって、自分の気持ちが固まっていな
いのに、さもそうであるように振る舞うのは、いいようにみえても、決してア
スカは喜ばないだろう。却って哀れみを受けたと憤慨するかもしれない。僕に
はそれがわかっているので、アスカにははっきりと何も言わない。アスカの方
も僕の気持ちがわかっているから、今朝のような衝動に駆られたんだろう。僕
に考えるきっかけを与える為に。

僕が一人、考えに沈んでいると、取り残された綾波は、僕に声をかけた。

「碇君・・・」

僕は綾波の声で、考えの渦から自分を取り戻した。

「あ、綾波・・・」
「何を・・・考えていたの?」
「ああ、ちょっと・・・」
「・・・ちょっと・・って?」
「アスカの事をね・・・」
「・・やっぱり。」
「どうしてそうわかったの?」
「碇君が今考える事といったら、司令の事か、あの人の事だもの・・・」
「それもそうだね。」
「でも、今の碇君にとっては、私と司令の話をするよりも、あの人の事の方が
気になるのね・・・」
「・・・実際のところ、綾波のいう通りだよ。今の僕にはここにいない父さん
の事よりも、近くにいる存在であるアスカの事の方が重大な問題なんだ。」
「そうなの・・・じゃあ、今日は私のうちに来るのをやめて、あの人のところ
に帰ってあげる・・・?」
「ううん。そこまではしないよ。僕にとっては父さんの問題も重要だし、こん
な機会がなきゃ、綾波ともゆっくり話も出来ないだろ?」
「碇君は・・・私の事も考えてくれるの・・・・?」
「当たり前だろ!!」
「どうしてなの?」
「それは・・・」

僕は、どうしてなの、という綾波の問いに、とっさに答える事が出来なかった。
以前なら、綾波とは友達だからという事も出来たが、今では綾波が友達と言わ
れるのを嫌っている事を知っている為、そう言う事も出来なかった。そして、
その事は、改めて僕に綾波の事について、考えさせられるきっかけとなった。

「わからないの?」
「うん。ごめん。でも、本当になんて言ったらいいのか、自分でもよく分から
ないんだ。」
「もしかしたら碇君が・・・他のみんなとは違って、私の事を知ってるからじ
ゃないの・・・・?」

その綾波の言葉に、僕は今まで忘れていたあの事を思い出した。しかし、それ
は確かに大きな問題ではあるが、僕が綾波に接している態度は、そんな哀れみ
からだけではないという事が、僕自身でさえ、よく分かっていた。だが、では
それがなんなのかと問われれば、僕には何とも答えようがなかった。

「それもあるかもしれない。でも僕はそれだけじゃないと思う。なんなのかは
わからないけど。」
「そう・・・」
「うん。ごめんね、綾波。うまく言えなくて。」
「いいの、別に。たとえ口では言い表せないとしても、碇君がそれだけじゃな
いなら、私はそのことだけでうれしいから・・・」
「綾波・・・」

僕は綾波がいったい何が言いたいのか、よく分からなかった。僕はしかし、綾
波も女の子なんだな、という事を実感した。アスカをはじめとする、女の子と
いうものは、男にはわからない物言いをするものだ。僕にはわからないという
事しかわからないが、それでも、僕には綾波が普通の女の子らしいところを見
せてくれた事に、ただ喜びを感じた。しかし、それを顔に出すのはなんだか不
謹慎であるように思われたので、僕は平然とした顔をしようと努力した。
しかし、そんな器用な芸当は、僕にはよく出来る事ではなかったので、僕はそ
れをごまかす為に、別の話を綾波にする事にした。

「ちょっといい、綾波?」
「何、碇君・・?」
「いや、僕は綾波の事を、他の人たちよりはよく知ってるつもりだったけど、
他のみんなについて知ってる事に比べたら、綾波の事なんて全然知ってないよ
うな気がしてさ・・・だから、もっと綾波の事について、僕に聞かせてよ。」
「碇君は・・・私の事に興味があるの・・・・?」
「う、うん。まあ、言ってみればそういう事になるね。」
「そう・・・なら、碇君にだけ教えてあげる。私の事を・・・」
「そ、そう?ありがとう、綾波。でも・・・僕にだけ?」
「そう、碇君にだけ・・・」
「どうして?」
「・・・碇君は、私の口からそれを言わせるっていうの・・・?」
「う、うん。何か気に触ったかな・・・?」
「・・・別にそんな事はないわ。どうして碇君にだけかっていうと・・・碇君
しか、私にそんな事聞いてくれないからよ・・・・」
「そ、そうなんだ。言われてみればそうかもしれないね。」
「・・私の事を何も知らない人でも・・・私について興味を持ってくれるのは、
やっぱり碇君だけ。碇君だけが、私の事を人間だと認めてくれるの・・・」
「そんなことないよ!!綾波は立派な人間だよ!!」
「なら、どうしてみんなは私に話し掛けてこないの?そしてどうして私に興味
を示してくれないの?」
「それは・・・」

僕には答える事が出来なかった。綾波が言おうとしている事が、僕にはとても
よく理解できたが、それだけに真に迫ったものがあり、僕の反論の付け入る隙
を与えなかった。そして、僕がくちごもっていると、綾波はさらに話を続ける。

「みんなは詳しい事は知らなくても・・・やっぱり私がみんなと違うって事が、
なんとなく分かるのね。私が人間じゃないって・・・」
「そんな事言うなよ!!」
「・・・どうして?碇君も私の事を見たんでしょ?・・・ならわかるはずよ、
私の言っている事が・・・」
「そんな事、わかりたくもないよ!!僕にとって、綾波は人間だし、かけがえ
のない人だと思ってるよ!!」
「碇君は・・・私の事を全て知った上で、そう言ってくれるの・・・?」
「もちろんだよ!!他のみんなと違うなんて、人間じゃないなんて、そんな悲
しい事言うなよ!!」

すると綾波は静かに僕に尋ねた。

「・・・碇君は・・どうして私の事をそんなに想ってくれるの・・・?」

すると、僕は意外な事を聞かされたように、驚いて言った。

「僕が・・・想う?綾波を?これが普通だと思うけど・・・」
「・・普通じゃないわ・・・少なくとも私にとっては・・・」
「そう?・・じゃあ僕が優しすぎる男だからなのかもしれない・・・」
「そうかもしれないわね・・・」
「うん・・・」

それきり僕たちは黙ってしまった。そして、あたりにはただ、僕と綾波の歩く
足音のみが響いているのだった・・・


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